2-1 空の拳
数日後。朝の教室で、生徒たちは配られたプリントを眺めていた。
「部活か……」
相吾は呟くと、プリントから目を離し、鉢巻きを頭に結んでいるセーラー服の少女が座る席を見る。少女は配られた部活一覧表に熱心に目を通しながら、なにか悩んでいる様子だった。
(俺は何やっても中途半端にしか上手くならねえからな……もう部活なんて入るつもりはなかったが、愛がどっかに入るならそこに入るか)
◇◇◇
昼休みの教室。昼食を食べ終えた生徒たちはそれぞれ思い思いの時間を過ごしている。
この時間はいつも多くの友達を連れて校庭か体育館でドッジボール、バレーボール、バスケットボール、サッカー、ソフトボールといった多種多様な球技スポーツに励んでいる元気っ子は珍しく席に座って今朝配られたプリントをいまだに眺めていた。
そして突然、立ち上がったと思いきや、金髪の不良の元へ駆けてきた。
「なければ作ればいいじゃないですかっ!」
ばんっ! と両手で机を叩いて相吾に訴えかけた。
「……部活をか?」
「この学校には人助けの部活がありませんっ! なので私たちで人助けの部活を作りましょうっ!」
愛は元気に爽やかに満開の笑顔で宣言した。
「人助けは部活にしなくてもよくねえか……?」
「人助けは一人でもできますが、一人ではできないことも多くあります! 先日のこともそうでした! だったら、拠点を用意して集めた部員で協力すれば、より多くの人助けができるのですっ!」
左手を腰に添え、人差し指を相吾の顔にびしりと突きつけた。
「……まあ、お前となら悪くねえかもな」
「よーし、決まりなのですっ! まずは部員集めからですよー!」
おーっ! と二人で拳を振り上げたあと、愛が差し出した拳に相吾は拳を打ち合わせた。
◇◇◇
放課後の教室。紅い夕日が窓から差し込んでいる。まばらに残っている生徒の中、愛は机に突っ伏して黄昏ていた。
「一人も集まりませんでした……」
「わざわざ人助けの部活に入る物好きはいねえよ。……俺はお前がいるから入るけどな」
(まあ部活内容はともかく、俺みたいに愛がいるからって理由で入部するやつが0だとは思わなかったが)
自分が原因だとは露ほどにも思わない相吾は、空白の多い創部申請用紙を見つめていた。
「せめてあと一人、部員が確保できれば『救人部』をつくれるのですが……」
しょんぼりと縮こまっていたが、やがて復活すると、いつもの元気な笑顔で拳をぎゅっと握り、胸の前に掲げてみせた。
「まだまだ申請の締め切り日は先ですっ! 諦めませんよ私はっ!」
少女は瞳に火を灯し、やる気に満ちあふれていた。
◇◇◇
次の日の放課後。部活勧誘のポスターづくりのために、具体的な活動内容を決めてアピールしようと、学校近辺の探索を行っていた。
人通りの多い表通りだけでなく、ゴミが放置されているような裏路地も二人は探索している。
「人助けだけでなく、こういったゴミ拾いも活動内容に含めるべきですねっ!」
いったん学校に戻って軍手とゴミ袋と掃除用具を借りてきた二人は、裏路地の清掃を行っていた。
「まあ、掃除も人助けの一種だしな」
黙々《もくもく》と二人で掃除をしていると、近くで小さな破裂音が立て続けに聞こえてきた。
「今の音は何ですかね? 行ってみましょうっ!」
掃除用具とゴミの詰まった袋を壁際に置くと、二人は音のする方へ走りだした。
それは他校の生徒たちの喧嘩だった。三対一の一方的な喧嘩。ただ普通と違うのが、一人の少年が三人の少年たちを圧倒していることだった。少年が拳を振るうごとに、高らかな破裂音が路地裏に響き渡る。
三人の少年たちは路地裏の突き当たりのフェンスに追い込まれている。どういうわけか〝五メートル以上離れた場所〟にいる少年に。
「私の〈愛の拳〉と同じ……!?」
思わずそう言葉を漏らして驚きをあらわにする少女に、相吾は訊いた。
「確か、〝過去異能〟だったか?」
「はい。私は過去と名前を重ね合わせて〈愛の拳〉と名付けました」
そう話している間も、拳を振るうことを止めない少年に愛は声をかけた。
「そこにいる人、もう喧嘩はやめて下さいっ! あの三人にはもう戦う意思がありませんよっ!」
話しかけられた少年は、振り向きざまに愛めがけて裏拳を放つ。
「うぅっ!?」
ぱぁん、と軽快な音が少女の顔の近くで鳴ると、大きくのけぞったが、なんとかその場に踏みとどまった。
