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初めの0歩

この小説は「Arcadia」にも投稿させていただいております。

 生徒達の熱のこもった視線が教師へと注がれていた。誰もがその口元を注視している。待っている。教師から出る言葉を待っている。


「じゃあ、お前等、怪我だけはすんなよ」


 ぐっと教室中の熱気が凝縮して、今にも爆発しそうだ。待ちきれずに体を浮かす者も居る。


「起立」


 一斉に椅子が後ろに押し出される。生徒達はいつもよりも強い調子で立ち上がる。


「礼」

「先生、さようなら」


「ら」の部分を教師が聞きとる事は出来ない。

 待ちに待った夏休みの到来は、生徒達の喧騒によって告げられた。


「終わったー!」

「早く帰ろうぜ!」

「宿題多くない?」

「どうせやらんし」

「夏休み予定あるの?」

「私、海外行くよ」

「浴衣買った?」

「帰りあそこの店のアイス食べようよ」

「痩せらんなかった。海行きたくない」

「あ、月歩さん。良かった、捕まって」

「どうしたの?」

「明日の海の事なんだけど」

「ボール取って、ボール」

「あ、図書室行かなきゃ」

「じゃあねぇ」

「また明日」

「遅れんなよ」

「ばいばい。あー恋人欲しい」

「無理だって、じゃあね」


 膨れ上がったざわめきは波が引く様に段々と消えていった。沢山の生徒が我先にと教室の外へ雪崩れていった。別れを名残惜しんでか、今日はいつもと違って少しだけ残る人数が多かった。けれどもほとんどの生徒は、学校を出なければ夏休みは始まらないと信じて、足早に階段を降りていった。

 陽菜と月歩もその一員だった。階段を駆け下りる生徒、談笑する生徒、嬉しそうな生徒、楽しそうな生徒、沢山の生徒達に紛れて、二人は下校していた。陽菜は周りの生徒達よりも遥かに楽しそうに。月歩は周りの生徒に反して全くの無表情で。


「明日の集合は山の丘公園駅集合だって」

「へーい」

「佳乃さんは何処だろう?」

「知らん」

「知らんじゃないでしょ。ちゃんと伝えないと」

「えー別に良いじゃん」


 不満げな陽菜を無視して、月歩は辺りを見回した。しばらく首を回していると、群がる生徒達の中から眼鏡を掛けたきつそうな女の子が目に入った。


「あ、居た」

「じゃあ、月歩行って来て」


 面倒臭そうに手を振る陽菜を掴んで、月歩は生徒を掻き分けてきつそうな女の子の元へと向かった。


「佳乃さん」

「あら、月歩さん。何ですか?」

「明日海行くでしょ? その集合場所を伝えに」

「伝言の順番は月歩さん、陽菜さん、私だった気がするのですが、何故月歩さんが私の所に?」

「陽菜ならここに」


 月歩が陽菜を差し出すと、佳乃は首を傾げた。


「あら視界に入っていませんでした」

「てめえ」

「それで集合場所というのは?」


 陽菜は仏頂面で黙った。その背を月歩が押した。


「ほら、陽菜」

「山の丘公園駅に五時半」

「山丘駅ではなくて、ですか?」

「そうだよ。文句あんのか?」

「いえ。ですが、山丘駅の方が近い上に、遥かに利便性が高い気がしますけど。どうせ山の丘公園から目的の駅へは山丘駅を通るのですし」

「あたしに言うな。あたしが計画したんじゃない」

「まあ、良いです。ありがとうございました」


 軽く頭を下げて佳乃は身を翻して群れの中に紛れていった。その後ろ姿を目で追いながら、陽菜が唸る。


「ほんとあいつはうざいな」

「正直、あんたの自業自得だと思うけど」


 陽菜は佳乃を嫌っている。佳乃も陽菜を敵視している。というのも、去年学級委員をやっていた佳乃が勝手気ままな陽菜に振り回されていたからであり、その後何かと陽菜の素行を佳乃が咎めていたからでもある。なので原因は陽菜にある。と月歩は考えている。


「ホント、はたから見てて佳乃さん大変そうだったもん」

「それは認める」

「ならあんた、謝って仲良くしなさいよ」

「それは嫌」


 まあ、そうでなくとも、佳乃はお世辞にも人好きのする性格ではない。お節介焼きでよく小言を言う。疎ましく思う生徒は多い。校則違反をしている生徒を廊下で呼びとめて注意する事もあるらしく、同級生だけでなく、後輩や先輩の中にも佳乃を厭う者が居るという。

