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病葉真宵の観察ノート  作者: 黒砂糖
1/3

その1


 世界にたった一人しかいない私。


 世界にたった一輪しか咲かない花。


 世界にたった一度しか輝かない星。




 そんな甘やかなまどろみから目覚めたのはいつの頃だったのか。

 誰だって大人になれば社会という名の大海に出て否応なしに荒波に揉まれて自分が社会の歯車どころかその構成パーツの一つでしかない、もっと言えば人類集合体の七十億分の一でいくらでも代替可能な交換パーツでしかない無力な存在にすぎないことを、残業で疲れ切った身体で夜空の星々を寂しげに見上げながら実感したりする。

 大人になるってそういうことだ。




 誰でもいい私。


 何でもいい花。


 砂でもいい星。




 それはなんて。


 残酷な真実。





 そのことに気付いたのは私が小学校に上がる前のことだ。

 あるフランスの作家は「私は十八歳で年老いた」といったそうだけど、その手の言い回しにならっていえば、「私は五歳で年老いた」といえるかもしれない。

 いまの私は高校一年生の十五歳。

 しかし、先に述べたように「五歳で年老いた」私は身体の成長も精神の成長も何もかも一切合切ストップし、園児の頃の写真といまのそれとでは見分けがつかないほど停止したままだ。

 磁器のお人形のような真っ白な肌。

 何も映さない灰色の瞳。

 朽ち果てた病葉の如き黄茶色の短髪。

 (わくら)()()(よい)

 それが私だ。





「真宵いる?」


 教室後方のスライド式の扉。

 一時間目終了後の休み時間、いつものように私を現実の喧騒に引き戻す声の主が、いつものように敵意三割警戒心七割混じりの視線で私を睥睨するように見つめている。

 一分の隙もない佇まいで、私との一定の距離を保つポニテ赤髪美少女。

 柏木(かしわぎ)紅葉(もみじ)

 この桜庭(さくらば)女子大附属高校にスポーツ推薦で入学してきた女子ボクシング界の天才で、その美貌に反しての凄絶無慈悲な嬲り殺しヒットマンスタイルはまさに悪の化身。

 ついた仇名は「美しすぎる死神」。

 休み時間になる度になぜか隣の三年二組の教室からうちに訪問してくるが、それは彼女が私と仲良しになりたいけど素直になれない、悔しい!でも通っちゃう()とかいうツンデレとかその手の類ではまったくもってない。

 彼女の目的はただ一つ、彼女の親友と私との橋渡し役だ。

 ゆえに、私もいつものように素気無くこう返してやる。


「いません」


「いるってさ、桃」


 ちっ。

 こちらの言い分などミジンコほどにも意に介さず、死神はさっさと避けて彼女の通る道を作る。

 ぴょこっ、と登場したのはすべてが私の対極にある愛らしい少女の造形。

 野生のカモシカのように健康的な肌。

 すべてを映し出す湖のように青い瞳。

 天真爛漫な子供のようにきらきらと目を輝かせて、天使のような桃色の長髪をふわりと靡かせて、前世からの親友であるかのような満面の笑顔。


「おはようやで、真宵♪」


 そういうなり私のほっぺたをつん、と人差し指で押したりぷにぷに撫でまわしたり挙句の果てに私の首っ玉を齧りつかんばかりの勢いでハグしたりと、やりたい放題好き放題の少女の名は皇樹(すめらぎ)(もも)

 先月転校してきたばかりの帰国子女で、日本はおろか世界に名だたる皇樹グループ会長のお嬢様。そしてなぜか転校初日から私に全力でコミットしてくる不思議ちゃん。

 困る。


「……離れてほしいんだけど」


「ええ~いけずぅ~。たった十分足らずの逢瀬やん、ウチもっといちゃいちゃした~い!」


 ざわ…ざわざわ……。


 

