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      伊賀へ  弐

 タクシーが到着したので、私は伊賀の町に降り立ってみた。


 町の中央には威風堂堂と伊賀上野城が聳え立っている。私は折角なので手始めにその伊賀上野城から見学してみることにした。 


 城の敷地内を歩き進み、天守閣手前の受付で登閣料を支払い、案内の栞を手に天守閣内へと足を踏み入れる。その受付で貰った案内の栞に視線を落とすと、伊賀上野城に関する色々な事が書かれていた。


 それによると、この城は大和から国替えになった筒井定次が築城したとあった。ただ筒井定次が城を築いた当時は、百八十メートル程の丘の上に大型の砦を配置した程度の物だったらしい。その後、定次が改易させられてしまった事により、伊賀及び伊賀上野城は藤堂高虎の支配下に置かれる事となったようだ。


 しかし栞に拠ると、この伊賀上野城には天守閣は存在していなかったと書かれていた。築城の名手と知られる藤堂高虎が石垣まで作り、大阪の役の際に豊臣方の反攻が起こった場合や、長期化した場合に豊臣方の押さえとして天守閣まで作る予定ではあったようなのだが、大坂の役が思ったより早く終ってしまった為、本丸、天守閣が作られる事がないまま江戸期を過ごす事になったらしい。


 堀に関しては、昔は城を取り囲むように内堀があったようだが、現在は埋め立てられ、城の西側に残されているだけになっていた。外堀は無く、北は服部川、南は久米川、西は木津川がその役割を担っていたらしい。城のある場所は地理的に天然の要害だったようだ。 


 その後、昭和七年に観光客誘致の為に模擬天守が建てられ、内部は資料館として公開され、藤堂家ゆかりの品々や横山大観の絵などが飾られるに至ったようだった……。


 因みに伊賀上野城の敷地内には、伊賀出身の有名な俳人である松尾芭蕉の生誕三百年を記念して建てられたという俳聖殿や、伊賀流忍者博物館という施設などがあった。


 実の所、その伊賀流忍者博物館は私の目当ての一つなのだ。


 私は天守閣内をある程度見学し終えると、その博物館へと向かってみた。


 昭和三十九年に作られた比較的新しい施設なので、私の求める忍者屋敷や忍者の参考になる物なのかは定かでないが、その博物館は上野市高山にあった古民家を移築し、忍者屋敷を模して作られていると云う。忍者屋敷の仕掛けなどに関しては学べる所があるだろう。


 そう思いながら、施設に到着すると、驚いた事に戸が閉まっていた。


 そして戸には紙が張られ、そこには当施設は改修の為、今月末まで閉館させて頂いております。と記されてあった。


 そ、そんな…… 馬鹿な……。


 私はショックで数秒固まってしまった。


 案内図には忍者体験が出来るとか、色々な屋敷の仕掛けを見れるとか、忍び熊手、苦無、鎌、鉤縄、忍び装束などの収蔵品が展示してあると書かれてあった。


 相当残念である。


 いずれにしても気を取り直して、私はその後観光案内所で地図を貰い、それを片手に伊賀の町の散策を始めてみた。伊賀の町に関しては城の南側に城下町が広がっていたようで、その付近に歴史的建造物が点々とあるらしかった。しかしながら歴史史跡はいくつか存在しているものの、目当ての忍者屋敷のような建物は残念ながら見付からない。あるのは松尾芭蕉の生家や、赤井家の武家屋敷や、入交家の武家屋敷などだけである。


 松尾芭蕉は俳句を書きながら、諜報活動をしていたとも言われており、一応忍者だったという説もある。その生家というのが城の南側に位置する赤坂町にあり見学する事が出来る。とは言うものの実際見てみると忍者屋敷などからは程遠い普通の民家であった。  


 確かに忍者は半農が多かった事を考えると、その後活躍を認めれた忍者は武士になったのだろう。戦国期の最中なら忍者屋敷があっても分かるが、平和な江戸時代中期を経て、そんな忍者屋敷が現存し続けるというのは、確かに無理がある事かもしれない……。


 私はそんな風に思案した結果、仕方が無いので忍者屋敷は諦め、取材対象を武家屋敷へと切り替える事にしてみた。その上で武家屋敷巡りをしてみたものの、困った事に人が住んでいる為に一般公開がされていない物が多く、立ち寄った幾つかの武家屋敷では、庭と塀、門の一部だけしか見せて貰えなかった。その後も執念深く伊賀内の武家屋敷を回ってみるも、返ってくるのは同じような答えばかりであった。


 二、三時間、伊賀中をほうぼう歩き回り取材先を捜し求めていた私は、いつの間にか伊賀の北西に位置する佐那具駅近くまで来てしまっていた。


 それでも諦めきれず、駅を過ぎ、柘植川を渡る。先に見える小山の麓辺りにまで差し掛かった所で、木々の奥に黒っぽい大きな屋根を発見する。あれは古い武家屋敷だろうと当たりをつけた私は、その屋敷を目指して、車も通れないような細い道を進んで行った。


 その屋敷前まで辿り着くと、屋敷の前には小川が流れていた。流れはある程度整えられているようで、水堀も兼ねているようにも見受けられる。小川を渡った先には高い塀も設けられており、少々痛んでいるが立派な屋敷だった。


