事件解説 伍
私がそう締めくくると、とうとう正一郎が……、いや正冶郎と思われる男が自虐的な笑いを浮かべた。
「……ふっ、ふふ、あはははははははは、そうだよ、そうさ…… よくここまで解ったな、小説家さん……」
そして真っ赤に充血した目で私の目を見据える。
「……そうだ。俺は正治郎だ、正治郎なんだよ。まさか、小説家風情にここまで紐解かれるとは思ってもみなかったが……」
正冶郎は薄ら笑いを浮かべた侭天を仰いだ。
そしてしばらくじっと天井を見詰める。その表情は焦燥と憂いと怒りが入り混じる何とも云い難い表情だった。
そして、全てを諦めたかのような顔を戻すと、ゆっくり話し始めた。
「……今回の件は、あんたの云ったことで大体合っているよ、俺はこの家が欲しかった。そしてこの家で、真奈美と幸せに暮らしたかったんだよ。だが俺は次男だ。家を出ていかなければならないと決められてしまっていた。だからこの家に残れる方法を実践したんだ」
「細かくお聞かせいただいても宜しいですか?」
私は静かに聞いた。
「ああ、もう終わりだ。もう包み隠さず何もかも話すよ。……ちゃんと話すが、その前に一つ質問だが、あんた方は、戦国時代や江戸時代に、双子がどのように扱われたか知っているかい?」
正冶郎の問い掛けに、私も含め刑事達は顔を見合わせた。
「ならば…… そこから話させてもらおう」
私が二階堂警部に視線を送ると、警部は小さく頷いた。
「お伺いさせて頂きます」
「……戦国時代、江戸時代では、双子は、畜生腹の子として忌み嫌われていたんだ。犬とか猫みたいだということでな……」
正冶郎は軽く笑った。
「確かに双子は、母体に限界があるから双方とも大きく産まれてこない。大きく産まれてこなければ体が弱く健康ではなくなってしまう。今のように医療技術が発達していれば未熟児でも保育器の中で気を付けて育てれば、双方とも健康に育つ事も可能だが、医療技術が未発展な昔の日本では、体の弱い子供として見られてしまう。そういった部分を含めても好まれるものではなかったらしい……」
私も知り合いに双子の親がいて、双子は出産が大変だという話は聞いた事があった。
「……戦国時代に産まれた徳川家康の次男、於義丸……後の結城秀康は双子だったという説があるんだ。その於義丸は双子だという理由で父から嫌われていたとも云われている。秀康は長男亡き後、嫡男となったが、その後、時の関白秀吉に養子に出された。徳川家の天下になった後も、征夷大将軍の位を三男秀忠に奪われ、結局、結城家のまま生涯を過ごしたんだ」
私は頷いた。
「……だが彼の場合はまだいい、それでも一国一城の殿様になれたのだからな……」
正冶郎の言葉は段々憂いと苛立ちが強くなっきた。
「結城秀康の双子の弟の方はどうだったかというと、家康の実子とは認められず、死んだ事にされ、母方の実家、永見家に預けられ、永見貞愛という名前でひっそりと暮らしていたらしいのだ。だが、この話も良いほうで、双子の弟は処分される事も多かったと聞いている……」
正冶郎は自虐的に軽く笑った。
「……そしてな、実は昔の日本では、双子が産まれてきた場合、最初に産まれてきた方が弟、後から出てきた方が兄としていたんだ。上にいたとか奥にいた、とかという理由みたいだけどな……。そう、今の考えとは真逆の考えをしていたんだよ。今の時代は最初に産まれてきた方が長男、後から産まれてきた方が次男だからね。まあ個人的な考えなら、やはり出てきた順番の方が自然だと思う所もある」
正冶郎はカッと目を見開いた。
「だが、この藤林では、旧家の仕来りだとか、昔からの習慣だとかで、奥に入っていた正一郎を長男にしたんだ。最初に産まれた俺を、正冶郎と名付け次男にしてね」
正冶郎は母親を睨みつけた。その憤りをぶつける相手はもう母親しか残っていないようだ。
「まだ母は、それに反対をしてくれていたみたいだが、父は頑として聞き入れなかったらしい。おかしいと思わないか? 現代の常識ではなく昔の慣習に従って決めるなんて、俺は本当は長男だったんだ。俺は本当は長男だったんだ。俺は本当は長男だったんだよ……」
憂いと憤り、そして哀願の心情を顕わにしながら正冶郎は何度も叫んだ。充血した目からは涙が零れ落ちた。
