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海へ向けて

「嘘でしょ」


 呆然とした短い呟きが佳乃の口から漏れた。月歩も陽菜も口にこそ出さなかったが、佳乃と同じ気持ちだった。

 運休と書かれた電光掲示板を三人で見上げていると、アナウンスが流れてきた。


『車両故障の影響で──』


 運転再開の見通しは立たないと言う。

「えー」と言う驚きの声が聞こえた。三人が振り向くと、汗を垂らして息の乱れた乙恵が掲示板を見上げて目を丸くしていた。その隣で乙恵を気遣わしげに見つめるアニューゼは何が起こったのか良く分かっていない様子だ。


「とにかく駅員に確認してみましょう」


 佳乃が駅員の居る場所を見た。他の四人もそちらを見ると、人だかりが出来ている。佳乃は臆さずに近寄っていった。四人もそれに続く。近付くと駅員の声が聞こえてくる。


「運転の見通しが立たず、今日中の復旧は──」


 絶望的だった。

 佳乃はそれだけ確認すると、その場を離れ、四人がまたそれに付いていく。携帯電話で何処かへと連絡している人々の間を通り抜けて、少し離れた場所で佳乃が言った。


「どうします? 電車を待ちますか?」

「遠回りしてでも行けねえの?」

「あの線が止まっていると、どうしようもないわよ」


 月歩が少し考えてから尋ねた。


「ならバスは? アウトレットまで行くバスに乗って行けば」

「無理ね。バスを下りた後、駅までかなり歩く必要があるし、電車も相当遠回りになるわよ。新幹線とか使って今日着くかどうか」

「どんだけ遠回りする気だよ」

「だから無理だって言ってるでしょ」


 陽菜と佳乃の間にやや剣呑な気配が漂い始めた。


「じゃあ、タクシーで行こうぜ」


 陽菜が冗談めかして言った。それは佳乃に喧嘩を売る為の言葉だと、月歩は直ぐに悟った。二人の間の剣呑な気配が更に高まる。


「あんたどんだけお金かかると思ってるの。そんなお金持ってないわよ」

「無いなら貸すよ?」

「借りを作るつもりは無いわ」


 月歩は静かに二人の間に割って入った。


「車は? 私のうちは両親が出掛けちゃったから無理だけど」

「あたしは家の力を借りるつもりは無い」

「私の家も出払ってるわね」


 三人の眼が乙恵へと向いた。喧嘩腰の二人を怯えながら見ていた乙恵は、自分にその眼が向いた事で、驚き固まった。

 固まった乙恵よりも先にアニューゼが答えた。


「車持ってないです」

「わ、わ、私の、うちも、あの、親は居るけど、でも、お兄ちゃんが車のってっちゃってて」


 五人が五人とも車を使えないと言う。ただその中で一人だけ仲間はずれが居る。


「陽菜さん、あなた、つもりが無いという事は、借りれるという事でしょう?」


 佳乃の声はあくまで静かに確認する様な声音だったが、明らかに挑発の意が込められていた。陽菜が佳乃を睨んだ。今まで以上に鋭く凶暴な目付きが佳乃を射抜いた。佳乃は驚いて、顔を後ろに引いたが、それでも堅固な意志を込めた眼だけは逸らさない。

 陽菜の睨みを直視できる人はあまりいない。それを知る月歩は呑気にも、佳乃さんは凄いなあという感想を抱いた。


「とにかくあたしんちも無理だ」

「ならどうするの? このままだと行けないじゃない」


 佳乃の食い下がる言葉を聞いて、陽菜は少し考えてから、面倒臭そうに息を吐いた。


「なら行かなくていいんじゃねえの?」

「は?」

「仕方ねえじゃん。今回は縁が無かったって事で」

「あんたねえ、クラスのみんなが集まる大事な日なのよ」

「別に昨日まで毎日集まってただろ」


 あんたは浮いてたから気付かなかったのかもしれないけど。口から出かける言葉を陽菜は何とか堪える。夏の暑さの所為か、陽菜の頭にはやけに血が上っていた。今にも酷い言葉を吐きそうな程。


