再び伊賀の町へ 参
そうして私達は上野市駅に向った。
駅からは、赤茶色をした二両編成の列車に乗り、青山町のある伊賀神戸駅へと赴く。そこから大村神社までは徒歩十分程の道のりだった。
「真奈美は、お札を返して、新しいお札を買って帰っただけですが、一体何を確認するのですか?」
「いえ、ちょっと」
大村神社の参道を抜け、本殿に前まで歩みよると賽銭箱に五円玉を投げ込み、二礼二拍手一礼をしてみる。
その後お札返却場所を確認して、お札の販売所に赴いた。
「すいません、昨日お札を購入した女性の事を、警察に聞かれたと思うのですが、その時の詳細をもう一度お伺いしたいのですが宜しいでしょうか?」
私は申し訳なさそうに声を掛ける。
「ああ、昨日のお話ですね、ではその時対応した者に代わります」
そう答えた年配の販売員は奥へ下がり、若い女性を連れてきた。
連れて来られた女性は困惑した顔をしている。
「……昨日の事ですか?」
「ええ、聞いた所によると、その女性はお札を購入したとの事ですが、お札とは別に何か買われませんでしたでしょうか? 例えばお守りとか?」
私は頭を掻きながら質問する。
「え、ええ、ご購入になりましたよ。お守りをです」
「そうですか、そのお守りと同じ物を私も買いたいのですが宜しいですか?」
えっ、あなたもですか?
「私では、なにか?」
「いえ、大丈夫です」
女性店員が差し出してきたお守りには結婚成就と書かれてあった。
「私これを肌身はなさず持っていようと思います。優しい良い人と結婚できるように願いながら」
私は軽く笑った。
「因みに、昨日の女性はそのまま真っ直ぐ帰られました? おみくじなどを引かれたりなどはありませんでしたか?」
「いえ、おみくじは引かれませんでしたけど、絵馬を書かれていきましたが……」
販売員の視線の先には紐に結び付けられた沢山の絵馬があった。
「ああ、絵馬ですね、なるほど、お話有難うございました。それでは失礼します」
私は礼をして、絵馬の置いてある方へ進んでいった。
後方で待っていた長谷川刑事が声を掛けてきた。
「何か解りましたか?」
「いえ、大した事ではありませんが、真奈美さんが絵馬を書かれていったそうです。私としては、それを見てみたいのですが……」
私は絵馬が連なっている場所を指差しながら説明をする。
「真奈美が書いた絵馬を探すのですか?」
「ええ、見てみたいのです」
絵馬の近くまで来ると紐に沢山の絵馬が結ばれてあった。
私は絵馬に書かれた内容を確認していく。絵馬は四十個ほどが結ばれていた。長谷川刑事も裏側に回って内容を見てくれている。
「あっ、これじゃないですか」
長谷川刑事から声が上がった。
「どれですか?」
私は長谷川刑事の傍に近づく。
長谷川刑事が触っている絵馬には、可愛らしい女性の字で、(大好きな人と結婚できますように。 まなみ)と書かれてあった。
「これですね、なるほど……」
私は頷いた。
「私にはよく解りませんが、真奈美は誰かの事を好きだったという訳ですか? しかしそれが何の関係があるんですか?」
長谷川刑事は理解できないといった顔で聞いてくる。
「いえ、これはこれで一つのヒントだと思います。あくまでまだ仮説ですけれど……」
私は答えた。
「それでは長谷川刑事、戻りましょう」
「もういいのですか?」
「ええ、ここには、これ以上のヒントは無さそうなので……」
そうして私と長谷川刑事は、伊賀神戸駅から伊賀線に乗り、上野市駅方面へと戻って行く。
「あ、あれ、金田一さん、列車を降りられるのですか?」
私が上野市駅で再び列車から降りようとしているのをみて、長谷川刑事が慌てて声を掛けてきた。佐那具に帰るなら乗り続けて伊賀上野駅まで行くべきだと云いたいのだろう。
「まだ、上野市駅周辺を調査する気ですか?」
「ええ、まだ、しなければいけない事が残っているので……」
私はそう答え列車を降りた。長谷川刑事は意味が解らないといった顔で列車から降りて付いてくる。
「一体何をする気なのですか?」
改札を出た所で、私は靴紐を結びなおす。
「私は、上野市駅前から、佐那具の藤林邸まで小走りでどの位掛かるか確認したいと思っているのです」
「えっ、走るのですか?」
長谷川刑事が驚いた顔をする。
「ええ、長谷川刑事はどうしますか? 走るのであれば靴紐を結び直しておいた方がいいですよ」
「いや、あなただけ走らせて、刑事である私が走らない訳にはいかんでしょう。走ります。疲れそうですが走りますよ」
長谷川刑事は嫌そうながら仕方が無いといった感じで言及した。