 佳乃がクラスの人と仲良く話している場面はほとんど見た事が無い。何処かのグループに入っている訳でも無く、クラスでも浮いた存在である。

 月歩は控えめで割合真面目な方なので、佳乃に注意を受けた事がほとんど無い。なので特別悪い印象は抱いていない。むしろ厳格に己を貫き通す佳乃を好ましく思っている。だから仲良くなりたいのだが、何となく話しかけ辛く、話しかけてもあまり乗って来ないので、未だに仲良くなれないでいる。

 だから、


「明日海に遊びに行った時に、佳乃さんと仲良くなれたらなぁ」


と思う。陽菜はその言葉を聞いて、嫌そうな顔をした。


「あたしは嫌だよ」

「駄目。陽菜も仲良くなりなさい」


 陽菜は更に嫌そうな顔をしたが、月歩はそれを無視してどうしたら仲良くなれるかなぁと計画を立てはじめた。


 陽菜と月歩が校門を出てしばらく歩いていると、二手、三手と人並みは分かれ、人ごみはまばらになっていった。ようやく一息吐いた二人は、ふと前を歩く生徒が知っている顔である事に気が付いた。重そうに鉢植えを抱えながら、よたよたと歩いている。


「乙恵さん」


 月歩が呼び掛けると、乙恵はとても危なっかしい足取りで振り返った。声を掛けた人物を確認したい様だが、鉢植えから生えた朝顔の葉に邪魔されて前が見えずにわたわたと頭を左右に振っている。

 月歩と陽菜が危ないなぁと思っていると、案の定乙恵の手から鉢植えが零れ落ちた。


「あ」


 乙恵が声を発したのと、鉢植えが地面に付きそうになったのと、それを陽菜が足で器用に受け止めたのが同時だった。


「よっと。危ねぇぞ」

「え?」


 呆然とした様子で、足元を見た乙恵は、自分の鉢植えが陽菜の足の甲に乗っている事に気が付いて、ようやく何が起こったのかを悟った。慌てて陽菜から鉢植えを受け取って、弱々しく礼を言う。


「あ、ありがとう」

「どういたしまして」


 乙恵はもう一度礼を示そうと、頭を下げた。その拍子に鉢植えから土が零れ落ちた。


「あ」

「あーあ」


 乙恵が慌てて土をかき集め初めて、それに二人が加わって、三人で寄り集まって土を集めた。集め終えて鉢植えに移し終えると、乙恵は申し訳なさそうに謝った。


「ごめんなさい。私馬鹿だから」

「そんな事無いよ」


 月歩は無表情で否定した。陽菜の方は否定できずに黙っていた。ちょっと抜けているのは確かだ。


「あ、さっきは集合場所の伝言ありがとう」

「え? あ、ううん、別にそんな。それに、もしかしたら間違えて伝えちゃったかも」

「大丈夫だよ。それより、乙恵さん一人?」

「う、うん。友達と逸れちゃって」


 二人が何と返答しようか迷っていると、乙恵が声を上げた。


「あ! バスが着ちゃった!」


 見れば、丁度バスが停車した所であった。それに気付いた乙恵は危なっかしい足取りでバス停へと走っていく。今にも転びそうで危ない。


「おーい! 多分バス待っててくれるぞ!」


 陽菜がそう声を掛けると、「うん、でも」という微かな声が返ってきた。それに呼応して、バスから運転手が顔を出した。


「待ってるから、そんな慌てなくて良いよ!」

「あ、すみません」


 バスの運転手の言葉も虚しく、乙恵は恥ずかしそうに顔を赤らめて更に速度を上げた。そうして転んだ。


「あーあ」


 バスから何人かの乗客が飛び出て、乙恵を助け起こし、更に荷物を拾ってあげている。それに対して乙恵は終始申し訳なさそうに頭を下げて、やがてバスに乗り込んだ。

 その光景を見ながら、月歩が呟いた。


「転んじゃったね」

「ああ」

「でもバスの助けが入って良かったね」

「そうだな」

「助ける人の中にアニューゼ……さんだっけ? が居たね」

「ああ、居たな。やっぱ外人は目立つな」


 隣のクラスにイタリア国籍の赤毛の少女が留学生としてやって来ている。乙恵が転んだのを助ける人の中に目立つ赤毛が混じっていた。今も二人がバスの窓を見ると、その内の一つが夕日に照らされた様に赤く染まっていた。


