お兄ちゃんの変態!
「お兄ちゃーん、そろそろ起きなよー?」
あたしは階段の下から声を張り上げた。毎朝のことで、お兄ちゃんは朝が弱い。どうせ昨晩もまた遅くまで何かやってたんだろうけど。
お兄ちゃんが下りて来るのを待たずに、あたしは台所へ急いで戻る。弱火にしていたけれど、フライパンを放置しちゃってたんだよね。フライ返しを差し込んでみる。うん、焦げてない。
ちょうどチン、と鳴ったトースターから食パンを取り出すと、焼きあがった2枚のパンに目玉焼きをそれぞれ1つずつ乗っける。今日の朝ご飯も上出来だ。……え? 食パンに目玉焼き乗せただけでも、朝ご飯デスヨ? 朝から和食なんて手をかけてられる時間はない。こちとら多忙な高校生なんだから。
ダイニングテーブルに食パンの乗ったお皿を置いて、ついでにコーヒーまで淹れてあげたところで、ボッサボサの頭をしたお兄ちゃんが姿を現した。
――――全裸で。
『裸族』という言葉を初めて知ったのは、小六の時だった。
1コ上のお兄ちゃんが、いきなり「オレはラゾクになる!」と宣言し、以来、家の中では裸でぶらぶらするようになったのだ。お母さんが止めるのも聞かずに、家の中では全裸という姿勢を崩さなかったお兄ちゃんは、ある意味、偉い。だけど妹としてはエラいことしてるな、と冷めた目で見るしかない。
「おー……はよーす」
「おはよう、お兄ちゃん。とりあえずパンツぐらい履けよスカタン」
「……っ! 朝イチで妹から罵られる! 今日もイイ朝だ!」
ぼんやりしていたお兄ちゃんの顔が、いっきにシャキッとした。ついでに満面の笑みだ。この変態め。と、今度は心の中で罵る。
「今日もいつも通りのワンパターン朝食だな」
「当たり前なこと言わないでよ。十五歳の家事能力に無茶振りだし」
「あるだけ重畳ってな。いただきます」
あたしもお兄ちゃんの向かいに座り、「いただきます」とトーストに取り組む。付けっぱなしのニュース番組は、二流どころのお笑い芸人に二人目の子供が生まれたことを報じていた。
「あ、ナナ。オレ今日、ちょい遅くなるわ」
「え。今日の夕飯はお兄ちゃんが当番だよね」
「そこまでは遅くなんねーよ。でも、買い物してくれねぇ?」
「……しょうがないなぁ。あとで買う物メールしてよ?」
「さんきゅ」
あたしとお兄ちゃんは、この無駄に広い一戸建てで二人暮らしをしている……というと語弊があるけれど、でも、実際にそんな感じだ。お父さんは仕事の関係で数年に一度は勤務先が変わってしまう。しばらくは単身赴任をしていたけれど、お兄ちゃんが高校入学したのをきっかけに、母が父について行った。月に3、4回ぐらいは母もこっちに来るけれど、基本的には離れて暮らしている。母が言うには「あんたたちより、お父さんの方が頼りないから心配なのよ」だとか。仕事はできるのだけれど、家事能力が大問題らしい。何しろ食洗機に衣料用洗剤を入れてしまうような人だ。他にもアイロンをかけようとしてワイシャツ1枚をダメにしたり、紙パック式の掃除機を紙パックを付けないで動かしたり、武勇伝に事欠かない。
そんなお父さんの血を引くあたしたち兄妹だけど、幸いなことに家事センスは受け継がれていない。まぁ、お父さんは、家事にそもそも興味がないからなぁ。センス以前に知ろうとも考えようともしないのが問題なのよね。
朝ご飯を食べ終えたあたしは、キッチンであら熱をとっていた弁当箱にフタをすると、巾着袋に入れた。少しでも自由に使えるお金を増やそうと始めた弁当作りだけど、最近は慣れてきたおかげでそれほど苦じゃない。もちろん、冷凍食品のお世話になっているけれど。
