1-2 愛の拳
昼休み。昼食を終えた生徒たちは、校庭で遊んだり教室でおしゃべりしたりしている。
金髪の不良少年――相吾は、校舎を当てもなくさまよっている。視線は誰かを探すようにせわしなく動いていた。
やがて、目的の人物を発見すると接触するかしないかで躊躇していたが、それよりも、校舎裏の人通りの少ない所でいったい何をしているのかが気になった。
隠れて様子を伺ってみると、目的の人物――相眞愛は、先輩の不良たちに説教をしていた。
「お酒や煙草は二十歳になってからですっ!」
「なんだテメーちびっこ」
「ちびっこじゃないのです成長期なのですーっ!」
何をやっているんだと、呆れながら見ていると五人の不良達が愛を囲み始めた。
「頭にハチマキして正義のヒーローごっこか? 俺らを倒すってか」
「私は愛を説くために、悪を滅ぼすのではなく、悪を救うためにこの拳を振るうのですっ!」
「めんどくせえガキだなオイ」
今にも殴りかかってきそうな不良たちに愛は宣言する。胸元にぎゅっと握りしめた拳を掲げた。
「言ってもわからないような人たちには、拳でわからせてやるまでですっ!」
「オラァアア!」
不良の一人が拳で愛の左側頭部を強打する。愛は右足に力を込めて頭で拳を受け止めた。そのまま、攻撃してきた不良に対し、愛は真正面から踏み込んで拳を頬めがけて振るった。
速さはなく、リーチも短い。そんな小さな拳が当たるはずがないと不良の誰もが思っていた。
「おごっ!?」
防ぐことも避けることもしなかった不良が地面に横たわる。周りの不良たちはいっせいにどよめいた。愛はすかさず、隣の太った不良の腹に右拳をめり込ませた。
「ごおおッ!?」
深くめり込んだ拳から逃れるように太った不良が後方に跳びすさる。腹を押さえてうずくまった。
「なんだ……!? 何が起きてやがるっ!?」
「説明しましょうっ!」
愛は得意げに指を立てて説明を始めた。
「私には特殊な打撃の能力があります。私の拳が届く範囲にいる人は、私の拳に対して無防備になり、防ぐことも、避けることも、耐えることもできなくなります。なぜなら私に殴られる人は〝私の拳を受け入れてしまう〟からなのですっ!」
愛は力強い笑顔を見せつけて、残る三人の不良に告げる。
「私はこれを〈愛の拳〉と名付けましたっ!」
「ふざけんじゃねえぞッ!!」
ぶちきれた不良たちは三人で愛を囲う。
「どっちにしろ、こっちの攻撃は通るじゃねえかっ!」
右斜めから殴りかかる不良の拳を額で受け止める。不良の剛腕と愛の額がぎりぎりと拮抗し合う。
「はいっ! ですからっ」
両拳を前に構えて堂々と言い放つ。
「正々堂々、拳で語り合いましょうっ!」
建物の影で見ていた相吾は、溜め息をついて呟いた。
「卑怯だろ……その拳」
鼻にその直撃をもらった相吾は、ガーゼで覆われた鼻を手でさする。今朝の攻撃の謎も解けたし、もういいかと、その場を去ろうとした相吾の横目にある光景が映り込んだ。
「待て……まずいんじゃねえのか」
剛腕の不良を拳で打ち倒した愛は、背後に回り込んでいた不良に羽交い締めにされていた。
「い、いやっ、離して下さいっ!」
「誰が離すかよ。散々仲間をいたぶりやがって」
その不良は、勝利を確信した笑みを浮かべる。
「もう終わりだ。テメーの拳は〝自分から殴る時にしか使えない〟んだろ?」
「うっ……!」
したたかな不良が、〈愛の拳〉の弱点を見抜いていた。
「こっちからの拳は通る。テメーの拳の範囲にいんのに殴れるってことは当然無防備とは言えねえな? じゃあ何故か。〝相手から殴りにくる場合には使えない〟ってわけだ」
へらへらと笑いながら腰をかがめている不良は羽交い締めを続ける。
「わざわざ交互に殴り合ってるってのがいい証拠だよなぁ」
「うぅ」
愛は悔しそうに、悲しそうに自らの未熟さを嘆く。
(おい……。ってことは、羽交い締めにされてるあいつは〝一方的に殴られる〟から、相手の無力化ができないってことじゃねえか!)
