第二の殺人 弐
一時間程すると、二階堂警部が広間にやってきた。だがどうにも釈然としないといった顔付きだった。
「申し訳ありません。警察がいながらにして、今回の事件を阻止できずに……」
そう言いながら二階堂警部は頭を下げた。
「それでなのですが、ご主人様について少々お伺いしたいのですが、何度も聞くようで申し訳ありませんが、ご主人様は本当に一人で歩いたりする事は出来なかったのでしょうか?」
それには百合子が答えた。
「父は補助があれば僅かならば歩けますが、一人では殆んど歩けませんが……」
「そうですか…… そうですよね……」
「因みに手を動かしたりぐらいは出来ますよね?」
「まあその位は出来ますけれど、スプーンでお粥を掬うのがやっとで、箸を動かしたりは出来ませんけれど……」
「そうなのですか……」
「どうでしよう警部さん、なにか解ったのですしょうか?」
百合子は、血の気が引いた顔をしながら、囁くような声で質問した。
「……そ、それがですね、困った事に、正直さっぱり解らないのですよ……」
二階堂警部は頭を掻きながら答えた。
「ご主人様が亡くなられたのは、昨夜午前三時頃という検死の結果がでました。今回のご主人様の件は、傍の部屋となる正冶郎さんの部屋の前に、昨夜からずっと刑事が立っておりましたし、皆様もお部屋でお休みを取られていて、その時間に廊下に出られた方は皆無に等しい状態なのです」
そして搾り出すように続けた。
「……これらを見ると、も、もうご主人様が、ご主人様の手でご自害されたとしか説明が付かないのですよ……」
「じ、自害したと言うのですか?」
百合子が聞き返す。
二階堂警部は困惑気味に説明をする。
「……ですがね、自害としてはおかしな点もあるのです。ご主人様は日本刀で腹を貫かれていました。日本刀の柄に、ご主人様の指紋が残っていたものの、動けない体なのに刀を腹に貫通させる事が出来たとは到底思えません。それにあの刀をどこから持ってきたのかという疑問もあります。正冶郎さんの件はまだしも、今回が殺人事件だったとするならば、さらに難解な密室殺人ということになってしまうのです……」
二階堂警部は掻いていた頭をグシャッと毟った。
「……とにかく、もう少し色々調べさせて頂きます。皆さんは申し訳ないですが、この部屋から極力出ないようにお願いします」
――もう、それぞれの行動確認などは意味なさなくなっていた。
第一の事件は勿論の事、第二の事件における犯行が、可能か不可能かが解らなければ、何もかもが解らないと言った状況になってしまっている。二階堂警部も刑事達も、思考の迷宮に入り込んでしまったようだった。
二階堂警部は、徐に立ち上がり、憮然と部屋を出て行った。恐らく再び主人の部屋に向かったのだろう。
私は今の話を聞いた上で、どのような犯行が行われたかを検討してみた。
例えば、刑事が入れ交ったり、トイレに行く隙をついて入り込んだのであろうか? だとしても僅かな時間だろうし、刑事の目に付きやすい場所である。かなり難しく思える……。
ならば主人を薬で眠らせておいて、時間がくると上から刀が落ちてくるような仕掛けでも作っていたのだろうか? 現場をよく見てみないと解らないが、痕跡が残ってしまう可能性もあるだろうし、少しでも寝返りをうったりしたら失敗しそうなものでもある。
まあ、昨夜戸締りをする際に刑事が部屋内を確認していたら、そんな仕掛けを見逃す筈もない。となると自殺したと見るしか無くなってしまうだろう。
そんな事を想像しながらしばらく待っているも、二階堂警部は戻って来ず、藤林家の住民と私は部屋に閉じ込められたままだった。
時間はどんどん経過していき、気が付くと昼近くになっていた。
一体いつまで拘束している心算なのだろう……。
痺れを切らした私は徐に立ち上がった。
そして部屋の出入り口である襖戸の傍へと近づいた。
「どちらへ?」
入り口付近に佇む監視役の刑事が質問してきた。
