時を手にいれたい
時を手にいれたいと思ったことがある。それはどうしようもなくくだらない理由だった。
かつて、親戚の葬式に行ったことがある。特別によく会っていたわけではなく、会うたびにお小遣いをくれる人程度の認識だった。
曾祖父の葬式は幼すぎてわからなかった。
親戚の葬式のときはだいぶ大きくなり、自覚があった。
この日から、死というものを身近に感じ始めたのである。
しばらくして、私はある事件を見た。さらに大きくなってからだった。
何とも言えない無力感。何も救えなかった自分と、儚く散っていく命。
正義の味方じゃあるまいし。尤もな意見だ。警察でなければ医者でもない。自分は命を守る人間でも救える人間でもない。
ただ、自分は無力な存在だと見せつけられた。底のない闇に沈む感覚が怖かった。
ちょうどそのころ、世間ではホラーブームだったように思える。テレビでは幽霊だ怪現象だと騒いでいた。
別に幽霊は怖くない。怖いのは自分が死ぬことだ。真っ暗なところに落ちてしまうことだ。
親に泣きついたことがある。死ぬのが怖いと。親はそれを、当たり前のことだと言っていた。
誰もが怖いのは自分が自分だとわからなくなるとき。意識を失えば怖い、鏡がないのも怖い。眠りにつくのも怖かった。
ある日、何を思い立ったのかずっと眠ろうとしなかったことがある。
流れていく時を、一秒も逃すまいと秒針を見続けた。
毛布で体を包み、ひたすらに時計とにらめっこをしていた。
十二時になって、一時になって、二時になって。
ここでふと、時間は止まるものではないのだから、この行為は無意味なことだと思った。
だが次に、知らぬ間に流れる時が怖いと思った。
だから一秒たりとも逃すまいと、改めて決意して目を開いた。
刻々と過ぎる時間。勉強もせず、読書もせず、ゲームもせず、電話もせず。
やがて、夜が明けないのではないかと思えた。
時間は確かに過ぎているのだからそんなことはないはずなのに。
怖かったはずの闇がそこにある。それが終わらないのが急に怖くなった。
時間を逃すことよりも、ずっと。
気づけば寝ていて、起きて外を見れば空は明るかった。
なんだこれ、と思った。毎日繰り返していたことが、こんなにも当たり前だったことが、すごく嬉しかったのだ。
そして思ったのは、時間を手にいれようなんて無駄なこと。
一秒を胸に刻むより、自分を一秒に刻みたい。
これから逝く人たちへ。あなたたちが刻んだ一秒を忘れません。ありがとうございます。
これから生きる人たちへ。共に一秒を刻みましょう。ありがとうございます。
いまここに生きる人が、できること。
私から私へのメッセージを、みなさんへ。