今にも殴られそうな、涙ぐむ愛の姿を見て、相吾は駆け出した。
「そいつを離しやがれ!!」
「なんだてめ――がッ!?」
羽交い締めにしていて身動きのとれない不良の顔面を強打する。解き放たれた愛は最後の不良の拳を頬に打たれつつも、懐に踏み込んで攻撃を止めさせた。
「これで終わりですっ! 〈愛の拳〉!」
直撃を受けた不良は、地面を転がると胸を押さえてうずくまった。愛は額の汗と目元の涙を拭うと、相吾に振り返り満面の笑みを見せる。
「相吾くんっ! 危ない所を助けてくれてありがとうございますっ!」
両手を取ってぶんぶんと上下に振り回しながら握手をする。
「別に。お前の拳に比べりゃ大したことねえよ」
「強さは関係ありませんっ! 大切なのは、人を助ける心なのですっ!」
「ああわかった。わかったから、手を離せ」
力強く握り締めていた手をぱっと離すと、愛は照れたように頬をかいた。
「えへへ。相吾くんと手を握り合ってしまいましたねっ! これでもう、私たちは大切なお友達なのですっ!」
「お前の大切な友達基準は、それでいいのか」
まんざらでもなさそうに笑う相吾と、満面の笑みの少女。
しかし、愛が相吾の背後に目を向けると、その身体が固まった。
相吾が後ろを振り返ると、目の前には金属バットが迫ってきていた。
「ブチ殺してやらあああああッ!!!!」
相吾が顔面を殴り飛ばした不良が、金属バットを両手に構え上段から振り下ろしていた。目前に迫る凶器を見つめる。
(ああ……これは死んだな)
気の緩んでいた相吾は、悟ったような表情でバットの直撃を脳天に受けようとしていた。
「ぁあああああああああっ!!!!!」
愛が全力で地面を蹴り飛ばすと、一瞬で相吾の腕を引っ張り、代わりに目の前に立つ。バットに対して蹴りを放つと、金属バットを不良の手から弾き飛ばした。
何が起こったのかわからない不良は、手から消えた金属バットを探すために辺りを見回す。
やがて空から、深いへこみを持つ折れ曲がった金属バットが落下し、地面にぶつかると、からんと音を立てた。
「あ……あり得ねえ……こ、この女、金属バットをへし折りやがったぞ!!」
顔を、胸を、腹を押さえたそれぞれの不良たちがおびえて一目散に逃げ出すと、その場には愛と相吾の二人だけとなった。
愛は膝から崩れ落ちると、涙を流し始めた。
「わ、私は……愛ではなく、恐怖で解決してしまいました……。私の夢は、終わってしまいました……」
黄昏る少女の前に座った金髪の不良は、その夢について聞き始めた。
▼▼▼
私は本当の両親を知りません。赤ん坊の私は、山に捨てられていました。
拾ってくれたのは、山籠もりに来ていた武道家、相眞団一郎先生です。あの最強の武道家、更科知久先生のライバルだと言えばわかりますかね?
私を育ててくれたお義父さんにはとても感謝しています。お義父さんに拾われなければ、私は愛を知らずに赤ん坊のまま死んでいたでしょう。
中学三年生の私は、いつものように道場で汗を流していると、お義父さんが大事な話があると言って正座をしてきました。
お義父さんは、私を愛していないとはっきりと言いました。おれがおまえに向けている感情が愛だと勘違いしてはいけないからと、教えてくれました。お義父さんが私に向けていた感情は期待でした。お義父さんは私を、自分の代わりに最強の武道家へと育てたかったらしいのです。
そのときの私は、愛とはなんなのか、知りたいと思いました。
お義父さんはこうも言いました。より多くの人との繋がりを持てと。自分は〝愛〟という名前を贈ることしかできないと、すまなそうに言いました。
私はお義父さんからもらった名前を携え、愛を模索し続けました。
やがて私は気がつきます。愛とは受け入れることだと。人が人を受け入れることこそが愛なのだと私は気がつきました。
人が人を受け入れ、受け入れられた人はまた別の人を受け入れる。その繋がりがずっと続けば、愛を知らない人はいなくなります。赤ん坊を捨てる人なんていなくなります。
私の夢は、世界中の全ての人を愛でつなぐこと。私にはそれを叶える力があります。
私の拳はどんな人にも受け入れられる〈愛の拳〉。過去から生まれた過去異能。この特殊な打撃の能力で、私は人々を愛で救うと誓いました。
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「私は〈愛の拳〉ではなく蹴りで……ただの暴力で、相手をねじ伏せました……。私は未熟で愚か者です……私は愛で人を救う事ができませんでした……」
「違う。お前は俺を、救ってくれただろうが!」
「でもそれは、〈愛の拳〉によるものではありません……」
少女は泣いたままだ。しばらく悩んだ末、相吾は無理やり愛の肩を掴んで顔を上げさせると目を合わせた。
「俺がお前の、愛の未熟な拳を補ってやる! 守ってやる! 夢を支えてやる! 一人で抱えてんじゃねえよ、俺にも抱えさせろ! 俺たちは大事な友達だろうが!!」
「……あ」
ぼうっとした時間が少女を包む。やがて我に返った愛は涙を拭うと、満面の笑みで答えた。
「これからよろしくお願いしますね、相吾くんっ!」