「じゃ、あたし先に出るねー。お兄ちゃんのお弁当はコレ」
「おう。さんきゅ」
「買い物メモ、送るの忘れないでよね」
「あー、オケオケ」
コーヒーをすするお兄ちゃんを置いて、あたしは二階に小走りで上がる。エプロンを外してカバンを掴み、スマホの充電コードを引っこ抜く。
タタタンとリズムよく階段を下りると、まだダイニングにいるお兄ちゃんに声をかけた。
「それじゃ、いってきます。いい加減に服着なよアンポンタン」
「おう、いってらっしゃい」
普通の挨拶を返した直後に「行きがけに罵倒とか……!」なんて悶えるお兄ちゃんを放置してあたしは玄関を出た。うん、今日もいい天気。そしてお兄ちゃんは今日も変態。
―■―□―■―
「ナナー! 数学の宿題見せてっ♪」
「鈴音、またなの?」
「だって、ナナのノート見やすいんだもん」
「自分でやるって発想はどこに行ったの?」
「えぇ? やってるよ? 答え合わせをしたいだけ」
同じクラスの鈴音は、理数系が苦手過ぎて笑えないレベル、らしい。そう言っても、この高校、実は県立高校の中じゃ上から数えて五指に入るほどの進学校だから、破滅的というほどじゃないはず。……はず。ただ、進学校というだけあって、授業の進み方が早いのがいけない。あたしも優秀な家庭教師(=兄)がいなければどうなってたことか。たぶん鈴音と同じように化学のモル数あたりで脳味噌パーンってなってたかもしれない。うん、進学校って怖いね。
「佐中ぁ、オレにも見せてくんね? 出席番号が今日だから、当たる可能性大なんだわ」
声を掛けて来たのは同中の城田だった。この学年で同中出身はこいつだけ。ついでにあたしのお兄ちゃんのことを知ってるのもこいつだけだった。
「別にいいけど、城田、丸写しはだめだかんね」
「しねーよ。確認するだけだっつの」
鈴音と顔を突き合わせて、あたしのノートを覗き込んでいる様子はちょっとだけ微笑ましい。何しろ城田は鈴音が気になって仕方ないんだから。心の中では、見合い仲人歴十年のやり手おばさんみたいな顔でニヨニヨしながら、それでも表情には出さずに横目でチラ見に留めておく。
「ナナ、宿題の問3なんだけど、わかった?」
「あぁ、これは―――」
また他のクラスメイトに声をかけられた。たぶん、数学の宿題を開いているのが目に入ったんだろう。確かに問3はクセがあったなぁ、と思いながら解説のために問題集を開く。
「ナナって数学得意だっけ?」
「うんにゃ? 逆にちょっと苦手かな」
「すごいね。それでも解けたんだ」
「あー……、ちょっとお兄ちゃんに教えてもらって」
「へぇ。お兄ちゃん頭いいんだ」
「篠原ぁ! 佐中の兄貴は完璧超人なんだぞ」
待て。どうして鈴音と頭を寄せあっていた城田が話に入って来る。あ、鈴音が写し終わったんだ。あっそ。それで城田も、無理にあたしのノート見る姿勢をする必要がなくなったと。
「え? そんなに有名な人なの?」
「オレらの中学じゃ知らないヤツはいなかったね。成績優秀・スポーツ万能・コミュ力上等・ウケも取れる、憧れの先輩だったさ」
待って。どうして城田がそんな偉そうに話すのよ。
「それなのに、……佐中ぁ、どうして先輩は、あんな高校に行ったんだぁぁぁっっ?」
「はいはい。うるさいから黙ろうね。で、問3なんだけど」
まぁ、あのお兄ちゃんを知っている人間からすれば、城田みたいに思うんだろう。
