第二章 事情聴取 壱
それから約二十分後、玄関の方が騒がしくなった。
「あっ、どうぞ、お上がりください、こちらです」
富子が説明している声が聞こえてきた。
そして玄関の方から、ぞろぞろ制服を着た警察官が二人が歩いてきた。百合子はそれを見ると、身が固まっている母親を制して前に出た。
「申し訳ありません、態々来ていただいて」
百合子はおずおずと頭を下げる。
「本官は佐那具派出所の武田です。こちらは同じく内海です。人が亡くなっているかもしれないとの通報を受けてやって参りました」
警官の一人が挨拶をした。後ろの警官は無言のまま頭を下げるだけだった。
「それで現場はどちらですか?」
警官は奥を覗きながら質問してきた。
「あっ、はい、こ、こちらです」
百合子が布団に刀が突き刺さった正冶郎の部屋を指し示す。
「拝見しても?」
「ええ」
「それじゃあ、申し訳ないですが、失礼させてもらいますよ……」
警官達は、部屋へと入り込んだ。
警官の一人が、しゃがみこみ、頭側にある布団の裾を持ち上げる。
部屋の入口と布団の間にはもう一人の警察官が現場に入り込まないように立ち竦み睨みを利かす。我々は警官の体と戸の隙間から恐怖に駆られながらも中の様子を伺った。
「うっ、こ、これは……」
警官は持っていたペンライトを頭部らしき辺りに当てながら小さく呻いた。
そして身を起こし、我々の方へ青い顔を傾ける。
「すいません、誰か、ご家族の方、どなたか来て頂けますか?」
百合子と母親は顔を見合わせた。母親は恐ろしいのか歯の根が合わない様子で、顔を横に振っている。
百合子が恐ず恐ずと警察官の傍まで近づく。
「ひっ!」
百合子は引き上げられた布団の中を見て、僅かに叫び声を上げた。
「こちらの方はご家族の方で間違いはございませんでしょうか?」
百合子は恐怖に慄いた顔で、声なく微かに顎を引いた。
「残念ですが亡くなられています……」
警官は一言呟くと、静かに布団を被せ元の状態に戻した。
「……結果としては、今回の件は殺人事件と断定されました。そうなりますと、県警の方から応援や鑑識を呼ばなければいけません、そして発見者の方やこの家の方々には重要参考人として、事情をお伺いすることに……」
その場にいた。藤林家の人間は大きなショックを受け一様に蒼白な顔をしている。当然、私も困惑していた。
「とりあえず、現場を保存しなければいけません。そして皆さんには身柄確保の必要から一箇所に集まって待機していて頂きたいのですが、どこかに大きめの部屋などはありませんでしょうか?」
「い、一応、広間がありますので、そこなら」
百合子が答えた。
「では恐れ入りますが、皆さんその部屋へ移動してください」
警官の声には、有無を言わさない圧力があった。
私達は促がされ、大きめの広間へと移動した。その大きめの広間というのは十二畳はある立派な広間だった。廊下からは二枚の襖戸で出入りする部屋になっている。
部屋内には大きめな和卓と座布団が並べられていて、全員が腰を降ろしてもまだまだ余裕があった。隣も同じような部屋になっているようで、元々は襖を開け放ち大広間として使うことが出来るようになっていたのかもしれない。
「では、しばらくの間こちらの部屋からは動かず待機していてください……」
そう云い残すと、武田と名乗った警官は現場の方へ戻って行った。後ろにいたもう一人の警官は留まり広間の入口に立ち竦んでいる。早くも私達の監視は始まっているようだ。
「……し、しかしながらどうしてこんな事に……」
母親が途方に暮れたような顔で呟いた。
「皆目見当もつきませんよ…… お母様……」
百合子も搾り出すように云う。
「……わ、私も、まさか部屋を開けたら正治郎様が殺されていただなんて夢にも思ってみませんでしたよ……」
富子も肩を震わせなから言及する。
その横では源次郎が腕を組み斜め下方の一点をじっと見詰めたまま動かずにいた。私も事この場に至って何を口にして良いか思い浮かばない。私は基本的に部外者なのだ。只々黙っているしかなかった……。
小一時間程そのまま部屋でジッと待機していると、先程、武田と名乗った警察官に導かれ、今度は背広を着た刑事風の男が二人部屋に入ってきた。
「失礼します。私は伊賀署の上野です。こちらは同じく伊賀署の長谷川です。この度はとんだ事が起こってしまったようで痛み入ります」
刑事の一人が小さく頭を下げ挨拶をした。
