第五章 再び伊賀の町へ 壱
そうして私は、長谷川刑事に付き添われ、伊賀市駅へと向う事になった。
ようやく屋敷の外に出られるので、重苦しい空気を少しは忘れられそうである。
「それでは向いましょうか?」
ちょっと抜けていそうな長谷川刑事が促がしてくる。
「そうですね」
私は長谷川刑事と共に玄関へと向かった。
しかし、私はそこで靴を履く事はせずに自分の靴を履かずに手で抓み持ち上げる。
「あれ、ど、どうしたんですか一体?」
靴を履きかけていた長谷川刑事は驚いた様子で聞いてくる。
「いえ、家の裏手から出てみようと思って……」
「裏口からですか?」
「ええ、気になる点を少々確認したいと思いますので……」
私は靴を持ったまま屋内を奥へ向かって進んで行く。正冶郎の部屋の前を通過した辺りで長谷川刑事は驚いた顔をしながら自分の靴を手に持ち追いかけてくる。
屋敷の裏側には裏庭部に出ることが出来る部分が二箇所ある。正面左側になる主人の部屋の前の廊下の突き当たりと、正面右側の百合子や母親の部屋の前の廊下を進んだ突き当たりにある台所からだ。屋敷から裏庭に出る事はその二つの部分から出られるが、屋敷は塀と堀で囲まれているので、敷地内から出るには更に屋敷後方の勝手口を使わなければならない。
廊下は屋敷の後方では繋がっていないので、犯行を行なうなら玄関側から廊下を回りこんでくるか、裏庭部を伝って勝手口か、台所側からやって来るしか方法がない。
「私としましては、一応、裏道の方もこの目で確認しておきたいのですよ」
私は困惑顔の長谷川刑事に説明した。
「わ、解りました。着いて行きますよ」
長谷川刑事は頷く。
主人の部屋側の廊下の先から外に出ると、茶室から望める小さい箱庭になっていた。話によると、そこの鍵は昼間はいつも開いているらしい。竹で出来た衝立の裏側に通路があり、そこを進むと、漆喰塀に簡単な木で出来た戸が付いていた。これが敷地外に出られる勝手口のようだ。
簡単な木製の閂が付いていたが、犯行時は開いていたらしい。まあ仮に栓がされていても簡単に開く構造に見えた。裏の勝手口前へ至りはするも、その木戸から外へは出ず、そのままぐるりと家の後ろ側の通路を回り込んで行くと、母屋から飛び出た形の台所部が視界に入ってきた。
台所部の近くにはゴミを集めておく為の大型のゴミ箱が二つあった。いずれにしても茶室側の戸までは一分も掛からず行けそうである。
「どうですか? なにか分かりましたか?」
後ろから付いてきた長谷川刑事が聞いてきた。
私は少し考えてから答えた。
「いえ、もう十分です。勝手口から外へ出てみましょう……」
そうして、私達は少し戻って勝手口から外へ出てみた。
勝手口の外側は畦道だった。
その畦道には疎らながら街路樹のようなものが沿っていて、その木の奥に段々畑が広がっているのが見えた。木々の隙間からは遠くに畑で働いている人の姿が確認できる。恐らく裏の畑は人に貸しているのだろう。
「えーと、駅はどっちですか?」
私は左右に顔を振り質問する。
「駅は右側ですよ」
「こちらですね」
私と長谷川刑事は畦道を進んで行った。
両側に疎らながら木々があるので畑で働いている人や、屋敷の裏手にある民家の住民などからの視界には入りにくい感じである。
少し進むと、畑の境のように畦道が十字に交差している部分があった。
「ここを右に曲がると駅方向に出られますよ」
長谷川刑事は体を狭い畦道の方へ向けながら云った。
「解りました。曲がってみましょう」
私達はそこで曲がり、屋敷の表側へと向かった。
その道はしばらく進むと下りの傾斜となり、山の麓ながら少し高い位置する藤林家から平地部まで下り降りて行く事になる。そのまま進むと山と平地の境辺りから舗装された道路へと出た。それは私が伊賀市方面から歩いて来た時に通った道だった。
「じゃあ駅はこっちです」
長谷川刑事の先導で私達は駅へと向った。
