1−10
サクラミステリーの入口にはすぐに着いた。
走りながらも、優介に無線を送ったところ、「おう、今走って向かっているから待ってろ!」と力強い声が返ってきた。
うん。大丈夫だ、きっと。
そして彩穂は首にかけてあった鍵を外し、すぐに南京錠をガチャガチャと――。
これは相原からもらった鍵、本物をかたどって鋳造したスペアーキ―。
「あれっ……」
なかなか上手くは開かない。緊張の所作なのか彩穂の右手は小刻みに震えている。
何度も何度もやってもなかなか合わない。やはり偽物のスペアーキだから?
早くしなければ、階下で懐中電灯を取りにいってくれた警備の男の人、あるいは裏側の人に見つかってしまう。
「開いたぁー!」
ほっと一息ついた彩穂だったが、すかさず重い扉をこじ開けようとする。
が、それでも開かない!
そう、内側の鍵を開ける役目を果たす優介は、まだ着いてはいなかったのだ。
すると遠くの影から懐中電灯の光がちらついてきた。どうやら裏側にいた警備の男が、状況を確認するために回ってきたようである。
それに気がついた彩穂は身をかがめ、極力音を立てないように心掛ける。
ここは……、ここは優介を信じるところ――。
「おう! 今走って向かっているから待ってろ!」と言ってくれたあの優介の力強い声を信じるしかしない。きっと内側の鍵を開けてくれる。間に合う。だから間に合う!
でも……、とりあえずはあの男には絶対気づかれてはいけない。いや、まだ石段の方に向かう可能性だってある。
しかし、彩穂の願いは叶わず、裏側から来た警備の男は壁に沿って歩いてきた。
「……っ……」
やがてどんどんと距離が近づいてくる。
その距離、今は百メートル。
草木のざわめきですら敵。風が吹いたら空気が変わってしまいそう。
五十メートル。
襲ってくる悪感のせいか冷や汗にまみれる彩穂。白色のライトも彼女の存在を映しだそうとさかんに輝きだす。
二十五メートル。
頭上ではフクロウが甲高い声をあげ、夜の闇を我がもの顔のように飛び回る。暗い大気を広げる翼――そこには空高々と飛ぶ鳥の優美さと力強さ。まるでそれは、人が地面に這いつくばっている現状を見下しているかのごとく。
そしてこんな時に彩穂は思う。
そう言えば昔は優介……よく大空を飛び回りたいって良く言っていたっけ。今でもそう思っているのかな。自由に飛びまわればって……。あの鳥のように優雅に飛べれば、あの壁の――夜のサクラミステリーだってひっと飛びだし、サク兄が残したこのメッセージの意図もなんなく掴めたかもしれないのに……。
スクラップ帳の核心メッセージを思い返す彩穂。
――古の、夜長の月こそ夏の日の、一五一護で、かぐやを遣わし候――
もう……、これではもう気づかれるのも時間の問題なの?
この作戦は間違いだった? 失敗だったの?
もしかして先に優介を忍びさせとけばよかったの。
でも!
でもそれだと、優介の危険が増えるから止めたんだ。最低でも、自分が引きつけないといけなくて……。
もう一度、胸の内で扉が開いていることを願った彩穂は、最後の望みをかけてそれを引っ張ってみる。
しかし――扉はピクリとも動かなかった。
そうだよね……。
彩穂は落胆する。
だって、なんにも音が聞こえないもん。内側から栓抜きみたいなのを回すキュルーって音とか、それを外そうとして錆びた鉄が擦れたギシーとかいう音が聞こえないんだから。
距離が縮まっていく。その姿はもう肉眼で発見されてもおかしくはないぐらいまでに。
もう少しで、あと少しでライトに照らさせる。どうすればいいの。
この際、南京錠の鍵を締め直して何事もなかったように振る舞う?
自分だけ……。
いや……、
そんなのありえない。
第一この場所にいる時点でもう言い訳にならない。
それとも懐中電灯の件で……やっぱりダメ……。
きっと優介なんてこの後遅れてきたとしても忠実に鍵を開けようとする。そしたら捕まってしまうんだ。それだけは避けなくては……。だったら――。
やっと結論を導き出した小手川 彩穂は決意した。
何を決意したかというと、一旦自分が犠牲になって優介には引き返してもらうことをだった。
どうせここで見つかってしまうぐらいなら、今すぐ無線で戻ってっていわないと――。
そして彩穂が無線のスイッチを入れて声を出そうとしたその瞬間だった。
「おいっ……そこに女の子がいるのか?」と警備の男の声が聞こえてきた。それもはっきりとした声である。
思わず反射的に目をつむってしまった彩穂。縮こまった状態でありながら、さらに余分な力が入る。
しかし、そのあとに継ぐ言葉が聞こえない。
彩穂はおかしいなと思い、おそるおそる目を開けた。すると、警備の男がこちらから背を向いていたのだ。
えっ、と驚くものの彩穂は様子を窺うしかできない。
(なんで……?)
「サ、サクラナイトに足を挫いた女の子……か。わかった。ザッー」
すると今度は入口の方から、「あ、や、ほーっ」と囁くような声。
彩穂があれほどまでに待ち焦がれていた人物。
小さな、小さな声。
だけど大きな、大きな存在感だった。
そう、早くこっちにこいって合図している人物……、
それはもちろん優介だった。
(あー、ま、間に合った……んだ……)
彩穂はほっとする。
安堵する。
脱力する。
まさに砂漠の中のオアシス、または鬱蒼とした森の抜け出した気分。
さまざまな感情が体中を駆け巡っては離さない。
そう、優介のいる方へと慎重に――。
ほんのわずかな隙間から顔を覗かせる優介のほうめがけて――。
あー大丈夫だった。
間に合った。
でも、優介を最後まで信じきれなかったのは悔いが残る、けど……。成功したんだからそんなの関係ないんだ……。
「ああ、今すぐにサクラナイトの方に向かう。ザッー」
男は無線を切って草原のサクラミステリー入口前を見渡した。
しかし、そこはいつもと同じ風景。何もない草原に風の音が聞こえる場所だ。
今はもう彩穂が、そして優介もいなくなったその場所を見やって、サクラナイトかぁーと呟きながらそっちの方へと向かう。
「あれっ?」
男が何かに気づく。
いや正確に言えば恣意的に仕組まれた事になるのだから、気づかされたってことになるであろう。この場合はおそらく。
「こっ、これは……、懐中電灯?」
そう、そこに落ちていたものは紛れもなく懐中電灯だったのだ。それもあの入り口の警備の男に貸してもらっていたもの。彩穂は入口に向かう直前に、少しだけ離れた位置にそれをほっぽり出してそっちに気を引かせようとしていた。これは南京錠の鍵が開きっぱなしになっていることの早期発見を、少しでも遅らせようと目論みたことである。
「ん? よ、よつばのクローバー?」
男ははてと首をかしげる。なんでよつばのクローバーが懐中電灯に添えられているのだろうか。もしかしたら相方のやつは、警備を怠って幸せの宝探しでもしているんじゃないだろうかと冗談半分で考えてしまった。
ただ、これも彩穂が気をそらさせるために添えておいたことについては、もはや触れる必要すらないのかもしれない。
はい、貴重な時間を割いて読んでくださった方ありがとうございます。
前回、タイトルを変えますとお話して実際に変えたのですが、タイトルってホントに大事なんですねー。アクセス数が大幅に増えました。ありがとうございます。
これからもどうかこの遅々たる展開にお付き合いくださいますようにお願いいたします。