「ちょっと、私、二階堂警部と少しお話がしたいのですが」
刑事はジッと私の顔を見た。
そして少し考えた上で、わかりました。と返事をした。
そもそも私はこの家と何の関係もない、刑事がその事を理解してくれたのか、すんなり私を通してくれた。
私は板張りの廊下を歩き、主人の部屋の前へ向かった。
その入り口辺りで、二階堂警部は眉根を寄せながら戸を調べていた。
「すみません警部さん、少しお話を宜しいでしょうか?」
私が声を掛けると、二階堂警部は顔を上げた。
二階堂警部も随分疲れている感じだった。
「ああ、小説家の先生の金田一さん」
「いえ、金田一ではありません金田です」
私はすかさず訂正する。
「これは失礼。金田さんでしたな」
二階堂警部は頭を掻く。
「お話ですか? うーん、それでしたら、私も煙草を少し吸いたいんで、外でお話を伺ってもいいですか?」
「私は別にどこでも構いませんけれど……」
「では」
促されて、私と二階堂警部は、玄関から外に出て、母屋と長屋の間にある中庭の部分へと赴いた。
庭に出ると早速、二階堂警部は煙草に火を付ける。目を細めて吸い込んでから、空に向かって大きく煙を吐いた。
「……それでお話というのは、あなたの事を一体いつまで拘束しているのか? という事ですよね……」
「ええ、出来れはそろそろ解放していただきたいのですが……」
私は憮然として応える。
「確かに、あなたは部外者ですので、事件が思わぬ方向に向かってしまったからには、もう解放すべきなのではと思っています……」
意外な言葉に私は聞き返す。
「思わぬ方向? 警察は今回の事件を、現在どう考えているのですか?」
二階堂警部は微かに自虐的に笑った。
「解りません、正直よく解らないので、最終的に答えが出なければ、第一の正冶郎さんの殺害は鍵を持っていた富子さんと徳次郎さんの強力を得た上でご主人様の手で行われ、ご主人ご自身は自責の上でご自害されたという事で終わらせる事になると思います」
「思わぬ方向というのは、その考えなのですか、一体動機はなんなのですか?」
二階堂警部は顔を横に振って言いずらそうに答える。
「よく解りません。近い存在の確執のようなものになるのかもしれません……」
「ではどうやって、病気で寝たきりのご主人が正治郎さんを殺したと考えられるのですか?」
「……それは、今まだ調査中です」
二階堂警部はバツが悪そうに答えた。
「管理用の鍵はずっと富子さんが持っていたと云っていましたよ、それに徳次郎さんも一緒だったと仰っていましたし、ご主人様の手助けをしたなんて一言も云っていません。強引すぎじゃないですか?」
私がこんなに長い間拘束されてきたのに、結論があまりに浅はかなもので終ってしまうのには納得がいかない。
「最終的に答えが出なければ、と言ったでしょう。我々もちゃんとした真相を突き止めたいと思っています……」
二階堂警部は再び煙草を口へと運んだ。
そして大きく息を吸い、溜息ともつかぬ煙を吐いた。
「ところで、金田一さんは推理小説を書かれていると云う事でしたが、参考にお伺いしたいのですが、今回の事件をどう見られますか?」
二階堂警部は、俯き加減ながら、僅かに私の様子を見ながら聞いてきた。
「金田です」
「あっ、失礼」
あまり本気で謝っていない様相のまま、二階堂警部は私の全身を上から下へと眺める。
「……いや、しかしながら貴方のその格好で金田一耕助を意識するなというのは難しい話ですぞ……」
警部は疲れて思考が回らないのか、遠慮が感じられない声で私の格好に対して言及してきた。
「私の格好で……って、私は別に普通の格好をしているじゃないですか」
私は少しむっとして答える。
「でも…… 金田一耕助の格好にそっくりだ」
「そ、そっくりじゃありませんよ! よく見てください。私はスカートにカーデガンとチュウリップハット姿です。金田一耕助のように着物じゃないんですよ」
私は云い返す。
「いやでも全体的なイメージは金田一耕助風ではある」