「てめえ!!」
「っ!? 相吾くん駄目ですっ!」
「がっ――」
今度は立て続けに二回、相吾の顔と胸付近で破裂音が鳴ると、両足が地から離れ、大きく吹き飛ばされた。
地を転がる相吾は膝をつくと、煤だらけになりながらも立ち上がる。
(身体に加わった見えない圧力――)
「空気の拳か!」
少年は、その言葉を聞いて嬉しそうに拍手をした。
「ご名答。僕の名前は天枝空といいます。そして過去異能は〈空の拳〉……で、いいのかな?」
すでに、やられていた三人の少年たちはフェンスを乗り越えて逃げてしまったため、空に近づく必要性はなくなっていた。愛はそのままの距離で会話に応じる。
「……もしかして、過去異能が宿ったばかりなんですねっ?」
「過去異能……過去から宿る異能……なるほどね。確かに僕でもそう名付けるかな。宿る条件は……名前? 名前と過去の一致で宿るのかな? そして拳に宿る……じゃあ拳がない人はどこに――」
「あのっ!」
「ああ、ごめんごめん。聞いているよ。なにぶん、僕は考えることが大好きだからね。そうだよ、僕のこの〈空の拳〉は先程手に入れたばかりだ。僕は空気を読まずに好き勝手に振舞っているからね。調子に乗っている、ということでいじめられていたんだ。それでもへこたれない僕にむかついたのか、裏路地にむりやり連れ込まれて、暴力をふるわれそうになった。それに抵抗するために〈空の拳〉が宿って、無事に撃退できたというわけさ」
同じく過去異能を持つ少女へと、空は微笑みながら提案をした。
「じゃあ、始めようか。喧嘩の続きを」
「喧嘩の続きって……それよりもっ! どうしてさっきの人達を攻撃し続けていたのですかっ! 喧嘩にしてもやりすぎなのですっ!」
「喧嘩というのは言葉の綾で、本当はただ実験がしたくてさ。僕は考えることも知ることも大好きでね。一般人に対してこの力がどこまで通用するのか試していたのさ。そして、同じ過去異能力者である君が現れた。やっぱり、同じ能力者同士戦ってみたいからね。君の名前は?」
「相眞愛なのですっ。もう、仕方ないですね……言ってもわからないなら、拳でわからせるまでなのですっ! 相吾くん、危ないので離れていて下さいねっ。これは喧嘩じゃないので、相吾くんがいなくても大丈夫なのですっ!」
「……ああ、わかった」
相吾は空と名乗った少年を見る。本当にただ知識を得るのが楽しくてしょうがない様子だ。過去異能力者でもない自分が出る幕はないと判断し、その場を離れて傍観することにした。
「とりあえず実験には付き合ってあげますけど……あなたのことが許せないので、本気で殴りにいきますからねっ!」
「うん、その方がいい実験になるからお願いするよ。じゃあ始めようか」
空は大きく拳を振りかぶると、愛の顔めがけて振るった。
「〈空の拳〉!」
「っ!」
ぱぁん、と再び小気味良い音が路地裏に鳴り響く。しかし今度は顔には当たらずに、両腕で防いでいた。
「〈愛の拳〉は近距離でしか使えないのかな? それなら、僕の独壇場になるけど」
「ふふん、残念ですね。もう見切りましたよ。もう一度撃ってみて下さい」
そして次に放たれた〈空の拳〉を、愛は避けてみせた。
「空気の拳だから見えない所がやっかいですが、どうやら同じ速度を保ったまま飛んでいくようなので、放つ瞬間をしっかり見ていれば避けられるのですっ! 次は私の番ですねっ」
そういって少女は前傾姿勢になって路地裏を駆け抜けてゆく。対する少年は慌てることもなく、拳を地面めがけて振るって見せた。
「……? なにをし――うあっ!?」
ぱぁん、と大きな破裂音と共に愛の身体は大きく後方上空へ吹き飛ばされる。相吾はとっさに動き出すと、愛の小さな身体を受け止めた。
「大丈夫か?」
「はい……受け止めてくれてありがとうございますっ!」
仲睦まじい二人を見て、空は苦言を呈した。
「まったく。助けたら実験にならないじゃないか」
「何だと、てめえ……!!」
「それに愛ちゃん、でいいのかな。〝一度地面で跳ねさせた〟とはいえ、今の〈空の拳〉は、その前に撃った〈空の拳〉と威力は同じだ。初めに声をかけてきたときも、君の小さな身体が吹き飛ばされないのはおかしいと思ってたんだけど、やっぱりね」
「っ……!」
「〝重量増加〟に〝硬化〟。愛ちゃんは〝玄武の武道家〟だね?」