「そういう事じゃなくて。特別な日じゃない。来年は受験だから、今年だけなのよ、一緒になれるのは」

「だから特別な日は今日だけじゃないっつってんだろ。別に今年だってまだまだ時間は沢山あるし、夏休みだって始まったばっかだろ」


 過熱していく。これ以上のぼせると、止められなくなる。月歩はそう判断して、陽菜の肩を叩いた。


「でも私は海に行きたいな。折角水着も買ったのに」

「あのなあ、だから夏は始まったばっかだぞ? 水着だってこれから幾らだって着れるだろ。何なら今からプールでも行くか?」


 陽菜は尚も主張を曲げる気はなさそうだ。月歩にも喧嘩腰である。だが声音は少しだけ和らいだ。

 陽菜の角が少しだけ取れた所に、追い打ちを掛ける様にすすり泣きが聞こえた。


「ごめんなさい。あたしが間違わなかったら」


 乙恵が顔を擦りながら嗚咽を上げていた。月歩とアニューゼの非難する眼が陽菜と佳乃へと注がれた。佳乃がそれを見て言葉を詰まらせ、陽菜は頭を掻いた。流石に泣いている傍で口喧嘩を続ける気は無い。


「あー、乙恵さんは悪くないって、だから、だから──分かった。行こう!」


 混迷極めた陽菜はそう叫んだ。佳乃があからさまに非難めいた視線を送った。方法はあるのかと問いかけている。だがそんな言葉で陽菜を責める事は同時に乙恵を責める事にもなるので、黙っていた。

 代わりに月歩が純粋な疑問でもって、尋ねた。


「どうするの?」

「アホか。あたし等には体と自転車があるだろ」


 陽菜が胸を張ってそう答えた。


「陽菜、本気?」

「勿論!」

「自転車でって、夜になるわよ?」

「泊まりだろ。夜に着いたって問題無いじゃん」

「なら電車を待ってた方が」

「今日動くか分からないんだろ」

「誰かの家の車が使える様になるまで待っても」

「それはいつになるんだよ」


 佳乃が陽菜以外の三人を順に見つめた。三人が三人とも首を振った。佳乃の強張った表情が陽菜へと向く。何か言おうとして、だが言えなかった。


「陽菜、道分かるの?」


 月歩の疑問を、


「分かるだろ?」


陽菜が佳乃へと渡した。佳乃は表情を強張らせたまま頷いた。


「なら決まりだ! 行こう!」


 陽菜が早足で駅の外へと向かった。四人はそれを追えずにその場で立ち止まっている。陽菜は早くも駅と外の境界に辿り着いて後ろを振り返り、四人が同じ場所で立ち止まっている事に気付いて、大げさな身振りで四人を呼ぶ。


「早く来いよ」


 まず月歩が動いた。続いて佳乃が、そうしてまだ眼を赤くはらした乙恵が歩き出した。最後に良く分かっていないアニューゼが「面白くなる、ですね」と言って続いた。

 アニューゼの言葉に三人が答えられないでいると、何故か遥か遠くで手を振る陽菜が答えた。


「その通り! 面白くなるぞ!」



 五人は自転車に乗って海を目指した。坂道を登りながら、佳乃が苦しげに言う。


「まずはあの山を越えないと」

「そっか、大変だね」


 月歩は顔だけは無表情だが、声を苦しげに歪ませて答えた。乙恵は既に死にそうな顔をしながら、必死でこいでいる。アニューゼは額に汗を垂らしながらも、ちらちらと心配げに乙恵の事を見て、けれども声を掛けられずにそのまま見るだけに止めていた。

 最前列を走る陽菜だけが元気な様子で辺りを見回しながら、快走している。


「何だか人通りが少ないな」


 そう言われて、月歩も辺りを見回した。確かに人や車の通りがやけに少ない。山が近くなったとはいえ、まだ人の生活圏内だと言うのに。


「何でだろう。夏休みだからかな」


 月歩の疑問を佳乃が否定した。


「夏休みなのは学生だけで、今日は平日よ。通勤時間なのに何でこんなに」


 道路だけでなく庭先にも人は居ない。絶好の洗濯日和だと言うのに、洗濯を干す人影も洗濯物の影も無い。


「まるで世界から人が居なくなったみたいね」

「世界に私達だけ?」

「そう。海に着くまで誰にも会えない。海には何が待っているのかしら」


 そこで佳乃ははっとした様子で顔を上げてから、少しだけ月歩へと目を向けて、それから恥ずかしげに顔を俯けて、自転車をこぐ足に力を込め始めた。月歩の隣を並走していた佳乃が少しずつ前へと進んでいく。

 佳乃さんて意外と夢想家なのかも。それなら気が合いそうだ。月歩もまた足に力を込めたが、佳乃に追い縋る事は出来なかった。

 後ろを振り返ると、死にそうな乙恵とそれを見守るアニューゼが追いかけてくる。その背後に続く道には、やっぱり誰も居ない。本当に世界から誰も居なくなってしまったかの様だった。


 自転車の起こす風が、夏の熱気を千々にする。汗の上を走る風が冷たく肌に染みる。だが日の光は段々と肌を焼き始めていた。

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