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六人目の仲間

 辺りはすっかり暗くなっていた。月明かりが仄かに辺りを照らしている。照らしてはいるがとても儚い。風でも吹けば光の粉が吹き飛んで、真っ暗闇になってしまいそう。

 お互いの顔もぼんやりとしか見えない。あなたはだあれ。顔のぼやけた闇の世界は声だけが頼り。けれど声も本物かどうか。闇の答えは信用ならない。隣の隣は一体誰か。分からないから、闇は怖い。

「あなた、一体誰よ!」

「え、私? 七海だって」

 明るい声。親しげな、昔からの知り合いの様な。でも、

「誰だよ」

「え、何言ってるの? 冗談はやめてよ、友達でしょ」

 まるで聞いた事の無い声。聞いた事の無い名前。薄らと見える姿も、見覚えは無い。

「……幽霊?」

「ちょっとやめてよ。ホントに怖くなってくるじゃん。私は七海だって」

 迫真の声音。けれど誰もその声を知らない。親しげに縋りついてくる声に誰も応えられない。口を閉ざし、答えを返さず、みんな息を潜めている。

 声の主もそれに気が付いたのだろう。誰も応えてくれない事に。これ以上は無駄と分かったのか、黙り込んでしまった。

 静寂が下りる。心臓の鼓動が激しくなる不快な静けさが満ちた。

 虫の音も聞こえない。風の音も起こらない。ただただしんとした月明かりの下で、六人は黙り込んだままお互いを見つめて立ち尽くした。

 ぬらりとした濡れる様な白い光が辺りに降っている。何もかもが止まっていた。

 やがて風が鳴った。すぐにそれは風ではなく、七海が立てる擦れた笑い声だと知れた。七海の笑いは少しずつ大きくなって、そうして元気よく言った。

「なーんだ、ばれちゃったね」

 乙恵が不気味そうに一歩退いた。反対に陽菜が一歩進み出る。

「で、あんたは誰だよ」

「だから七海だって」

「それじゃあ、分かんねえよ」

「あなたはこの世界の人?」

 高圧的な陽菜に任せてはおけないと、月歩が質問を接いだ。

「さあ、分からないなぁ」

「あんたなぁ」

 怒気を発し始めた陽菜の肩に、月歩の手が置かれた。

「分からないっていうのは、教えたくないって事?」

「違くて、私って何なのか良く分からないんだよね。この世界で生まれたんだろうけど、そういう記憶が無いし」

 七海の言葉は酷く曖昧だった。月歩はしばらく考えてから尋ねた。

「良く思い出せないの?」

「うーん、多分、生まれたばかりなんだと思うけど」

「生まれたばかり」

 月歩が身を固くした。生まれたばかりという事はつまり自分達が生み出してしまったという事か。この世界の風景や家の様に。

「ほら五分前仮説の話してたでしょ。そんな感じ。私はみんなの友達として生まれたんだと思う」

「友達?」

「そう。みんなの事知ってるよ。陽菜ちゃんが喧嘩しに行った時に私も参加したし、佳乃さんとツチノコ探したし、月歩さんが小学校の頃迷子になった時に私も探しにいったし、乙恵ちゃんが本を破って泣いちゃった時に私も一緒に直したし、アニューゼと一緒にアニューゼのおばあちゃんの昔話を聞いたし」

「わたしまで知ってる?」

「勿論! 一昨年イタリア旅行した時に会ったじゃん!」

 誰も七海の事を知らない。誰も会った事が無い。それなのに向こうには記憶があり、会った事があるという。実際にそうなのだろう。嘘でも何でもなく、七海の記憶にはしっかりとその事実が刻み付けられているのだ。あくまで七海の中では。