「風ではありませんよ、私は洋装です」
二階堂警部は顰めた顔で私の服を見た。
「……しかし…… そんな茶色っぽい色で揃えなくても……」
そして、二階堂警部は何度か躊躇う様子を見せた後に更に付け加えた。
「……似ていると云われるのが嫌なら、帽子は赤、カーデガンは黄色、スカートは青とか原色でアレンジしてみたら良かったのではないですか?」
「嫌ですよ、そんな信号みたいな色使いは!」
私は憮然として云った。
「いや、そうしろという訳じゃなく、そんな風にアレンジしてみたら良いのではないかと思ったもんですから…… その天然パーマの髪の毛は致し方ないとして、チューリップハットを水玉模様の物にするとか…… もう少しだけでもいいからスカートの丈を短くするとかをすると良かった気がしますが……」
「何云っているんですか! このチューリップハットはチェック柄になっているじゃないですか! それにスカートは長い方が好きなんです!」
「でも…… 焦げ茶色と薄茶色のチェックじゃ、折角のチェックの意味もあまり感じられませんぞ……」
二階堂警部はしつこく云ってきた。
なんだかこれ以上云い抗っても聞きたくもない指摘を受け続けるだけのような感じになってきた。もう正直この問答をしたくない。
「もう、私の服の事はいいです。今後は名前を間違いないようにお願いします」
「解りました……」
二階堂警部は真面目な顔をして頷いた。
そして再び煙草を咥え大きく息を吸い込んだ後、それをゆっくりと吐き出した。
「……それで、話を戻しますが、金田さんは今回の事件をどう見られますか?」
「まあ私は、二つの事件は両方とも殺人事件だと思っていますよ。少なくとも、ご主人か正冶郎さんを殺害し、その為の御主人の自殺だとは思っていませんが……」
気を取り直して私は応えた。
「ほう、自信がありげなお答えですが、今回の事件で何か気付かれている事でもあるのでしょうか?」
「現場を調べさせて頂いた訳でもなく、細かな情報が私に届いている訳でもないので、正確な事は云えませんが、一応私なりの見解はあります」
「こんな事を言うのはおこがましいのですが、出来れば、お聞かせ頂けますか?」
「あくまでも私なりの見解ですが、それでも宜しければ」
二階堂警部は頷いた。
「……私としては、今回の事件は、まず、最初の事件における、密室を解かないと、その後の事件のあらましが見えてこないと考えています。密室の作り方には、心理的に密室に見せる方法と、扉など隙間を外から気付かれないように固めて密室にしてしまう方法、そして何らかの方法を使って鍵を閉める方法があります。今回の第一の事件では、恐らく何らかの方法を使って鍵を閉める方法が使われたのではないかと私は見ています」
「三つ目の、何らかの方法を使って鍵を閉める方法というものが使われた。ですか?」
興味深げな表情で二階堂警部が聞いてくる。
「ええ、外から鍵を使わずに内側の鍵を掛けるのです」
「でも、どうやって?」
「現場を見ていないので、正確な事は云えませんが、その方法を使ったのであれば痕跡が残っているはずです。そして、その方法で密室を作ったのであれば、こと最初の密室に関しては、現場不在の問題を抜きにして、鍵を持っていようがいまいが、殆どの人間が犯行可能になってくる事になります」
「ん? 話が抽象的すぎて、よく解かりませんぞ、それならば現場で私に、どう可能なのか説明してもらっても良いですか?」
警部は首を傾げながら言及する。
「私なんかが現場に入り込んで良いのですか? 捜査上の秘密情報が見えてしまいますよ……」
「秘密情報といえる事はありません。逆にどうやればそんな事が可能なのかが聞きたいところです」
二階堂警部は、半信半疑といった様子で私を見ていた。
私は警部のそんな反応に、解放してもらいたいという希望もさることながら、推理小説家としての自分の力を見せたいという気持ちが沸き起こった。