城田が言うほど、実の兄を完璧だとは思えないけれど、確実に学力はあるお兄ちゃんが選んだのは、あたしと同じ県立高校というカテゴリながら、偏差値は下から数えて十指に入る工業高校だった。お父さんもお母さんも猛反対したんだけど、そこはお兄ちゃんの粘り勝ち。「お前の人生なんだから、やりたいようにやりなさい」というお決まりの文句を口にしたお父さんは、後でこっそり「ナナ、お前は普通に進学してくれよ。でないとお父さんの頭皮が大変なことになるかもしれん」なんてあたしに言って来た。大丈夫、もうテッペン薄くなりつつあるから、なんて真実は告げられなかった。
「佐中ぁっ!」
「城田、うるさいって」
中3の夏までは、今あたしが通っているこの高校を志望校に選択していたお兄ちゃんだったけど、クラスメイトの学校見学に無理矢理引きずられて行った先で、何か新しい扉を開いちゃったらしい。まぁ、裸族になった時点ですでに扉は1つ開かれているんだけど。
それが、今お兄ちゃんが通っている工業高校だ。座学中心の進学校じゃなく、実技中心の機械科の課程に心を射抜かれてしまったと本人は言っていたっけ。ただ、そんな高校に行っても、頭の良さはキープしているところは、さすが変態と思わなくもない。
来年は受験だからと試しに受けてみた模試の成績が奮っていたらしく、予備校から「うちの生徒になりませんか」というスカウトが来たと言っていた。授業料半額&模試で上位に名を連ねる度に図書カードがもらえるんだとか。生徒をスカウトなんて本当にあるんだ、なんて暢気に話を聞いていたけど、よくよく考えたらすごいことなんじゃないか、と思わなくもない。まぁ、裸族だけど。
―■―□―■―
「ナナってさ、お兄ちゃんと二人暮らしなんだよね?」
「え? お母さんは普通に帰ってくるよ?」
「城田があんなふうに言うんだから、やっぱイケメン?」
「……へ?」
お昼を食べながら鈴音にそんなことを言われたもんだから思わずつまんだ卵焼きが投身自殺を図ってしまった。落ちた先が弁当箱だったから良かったけれど、そうでなかったら惨事だよ。
「え? って、ナナのお兄ちゃんなんだから、顔もいいんでしょ?」
「ごめん、鈴音。文脈が分かんない。あたしのお兄ちゃんだからって、いうくだり」
「だって、ナナって顔悪くないじゃん。美人って感じじゃないけど、清楚系?」
「ごめん、鈴音。やっぱり意味分かんないよ」
正直に言おう。友達から「顔悪くない」と言われて、どう返したら角が立たないのか分かんない。ついでに言うと、あたしの学校生活の7割は外面でできている。
考えても見てほしい。だって、小学・中学と城田が言ったような完璧超人の兄を持つ妹として学校に通っていたんだよ? どうしたって比べられてしまうのなら、妹として恥ずかしくないよう振る舞うか、評価をいっさい気にしないかのどっちかしかできないと思うの。それで前者を選んだあたしは少数派ではないと思うの。
「……ってことで、お兄ちゃんの写真とかないのかなー?」
「はぁ、そこに帰結するわけね」
あたしはスマホを操作すると、お兄ちゃんから送られて来た実習中の写真を表示させた。灰色のつなぎを着たお兄ちゃんとクラスメイトが笑いながら肩を組んでいるという謎写真だ。
え、どこが謎かって?
よくマンガとかドラマとかで出てくる構図だと思うよ? そこは否定しないよ?
でもさ、誰が撮ってんの?
どういう流れで肩なんか組んじゃうの? お互いのパーソナルスペースとかどうなってるの?
