第六章 事件解説 壱
部屋の中では、藤林家の人々及び、使用人達は疲れた顔をしながら座っていた。母親と百合子は項垂れて、疲れとショックで疲弊した顔をしている。
正一郎は、一体いつまでこの状態が続くのか…… といった憤りも含め、少々怒り気味の顔だった。気の短そうな徳次郎も正一郎と同じような顔をして座っていた。
また、富子と真奈美、将太は、正冶郎と主人の不幸に気を揉んでいるのか、青い顔をしていた。
私が戻ると、百合子はゆっくりと顔を上げた。
「あっ、金田さん、まだ、いらしたんですか? 戻ってこないから、もう解放されて帰られたのかと思っていましたわ」
そんな声に、私は百合子に対して頭を下げる。
「百合子さん、お気遣い頂きまして恐縮です。仰られた様に、解放してほしいと懇願しに行った所、思わぬ事になってしまって……」
「思わぬこと?」
首を傾げ百合子は聞き返してくる。
私は頭を掻きながら申し訳なさそうに説明をした。
「ええ、何と申しますか…… 実は事件を解く協力をする事になってしまったんです……」
「そ、そうなのですか」
その説明を聞いた百合子は、何とも言えない複雑な表情をした。
「……それで、今回の事件のあらましが、大よそ解ってきたので、それを説明しに戻って来た次第なのです」
その私の言葉を聴いた徳次郎が批判気味に声を発した。
「ま、まさか、お前が説明するのか? さっきまで犯人かもしれねえって奴だったのに、今度は事件の真相を説明するだと、そんなもんが当てになる訳ないだろう!」
そんな徳次郎の声に続けて、正一郎も声を上げる。
「確かに、そんな犯人かも解らない人間の説明ではなく、私は警察の信憑性のある説明が聞きたいですよ」
正一郎は憮然としながら、私の斜め後ろにいた二階堂警部に厳しい視線を送った。
「まあ、まあ、皆さん、折角なのでお話を聞いてみては如何でしょうか? 推理小説の作家さんのお話です。小説の朗読でも聞くと思って」
頭を掻き困った笑顔を向けながら、二階堂警部は皆を宥め説明する。このあたりの持っていき方は、さすがに巧みな感じだった。
私は昨日二階堂警部が座っていた辺りに促されて腰を下ろした。すぐ傍に二階堂警部も座った。
「……そ、それでは失礼して、私の気が付いた点の説明をさせて頂きたいと思います……」
私は頭を少し下げ申し訳無さそうに言及する。
二階堂警部が頷いた。
批判的な視線を受けつつ、半ば強引ながら私は事件の話をし始めた。
「……今回の事件は色々複雑な事件であったと思います。第一の事件は大よそ全ての人の現場不在証明が成り立っているなかで、密室となった部屋でご次男正冶郎さんが、布団の上から日本刀を突き立てられて殺害されていました。そして第二の事件は警察が待機している中で、この家の御主人藤林慶次郎さんが、同じく密室となった部屋で、日本刀で腹部を刺され殺害されていました。今回の事件は双方とも密室、現場不在証明という壁があり、解決かとても困難な状態であります」
私の説明に一応、百合子と母親、富子が僅かに頷いてくれた。徳次郎と正一郎は相変わらず憮然とした顔をしている。
「それで、第一の事件の説明なのですが、警察の鑑識隊の方々の話に拠ると、まず犯人は、一昨日の夜のうちに正冶郎さんの晩酌用の日本酒に睡眠薬を混入ていたようでした。正冶郎さんの枕元に置かれてあったコップから睡眠薬が検出されたそうです」
私は鑑識の方へ視線を送る。
青い服を着た鑑識が頷いて肯定する。
「ただこれはこの家の人間及び使用人の方々であれば簡単にできる事なので誰が行なったのかは特定出来なかったという事でした。指紋を見る限りでは日本酒を冷蔵庫内からコップに移し変え、部屋に持ち帰ったのも正冶郎さんだったという話です」
鑑識が再び頷く。
「いずれにしても昨日の午前十一時半頃、犯人は入口の襖戸を開けて中に入り込み、睡眠薬が効いていて深く眠りに陥っている正冶郎さんの背中から日本刀を突き立て殺害したと思われます」
「おい、ち、ちょっと待ってくれ、部屋には鍵が掛かっていたじゃないか、その鍵を持っていた富子は俺と一緒に居たんだ。一体どうやって開け閉めしたと云うのだ?」