「それで、目的は何?」

 月歩が静かに問いかけた。七海はにやりと笑った。闇で見えないが、そんな雰囲気があった。泥沼へ誘い込む様な不気味な笑いを浮かべた気がした。

「道案内。私はこの世界で生まれたんだから勿論この世界の事を知ってる。だから道案内。行く先を案内してあげる」

 かさついた笑い声がした。

「何処へ案内するかは私の勝手だけど」

 言外にまともな所へ案内する気は無いと言っている。友達を装って異世界の深みへと引きずり込む。そんな怪物なのだろうか。

 ふと佳乃は冷え切った自分の肌に気が付いた。もう夏だというのに。目の前の少女が、少女の形をしたものが、とても恐ろしかった。

「さあ、どうする? 私と一緒に行く?」

 陽菜が前に出た。一歩一歩歩いて七海の元へ向かった。

「オッケー。勿論、一緒に行くよ」

「ふふ、それじゃあ、連れて行ってあげる。あの世までね──って、おい!」

 七海が手の甲で何も無い空間を打った。完璧なのりつっこみだった。場の空気が弛緩した。

「何でそう安請け合いしちゃうの。もっと考えて行動しないと」

「考えてる考えてる。案内してくれるんだろ?」

「あのね、私の話ちゃんと聞いてた? どう考えても危険な匂いを孕んでたでしょ? 絡新婦的な大人の危うさが有ったでしょ?」

「だって友達なんだろ」

「違うでしょ! いや、違くないんだけど、違うでしょ! だって陽菜ちゃんは私の事知らないんでしょ?」

「でも、友達だろ? 知らなくたって、もうあたしとあんたは友達さ」

 けらけらと陽菜が笑った。

「もう……友達?」

「そうさ!」

「陽菜ちゃん!」

 七海が両腕を広げ、感極まった声を上げた。

「七海!」

 それに呼応して、陽菜もまた両腕を広げ、感極まった声を返した。

 月の光を頼りに二人は駆けより、そうして飛びついて、お互いを抱きしめた。

 呆気にとられた四人を前に、七海と陽菜は明らかに嘘泣きだと分かる泣き声を上げて抱き締め合った。しばらくして離れ、陽菜が四人に向かって言った。

「はい、じゃあ、感動のシーンも終わったし、ご飯食べよっか」

 そう言って陽菜は家屋へと戻り、七海もそれに続く。月歩も続いた。恐る恐る乙恵も。アニューゼも続き。最後に混乱の渦中に居る佳乃は混乱したまま皆に続いた。

 佳乃が家に入ると、もう皆は座布団に座っていた。見れば、乙恵の前にある弁当だけがひっくり返って中身が散らばっている。悲しげな顔で座る乙恵に、七海が自分のお弁当箱を差し出した。

「ほらほら。私の分けてあげるから」

「あ、ありがとう……ございます」

「そんな他人行儀に言わないで。友達でしょ?」

「う、うん、ありがとう」

 乙恵は竦んでいる様だが、表情には笑みが浮かんでいる。七海を見る他の三人の表情にも不振の色は無い。佳乃には理解出来なかった。

 皆が自分達の弁当を少しずつ乙恵へと分け与えていく。佳乃も席について、自分の弁当を分けた。そして食事の挨拶をして、夕食が始まった。そこで佳乃は我慢がならなくなった。

「ちょっと! どうしてそんな平然と事が運んでるの? 明らかにおかしいでしょ?」

 佳乃の激昂に陽菜と七海が顔を見合わせた。そうして二人同時に、

「だって友達でしょ!」

と言って、笑い合った。更に腹立ちを募らせた佳乃を見ながら、陽菜がにやけ面をした。

「実際問題、何がまずい訳?」

「何がって」

「だって、七海は私達の事を友達と思って、これから道案内をしてくれるって言ってるんだよ?」

「でも、友達だって言われても……おかしいじゃない! 私達はその子の事何も知らないのに」

「こっちが知らないってだけでしょ。別に七海が私達をどうこうしようとしてるなんて言ってないじゃん」

「あの世に連れて行くって」

「それは冗談だよー」

「ほら、こう言ってるし」

「それだけじゃなくて、嫌じゃないの? 相手の事何も知らないのに、友達なんて」

「ほら、旅行先で友達を作るみたいな感じで良いじゃん」

 佳乃は七海を見た。直接的な危機は無い。ただ佳乃の知っている過去と七海の知っている過去がずれているだけ。それが何か佳乃に危害を加えるかと言えば、即座に危険につながる事は無い。だが不気味なのだ。