あたし、考えすぎなのかなぁ。
「え? この中のどれ? なんかめっちゃいるんだけど」
「うん、お兄ちゃんのクラスメイトらしいよ。授業中に撮ったんだって」
「ツナギで授業?」
「工業系の高校だから」
あ、鈴音が引いた。
うん。分かる。女子が男子を見るポイントってあるよね。
小学校低学年~中学年あたりまでは、笑いを取るようなおもしろい子が人気あってさ、高学年あたりになると、運動神経がいい子にキャーってなるの。中学校になると、そこに学力が加わってくるんだよね。
別に工業系の高校がどうのってわけじゃないんだけど、うちの高校に通っている生徒の特色になるのかな。何か、一定以下の偏差値の高校に通ってるって聞くと、一気に冷めるっていうの。
「えっと、城田が言ってた完璧超人っていうのは」
「きっと幻想だと思うよ」
よし、何とか煙に巻くことができた。
なんてホッとしていたら、少し離れた席で同じくランチタイムだったはずの城田がいつの間にか寄って来ていた。
「佐中ぁ……、実の兄に対してひどくね?」
そのセリフにはイヤな予感しかしない。どうして城田はうらめしそうにあたしを見るのよ。
「オレっち知ってんだからな。先輩、こないだS予備校の模試受けてたんだろ」
「は?」
ちょっと待って。なんでそんなこと知ってるのよ。あたしだって模試を受けるなんて当日に聞いたのに。
「隠せると思ったんだろ。甘い甘い! オレS予備校通ってるからな!」
「偉そうに言ってるけど、こないだのテスト、あたしよりヒドかったわよね。特に古文」
「うるせー! オレの話はいいんだ! 古文なんて人生に必要ねーし! とりあえず先輩の話だよ、先輩の!」
ちっ、話をそらせなかったか。まったく、鈴音が気になるからって、昼休みまでこっちの話を何げに耳ダンボにして拾うのもどうなのよ。
「同じ予備校に通ってる部活の先輩から、記載ミスじゃねーのコレ?って話フられた時は、まさかと思ったけど、佐中先輩だったら納得だぜ」
「城田、もったいぶらずに結論だけ言ってよ」
鈴音の反応が思った以上にドライだったので、城田が慌ててエヘンと張っていた胸を元に戻した。
「予備校でやってた模試の成績上位者の中に、佐中先輩の名前があったんだよ」
「えっ? でもそういう模試って全国でやってるんじゃないの? 全国レベルで成績上位ってこと?」
「そーゆーことー!」
だからどうして城田が偉そうなんだって。おかしいでしょ。
「なのにどうしてウチとか受けてないの?」
「さぁ? でも実習三昧で毎日楽しそうに学校行ってるよ?」
実習があった日の夕食タイムは、お兄ちゃんのトークショーになっちゃってるからね。こんな機械を使ったとか、あやうく寸法間違えそうになったとか、クラスメイトがバカやったとか。
「まぁ、大学もまた工業系に行くとか言ってたし?」
「えぇ!? 先輩もう志望校決まってんの?」
だから、どうして城田がウチのお兄ちゃんのことをそんなに気にするのよ。……おもしろそうだし、いじるか。
「ねぇ、鈴音。中学時代の1コ上の先輩をここまで気にかけるって、何か裏があると思わない?」
「えー? あぁ、カタカナ2文字で表すアレ?」
「そーそー」
おぉ、さすが友。流れを分かってくれるね。
不穏な流れに気がついたのか、城田が「え?え?」ときょときょとしているのがまた、面白い。
「「ホモくさい」」
あたしと鈴音の声が見事にハモった。顔を見合わせて笑い合うあたしたちに、ようやく言われたセリフの理解が追いついた城田の顔が真っ赤になる。
「てーめぇ、ナナナぁ! 佐中先輩の妹だからって、言っていいことと悪いことがあんだろ!」
「お兄ちゃん関係ないし! ってか、ナが多い!」
「お前なんてナナナで十分だ!」
そう。今更だけど、あたしの名前は佐中七菜という。読み方はサナカ・ナナ。初対面であたしの名前を読んだ人は必ず「ななな?」と首を傾げる漢字なのよね。
別に親を恨むわけではないけれど、ちょっと一言物申したい漢字ではある。そこは否定しない。
「ねー、鈴音? 人の名前もきちんと読めない男ってどう思う?」
「え? サイテー男の話?」
鈴音はあたしの考えていることを、ちゃんと読んでくれるから、こういうふうに振りやすい。しかも、結構鋭い刀を持っているから尚更だ。
ほら、意中の人に切られた城田が、さっきまで喚いていた口を閉じて顔を赤くしている。……あれ、悶えてる? 城田はドMなのか。それを眺める鈴音は、なんだか楽しそうだ。こっちはドSか。あたしは被害に遭わないように城田を毎回イケニエに捧げることにしようっと。
「ねー、鈴音。気付いてるよね?」
「何が?」
「ん、はぐらかすんだ、そこ」
「だって、おもしろいじゃない」
あ、やっぱり鈴音は城田の気持ちに気付いてるんだね。その上で刀でざっくり切るんだ。ほんとドSだわ。
―■―□―■―
「とはいえ、花の女子高生なのに、たまにつらくもなるわよねぇ……」
いつもの近所のスーパーで、夕方四時からの特売卵を手にしたあたしは、ふぅ、とため息をついた。
元々、部活に熱くなるタイプではないけれど、バイトぐらいしたかったかな。家事にどうしても時間がとられるから、バイトの時間を捻出できない。別にお小遣いが足りてないわけじゃないけど、社会勉強的な、ね?