徳次郎が厳しく問い正してくる。
「いえ、正冶郎さんの部屋の鍵は、事件前は開いていたものだと思われます。富子さんも普段、正冶郎さんが鍵を掛けるのは希だったと仰っていたので、恐らく閉めてはいなかったのでしょう……」
「じゃあ、なんで鍵が掛かっていたんだ?」
徳次郎が再度聞いてきた。
「それは、犯行時に誰が犯行を行なったかを解らなくする為に、犯行後に外から侵入する事が出来ない密室を作り上げたからです」
私は静かに答える。
「外から侵入する事が出来ない密室を作り上げただって! ど、どうやれはそんな真似が出来ると云うのだ?」
徳次郎は解らないといった顔で声を上げる。
「……実はこういった事件の場合、密室の作り方には三つ程方法があります。本当は密室ではないのに心理的に密室に見せる方法や、扉など隙間を外から気付かれないように固めて密室にしてしまう方法、そして何らかの細工を使って鍵を閉める方法などです」
そこで私はいつもの密室講義をしてみせる。
「……そして恐らく今回は三番目の、何らかの細工を使って鍵を閉めるやり方法が使われたのだと私は考えます」
「何らかの細工を使って鍵を閉める方法だって、それこそどうやるんだよ」
徳次郎は理解が出来ないといった顔で聞いてきた。
「それでは、幸いこの部屋の襖戸にも鍵が付いています。折角なので実演して、それを再現してみましょう」
「な、何、再現するだと?」
「ええ、この部屋で……」
そうして私は刑事に合図をして、釣り糸と、鋏と花札をもってきてもらった。
徳次郎は興味深げにそれを眺めている。
「順番に説明していきますと、まず、犯人は日本刀を持ち、正一郎さんの部屋に侵入しました。そして睡眠薬で深く寝ている正一郎さんの背に日本刀を突き立てます」
私が突き刺す真似をすると、百合子と母親は口に手をあて強張った表情をした。
「そして持ち込んだ花札を襖戸脇にある机の上に乗せ、そのうちの数枚を乱雑に戸袋付近に撒いておきます。さて、ここからが重要なのですが、この一つの花札が重要な役割をしてくれます」
私は例の花札を人差し指と親指で抓みながら皆に見せた。
「この花札は一見、随分ボロボロですが、巧妙な仕掛けがされた花札なのです。特徴としては上下の部分は剥がれていませんが、真中辺りの側面が切り裂かれ隙間が設けられてているのです。そして型崩れがしないように糊を染み込ませ固めてあるのです。一応撒いた花札の方も敢えて真中に同じように隙間を設けた物や、側面から剥がれかかった物なども用意してありますが、役割を果たせる花札はこれだけになります」
私はそれに釣り糸を通し輪状に結んだ。
そして、釣り糸を通した辺側を上にして、ボロボロの花札をサムターンの抓みに上に被せるように差し込んだ。
「それで、この釣り糸を襖戸の隙間から廊下側へと出せば準備は完了です」
私は釣り糸を隙間に差し込み、部屋の外側からそれを引いた。
「それでは、やってみますよ」
私は気を付けながら襖戸を閉じ、部屋の外へ出た。
そして二階堂警部に説明した時と同様に釣り糸を引っ張っていく。
縦になって挟まっていた花札が、上の辺に引っ掛かった釣り糸に引かれ横になる。ガチャと鍵の掛かる音が響いた。
部屋の中から「おおっ」という声が聞こえてくる。
私はゆっくりと釣り糸を引く。横向きになった抓みに横向きになった花札が突き刺ささっている状態である。
そこで横に引っ張られる力が加わるとスポッと簡単に花札は抜ける。その手応えを感じながら私は更に釣り糸を引いていく。
戸の隙間で花札が引っ掛かった感覚を覚えた後、私は釣り糸を切断して、糸の片側を持ち糸を巻き取っていく。
完全に巻き取り終わった私は戸をノックした。
「すいません誰か鍵を開けてもらえますか?」
傍にいた上野刑事が鍵を開けてくれた。
私は鍵の開いた音を聞き届けた後、襖戸を引き開けた。襖の戸袋付近に残っていた花札は戸に押され、僅かに戸袋側から部屋の内側の方へ移動する。花札の位置は私が適当に撒いた花札の傍にあった。
部屋の中では、藤林家の人々が驚いた顔で私を見ていた。