「……それでまだ皆さんの心の整理が付かない状態だとは思いますが、早速なのですが今回の件に関して少々お話を伺いしていきたいと思います」
その刑事は少々頭が切れそうな印象だった。
「……ところでこの家の住民の方はここにいる方で全員ですか? 他にどなたがいらっしゃるのでしょうか?」
刑事は家族の顔を一様に見回した後、問い掛けてくる。
「は、はい、病気で寝たきりの父と、長男の正一郎と、使用人の野口将太さんと、その妹さん野口麻奈美さんが居ります。それで全員です」
「その方々は今どこに?」
刑事の質問に百合子は少し考えながら説明する。
「寝たきりの父は奥座敷にいます。えー、長男の正一郎は、多分上野の図書館へ行っていると思いますが、それで野口さん達は……」
百合子が答えに詰まると、横から富子が口を添えた。
「将太は町に野菜の買出しにでました。真奈美は奥様のお言い付けで青山の大村神社へお札を返しに行っていると思います」
「なるほど、外出中だという事ですね」
刑事が聞き返す。
「そ、そうです」
富子は緊張気味に答えた。
「では、恐れ入りますが、寝たきりのご主人様の様子も心配ですので、誰かこの長谷川刑事と一緒に問題がないか見てきて頂けますでしょうか?」
「じゃあ、それは私が……」
現場から離れ少し落ち着いたのか、母親が名乗りを上げた。
「それじゃあ、長谷川刑事、お願いします」
上野という刑事に促がされ、母親と長谷川という刑事が部屋を出て行った。
私は家族と一緒に広間に座らされている。
家族やこの家の人間でもない自分が、なぜこんな場所で、こんな状況に置かれているのかと、困惑せずにはいられない。私は段々怖くなってきてしまった。とにかく私は部外者なのだ。一刻も早く事情を説明して、ここから解放してもらう必要があると考えた。
「県警や鑑識が来るまで時間もありますので、少々お話をお伺い出来ればと思うのですが宜しいでしょうか?」
広間に残っている上野刑事が手帳を広げ聞いてくる。
「あっ、はい、解りました」
百合子は少し戸惑いながら返事をする。
「それでは、遺体発見時のことを少々ご説明頂けますでしょうか?」
「え、ええ」
百合子は思い出しながら説明し始める。
「私が、こちらの方が家を見学したいと訪ねて来られたので、門や長屋の説明をして、その後、屋敷内を案内をしていたところ……」
百合子は私に手を向けながら説明する。
刑事は訝しげな顔でチラッと私を見た。
「……家の使用人の富子さんが、兄の部屋の前で、困った様子で立っていたのです。どうしたのかと聞いた所、部屋に鍵を掛けられ掃除が出来ないと云うのです。そして声を掛けても反応がないと……。それで私が、富子さんに開けてしまいましょう、と促がし、富子さんに部屋を開けてもらったのです。そ、そうしたら、部屋の中にあ、兄の、あの惨状が……」
百合子は肩を振るわせ、思い出して怖くなったのか両手で顔を覆った。
「ということは、部屋には鍵が掛かっていて、誰も入れなかった状態になっていたと云うのですか?」
刑事は眉根を寄せて聞き返す。
「え、ええ、そうです」
百合子は頷く。
「では、富子さんという方は、どうやって部屋の鍵を開けられたのですか?」
刑事は困惑気味な顔で、百合子と富子を見る。
富子は遠慮気味に部屋の端の方に座っていたが、おずおずと百合子の傍へにじり寄って来て、強張った顔で説明をした。
「私は毎日、午前中にお屋敷中の掃除をしているんです。鍵の掛かった納戸や蔵なども含めてです。それで掃除中は、屋敷の鍵が全て纏まっている鍵束をもって歩いています。その中に正治郎様の部屋の鍵も…… だ、だから…… 持っていました……」
富子の語尾は消えそうな感じだった。
鍵の掛かった部屋の中で殺人事件が起きていた。そして自分が鍵を持っていた。自分が犯人だと疑われるのでは、と気が付いたのだろう。
「鍵は他にあるのですか?」
刑事は淡々と質問してくる。刑事の質問の仕方は、聞かれる側の心理など全く考えてはいない、ただ事実を集めている聞き方だった。
「そ、それぞれのお部屋にあるか、それぞれの方が持っているとは思いますが、管理用の鍵はこれだけです……」
富子は手に持っていた鍵束を掲げて云った。
私はなるほどと思った。
部屋の主が持っている鍵を手に入れておけば、管理用の鍵を使わなくても開け閉めが出来るはずである。そうだとすると管理用鍵を持っていた富子だけが怪しい訳ではなくなってくるからだ。