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不思議な世界の一つ前

 風が暑気を拭い去る。葉が揺れ、木が揺れる。風に撫でられて山がさわさわと鳴いている。

 鳴いている山の頂上、揺れる木に囲まれた山道で、陽菜達は自転車にまたがったまま今来た道を振り返って立ち尽くしていた。

 山から見下ろした光景は何処までも同じ色合いが広がっていた。何処までも真っ新な草原が眼下に広がっていた。

 在り得ない光景だった。

 さっきまで住んでいた町が消えていた。

 今の今まで登って来た道もほんの少し先でぷっつりと途絶えていた。二車線分のコンクリートが途中から伸び放題の野草に変わっていた。


「どういう事よ」


 誰に言うでもなく、佳乃が呟いた。それに答える者は誰も居ない。

 続いて道の反対、進行方向を皆で見た。そこには一昔、いや、二昔前の村落が待っていた。藁葺屋根の朽ちかけた家が列列と。それもまた在り得ない光景だった。


「一応、確認しとくけど、山の向こうにあんな村は無かったよな?」

「確認するまでも無いわよ。あんな電気も通って無さそうな村、この近くにある訳ないじゃない」


 眼下を見下ろし、後ろを見、辺りを見回し、陽菜と佳乃は困惑していた。乙恵はおろおろと二人の様子を見ながら泣きそうな顔で困っている。アニューゼは変容した世界にではなく、三人の不自然な様子に惑っていた。


「んー、何が、んー、トラブル、なのですか?」


 陽菜は少し考えてから笑って言った。英語の後に日本語を付け、アニューゼが日本語を習う助けになればという余裕すら見せて。


「WE、私達は、JUMPED、飛んだ、ANOTHE、別、PLACE、場所」


 アニューゼが首を傾けて、髪を揺らした。理解しようとしているが、理解出来ていない様だ。仕方が無い。言語の壁などよりももっと高い壁が阻んでいる。強固な常識の壁が。理解出来ないのは佳乃や乙恵も同じだった。


「あんた別の場所って言ったけど、まだ分からないでしょ。何か」

「道でも間違えたっつーの?」

「そうよ! 何処かで道を間違えて」

「あのな、山から見る一帯が見た事も無い場所なんだぞ。ちょっと道を間違えただけでこんな事になるもんか。道だって消えてるし」

「でも、だからって」


 佳乃が言い淀んでいる横から、乙恵が割って入った。


「すみません。きっとまた私が」

「違う違う。乙恵さんの所為じゃないって。あたし達が辿って来た道が一瞬の内に消えてたんだよ? 乙恵さん、道を消せる?」

「消せ……ないです」

「でしょ? 道を間違えたとか、勘違いだとかそんなんじゃない。勿論、誰かの悪戯なんて考えられない」


 四人は改めて山の下に広がる風景を確認した。ほんの十分、二十分前には存在していた町が消え、代わりに在り得ない野原と見た事も無い集落がある。更に自分達のやって来た山の斜面を見る。ほんの一分前まで走っていたコンクリート製の道路が荒れ果てた山の斜面に変わっていた。


「あたし達は、不思議な世界に、やって来た訳だ」


 陽菜は落ち着き払った様子で、まるで出来の悪い生徒に理解させようとする教師の様な笑顔を浮かべた。

 その表情に佳乃が疑問を持った。何故こいつはこんなにも落ち着いているのだろう。こんな訳の分からな事態に。


「ちょっと、あんた」

「みんなー」


 佳乃が追求しようとした時、のんびりとした月歩の声が聞こえた。無表情の月歩がラムネの瓶を持って、四人の元へと歩いてきた。


「おー、何処に行ってた?」

「お店が在ったから、そこで飲み物買ってきたの。みんな喉乾いたでしょ?」


 月歩が四人の手にラムネの瓶を握らせていく。瓶は露に覆われていて、握ると掌が冷たく湿った。


「お店? ちょっとその店は何処に!」


 店がある。人が居る。今のこの状況に説明を貰えるかもしれない。そんな思考が連なって、佳乃は月歩に詰め寄った。月歩は少し驚いてから、森の奥を振り返った。佳乃も月歩の視線の先を見たが、そこには何も無い森が続いている。店は見えない。遥か奥にあるのだろうか。


「あれ?」


 月歩が小さな声で呟いた。それを聞いて、佳乃は目の前が真っ暗になった様な気がして、ふらついた。


「あ、あの、何だか無くなっちゃったというか、初めから無かったみたいで」


 言い訳がましい月歩の言葉が佳乃を切り刻んでいく。つまり今の今まであった店が無くなったというのだろう。今確認した町の様に、道の様に。佳乃は自分の常識が崩れていく事を自覚した。段々とあやふやになっていく世界を知覚した。