「ある意味、これも社会勉強か。最近、葉物野菜高くなったなぁ……」
無事に卵をゲットできたので、入り口の方に向かって野菜を物色する。お兄ちゃんからの買い物メモを察するに、今晩はホイコーローみたいだ。キャベツをカゴに入れながら、他の野菜も流し見する。あ、ほうれん草がちょっと安い。お弁当用に買っておこう。
「あら、ナナちゃんじゃない」
「……米川さん。こんにちは」
面倒な人に見つかった。もう、お兄ちゃんがあたしに買い物頼まなかったらこんなことにはならなかったのに。
「相変わらず偉いわねぇ。今日も自分で料理作るんでしょ?」
「はぁ……」
「まったく、ウチのアキラもナナちゃんや六郎くんを見習ってくれればいいのに。毎日毎日部活で、朝早く出るし、お弁当作るこっちの身にもなって欲しいのよね。きっと洗濯だって妖精さんがやってくれるとしか思ってないのよ。ドロドロに汚してくるんだから。泥汚れってなかなか落ちなかったりするのよ?それは元々野球しか能のない子だけどプロになって食べられるほどできるわけでもないんだからちゃんと勉強だって力を入れて欲しいのに本当に男の子ってイヤぁね。六郎くんは別よ?ナナちゃんと交代でご飯作ってるんでしょ?このスーパーでも時々見かけるから知ってるんだから。本当に二人とも偉いわよね。アキラも少しでいいから見習ってくれればいいのに。そうそうアキラと言えばこの間ラブレターもらったみたいでね。いつの間にか色気づいちゃってもうおかしいったら……」
このマシンガントークである。
あ、六郎というのはお兄ちゃんのこと。アキラというのは米川さんちの長男であたしと同学年。聞いての通りの野球バカで、野球の強い高校に進学していった。部員の多い野球部の中で、レギュラーを取るために日夜部活に励んでいる五分刈り男子だ。こないだ夏祭りで出くわしたときは、思わず頭をショリショリと触らせてもらった。不満な顔もせずに触らせてくれたいいヤツだ。
「やっぱり高校生になると恋愛とかに興味を持つものなのね。オバチャンも若い頃はこんなに甘酸っぱい経験したかしらって思ったけどでも思い返してみるとあったかもしれないようななかったかもしれないようなナナちゃんもやっぱりコイバナとかするのかしら?ウチは女の子がいないからそういう話ができなくて寂しいのよ」
「あ、すみません、米川さん。あたし、今日は早めに帰ってご飯仕掛けないといけないので」
「あぁら、ごめんねナナちゃん。引き止めちゃって」
「いえいえ」
まったく話を聞かない、ということはあたしの外面ネコが許さないので、適当なところでバイバイさせてもらった。
お肉のコーナーで豚バラ肉をゲットすると、ついでに安かった鶏肉も明日の夕食用にカゴに入れて、お兄ちゃんが1日1パック消費してしまう牛乳をボコボコンとカゴに2本入れる。重い。
(こんなことやってるから、二の腕に妙な筋肉がつくのかな)
体育の時間、鈴音に指摘されたことを思い出してちょっと憂鬱になる。確かにスポーツをやっているわけではないのに、あたしの二の腕はちょっとムキっとしちゃっていた。2、3日に一度はこうして3キロぐらいの食材が入ったエコバッグを持ち運ぶんだから、筋トレに近いものがあるかもしれない。お米を買うときなんてもっと重いし。
別に自分の境遇を嘆くわけじゃないけど、ちょっとネガティブになるときだってある。
ま、妹に買出しに行かせたお兄ちゃんが帰って来たら、ひとしきり罵倒してストレス解消しよう。この点だけは変態なお兄ちゃんとウィン・ウィンの関係を築いている。
