第一話
その手紙が私のもとに届いたのは、或る秋の日の夕暮れ時。〝家〟の近くの小さな砂浜で、潮風にあたっていた時の事でした。
遠い異国から届いたその手紙に、どういうわけか一種の懐かしさを感じてしまったのを今でもよく覚えています。
ボトルメールを手にしたのは、あの時が初めてだったというのにです。
当時、私の家だった孤児院も、ボトルメールを拾った小さな砂浜も、今ではもうないそうです。
時間と共にあの海辺の街が、あの砂浜が、私の手の届かない所へ去っていくのを感じるのは、とても寂しい事です。
ですが、悲しくはありません。
不器用ではありますが、誰よりも誠実で素敵なあの人に出会えたのも、愛しい子供や孫達に恵まれたのも、全てはその過ぎ去っていった歳月のおかげなのですから。
歳をとるという事が人間の運命の一つであるように、生まれ変わっていくのが街の持つ宿命なのかもしれません。
今思えば、ボトルメールを拾ったのも私の運命の一つだったのでしょう。
当時、一人の少女に過ぎなかった私も、今ではもうしわくちゃのお婆さんです。
そんな今になって、なぜあの時懐かしさを感じたのか、ようやく分かったような気がします。
〝広い世界で旅をしたい〟
そんな少女の想いに、私は亡き兄の姿を、知らず知らずの内に重ね合わていたのかもしれません。
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まだ、この海辺の町に越してから間もない頃。この砂浜に、当時まだ幼かった私は兄に手を引かれるようにしながらよく訪れていました。
とりわけ、夕方。それも、夜の帳がもうすぐで下りる、という頃にです。
あまり暗くなっては院長先生に心配されてしまうのでそんなに長居はできませんでしたが、毎日欠かさず、この時間だけは訪れるようにしていました。
この砂浜で見れる景色の中で、兄が一番好きな時間帯だったのでしょう。
私はといいますと、どちらかというとこの時間帯の砂浜よりも、朝食を食べた後にくつろげる、朝早くの砂浜の方が好きでした。
兄は朝が弱い人でしたので、この時間はいつも院長先生に付き添ってもらってきていました。
朝早くの砂浜だからこそ見れた光景は、今でも忘れることができません。
少しずつ上りはじめたお日様に照らされた波は、まるで教会のステンドグラスのようで、飛び散る水滴は、透きとおったシャボン玉のよう。
そんな海を自由に泳ぐお魚に、憧れたものです。
そういえば、二人で夕日を眺めている時に、決まって兄が言う言葉がありました。
―――――水平線の先には何があると思う?
という言葉です。その答えはいつも教えてくれませんでしたが、何か確信を持った面持ちで水平線を見つめる兄の姿を、幼心に大変大人びているように感じたものです。
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―――――ザ、ザザァザザァ、ポチャ、ポチャ。
打ち寄せてきた波に足を濡らされ、現実に引き戻されました。気付かぬうちに、潮が満ちていたようです。
ふと空を見上げてみますと、満面の夕焼け空が目に映ってきました。茜色というよりは、少し黒めのくすんだ夕焼け。
どうやらもう少しで、夜の帳が下りてくるようです。そう、私の兄が愛してやまなかった、あの時間帯が訪れようとしているのです。
ふと、砂浜に置きっぱなしにしていたボトルメールを思い出し、慌てて波打ち際から離れました。
今朝方、ここに打ち上げられていたのを見つけた時のものです。
自分の部屋に持ち帰って手紙を読んでから、何を入れようか色々悩んでいましたが、今ではもうすっかり決まっていました。
入れることにしたのは、兄の写真です。少女の想いに答えるのに、これ以上にふさわしいものはないように思えました。
胸元のポケットにそっと手をやり、中の写真を取り出します。写っているのは、兄が生前中に撮った最後の姿です。
