事情聴取 参
しばらくすると百合子と上野刑事が戻って来た。しかし引き連れられてきたのは若い男ではなく四十代の刑事風な男三人であった。
「紹介します。県警の二階堂警部です」
上野刑事が三人の内、一番年齢が高そうな小太りな男を指し示し紹介する。その男は一歩前に出て軽く頭を下げた。
「私は三重県警の警部で二階堂と申します。本殺人事件の責任者を任されました。宜しくお願いします」
藤林家の人間は、軽く頭を下げそれに答える。
上野刑事は自分が座っていた場所を二階堂警部に譲り傍に立った。
二階堂警部は相撲取りが勝ち水を貰う時のように手刀をちょんちょんと縦に振った後、その席に座った。もう所轄である伊賀署から県警に担当が変わったようだった。
「今回、上野刑事から聞いた話によると、鍵の掛かっていた部屋の中で、誰にも気付かれる事無く、この家の次男である藤林正治郎さんが日本刀で刺し殺されていたと…… ご愁傷様でございます」
二階堂警部は目を瞑り手を合わせた。憎めない動きをする所は、さすがにベテランといった所だろう。
「それで、まだここに戻られていない方もいるようですが、ボツボツここにいる方々の事件があった頃に何をされていたかをお伺いしていきたいと思うのですが宜しいでしょうかな」
二階堂警部は優しそうな顔で聞いてくる。
藤林家の人々は顔を見合わせながら複雑な顔をするも、頷いて同意の意を示している。
「わ、わかりました。お答えしてまいります……」
先程まで座っていた自分の場所に腰を下ろしながら百合子が応えた。
「因みになのですが、こちらのお屋敷は随分広く立派でありますな…… そしてこのお部屋も広く使い勝手が良さそうだ。それで差し出がましいお願いなのですが、事件がある程度落ち着くまで捜査の拠点としてこの部屋をお借り出来ると有難いのですが難しいですかねえ? いやいやこの家の付近は道が随分と細く、車が入ってこれんのですよ、一番近い河合駐在所も五キロ程離れているし…… そして、なんだか難しい状況だと云うのもあるしね……」
二階堂警部が部屋を見回し、多少云い辛そうに頭を掻きながら質問してきた。
百合子は戸惑いながら母親に視線を送った。母親は小さく頷く。
「えっ、ええ、それは構いませんが……」
百合子が戸惑いながら答えた。
こんな状況に出くわすのは勿論初めての事だろう。警察の要望を断って良いのか、従うべきなのかの判断は付かないと思われる。
「有難うございます」
二階堂警部は当然という風でも、感謝している風でもなく淡々とお礼を云った。
そして改まり、百合子の方へゆっくり視線を送った。
「……それでは、そのまま続けてで恐れ入りますが、貴方から、お話をお伺いしていただいても宜しいですかな?」
「え、ええ」
「それでは、お名前を仰って頂いた後、事件があったと思われる朝から昼間までに何をしていたか教えて貰えますでしょうか?」
百合子は姿勢を少し正したあと、ゆっくりと話し始めた。
「わたしは、この家の長女の百合子です。今日は朝、九時頃に起きて、母と軽めの朝食を取りました。朝食を作って下さったのは富子さんです。十時ごろまで母とお茶を飲んだりしてのんびり過ごしていました。その後、母と父の部屋に行き、父の食事の補助をしました。父は私か母の手からしか食事を摂りません。なので時間を掛けてゆっくり食べさせました。確か、食事が終ったのは十一頃だと思います。父の部屋から出て、台所へ父の食べ終わった食器を運んだ後は母と一緒に神棚の掃除をしていました。それから、えーと、神棚に備える榊を入れ替えようと思い、玄関脇にあった榊の木から新しい枝を取ってこようと考え外へ出ようとした所で、そちらの方にお会いしたのです」
百合子は私をチラッとみた。