「まあ、不審に思う気持ちは分かるけど、佳乃、あんたさぁ、こいつがそんな奴に見える訳?」

 そう言って、陽菜が七海を指した。七海は両手を前に組んで祈る様な恰好で潤ませた瞳をしていた。ただ口がミートボールをかみつぶす為にもごもごと動いていた。そうして飲み下した。

 苛ただしいが、悪い様には見えない。電灯の元で見れば、明るく染めた髪に快活な表情をしていて、隣に座る陽菜の姉妹の様にも見え、とにかく化け物の様には見えない。確かにどこまでも普通の少女で、危険はまるで感じない。

「悪い人ではなさそうだけど」

「なら良いじゃん。案内してくれるって言うんだし」

 こくこくと七海が何度も頷いた。合間にきんぴらごぼうを取って、器用に口に放り込んだ。

「あなた本当に案内してくれるの」

「信頼してよ! 友達でしょ!」

 明るい笑顔を向けられて、それ以上何も言えなくなって、佳乃はそこで追及を止めた。


 食事を終えると月歩と乙恵が疲れを訴えたので、押入れにあった布団を敷いて、六人は一つの部屋に集まって寝た。寝る時にエアコンを付けるか付けないか。タイマーを設定するかしないか。の論争が起こり、結局、タイマーを設定する事に決まった。だからエアコンの利いている今はとても涼しく快適だった。寝苦しいなんて事はまるで無く、静かな寝息を立てて安らかに眠りに落ちた。

 電灯を点けておくか消すかでも論争があった。多数の反対を受けて陽菜の意見は退けられて電灯は消えている。涼しい闇が部屋に立ち込めている。しんと固まった様な闇の中で、もぞりと布団が動いた。そうして月明かりを頼りに器用に人の合間を縫い、外に繋がる扉を開けた。

「何処に行くの?」

 後ろから声が掛かり、扉を開けた影は振り返って答えた。

「ちょっと夕涼み」

「黙って何処かに消えようとしてたんじゃないの?」

「相変わらず、つっきーは鋭いなぁ」

「私の事はそう呼んでたの?」

「ううん。今、初めて呼んでみた。いつもは月歩ちゃん」

「そうだよね。さっきまでそう呼んでたし」

 月歩も立ち上がって危なげに人を飛び越え、外に踏み出した七海に従って外に出た。肌に染み入る様な暑気が纏わり付いて来た。

 いつの間にか備え付けられている木製のベンチに七海が座った。七海の隣に月歩も座り、ゆっくりと夜気を吸った。体中にねばりつく様な温かさが染み渡った。不快なのだが、何故か心地よかった。