「ところで…… 長谷川刑事、また間違えましたね、私は何度も私の名前は金田だと言いましたよね、間違えないようにとも……」
しつこいようだが私はまた注意する。
「あっ、す、すいません。思わず……」
長谷川刑事は頬を掻き頭を下げた。
そして恥ずかしそうに言い訳をした。
「実は私、頭の中で自分が磯川警部や等々力警部になったような気分になっていたんですよ、私、横溝正史の金田一シリーズの大、大、大ファンなんです。それで自分が金田一耕助シリーズの小説の世界に入り込んだような気分に…… それで金田さんが金田一耕助役で……」
……おいおい、子供じゃないんだから……。
私はその説明を聞いて頬を掻いた。
磯川警部というのは、初期の金田一耕助シリーズに於ける岡山三部作と云われる本陣殺人事件、獄門島、八つ墓村などの岡山物に登場する警部の名前である。等々力警部というのは、悪魔が来りて笛を吹く辺りから登場した警視庁の警部である。その名前が出てくる所をみると金田一耕助シリーズの大、大、大ファンだというのも頷ける。
だが、現職の刑事が自分が磯川警部や等々力警部になったつもりというのは頂けない。ごっこをしている訳ではないのだ。それに長谷川刑事はまだ刑事で警部ではないのだ。そんな夢見心地で仕事をされては困るのである。
さすがの私も少々頭の中で苛立ちを覚えた。だがそれを口にするような私ではない。
「もう間違えないで下さいね。私は金田一ではなく金田ですから」
「は、はい」
長谷川刑事は元気のない声で答えた。
「今、分針が二十三分を指していますから、二十五分になったら出発しましょう」
私は時計を見ながら云う。
「私こんなマラソンみたいなのをするのは久しぶりですよ」
長谷川刑事は足首を回して関節を解している。
「さて、時間です。行きましょう」
私と長谷川刑事は走り出した。勿論全力疾走とかではなく小走り程度だ。
伊賀上野城の南側の道を東に進み、中瀬という場所で左に曲がる。そこからは伊賀街道になるので只管、東へと進んでいく。
少し早歩きなどを交えながら小走りでどんどん向っていくと三十分程で、電柱に佐那具という文字が見えてきた。
その辺りで伊賀街道からそれ、駅に向う道に入り込み、柘植川を超え、さらに舗装された道から裏の畦道にまで入り込み、藤林家の裏側の勝手口に到着したのは出発してから大凡三十五分程だった。
「ふーっ、さすがに疲れましたね」
私は長谷川刑事の顔を見ながら声を掛ける。
「いや、結構疲れましたよ……」
上野刑事は汗を拭きながら答えた。
「……三十五分ですか…… 大体予想通りの時間ですね……」
「ええ、警察の方でもその位は掛かると見ていましたが……」
「でも、これで確認が出来ましたね、それでは警部の所へ戻りましょう」
私達は一応そこから屋敷の正面側に回りこみ、表門から呼吸を整えながら屋敷の敷地に入り込んでみた。
私の眼前には、黒々とした漆喰壁に塗り固められた、屋根の高い寺のような平屋建ての建物が佇んでいる。この屋敷の中で人が二人も殺されるという凄惨な事件が行なわれていたのだ。私は思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。
しかし、ふと藤林家の異様な屋敷を見たとき、ある一つの考えが沸き上がってきた。
「あっ…… な、なるほど…… そうか、そうだったのか…… 私は犯人の思惑にまんまと乗せられていたという訳だったのか…… なんと巧妙な……」
私は小声で呟いた。
時間は現在三時五分だった。
二階堂警部の言っていた夕方までには時間はまだある。
我々は玄関から屋敷内に上がり込んで二階堂警部を探した。二階堂警部は御主人慶次郎の部屋の戸の前で何かを思案していた。
「……警部、只今戻りました」
長谷川刑事が声を掛ける。
二階堂警部は疲れた顔を持ち上げた。
「おお、金田さん、戻られたのですね、それで首尾はどうでしょうか?」
二階堂警部はまるで助けを求めるかのように訊いてきた。
「仮説の部分が多いですが、大よその事が把握出来たと思います。ですがまだ証拠がありません。まあ証拠がありそうな場所は見当がついていますが……」
私は少し自信を覗かせて云った。
「聞かせていただいても宜しいですか?」
「そうしましたら、広間で皆さんのいる前で説明させていただいでも良いでしょうか? 皆さんにもお伺いしたい事も色々ありますので」
「自信はあるのですかな?」
二階堂警部は探るように聞いてきた。
「まあ、それなりには……」
私は笑顔で応える。
それを聞いた二階堂警部は笑った。
「それでは、広間でお話をお聞かせいただきましょう」
そうして、私は刑事達と一緒に広間へと向った。