そういえば最初に門の所で会った時、百合子が庭に生えている木の枝を折って、その枝を持ち歩いていた事を思い出した。いつの間にか枝は手から無くなっていたので、遺体発見時に何処かに置いたのかも知れない……。
「なるほど、朝から母さまとご一緒だった訳ですね、そして、そのままお母様とご一緒にお父様の部屋に行かれ、お父様の食事の後はお母様と一緒に神棚の掃除をされ、その後は小説家の先生と一緒だったと…… 因みになのですが、お一人で居られた時間はどの位ありましたか?」
二階堂警部は時系列を追いながら端的に聞き返す。
「そうですね、トイレなども含めて考えてみても、完全に一人だった時間は殆どなかったと思います。あったとしても二、三分と云った程度でしょうか…… 朝食事をとったのは居間ですし、神棚があるのも居間です。父の食事の補助をしていた時も母と一緒でしたから、本当にずっと母と一緒にいたような感じです。居間から庭へ出た時は一人でしたが、すぐにそちらの方にお会いしましたし……」
百合子は再び私をチラリと見ながら云った。
私はまだこの二階堂警部には小説家であるという説明をしていない。恐らく到着した後、上野刑事から細かく話を聞き及んでいるのだろう。また朝から昼まで何をしていたかを聞いて、夜中の事を聞いてこない所をみると、大凡の死亡推定時間が午前中だったという情報も聞き及んでいる可能性もある。また部屋に来るまで随分時間も掛かっていたので、正治郎の部屋の状況などに関しても色々確認しているのかもしれない……。
「解りました。では続きまして、お母さまにお話をお伺いしましょう。お嬢様のお話とは少々重複する所もありますので、ご主人様の食事が終った後辺りからを特に細かくお聞かせ願いますか?」
二階堂警部が今度は視線を母親に送る。
恐らくこんな状況でなければ貴婦人然としていたであろう母親も、ショックで肩を落とし気味である。弱弱しく声を出し説明をし始めた。
「私はこの家の主人、藤林慶次郎の家内、美津と申します。娘の説明にもあったと思いますが、朝から百合子と一緒でした。主人の食事後は、主に百合子と神棚の掃除をしていました。使用人の野口麻奈美さんに、去年の厄除けのお札を青山の大村神社へ返しに行ってもらったのは良いのですが、厄除けの札をどかしてみたら神棚が埃だらけだった事に気付き、神棚の整理に熱が入ってしまったのです。しばらく神棚の掃除をして、ある程度目処が付き、百合子が玄関脇にある榊を取りに行ったので、傍を通った徳次郎にお茶を入れて貰って、徳次郎と休憩していたのです。そこで叫び声が聞こえてきたので駆け付けた次第という訳です」
その説明を聞いた二階堂警部は眉根を寄せたまま質問してくる。
「では、ここにいない使用人の野口真奈美さんは、あなたの指示でお札を返しに行ったという訳なのですね」
「そうですけど……」
「なるほどです。それで先程、百合子さんにお伺いした所、ほぼご一緒に居られてというお話でしたが、一人になられた時間はどの位ありましたか?」
「百合子が庭にある榊を取ってくると云って居間を離れてから、徳次郎が居間に来てお茶を入れてくれるまで、五分程ですが一人でいた時間はありました。でも、その他はほとんど一人でいた時間はなかったと思います」
「……解りました。ご説明有難うございます」
二階堂警部は頷いた。
そんな折、襖戸が少し開いて、眼鏡を掛けた刑事が二階堂刑事の傍までやってきた。
「ちょっと警部、失礼します」
そして耳打ちするような小声で何かの説明をする。二階堂警部は小さく何度も頷いた。
報告が終わると、すぐにその刑事は部屋から出て行った。