舗装されている道を進み、到着した佐那具駅は、普通の一軒家のような外観の駅だった。
まるで玄関のような改札通路を抜けると、奥に長さ百五十メートル程のホームが見えてくる。ホームには人は少ない。これなら仮に列車を使ったとしたらすぐ判ってしまう事だろう。
「これだと、列車に乗ったり、ホームで待っていたりしたら一目瞭然ですね……」
「ええ」
しばらく待っているとホームに列車が入って来た。
二両編成の列車だった。
中に入り込むと、これまた数名しか人が乗っておらず、簡単に目撃されてしまう可能性があった。
すぐに列車は走り出す。車窓からの景色には穏やかな田園風景が広がり、その奥には深緑に染まった布引山地の穏やかな稜線が見えた。のんびりとした、とても良い景色だった
列車はおおよそ十分で伊賀上野駅に到着した。
しかし、ここは目的地ではない。関西本線の伊賀上野駅は、盆地の北の方にあり、ここから更に伊賀線に乗り換えニキロ程南下して上野市駅に向かわなければならない。その辺りが伊賀の繁華街であり、伊賀上野城の城下町となるのである。市役所などの公共機関もその周辺に存在している。
私と長谷川刑事は伊賀線のホームへと移動して、今度は伊賀線の到着を待った。ホームには私と長谷川刑事以外には、お婆さんが一人いるだけだった。
しばらく待っていると三両編成の濃緑色の列車がホームに入ってきた。伊賀線の方は一応電化はされている。車内に入ると、私達以外に七人ぐらいの乗客がいた。
この伊賀線もはやり三両編成であることと、乗客の数が少ない事もあり、乗った事が簡単に知れてしまうように思われた。
殆どホームしかないといった様相の新居駅を経て、服部半蔵に因んで名付けられたのか木津川の支流の一つである服部川を越えて、西大手駅、そして上野市駅へと到着した。
「さて、金田一さんどこを見られますか?」
改札を出た所で、長谷川刑事が訊いてきた。
「……それぞれの方の足跡を追ってみましょう。何かが分かるかもしれません。最初は将太さんの跡から辿ってみようと思います……」
そこまで言い掛けた私は強い目付きで長谷川刑事に視線を送る。
「……それとですね長谷川刑事、私は金田一じゃなくて金田です。間違えないようにお願いします」
私は憮然と云った。
「失礼しました。金田さん。いやあ服装が金田一耕助そのものなんで思わず金田一さんって呼んでしまいましたよ」
長谷川刑事は頭を掻きながら屈託のない顔で云った。
こいつ明るい顔で失礼なこと云いやがって……。
「いいえ、服装は金田一耕助そのものではありません。金田一耕助はお釜帽に、袴と着物姿です。よく見てください私はチューリップハットにカーデガンと襞付きロングスカートです。全然違いますからね」
私は少し怒り気味に云った。
「いや、でも全体的な印象は良く似ていますよ」
長谷川刑事は笑いながら云った。
「似ていません!」
「似てますって」
「いえ、似ていませんって!」
段々強張る私の形相に長谷川刑事は頭を掻いた。
「……よ、よく見たら、そんなに似てないかもしれません……」
長谷川刑事は搾り出すように云った。
「そうですよ」
私は満足げに頷いた。
「ま、まあ、お名前の件は置いて於いて、いずれにしても野口将太の足取りから追うのですよね? それでその野口将太は、最初に八百屋に行っています。この八百屋は伊賀の中では一番大きな商店です」
気を取り直した様子で、長谷川刑事が手帳を広げ説明してくれる。
「では、そこへ行ってみましょう」
「了解です。金田一さん。あっ、しまった……」
何がしまっただよ!
私はぎろりと睨みつける。
「失礼しました。き、かんださん」
……か、かんだ…… かんだって一体誰だよそれ…… しかし、なんでそこまで間違えるんだろう。
「金田です」
私はハッキリとした声で言い正す。
「そ、そうです金田さんでした……かねださん…… かねださん……」
長谷川刑事は自分に言い聞かせるように何度も呟いた。