「と、まあこんな感じに密室を作ったようです。この花札が第一の密室の証拠の品になります。いや~とてもよく偽装してあります。かなりよく観察しないと、この花札で鍵を掛けたことは解らないのではないかと思います」
先程まで私に対して訝しげな視線を送っていた徳次郎は二の句が告げられない様子だった。
そこまで説明してから、私は改まり、ゆっくりと言葉を繋げた。
「……ただですね、私も最初は気が付かなかったのですが…… 実の所を申しますと、今回の一連の殺人を行った犯人は、更に恐ろしい程の周到な考えを持っていたようです……」
「えっ?」
私の発言に二階堂警部が声を上げた。
「この最初の密室殺人事件は今見て頂いて解るように、これ自体が相当考えこまれ、巧妙な下準備を経て行われた殺人でした。花札に関しても、発見後に問い詰められたとしても、敢えて作った物ではなく自然にそのような物になったと言い逃れが出来る程の物でもあります」
藤林家の人々、そして警察関係の人々は眉根を寄せて花札を見ていた。
「第一の密室を作り上げた方法は、今やった方法が使われたと思います。しかし、ここまで巧妙に偽装して、この密室自体の謎が解らないようにしていたにも関わらず。実の所この第一の密室は、犯人が敢えて警察や住民の誰かに発見させる為に仕込んだ偽の密室だったようです……」
「えっ、ほ、本当ですかそれは? だって最初のトリックを発見したとき随分自慢げに我々に説明していたじゃないですか!」
二階堂警部は驚いた顔で聞いてきた。
おいおい自慢げは云いすぎだぞ……。
「え、ええ、本当なのです。実の所、私も最初に正治郎さんの部屋の密室の謎を解き明かした時はまんまと騙されていました。そして、犯人が見付ける事を想定していた密室の謎を解き明かし、警部が仰られたように、じ、自慢げに説明してしまったのです」
私は恥かしそうに頬を掻いた。
「し、しかし、なんだってそんな手の込んだ偽装を……」
「それは第一の犯行時に於ける容疑者の攪乱と、第二の殺人事件に於ける密室の謎を雲に撒く必要から行われたのではないかと考えます」
「容疑者の攪乱と第二の密室の謎だって?」
二階堂警部が更に聞いてくる。
「ええ、誰がどうやってやったかが一切解れなければ不可能犯罪、そして迷宮入りという事に至る可能性がありますよね、ただ犯人はそうはしたくなかった。この家の誰かが犯人であるが、本当の犯人が誰だか解らないこの家のという状況にしておきたかったのではないかと思われます」
「この家の誰かが犯人で、誰が犯人か解らない状態ですと?」
「そうです。当初は鍵を持っていた富子さんやその富子さんと一緒だった徳次郎さんが犯行が可能だと目されていました。しかし第一の密室殺人の謎が解けた今となっては、鍵を持っている持っていない如何に関わらず、ある程度の人間が犯行可能な状態になっています。相互確認次第とも云えますが、奥様と百合子さんも双方の隙を付いて殺害を行い密室を作りあげるという可能性も出てきますし、奥様と百合子さんの共犯で殺害を行ったという場合。またこの家の主である慶次郎さんが何とか体を動かし犯行に及んだという可能性まで出てくる事になるのです」
「確かにそうなりますがね……」
警部は憮然として答えた。
「……確か警部は私にこう云いましたよね? 最終的に誰の犯行か解らなかった場合は正治郎さんはこの家の主人である慶次郎さんが殺害。そして主人様は御自害されたという方向で締めると……」
「た、確かにそう云ったが、最終的にどうしても解らなかった場合にそうせざるを得なくなるという考えの上でだが……」
「実の所、犯人の考えもそれに近い物だったと思われます。この家に居た誰かが犯行を行ったと思わせたかった。そして最終的には、良く解らない状態ながら主人である慶次郎さんに罪を着せて自殺したと思わせたかった。と……」
「それじゃあ外出していた者の中に犯人が居るというのですか?」
「いえいえ、まだそう結論を出すのは早いです。ちゃんと一人一人の現場不在証明を確認していく必要があります。この家にいた方々でも確固たる現場不在証明を得ていながら犯行に及んだ可能性だってある訳ですからね」
「そういえばそうですな……」
二階堂警部は頷いた。