「……いよいよ父は、弱ってきて、正一郎に縁談をさせ、跡目を正一郎に継がせようと考え始めてきていた。その上で、自分の扱いはどうなるのか気になった俺は、父に話を聞きに行ったんだ。すると、父は俺にはこの家の資産の十分の一にあたる現金を渡すので、それを持って出て行ってもらう事になると云ってきたんだ。俺はショックを受けたよ、余りにも不公平だったからだ。俺は堪らず、自分の出生の秘密を持ち出し、本来は俺が長男なんだから、俺が家を引き継ぎたいと云ってみたんだ。しかし返ってくる言葉は「お前は次男だ、家は長男である正一郎に継いでもらう」というものだった。聞き入れてくれる余地は全くないといってよかったよ。十分の一はあまりに不公平じゃないか? と聞いたところ、この家の跡目は、家を守り、墓を守らなければならないから、当然の事だと答えられてしまったよ、その時だよ、俺の中に父親に対する殺意が芽生えたのは」
話を聞いていると、確かに理不尽な事が多い気がした。しかし藤林家は歴史ある旧家である。難しい問題だとも言えた。
「俺はその事を、正一郎にも相談してみた。本来なら俺が長男なので、家督を継ぐのを辞退して、俺に譲ってくれと…… しかし答えは、残念だが、自分は長男として育てられてきた。家督を譲る事は出来ないという答えが返ってきたんだ」
正冶郎は僅かに唇を噛んだ。
「まあ、そんな所さ……、確かに俺は真奈美と付き合っているし、今回の件を相談できるのは将太ぐらいしかいなかった。将太が「妹を幸せにしてくれるなら協力する」と云ってくれたので、今回の変わり身に協力してもらったんだよ……。そして、誰が犯行を行なったかを解らなくして、最終的に父が、正一郎を殺して、それを憂いて自殺したように持っていこうと考えたのさ、残念ながら、そこにいる小説家さんに全て見破られてしまったけどな、ふふふ」
正治郎は薄く笑った。
「……因みになのですが、正治郎さんが正一郎さんと入れ替わられたのは夜中辺りだったのでしょうか?」
私は躊躇いがちに質問してみる。
「ああ、そうだよ、睡眠薬で熟睡している正一郎を真夜中に俺の部屋に引きずり入れ、俺の寝巻きに着替えさせ、俺の布団に寝かしたんだ。その上で俺は正一郎の寝巻きを着て、正一郎に成り代わったんだよ、それで前もって正一郎が良く着ている服と同じ眼鏡を買っておいて、それを将太に渡しておいた上で、俺もその正一郎がよく着ている服に着替えて出かけて行っだんだ……」
「なるほどです」
私は小さく頷く。
「そんな所さ……」
そこで正冶郎は話を終え、静かに口を閉じた。
「……ということは、今居る正一郎は本当は正治郎で、その正治郎が正一郎になりすまし本当の正一郎を殺害したという事ですか?」
二階堂警部が困惑した顔で聞いてきた。
「……ええ、さらに正一郎さんに扮した正治郎さんと摩り替わり将太が正一郎さんになりすましたという事です」
私は頷き返事をする。
正治郎は哀しそうな顔で真奈美に視線を向けていた。真奈美も真っ赤に充血した目で、正冶郎を見ていた。
「……ごめんな真奈美……、俺は刑務所に入る事になるだろう…… 誰か良い人を探してくれ……」
真奈美は泣きながら顔を何度も顔を横に振った。
正冶郎の口からはもう何も出てこなくなった。私の話すべき事も全て話した。話すことは終わりを迎えたというべきだろうか……。
刑事達は、顔を見合わせている。
二階堂警部が沈黙を破り重みの感じられる声を発した。
「そ、そうしましたら正冶郎さん。正一郎さん殺害及び、藤林啓次郎さん殺害容疑で県警本部までご同行願えますでしょうか?」
「……ええ、解りましたよ」
正治郎がぼそっと答えた。
刑事達が、傍まで近づき促がす。正冶郎は抵抗する事もなく立ち上がり、刑事達に連れられ歩いていった。
瞬間、母親か叫ぶように声を発した。
「ああっ、正冶郎、そして正一郎! ごめんなさい、私が、強く反対をして、あなた達二人を公平に処するべきでした。そうしておけば、こんな悲惨な事件を起こさせずに済んだのかもしれません…… あああっ、ああああああああああああっ」
母、美津は、慟哭の末その場に泣き崩れた。
百合子は憂いの残る顔で、傍に黙って立っている。
それを見た正冶郎は薄く笑うと、背を向け、刑事達に引き連れられて玄関の方へ消えていった。その背中には懺悔からくる憂いと燻る憤りが共存する不思議な哀愁が漂っていた。
徳次郎、富子は黙ってそれを見送った。真奈美は手で顔を覆って泣きじゃくっていた。
その状況に、私の心にはただ救いようのない物悲しさだけが湧き上がってきていた。