「どんな人なんだろうね」

「前ちょっと話したけど、まあ、普通だったな」

「陽菜、イタリア語話せるの?」

「いや、そんなに。だから英語で」

「へえ、流石お嬢様。私は英語喋れないからなぁ」

「うっせえ。てか、そんなの気にすんなよ。あたしもあいつも英語は片言だったけど話せたぞ。完全に喋れないといけないなんて思うから、会話出来ないんだよ。あいつ、周りが余所余所しくて寂しいって嘆いてたぞ」

「うーん、頑張ってみるけど」

「あいつは日本語も少しは喋れるから大丈夫」

「凄いんだね。トリリンガル」


 バスが去っていく。何となく月歩は明日の海を思った。同学年のみんなで海に。その中には陽菜や仲の良い友達が居る。まだ仲良くなっていない同級生も居る。佳乃や乙恵、アニューゼ。仲良くなれる機会がある。それはとても楽しそうだ。皆で夏の最初を満喫する。何処かから潮の香りが流れてきた。そんな気がした。



「で、何で集合場所に誰も居ないんだ」

「私に聞かれても分かる訳ないでしょ」


 早朝、陽菜と月歩は駅員以外誰も居ない小さな駅に立ち尽くしていた。駐輪場に自転車が全く止まっていなかった瞬間から嫌な予感はしていた。不吉な予感はあっさりと当たって、駅前には誰も居なかった。


「やっぱ集合場所間違えたか?」

「かもね」

「連絡したいけど出来ないし」

「携帯忘れたのが痛手だったね。まさか二人とも忘れるなんて」


 悩む二人に声を掛ける者が居た。


「あなた達二人だけ? 他の人は居ないの?」


 佳乃だった。朝っぱらから眼鏡の奥の鋭い眼で辺りを見回し、その眼を更に細めて二人を見た。


「まさか、集合場所間違っていたの?」

「だろうな」

「あんたねえ!」

「いや、そう言われても、あたしは言われた通りに伝えただけだぞ」


 二人は睨み合っていたが、先に佳乃が視線を逸らした。


「まあ、いいわ。とりあえず、幹事に連絡しましょう」

「ありがとう。私達携帯忘れちゃって」

「私も持ってないわよ」

「え?」


 二人が訝しむ前で、佳乃は公衆電話へと向かい、手帳を取り出して電話を掛け始めた。


「すげえな、あいつ」


 しばらくして佳乃が公衆電話から出てきた。


「やっぱり山丘駅だったみたいね。とりあえずみんなには先に行ってもらったわ。ここからじゃ大分時間が掛かるし」

「おー、悪いな」

「元はと言えばあんたが」

「だからあたしは……あ、なあ、月歩」


 また険悪な雰囲気になりそうだったが、その寸前に陽菜が月歩の方へ向いた。


「月歩に伝言伝えたのって確か」

「あれ? 三人だけですか?」


 驚いた声が三人の外側から聞こえてきた。三人が一斉にそちらを見ると、乙恵が不安そうな様子で自転車にまたがっていた。三人の視線に晒されて、乙恵は一瞬震えてから怯えた様子で三人を順繰りに見た。


「もしかして、集合場所間違えちゃいました?」

「見事に」

「ご、ごめんなさい!」

「もしかして、あなたが集合場所を間違えて伝えたの?」

「すみません、すみません」


 気色ばんだ佳乃だったが、ひたすらに謝り続ける乙恵に、文句を言う気を無くした。


「もういいわよ」

「ああ、確かにそれは良いんだが、そっちは?」


 陽菜が乙恵の後方を見ていた。それに気付いた佳乃と月歩がそちらを見た。それから遅れて乙恵も振り返る。そこには赤い髪を汗で張り付かせたアニューゼが自転車に乗っていた。訝しむ四人へ向けて、アニューゼが口を開いた。


「私、良く聞けなくて、迷いました。その人を見つけて、付いて来ました」

「え? 全然気が付かなかった」


 ぼんやりと乙恵が驚いた。佳乃が溜息を吐いた。陽菜も吐き出しかけて、佳乃と同じ事をするのは癪だと思って我慢する。


「とにかく山丘駅に行こう。結局あそこに行かないと目的の駅に行けないし」

「そうだね。自転車取ってこよう」

「私も取りに行くわ」


 太陽の熱はまだ弱い。夏の朝特有の涼しく、しかし酷暑を予想させる風がすーっと五人の間を通り抜けた。焦る五人にその心地良さを感じる余裕は無かった。

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