第三章 第二の殺人 壱
翌朝、恐ろしげな叫び声が屋敷内にこだまして、私は驚いて目を覚ました。時計を見ると、時間は朝の九時少し前だった。
傍にいた刑事達は何事かと立ち上がり、その叫び声のする方へ向っていく。
私も昨夜、自分なりに事件を解決しようと検討していたのもあり、刑事達に続き、叫び声のする方へ向って行った。
この屋敷は家の正面に飛び出た形で玄関、仲ノ口のがあり、その奥から母屋となる屋敷建物になる。
屋敷建物では建物の外側を廊下が囲んでいて、屋敷の正面左の廊下側には、書院造りの客間、正冶郎の部屋、正一郎の部屋、主人のいる奥座敷が順に並び、奥側の角には渡り廊下で繋がった離れの茶室があった。
反対側になる屋敷右側の廊下側には、手前から、我々がいる中広間、百合子の部屋、母親の部屋、居間、そして母屋から飛び出た形で土間、納戸といった構造になっている。土間部分は現在は床が作られ、そこに台所、トイレ、風呂場などが設けられていた。廊下はそれぞれの奥で行き止まりになっていて、その先は裏庭に出る戸が設けられている。
中広間を出た私は、正冶郎の部屋、正一郎の部屋の前を通過した。
すると刑事達はその先の奥座敷の前に集まっていた。よく見ると、刑事達の足元で母親が腰を落とし座り込んでいる。
その目は見開かれ恐怖に戦いた顔で部屋の中を見つめていた。私はおずおずと近づいていった。
「一体どうしたのですか?」
私は刑事の後ろから声を掛けた。
「じ、事件です。また人が殺されました……」
刑事と刑事の隙間から中を覗き見ると、白髪の老人が仰向けに寝転がり倒れている。
そしてその腹には、布団こそ掛かっていないが、またしても日本刀が突き立てられていた。ただ今度の刀は脇差らしく長さは短かそうにみえる。
「ど、どういう事なんだ、これは?」
前の方に立っていた二階堂警部の口から、苛立ち気味な声がもれる。
「朝、奥様が、御主人様に薬をお持ちするという事だったので、私が付き添いました。それで御主人の部屋の鍵を開け、戸を開いた所、このような状況だったと……」
母親の傍に立っていた刑事が緊張気味に説明した。
「君が鍵を開けたのかね?」
「は、はい」
鍵や鍵束は昨日から警察が保管していた。 夜中は万一の事があるといけないので、各々の部屋は内側から鍵を掛けてもらい、藤林家の主人の部屋は外から警察が鍵を掛けていた。逃げられない為と防犯の為の両方だ。
しかしその鍵を開けたらこの有様だった。警察が驚くのは無理も無い。そこへ正一郎と百合子が駆けつけて来た。
「ど、どうしたのですか一体…… ひっ! お、お父様?」
百合子が蒼白な顔で口を抑えた。
「こ、これは……」
正一郎はカッと目を見張ったまま固まった。
重苦しく胸が押しつぶされそうな空気がその場を支配する。
「も、申し訳ありません、ご家族の皆様は、広間の方へ集まってお待ち頂けますでしょうか? 申し訳ありません広間の方へ……」
少し焦り気味の二階堂警部は、主人の部屋の戸を閉め、昨日の広間へと促がした。
母親、百合子、正一郎は、わなわな肩を震わせ、無言のまま広間に向った。もう何をどう話していいのか解らない様子だ。私も刑事に促がされ広間に向かい、広間の昨日座っていた場所に腰を下ろした。
しばらくすると、長屋の方から徳次郎、富子、将太、真奈美が刑事に連れられてやってきた。皆は一様に疲れの取れていない顔をしている。私もだが、こんな状況というのもあり、よく眠れなかったのかもしれない……。
我々は一人の刑事に監視されたまま広間に閉じ込められた。
皆は何を口にして良いのか解らないらしく、茫然自失といった様子で項垂れている。
この家の次男坊に続き、家の主人が腹を日本刀で貫かれて死んでいたのだ。何を口にすべきか解らないのも無理はない。
「……本当に…… 一体、この家で、何が起こっているのでしょうか?」
閉じ込められた部屋の中、百合子がボソッと誰に対する訳でもなく呟いた。
そんな百合子の呟きに、横にいた富子が何度か躊躇いを見せた後、肩を振るわせながら擦れた声を発した。
「わ、私、昨夜に色々考えてみたんですが、これはあかしゃぐま様の祟りなんじゃないでしょうか?」
それを聞いた母親はびくっと身を震わせる。
母親の傍に座っていた正一郎は厳しい表情で富子を見ながら言及する。
「な、何を言っているんだ富子さん、そんな祟りなんて非科学的な…… それに正治郎と親父は日本刀で殺されていたんだぞ祟りで死んだ訳じゃないじゃない……」
「……で、でも、お坊ちゃん、どう説明するんですか? 誰も入れない部屋の中でご主人様も正冶郎お坊ちゃんも死んでいたんですよ?」
「そ、それに関しては、俺にも理解出来ないが……」
正一郎は困惑した顔で云った。
「このお屋敷を漆喰で塗り固めてしまった事で、あかしゃぐま様が出て行かれてしまわれて、この家で不幸な事が起こってしまったんですよ、ほらご主人様の弟さんの時も…… ご主人様がご病気になられてしまった件に関しても……」
富子は蒼褪めた顔で言及した。
私はその主人の弟という人物の話が気になり質問してみる。
「そ、その御主人様の弟さんという方は、一体どうなさったんですか?」
富子は震える声で話し始める。
「この話は、先代のご主人様である寛一郎様がまだ生きていた頃に聞いた話でございます。そして、今のご主人様がまだ十歳程の年齢だった頃の出来事でございます」