兄が亡くなったのは、今からほんの数週間前の事でした。院長先生は多くを語ってくれませんでしたが、事故死、だったそうです。
彼から、最愛の家族を奪ったのも車の事故。そして今度は自身の命まで。兄の訃報を聞き呆然としながらも、その運命の皮肉さを感じざるを得ませんでした。
物心ついた頃から慕ってきた兄でしたが、実を言うと、血のつながった本当の兄妹というわけではありません。
兄は事故で、私は親に捨てられる形で、〝家〟に来たのです。
生まれた時から家族というものを知らない私が、こんなことを言うのはおかしな話なのかもしれません。ですが、思わずにはいられないのです。
もし私に家族があり、兄という存在がいたとしたのなら、それは間違いなく、彼のような人だったのだろうと。
写真の中の兄に視線を移します。特別、物をあまり多く持たなかった人でしたから、兄が亡くなり、遠い親縁の人が彼の遺品を取っていった後に残っていたものは、この写真ぐらいでした。
少し緑がかったハンチング帽を被り、淡いグレーのジャケットを決め込んだ姿。生前の兄が、ここぞという時に着ていた一張羅姿です。
そしてそれと対照的なのが、すっかり穿きふるして、元の色が何であったか分からない程にくたびれた、茶色いジーンズ。
上下のあまりの不釣り合わなさに、度々笑われていましたが、それでも兄は好んでこの格好をしていました。
くたびれたジーンズは、家族が亡くなる前に、兄にプレゼントしてくれた思い出のものだったそうです。兄にとっては、家族とのつながりを感じれる、大切なものだったのでしょう。
事故当日も、このズボンをはいていたそうです。
兄の写真をそっとボトルに入れました。どこまで行くのかは分かりません。ですが、波にのり、人々の想いを背負っていくうちに、遠い水平線の先まできっと行ってくれることでしょう。
ボトルメールに願いを込め、ゆっくりと手を離しました。
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寄っては去っていく波に呑まれ、ボトルメールの姿はだんだんと小さくなっていきます。
今にも水平線の先へと消えていきそうなボトルメールの姿は、まるで小さな方舟のよう。
今はまだ小さなこの方舟も、この広い世界を巡り人々の想いをのせていく中で、やがては大きな船へと成長していくのでしょう。
そうして私の兄と、名も知らなければ顔も知らない少女の、二人の大きな大きな夢をつんだ、小さな小さな方舟は、まだ見ぬ未来の彼方へと消えていったのです。
⁂
今になってようやく、兄の質問に対する答えが少しだけ分かったような気がします。
直接、口に出した事はありませんでしたが、毎日のように海を眺めていた兄も、あのボトルメールを出した少女と同じように、この広い世界を旅してみたかったのではないでしょうか。
そういえば、夫にこの話をしますと、その兄さんというのは君の初恋の人なのかい、と言ってなぜか拗ねてしまいます。
初恋ではなくて、憧れだった人よ、と言っても全く聞く耳を持ってくれないのです。
不思議な事に、あの人にそう言われるたびに私はしみじみと考えてしまいます。私が兄に抱いていた思いは、恋心などではなく、憧れの想いや尊敬の眼差しだったのだと。
私が兄を、実の兄のように慕っていたのと同じく、彼も私を本当の妹の様に可愛がってくれていました。そう強く感じます。目に見える形こそありませんが、そこには確かなつながりがあったのです。
兄を失ってからもう数十年経ちますが、今でも彼に抱く思慕の念は変わることはありません。これからも、ずっとそうでしょう。
庭の方から私を呼ぶ、孫の声が聞こえてきます。どうやらそろそろ筆をおかなければならないようです。
兄が亡くなってからというもの、長い間一人ぼっちだった私にも、今ではたくさんの愛しい家族ができました。
みんな、大切な、大切な私の家族です。
孫が大きくなったら、この物語を聞かせてやりたいと思います。
一人でも多くの人の記憶や思い出の中で、兄がいつまでも生き続けれるのを、祈りながら。