―――と思っていた日に限って、お兄ちゃんの帰りがハンパなく遅くなるのはどういうことだろう。
仕方なく、メールで連絡してきた帰宅予定時刻に合わせてジャジャッとホイコーローを炒めながら悶々とする。グリーンサラダにオニオンドレッシングを和えて馴染ませ、大根と油揚げの味噌汁も既に完成済みだ。後はお兄ちゃんが帰ってくるのを待つだけ。
(やだなぁ)
あたしはこの時間が嫌いだ。
一人でご飯を作って、家の中に一人で誰かを待つ。絶対に一人でご飯を食べたりはしない。テレビを相手にご飯を食べても美味しくないのは検証済みだよ。大人しく変態が、じゃない、お兄ちゃんが帰って来るのを待つ。
ガチャ、カタン
玄関のドアが開く音がする。
ここで重要なのは、主人の帰りを待つ犬よろしく玄関まで出迎えてはいけない、ということだ。決してお兄ちゃんの帰りを心待ちになんてしてないんだから。
「おかえりー」
「おう、ただいまー。悪い、ナナ。埋め合わせはするからさ」
「期待はそれなりにしておくよー。それよりお腹空いたからさ、早く着替えてきなよ」
「おう、脱いでくるからちょっと待て」
着替えて来いと言っているのに、脱ぐ一択しかないお兄ちゃんは、そろそろ風邪でも引いた方がいいと思うんだけど、これが不思議と引かないんだよね。バカと変態は風邪を引かないんだろうか。
「おまたせー。うぉー、腹減ったー」
全裸な兄が階段を下りてくるのを待って、炒めなおしたホイコーローを皿に移す。
「ちょっと、お兄ちゃん、帰ってから手ぐらい洗ったんだよね?」
「ん? あー、洗ってねぇわ」
「洗え」
「いやでも、ご飯……」
「バイキン口に運ぶ気か、料理作ったあたしにも材料作った農家の人にも失礼だから洗えこの病原菌」
「うっ……! ナナがいつになく切れ味のいい罵倒を!」
「喜ぶな変態兄」
ニヤニヤしながら洗面所に向かった兄を見送ったあたしはサラダを盛り付ける。うん。思う存分罵倒したから、ちょっとスッキリした。
ご飯と味噌汁をよそっている時にリビングに戻って来た兄は、何故か小さな袋を持っていた。……なんだろう?
「あー、お腹と背中がくっつくぐらい空腹だわー」
「お兄ちゃん、それ何?」
「え? あぁ、メシの後でな。いただきまーす」
ぱふん、と箸を持って手を合わせたお兄ちゃんは、猛然とホイコーローに取り組む。
仕方がないので、あたしも食べ始めることにした。
「今日は随分と遅くなったんだね。実習で何かあったの?」
「あぁ、ちょっと工作機械使わせてもらってた」
「ふぅん?」
あれこれ作るのを全然苦にしないこの兄のことだ、また何か思いつきで作ったんだろう。前回作ったのは実習で出た端材を集めたお茶運び人形だったか。江戸時代のからくりを再現とか何とか言っていたけど、仕組みは再現しても外見を取り繕っていなかったから、骨組みだけの異様な物体だった。ちゃんと動いたけど。ちなみに、あまりに異様だったので、フリマで見かけたタコのぬいぐるみをちょこっと解体して上からかぶせてみたら、妙にウケたお兄ちゃんによって学校に持って行かれてしまった。タコにしたら可愛かったのに、至極残念だ。
「あー、肉うめー」
「そういうこと言ってると、お兄ちゃんって男子高校生って感じだよね」
「オレ男子高校生だけど」
「裸族の変態が男子高校生なんて自称するもんじゃないと思う」
「……っ!」
あ、悶えた。分かりやすい。やっぱり変態だ。
この変態っぷりを学校で城田あたりに暴露したらどんな反応を返してくれるんだろう。それはそれでやってみたいけど、あたしの被害も大きそうなんだよね。うん、やめとこう。
