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序章

 車窓には駿河湾が広がっている。


日差しが強いせいか海がとても青くみえた。また海面に照り返す陽光がキラキラと輝き、とても美しい景色を作り上げている。

 ふと、座っている席から通路を挟んだ反対側の車窓に目線を移すと、視界に頂上付近に白い冠雪がのる富士山の雄大な姿が飛び込んできた。


 田子の浦に うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける 


 万葉集におさめられた山部赤人の和歌である。意味は、駿河湾に面した現在で言う所の富士市の海岸、田子の浦に出て仰ぎ見ると、真っ白な富士の高嶺に雪が降り続いているというもので、富士山の美しさを歌ったものだ。


 今まさに私の心境もそんなところだった。どうやら奈良の昔から今日に至るまで、富士山の美しく感慨深い姿は殆ど変わっていないらしい……。


 昭和五十八年春、高度経済成長も真っ盛り、東海道新幹線も走っている中、私は東海道本線でのんびり名古屋を目指していた。帰郷というとおこがましいが実家に帰る為に三重に向っているのだ。ただそれは単なる帰郷だけではなく取材も兼ねての旅行でもあった。小説の題材の取材を兼ねた旅行でも……。


 実は私は小説を書いている。


 そしてそれを生業としている。


 つまり小説家だと云う事だ。


 一昨年の冬に、私はとある推理小説の文学賞に応募した。横溝正史先生の大ファンであった私は、横溝先生の作品に感化され、古い因習の残る村での殺人事件を書いてみた。その作品が一次選考、二次選考を通過して、なんと最終選考にまで残ってくれた。そして驚くべき事に、その作品が評価され賞を取るに至り、私は推理作家の仲間入りを果たしたのだ。


 成りたいと願っていた作家になれて私は大いに喜んだ。しかし、その賞を取った小説は私的には不本意な帯が付けられて販売された。


 世紀末の女金田一耕助が書いた推理小説現る。という帯が……。変な文章だった。


 世紀末の女横溝正史現る。ならば少しも変ではないし身に余る程光栄な紹介帯だと云える。

 私は女だから女横溝正史と云う部分も別に変ではないし、昭和五十八年は西暦で云う所の一九八三年だから、やや早いとはいえ世紀末と云ってもあながち間違いではないように思われる。


 では、何が変かと云うと、女金田一耕助か書いたと云う部分が変なのだ。


 金田一耕助シリーズは横溝正史先生が書いた代表作だ。だが金田一耕助は小説の中の探偵であり金田一耕助は小説を書いてはいない。正確に云うと金田一耕助シリーズは一番最初の本陣殺人事件と二作目の獄門島辺りまでに関しては作品中の作者が人から聞いた話を纏めて小説にしたという体を取ってはいた。そして八墓村では舞台である田冶見家の跡取りとして呼び戻された寺田辰弥の一人称という体を。


 只いずれにしても金田一耕助は主人公であって小説家ではない。金田一耕助は小説など一切書いていないのである。


 賞を取り、最初に出版社の担当にあった時に、私はとんでもない事を云われた。それは、君は金田一耕助に似ているね。とである。


 初対面の人にいきなりそんな事を云われ私は唖然とした。


 基本的に女性が男性に似ていると云われて喜ぶ事は稀である。正直な所を云えば私は金田一耕助が好きである。作品のファンであるから金田一耕助に愛着もある。しかし似ていると云われると顔を顰めてしまう。それに金田一耕助は架空の人物だ。誰も実際に見た事も会った事も無い筈である。どうして似ているなどと云えるのだろう……。


 そして、そもそも作品の中の金田一耕助の描写はこうである。


 ――雀の巣のようなぼさぼさな蓬髪で、人懐っこい笑顔が特徴。しかし顔立ちは平凡。体躯は貧相で、服装は皺だらけの絣の単衣に着物と羽織に、よれよれの袴を履き、形の崩れたお釜帽を被っている。


 悪魔が来たりて笛を吹くに於いては、その蓬髪を掻き毟り、ふけを飛び散らせ、ヒロインである美禰子にハンケチで口を押えさせ尻込みさせた位である。まあ人懐っこい笑顔は良いとして、容姿服装は正直残念な感じだ。そして、その容姿、服装に女の私が似ていると云われたのだ。嬉しい訳ないだろう。


 確かに私は天然パーマだった。その上長髪であるから雀の巣のような頭に見えなくない。多少O脚気味なので脚線美にも自信がないから、いつも長めのドレープ付きスカートを履いている。そして、担当さんと会った日は組み合わせが悪く茶色いスカートに茶色いカーデガンを羽織っていた。そして…… 天然パーマのもじゃもじゃの髪を抑えるべく地味な色のチューリップハットを……。


 実際の金田一耕助はお釜帽というものを被っていたと描写されているが、そのお釜帽というのは下がチューリップみたいになっていない深めの帽子だ。それが、形が崩れくちゃくちゃになっていた。と表現されていたので、一般的な金田一耕助の印象はチューリップハットに近いイメージになってしまっていた。


 結構二枚目なご面相をした担当が、睥睨気味な視線で私を見ながら云った。君はコスプレでもしているのか? と。


 私は首を激しく横に振る。


 あっ、失礼。そうか、そういうつもりだったのか、いやいや、そこまで考えてくれていたとはね、あはははは、これはいいぞ。女金田一耕助が書いた推理小説登場か。話題性バッチリじゃないか。


 と担当は気が付いたような顔で云いながら高らかに笑った。


 えっ、ち、違いますって!


 それを聞いた私は目を大きく見張って、更に激しく手と顔を横に振った。


 しかし手遅れだった。


 その姿のまま著者近影。その写真が本の表紙のカバー裏に載せられる事になってしまった。私は納得がいかず仏頂面で写っていた。白黒写真という物は恐ろしいもので、現代の染色で作られた洋装というのもあり、私自身はそこまで似ていないだろうと思っていたのに、出来上がった写真は恐ろしいほど赴きがあり金田一耕助のイメージだった……。


 担当は自信満々な顔で云った。ふふふ、これは売れる。と。


 私はそんなので売れたら世話ないと思った。


 が、しかし、私の予想に反して小説は結構売れた。


 そして売れると同時に作家女金田一耕助こと金田美紀の名前は認知されていってしまったのである。


 因みに金田美紀と云うのは私の本名である。奇遇な事に金田までは一緒だった。

 担当はペンネームとして金田一耕子という名前を押してきていたが、私は頑なに本名でお願いしますと頼み込んだ。結婚を控えたうら若き女性であるから、これ以上女金田一耕助のイメージを強めたくなかったからだ。


 それにしても耕子は酷い……。


 しかしながらこの扱いは一体何なのであろう? 何故こんな嫌がらせを受け続けるのだろうか? この二枚目担当は根がサディストのような性質なのであろうか? 


 そんな酷い扱いをされ続けた私は散々思い悩んだ。そして、結果、納得出来る一つの答えを導き出した。


 ……そうか、きっとこの担当は私の事が好きなんだ。小学生とかで自分の好きな子につい意地悪をしてしまうあれであると。


 こんな私を……? 


 睥睨しながら女金田一耕助だと云い続けた私を……?


 いずれにしても紆余曲折を経て女金田一耕助と云うコピーを付けられた私は作家として認知された。 


 そして、その女金田一耕助の書いた二作目を期待されるようになってきたのだった……。そんな訳で、私は二作目の舞台として書こうと考えていた実家の傍にある伊賀の町を取材しようと向かっているのである。

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