「いま検死の方から報告が入りました。ご子息、正冶郎さんが亡くなったのは、今から約三時間前、大よそ十一時半頃という事が解ったようです。それと正治郎さんの部屋の中に残されていた昨日着ていたと思われるズボンポケットの中に、正治郎さんの部屋の鍵があったとの事でした」
二階堂警部は今聞いた情報をその場にいた人に伝えた。敢えて皆に死亡推定時間を伝えたような感じにも見えた。
「では、質問を続けさせて頂きましょう。丁度、お話に出てきた徳次郎さんに、朝からお昼までの行動をお伺いしても宜しいですか?」
徳次郎は頷きながら答えた。
「お、おれは、本田徳次郎だ。この家の使用人だよ。それで、俺の場合は、朝七時頃、長屋の方で富子と将太と真奈美と一緒に食事をしてから、四人で手分けして庭の掃除、庭の手入れ、水遣りをしていたんだよ。富子と真奈美は八時半から十時頃まで奥様とお嬢様の食事の用意や後片付けがあったから、その間は将太と俺の二人で庭の掃除をしていたんだ。富子が食事の準備と後片付けを終えた後に再度合流して、今度は一緒に屋内の掃除を始めたんだ。ある程度片付いて、居間の近くまで行ったら奥様がお茶を飲みたいと仰っていたので、お茶をお入れして、序でに俺も誘われたんで一緒に休憩をしていたんだよ。そしたら叫び声が聞こえて……」
「なるほど、富子さんが奥様達の食事の準備と後片付けを終えられた後は、富子さんと一緒に居たと云う訳ですね。そして叫び声を聞かれる少し前は居間で奥様と一緒に居られ、お茶を飲まれていたと……」
「そうだよ」
徳次郎は答える。
「因みになのですが、一緒に屋内の掃除していた際、富子さんと別行動していた時間はどの位ありましたか?」
「いや、殆ど無いよ。十時一寸過ぎに富子が将太に買出しの指示を出していた時とか、掃除道具を取りに行った際とか、雑巾を絞りに行っていた時にほんの少しだけ視界に入らない時があったが、ほんの少しだけだよ」
「そうですか…… 大凡一緒に居られたと……」
二階堂警部は眉根を寄せながら頷いた。
その上で富子の方へゆっくりと視線を向ける。
「……さて、今度は富子さん。あなたの朝からの行動確認をお聞かせ願いますかな?」
現状、一番犯行の可能性が高いと思われる富子に質問が及んだ。富子もそれを感じているらしく震える声で説明をし始める。
「わ、私は、三浦富子と申します。朝、徳次郎、将太と真奈美と一緒に長屋の方で食事を取りまして、その後は全員で屋外の掃除等を致しました。八時半頃からは母屋の方で奥様とお嬢様の朝食をお作りしました。そして奥様とお嬢様のお食事の後片付けをして、十時一寸過ぎに将太に買い物の指示を出してから、徳次郎と一緒に屋内の掃除を始めまして、一緒に正冶郎様のお部屋の前にも行きました」
「ん? 徳次郎さんも御一緒に部屋の前まで行かれたのですか?」
警部が徳次郎を見る。
「ああ、そうだよ」
徳次郎は頷いた。
「……でもお部屋のお掃除をさせて貰おうと思ったのですが、困った事に部屋の戸は閉ざされており、まだ寝てらっしゃるようだったので別の所の掃除に向いました」
「その時、部屋の戸を開けてみようとしましたか?」
「いえ、確認はしていません。前まで行ってお声掛けをしただけです……」
一緒に掃除に赴いたという徳次郎はまた頷き肯定する。
「そうですか…… 部屋まで行ったが部屋の中を確認したり、戸を引くまではしなかったと……」
「ええ、そうです。それで仕方がないので、先に正一郎様のお部屋の掃除をして、奥様のお部屋の掃除をして、蔵の掃除をして、納戸の掃除をして、その後、居間まで行った所、奥様がお茶が飲みたいと仰られていたので、徳次郎に茶を用意するように云い残して、もう一度正冶郎様の部屋に戻ったのです。そこで再度お声掛けをしてみたのですが返事がありませんでした。変だと思い、具合でも悪いといけないと思い、今度は手を掛け戸を開けようとしてみたのですが、困った事に鍵が掛かっていて開きませんでした。丁度通りかかった百合子様のご指示で開けてみたところ……」