 ただ、なにやら武家屋敷にしては随分土蔵風で、見える窓なども、なにやら分厚く作りが小さい、そして観音開きで開く形になっていた。黒い壁で固められた蔵屋敷のようなその外観に、私は何かよく解らない異質感を抱いた。他の武家屋敷では、その屋敷で生活している人がいる為に多くを見せてもらえないと感じたが、この屋敷は重く、暗鬱とした空気が、人を寄せ付けず。排他的に人との係わり合いを拒んでいるように感じられたのだ。


 そんな異質感を抱きつつも、私は恐ず恐ずと幅三メートル程の石の橋を渡り、黒く立派な門を潜ってみた。


「あ、あの~、すみません、誰かいませんか? 恐れ入ります…… 誰か居られませんでしょうか?」


 私は奥の建物の方へ向って呼びかけてみた。


 すると、玄関から黒っぽい服装をした年の頃は二十代半ばと思しき、美しい女性がおずおずと出てきた。


 とにかく美しい女性だ。肌の色は抜けるように白く、髪は腰まである真っ直ぐな黒髪だ。僅かながら妖艶さもあるように感じられるものの、女の私から見てもその美しさには見蕩れてしまう程である。


「は、はい? 何か御用でしょうか?」


 その女性は小首を傾げながら私を見た。


「あっ、あの、私、東京で小説家をしている金田美紀と申します、小説の題材でこちらのような武家屋敷を舞台に小説を書こうと思っていまして、えーと、あの、その、もし差し支えなければ、お宅を少々拝見させて頂けるとありがたいのですが……」


 私は散々断られてきていたので、しどろもどろになりながら聞いてみた。


「小説家さん…… なのですか?」


 女性は訝しげな顔をして聞き返してきた。


「ええ、大した物を書けている訳ではないので、取材したいなんておこがましいお願いなのですが…… 是非ともお願いできれば有難いのですが……」


 私はチューリップハットの隙間に位置する後頭部をボりボリと掻いた。云っておくがちゃんと洗髪している私の頭からはふけは飛び散らない。


 女性は、そんな私の様子を見て、同情するような顔を向けながら薄く笑った。


「ふふふ、なにやら随分とご苦労されたみたいですね、この伊賀は意外と排他的な所ですからね……」


「ええ、まあ、見ず知らずの人間がお邪魔して、お住まいを拝見させて頂くので、嫌がられるのも当然だと思いますけど、何卒お願いできると幸いなのですが……」


 私は深く深く頭を下げる。


 その女性はすこし思案した後、小首を傾げた際に顔に掛かってしまった長く黒い髪を横に流すように掻き上げ、僅かに丸みのある笑顔を向けてきた。


「解りました。見学して頂いても結構ですよ、折角なので、私が説明しながらご案内でも致しましょうか?」


「ほ、本当ですか?」


 私の表情は、期待していなかった答えを聞いて一気に明るくなった。


「け、決して、そちら様にご迷惑になるような事は致しませんので、是非是非、宜しく御願い致します」


 私は何度も頭を下げお礼を述べる。


「ご紹介出来る所だけですよ、さすがに此方としても見て頂きたくない場所もありますからね」


「いえいえ、ほんの少しでも拝見させて頂けるだけであり難いですよ」


 私は笑顔で答えた。


「それでは説明をさせていただく前に少々失礼して……」


 その女性は門の傍に植えられていた木に近づくと、何故かその木の枝を二箇所ペキっと圧し折り、その折った小枝を手に持った。


「では、こちらへ」


 女性はスッと動き、私を一度門の外へ促がした。


「それでは、まず外の方から説明していきましよう」


 そして手前の堀を手で指し示す。


「私共の家、藤林家は戦国時代後期頃からこの地に住んでいたようです。江戸中期頃には津藩の家臣として此処伊賀の国の城代補助などをしてきたと聞きます。それなりの家格なので屋敷の防衛の為に堀を設けていたとの事です。藤林家は大阪の陣の前頃に藤堂家の下で諜報活動などもしていたという説もあるようですが、その辺りは定かではありません…… 伊賀の地ですから豊臣方の動向を探る忍者のような活動をしていたと云われるようになったのかもしれませんが……」


 私はその説明を聞いて瞳を輝かせた。


「こちらの家も忍者だった可能性があるのですか? 実を云いますと私の実家も芸濃町にあるのですが、忍者の血が流れている可能性があるという話を、以前に親から聞かされたことがありますよ」


「ああ、芸濃町も、伊賀に近いですからね、この伊賀もその先の甲賀も忍びの里と言われていますから、この周辺に古くから住んでいる方の大よそは忍者的な活動をしていた可能性があるのかもしれませんよ」


 女性は頷きながら、穏やかに説明してくれる。


「それでは説明の続きを致していきますね、塀は屋敷の全周を囲っていますが、正面部分だけが長屋形式になっております。外壁は石垣の上に黒漆喰壁になっています。そして屋敷門は三間一尺の薬医門という形式で作られていまして、上部には切妻屋根が作られ、本瓦葺となっています」


 私は手帳を取り出すと、説明の重要な所を記録していく。しかしその理路整然とした説明に少々違和感を覚える。


「……なんだか随分、説明慣れされているのですね?」


 私は手帳に詳細を記しながら質問した。


「実はこの建物は、五年ほど前に指定文化財の調査を受けたことがあるのですよ。結果としては改築が多すぎて文化財にはならなかったのですが、私の説明は、その指定文化財の調査の際の名残なのですよ」


「ああ、だからなのですか」


 私は納得の声を上げた。


「私としては、そもそも最初から指定文化財というのは難しいのではないかと思っていました。それに指定文化財などに登録されると、何かと生活が不自由になるので私自身は、反対でしたけれどもね」


 女性は軽く笑った。

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