「やっぱりつらいんだよね。みんなあなたの事憶えてなくて」

「憶えてないんじゃなくて、知らないみたいだけど」

「でも七海さんにとっては憶えていない、でしょ?」

「まあね。ちなみに月歩ちゃんは私の事、七海ちゃんって呼んでくれるんだけど」

「そうじゃあ、七海ちゃん、私が七海ちゃんの立場だったら多分、性質の悪い冗談だと思ってた。七海ちゃんはそうは思わなかった?」

「まあ、思ったっていうか、まだ少し期待してるけど」

「ごめんなさい」

「良いよ。でもこの世界の知識がぼんやりとあって、それで分かったんだ。ああ、私は元のあの世界の人間じゃないんだなって」

「そっか」

「でも、そのおかげでみんなを案内してあげられるからあながち悪い事だけでも無いかもね」

「辛く……無い、訳ないよね」

「ちょっとね。でも、これからまた新しい関係を築けるならそれはそれで面白いかも。みんな私の知ってる通りの良い奴等で良かったし」

 月歩が言葉を詰まらせ、何とか詰まった言葉を吐きだした。

「凄いね。もしも私があなたの、七海ちゃんの立場だったら」

 ふと陽菜を思い浮かべた。もしも陽菜から忘れ去られていたら。

「多分生きていられなかったと思う」

 七海は直ぐには答えなかった。月歩はまずい事を言ったと思った。実際に悲嘆に暮れる七海に対して、何て傲慢で無神経な事を言ってしまったんだろう。そう思ったが、謝ったらもっと悪い気がして、何も言えなかった。

 しばらくして七海が言った。

「多分月歩ちゃんは勘違いしてる」

 月歩がその意味を飲み込めずにいると、七海が続けた。

「それは嫌われた場合じゃない? もしくはみんながまるで知らない人になってたり。もう二度と仲良くなれなかったらの話。でも今の私の状況は違う。みんな私の知ってる通りの人達で、みんなやっぱり優しくて私の事を迎えてくれそう。だから大丈夫」

 そうだろうか。その言葉は強がりの様にも聞こえた。本心か強がりか。月歩には判別できない。

「まあ、よしのんは信用してくれなくて、ちょっと刺々しいけど、昔からあんなんだし、明日になったらちゃんと優しくしてくれると思うし。問題無し! 夕涼み終わり!」

 そう言って、七海は立ち上がった。少し声が震えていた。気がした。

 家の中に入ると、エアコンの冷気が肌を刺した。冷たく凍えそうな寒気だが、すぐに慣れる。

 七海が布団に倒れ込んでタオルケットに潜り込んだ。月歩はその隣の布団に横になって、そうしてぼんやりと七海を見た。タオルケットから手がはみ出ている。衝動的にその手を掴んで呟いた。

「友達だから。これからずっと」

 言ってから、何の意味も無い言葉だと思った。何故なら七海は一度そう信じていながら裏切られたのだから。

 それでも握った手が強く握り返された。それだけで、月歩は何だか救われた気がした。まだ会ってほんの僅かの相手に懐かしみを抱いている事に気が付いた。

「あたしもだよ!」

 ぼすんと音がした。眼を凝らすと、陽菜が七海の被るタオルケットの上に覆いかぶさっていた。タオルケットがしばらくもぞもぞ動いたかと思うと、中から七海が這い出して来て、苦しげな息を吐きはじめた。

「死ぬかと思った」

「お邪魔しまーす」

 陽菜は苦しがっている七海には頓着せずに、七海のタオルケットの半分を奪い取って、七海の布団の上に横になった。

「ちょっと、暑苦しい」

「まあまあ、友達じゃん。月歩も来い」

 辺りから衣擦れの音が連鎖した。皆が起き出したのだ。

「何をやってますか?」

 アニューゼが眠そうな声で聞いた。

「すりーぷとぅぎゃざー」

 ぶっきらぼうな陽菜の英語を聞いてアニューゼは首を傾げていたが、腕を引っ張られて七海の傍に倒れ込んだ。

「ほら、残りの二人も一緒に寝るぞ」

「あのね、この夏の最中に」

「良いから良いから」

 強引な陽菜の言葉に佳乃は溜息を吐いたが、あっさりと大人しく従った。次いで佳乃は七海の傍に寄って、何かを囁いた様だったが、何と言ったのか他のみんなには聞こえなかった。乙恵もずりずりと寄って来て、それぞれがタオルケットに包まって、世にも暑苦しい集団芋虫が出来上がった。とても滑稽でとても暑苦しくてとても微笑ましかった。月歩はエアコンのタイマーを消してから、その集団に加わった。

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