「月歩、月歩」

「何?」

「無理に隠そうとしなくて大丈夫。それどころじゃないから」


 陽菜が辺りを指し示した。促されて辺りを見て、変じた世界を見て月歩はああと短く納得する声を出した。月歩が納得したのを見て、陽菜が肩をすくめた。


「またみたい」

「成程ね。道理で店主の人が狐の顔をしてた訳だ。お面じゃなかったんだ」

「何でそんな奴から物を買うんだよ」


 二人が気楽な様子で話し合っている。周囲が崩れている佳乃は二人の日常らしいやり取りを見て、何だか腹立たしくなった。


「ちょっと待って! 待ってよ! どうしてあなた達はそんなに驚かないでいられる訳? まるでこうなる事を知ってたみたいに」

「知ってた訳じゃないけど」

「ねえ」

「まあ、正直に言うと、良くこういう事に巻き込まれるから」

「うん、何だか私の周りでは不思議な事が良く起きるみたいで」


 佳乃の頭が混乱する。回って回って、取り留めも無く、連想が浮かぶ。それなら原因は。


「じゃあ、月歩さんが私達をここに」

「ち、違くて。私の周りで良くこういう事が」

「同じ事でしょ! 月歩さんの所為じゃない! 元の世界に帰してよ」


 佳乃が月歩に迫っていく。月歩は逃れる様に身を引いた。陽菜は呆れた様子でどうしようか算段をしている。アニューゼは言葉の壁でいまいち事態についていけていない。乙恵はまず異世界だとか不思議という言葉についていけない。


「ねえ、帰してよ!」

「月歩の意志で来た訳じゃないんだよ」


 困り切った月歩の為に、陽菜が助け船を出した。すると佳乃の矛先が今度は陽菜へと向かう。


「なら、帰り方は分かるの? ねえ!」

「そりゃあ、分からないけど」

「あんた、なら無責任な事──」

「帰れないんですか!」


 混乱する場に乙恵の悲痛な叫びが響いた。帰れないという現実的な言葉が出る事によって、乙恵の現実認識がようやく追い付いた様だ。今にも泣きそうな顔になっている。その泣き顔に勢いづけられた佳乃が陽菜を睨みつけた。陽菜は自分達の所為ではないと分かっていたし、責任があるとも考えていなかったが、それでも一握の罪悪感で眼を逸らした。その気弱げな態度が乙恵の不安を更に煽り、佳乃の怒りを燃やす。佳乃は怒りのままに、語気を荒げ、怒気を発して、陽菜に詰め寄ろうとした。その時、傍に立つ月歩がぽつりと漏らした。


「帰る方法分かるかもしれない」


 三人の顔が月歩へと向いた。陽菜が驚いた様子で、佳乃が希望を抱いて、乙恵が泣き顔のまま。それ等に遅れて、何となく話の進展を感じ取ったアニューゼもまた月歩を見た。


「佳乃さんが海に着くと何かがあるって言ってたでしょ?」


 月歩の視線を追って、三人の視線が佳乃へ向かった。佳乃は糾弾された気がして、急に弱々しくなって、打って変わった擦れた声を出した。


「言ったけど」

「もしかしたらその言葉が影響しているのかも」

「ど、どういう意味よ。私の所為だって言うの?」

「そうじゃなくて、だから海に行ったら元の世界に戻れるかもしれない」


 沈黙が下りた。やがて乙恵が小さく口を開いた。


「本当に帰れるんですか?」


 それに呼応して、佳乃が語気を強めた。


「それは本当なんでしょうね?」


 アニューゼは不思議そうな顔をしている。


「海に、行く、と、戻れる?」


 そう追求されると、単なる思い付きなので、月歩は自信が無い。勘だ。とはいえ、そこまで間違っているとも思えなかった。何となく不思議な世界には法則があって、こういう場合、直前の言動が強く作用している。事が多い。


「あ、あの、帰れると思う」


 多分、と付け加えようとしたところを、陽菜が遮った。


「帰れるんだよ、絶対に。だからとにかく海を目指そう。最初の予定通りに」


 月歩が陽菜を見た。陽菜は少しだけ怖い顔をして月歩を見返した。黙っていろという事だ。確かにここで弱気を見せては事態の収拾がつかない。


「本当なのね?」

「勿論」

「そうだよ」


 陽菜が自信を持った表情で、月歩はいつもの無表情──だがこの場合の無表情は自信を持っている様に見える──そんな二人の顔を、佳乃は少しだけ疑わしげに、乙恵は希望に縋らんとする泣き顔で、アニューゼは微笑を浮かべて見つめ返した。

 佳乃は疑わしげな表情のまま聞いた。


「海に向かうって言ったって、道が分からないじゃない」

「そうだな。だから、とりあえず、あの村に人が居るかもしれないし、行ってみよう」


 陽菜が山の下の村を指差した。誰も反対する者は居なかった。


 虫の音が聞こえてくる。蛙が煩わしげに鳴いている。烏の声も何処からか。早朝から約二時間。空は不思議な事に夕焼けに染まり始めていた。停滞する赤焼けた空気が異界を包む。逢う魔が時がやって来る。

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