「ナナ」
「んー?」
お兄ちゃんが改まってあたしを呼んだのは、食後にお皿を洗い終えた時だった。
「はいこれ」
「……これ?」
台所に立つ時だけはエプロンをするお兄ちゃんに渡されたのは、食事の前に気になっていた袋だった。え? 裸エプロン? 変態兄の裸エプロンに需要があるわけない。
「開けてみな」
「うん」
中身を手のひらにコロン、と出してみると、それはスチールか何かが複雑に絡み合ったバレッタだった。
「実習で出た廃材で作ってみたんだけど、どうかな」
「……お兄ちゃん」
確かに廃材で作ったとは思えないほど綺麗だし、ちゃんとバレッタの止め具もくっついてる。及第点を上げたいところだけどね。
「これ重い」
「え」
「付けたら髪抜ける」
「あ、あぁぁぁ~~~……」
どうやら重量のことがスコンと抜けていたらしい。ブローチだったらまだ許容できたかもしれないが、頭に付けるには、ちょっと毛根に優しくない重さだった。
がっくりと台所の床に膝をつくお兄ちゃんを見下ろして、さて、どう罵ってやろうかと考えて―――ふと、思った。
妹に罵倒されて喜ぶ変態なこのお兄ちゃんが、あたしから好意的な言葉をもらったら、どう反応するんだろう、なんて。
ただ、毎日、挨拶のようにお兄ちゃんを罵っている身としては、すんなりそんな言葉なんて出ない。うう。あたしも残念な妹だなぁ。
「ナナ? どうした?」
「う、うぅん? あの、ありがとうね、これ。可愛いよ?」
あたしの誉め言葉に、少しは浮上したのか、お兄ちゃんがようやく立ち上がった。少しだけ眉を下げるその表情は我が兄ながら、カッコ可愛い。
「……そうか。よかった」
「うん、その、それでね?」
あー、好意的な言葉ってどんなの? ねぇ、どんなの? あまり人を誉めたりすることが苦手なあたしはボキャブラリーがないんだよ。
「お兄ちゃん、大好き」
「っっ!!」
ガタ、と後ずさりしたお兄ちゃんが背中をドアにぶつけた。ちょっと痛そう。
「ナナ、が……デレた!」
手で口元を押さえて、顔をだらしなく緩めたお兄ちゃんは小さい声で「何これ、この妹、めっちゃ可愛いんだけど!」なんて呟いてる。いや、呟くと表現するには声が大きい。
ただ、そこまで純粋に喜ばれると、逆に恥ずかしくて、こっちも対応に困る。困った挙げ句に出て来るのは、もちろんいつもの塩対応だ。
「お兄ちゃん、その顔キモい。っていうか、いい加減、股のものぐらい隠しなよ」
「ナナが! 持ち上げて落とす高等テクを……!」
逆だったら小悪魔なのに!何この凶悪な生き物!なんて喚くお兄ちゃんは安定の変態だった。
でも、あたしのために作ったバレッタを渡してくれたとき、一瞬だけかっこ良く見えたなんて、言わない。
ついでに言うと、本当は、工業系の実習目当てなら、もう少し離れた国立の高専だって行けたのを知ってる。でも、それだと、あたしが一人になる時間が多くなるからって、今の高校を選んだというのも知ってる。お兄ちゃんがそれを隠したがってるから言わない。
妹の罵倒に悶える変態で。
その妹のために学校に居残ってバレッタ作っちゃう行動派で。
家の中は全裸で過ごす裸族で。
妹に勉強を教えられるぐらいに頭が良いくせに。
あぁ、仕方ない。こんな兄でも、あたしは妹だし。
妹なんだから、たまにはお兄ちゃんに「大好き」の一言ぐらいかけてあげるのが義務ってもんだよね。
「ナナ! もう一回! もう一回だけデレを!」
「妹に全裸見せ付ける変態のくせして何言ってんの」
悶える兄を横目に、そんな恥ずかしいこと連呼できるわけないじゃん、と呟いた。