 非常に困る。

 大体なんだよ「逢瀬」って。

 出会ってたった一月足らずの女子二人組に当てはまる古語(パワーワード)じゃない。

 そんな突っ込みを脳内に廻らせていると、すぐ後ろの席から怒気と共に立ち上がる気配。


「いい加減にしなさい皇樹さん!真宵も困っているでしょ?」


 真っ当すぎる正論でクラスのざわつく空気を一刀するのは、凛々しき黒髪和風美少女。

 鋭いまなじりに高級そうな眼鏡レンズが知性という名の彩りを添える。

 桜庭深雪。

 この三年A組のクラス委員長にして桜庭女子大学創設者の孫娘。

 大抵の生徒はこの一喝にご主人様に叱られた飼い犬よろしくしっぽを丸めてくうんくうんとおとなしく従うものだが。


「おっ、委員長やん。おはようさん♪」


「あ、はい、おはようさん……じゃなくて!離れなさい!」


「いややもーん♪」


 のれんに腕押しぬかに釘。

 私を抱きかかえた右手は離すことなく左手だけで返答する。

さすがに世界に名だたる皇樹グループのお嬢様は格がちがった。

 そんな全方位性無敵モード続行中の彼女をとめたのは。



「……桃、時間」


 ちら、と無骨な腕時計に一瞥して無表情に告げる親友の死神。


「ええ~もう?」


「二時間目はキリシマ先生の物理。急いで」


「しゃーないな。真宵、またあとでなー♪」


 そういってお嬢様抱擁大作戦を終了させるや、お星さまのようにぴらぴらと手を振り教室から出ていく天使とそれに付き従う死神。

 同時に私はひなたぼっこの子猫よろしく机の上に力なく突っ伏す。

頭くらくら。

若干酸欠気味かも。

 そこに深雪の無自覚で無慈悲な一言が追い打ちをかける。


「……母親の過度な愛情が娘を死に追いやるって事件、なかったっけ?」


 こわいことさらっと言わないでほしい。


「ていうか、本当に大丈夫?」


「アーダイジョウブダイジョウブ」


 力なく親指を立てるが、これは事実。

 次の二時間目の授業は化学で白衣を羽織って実験室に移動、三時間目は家庭科で調理実習室に移動して納豆汁の製作、四時間目は体育で体育館に移動してバスケ三昧。

 つまり午前中いっぱいあの天然系無自覚暴走お嬢様とエンカウントする機会は訪れないのだから、私がこれ以上体力精神力を消耗する羽目に陥ることはない。

ゆえに大丈夫。証明終了。


「ううん、そうじゃなくて」


「?」


「お昼休みまでスキンシップ我慢したあの子がどれだけ暴走するかそれが心配なんだけど。下手したら放課後になっても真宵から離れようとしないんじゃ……」


「…………」


「…………」


「…………」


「……忘れてた?」


 忘れてました。

 確かにお預けを食ったあの子がどんな魔窟の魔物と成り果てるのか先週この身をもって味わったはずだけど、あまりにもアレな体験であったがゆえに脳が記憶を呼び戻すのを拒否したのだろう。

 ぞわり。

背中が総毛立つと同時に脳内にゆっくりと再生される忌まわしい記憶。

 それはナニワの金融業者よろしくサングラスで親父臭い仕草と台詞でゆっくりとこっちに近づいてくる桃色の天使ならぬ漆黒の堕天使の姿。




「真宵ちゃ~ん、さんざんワイを待たせた分利子も含めてたんまりとその身体で返させてもらうで~♪ぐへへへへ♪」




 あかん。

 正気を失いかけ再度崩れ落ちる私にいつの間にか実験用の白衣に着替えて有能な美少女医師と化した深雪は、まるでブラックジャックが降臨したかのような力強い声でこう告げる。


「大丈夫。わたしにいい考えがある」


「……ほんとう?」


「ええ。だから自爆テロなんか起こさないように」


「起こさないよ!?」


「先月の実験で調合間違えて有毒ガス発生させたのはどなたでしたっけ?」


「……ごめんなさい」


「胃洗浄やら保健室の付添してあげたのは」


「……ごめんなさい」


「頼むからおとなしくして頂戴。あの子はわたしがなんとかしてみせるから」


 そういって突っ伏していた私の園児並みの身体をひょい、と簡単に持ち上げるとそのまま実験室に運ぼうとする。

 結婚式とかで新郎にお姫様抱っこされる花嫁さんみたいだな――って、いやいやいや。

 いくら私の体重が平均を大幅に下回っているとはいえ、これはない。

 このまま二人仲良く結婚式場ならぬ実験教室に飛び込んだりしたら、どんな虹色の阿鼻叫喚の歓声に包まれることやら。

 

「……こういう風紀を乱すような真似、クラス委員長が率先して行うのってどうよ?」


「わたしがやりたいからしているの。言いたい人には言わせておけばいい」


「でも」


「……あなたが守ってくれたから、いまのわたしがある」


「……っ」


「だから、いまの『あなたはわたしが守る』の。わかったら体力回復に努めなさい」


「……了解」



「あなたはわたしが守る」

 この台詞を口にした深雪は誰にも止められない――生まれた時からの幼なじみである私でさえ。

 ふと見上げると知的で端正な顔立ちの少女の表情はいつもと変わることなく凛々しく、寸分の乱れも崩れも見てとることはできなかった。

 ただ一か所、左の可愛らしい耳たぶに幽かな朱を刷いているのを除いては。



 



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