富子は必死に説明をしている感じだった。
「富子さん。ところで鍵束は何時から持ち歩かれていたのでしょうか?」
「外の掃除の際には使いませんので、奥様と百合子様の食事の後片付けが終わった後に居間にあったのを持ち出しました」
「と、なりますと、朝食の準備の後位から鍵束を持ち歩かれていたということなのですね?」
「は、はい」
「その鍵束はそれから先はずっと富子さんがお持ちになられていたのですか?」
「え、ええ……」
富子は緊張気味に答える。
「再度お聞きしますが、お掃除の最中はずっと徳次郎さんと一緒に居られたとの事でしたが間違いは在りませんでしょうか?」
「え、ええ、さっき徳次郎も云っていたと思いますが、お互いの姿が見えなかった時間は長くても一分程だったと思います。それと十一時ちょっと過ぎだったと思いますが、蔵の掃除をして納戸に移動する時、奥様の指示で出掛ける前の麻奈美と目が合いました…… あっ、そういえば納戸の掃除をしている時に時計を見たのですが、その時が十一時半頃だったと思います」
富子は先程聞いた死亡推定時間に、自分は徳次郎と一緒に納戸の掃除をしていたことを思い出し、必死にそこを強くアピールした。
確かにその時間に徳次郎と一緒に納戸にいたのであれば、死亡推定時間に現場不在が証明されている可能性がある。とすると唯一鍵を持っていた富子にも犯行は出来ないということになるのだ。
「そ、それは本当ですか徳次郎さん?」
二階堂警部は困惑気味に質問する。
「ああ、確かに納戸の掃除をしていたのは十一時半ごろだったと思うよ」
徳次郎はさらっと答えた。
「納戸の掃除の際にどちらかが部屋を離れたという事はありませんでしょうか?」
「そうだな、正確な時間は解らないが、俺はハタキにホコリが沢山付いていたんで、納戸の外へホコリを落としに行ったかな…… 本当に僅かな時間だけど……」
「何分程ですか?」
「いや、一分も離れていないと思うよ。なあ富子?」
「そうですね、一分位だったと思いますよ」
「な、なるほど、そうですか…… 有難うございました」
そう告げると、二階堂警部は腕を組み少し考え込む。横では刑事たちが手帳に書き込む手を休め眉根を寄せて佇んでいた。
二階堂警部は百合子と母親の方へ視線を向け、再びゆっくり質問し始めた。
「……因みに、ご朝食はいつも奥様、ご長女、ご次男で一緒に取られるのですか?」
「ええ、大抵は一緒です。ただ正冶郎の方は食べたり、食べなかったりと不規則でしたけど……」
その答えには、母親が答えた。百合子も同意の頷きを見せる。
「……ところで町に行かれているという長男の正一郎さんという方は、いつも朝食は食べられないのですか?」
「ええ、正一郎はいつも、朝八時頃家を出て、伊賀上野城近くの図書館に行きます。朝食もその付近の喫茶店で用意されているモーニングサービスというもので済ましているようです」
「なるほど……」
そこで二階堂警部は少し考えてから、気が付いたような顔をして質問する。
「……若しかして、この家の方々はお仕事はされてらっしゃらないのですか? どうも、奥様もお嬢さんも、ご次男さんも、ご長男も、話を聞いていると、お仕事をされている気配を感じないのですが……」
「ええ、この家は昔から土地を多く持っていて、その土地の地代で生活しています。家の仕事というと地代の管理になりますが、家で出来る仕事ですし、別に忙しい訳ではないので、時間がある時にこなしているといった感じです」
「お羨ましいかぎりですな」
二階堂警部は感心したように呟いた。