「大分前のお話ですね」
「……御主人様には五歳程年の離れた弟様がいらっしゃいました。その弟様は、いつも病気がちで体の弱かったご主人様と違って、とても活発なお子さんだったと聞いています。その時分から戦争が激しくなってきてしまい、先代のご主人様である寛一郎様が、家が焼けるのを避ける為にこのお屋敷を漆喰で塗り固めてしまったようなのです。今のこの屋敷を見て頂ければ解るように、そのお陰でかなり重厚な物になりました」
富子からゴクッと生唾を飲み込む音が聞こえてきた。
「……しかし、それから三ヶ月程した頃、その弟様が妙な事を口走るようになったらしいのです……」
「妙な事?」
「ええ、妙な事をです。それは…… あかしゃぐま様が居なくなってしまった。あかしゃぐま様が居なくなってしまった。と何度も何度も繰り返すように……」
「た、確か、そのあかしゃぐまというのは、この家を守ってくれているという精霊のようなものでしたよね」
私は最初にその名称を聞いた百合子の方へ視線を向ける。
百合子は小さく頷いた。
「は、はい。そのあかしゃぐまと云うのは漢字で赤赤熊と書きまして、正確には四国の方に伝わる人家に住み着く赤い髪の子供のような妖怪だと云われています……」
百合子が搾り出すように声を発した。
「四国に伝わる妖怪なのですか? しかしながら、それがなぜこの伊賀の藤林家に?」
「実は私共藤林家は元々は四国の伊予の国が出身なのです。豊臣政権下で藤堂高虎が伊予の国今冶を任された頃に臣下化したと……。その藤堂高虎が江戸期にお国替えとなり、伊勢の津及び伊賀の国の国司として任ぜられました。それに伴い私共藤林家も戦国末期から江戸初期頃に四国からこの伊賀の地に移り住んできたと云われています。その際にあかしゃぐま様も一緒に参ったと……」
「ああ、確かに藤堂高虎は今冶を支配していた時代がありましたね……」
私は納得気味に頷いた。
「……しかしながら、とすると家の引越しに伴って、家に付いていた妖怪も一緒に引越しをしてきたと云うのですか?」
私は不思議に思い聞き返す。
「ええ、古い話ですから私も詳しい事は解りませんが、父からは家の引越しに伴ってあかしゃぐま様も一緒に伊賀の地に参ったと伝え聞いております」
「いずれにしても、家に幸せを齎してくれる妖怪が、家の引越しに伴い一緒に引っ越し先に付いて来てくれるなんて、余程藤林家に幸を齎したいと思ってくれているみたいですね」
「本当にそうなら有難い事ですけどね……」
百合子は薄く笑って答えた。
「……しかしながら、赤い髪の子供の姿とは随分面妖な姿なのですね?」
「赤い髪をしているだけでなく、それが獅子の鬣のように長く広がっていると聞いています。よく戦国武将で兜に白い毛や赤い毛を付けた者がいるでしょう。若しくは歌舞伎の演目の連獅子で赤い髪を振り乱して踊っているのを見たことがあるかもしれませんが、あんな感じの髪をした子供だと云われています」
「ああ、あの赤い毛の……」
私は思い返しながら納得した。
「……ところで、私の記憶では、座敷童子は夜中に糸車を回す音を立てるとか、奥座敷で御神楽のような音を立てるとかと聞いたことがありますが、その赤赤熊様は何か特徴的な振る舞いをしたりするのでしょうか?」
私は座敷童子と似たような存在だと聞いたのもあり、座敷童子の逸話を持ち出し問い掛けてみる。
「……赤赤熊様は、座敷童子などと同様に住み着いた家は栄え、いなくなると没落してしまうという云い伝えがあります。赤赤熊様の場合は夜になると仏壇の下から現れ眠っている人の足を擽るなどの悪戯を働くと云われていますけど……」
「夜中に足を擽るのですか……」
私は腕を組み唸る。
そしてしばし熟考した後、私は再び富子の方へ視線を戻した。
「……それで、そのあかしゃぐま様が居なくなられてしまったと、弟様が何度も仰られていたと云うのですか……」
富子は頷いた。
そして、先程の続きを口ずさむ。
「……弟様が、あかしゃぐま様が居なくなられてしまった。と、何度も仰られはじめてから間も無くして、弟様が行方不明になってしまわれるという事件が起こりました」
「ゆ、行方不明ですか?」
「ええ、その頃から弟様は様子が少々変だったと聞きます。夢遊病のようで、起きていてもいつも眼が空ろで、何度も何度もあかしゃぐま様が居なくなってしまった。あかしゃぐま様が居なくなってしまったと云っていたというのです」
緊張しているのか富子からまたゴクッと生唾を飲み込む音が聞こえてきた。
「そして…… その三日後の朝、弟様は井戸の底から遺体となって発見されたと……」
「そ、そんな事が……」
私は驚きでそれ以上声が出てこなかった。
「やっぱり、このお屋敷を漆喰で塗り固めてしまった事であかしゃぐま様が出て行ってしまわれて、それで不幸が訪れるようになってしまったんですよ、も、もしかしたら今回の件は、あ、あかしゃぐま様が抑え込んでいた怨霊か何かが刀を持ち出し、それを正治郎様の寝ている背中と、ご主人様の腹に突き立てたのでは……」
富子は震える声で訴えた。
「……富子さん、もうお止めなさい」
見かねた母親が、厳しめの声を上げた。
「…………」
富子は口を噤んだ。
「とにかく警察が調べているんだ、警察に任せるしかないよ……」
正一郎が制するように呟いた。




