2線〜遅いだけでは〜
「おはようございます」
「おはよー、みんなして何話してたの?」
「え、ああ……中学ん時の話です瑠美先輩」
「へえ?中学かぁ……」
「俺んちの母が勉強しろ、勉強しろって煩かったって話だけなんすけどね?先輩」
「俺たち小学校から同じで、ずっとコイツと一緒なんすけど、真樹夫んちのお母さんて、そんなに煩そうには見えなかったけどなぁ?」
「いや、煩いようちの母ちゃんは」
「ははは、もうみんな仕事が始まるわよ?もうホントおかしいんだから」
「は〜い、あれ今日は俺と一緒っすよね?瑠美先輩は?」
「そうね、北島くんと外回〜りぃ。で山崎くんは課長と……頑張ってねっ」
(はあ〜あ、いいよな北島は……俺も瑠美先輩と出掛けてみたいなぁ?)
少しだけ伝わるような海の湿気と、あの船の白い帆の匂いを運んでくるような爽やかな風。
こんな晴れた日に……太陽のような頭の課長とオフィスに取り残された真樹夫の心は、どんよりと梅雨入りを果たすのだった。
「はぁーあ」
ため息を吐きながら、小さな2人が信号待ちをしながら話す姿を見下ろす真樹夫。
「いつまでそうしてんだ?山崎」
「課長、たまには俺にも外回り行かせて下さいよ?」
「なら今度俺と行くか?」
「嫌です、俺も前山さんとがいいです」
「そうか、それもそうだな?」
窓ガラスから額を離し微笑む真樹夫。
「しかし諦めろ。北島を連れて行くのは瑠美の申し出だ」
(え!?それって——まさか)
横目で真樹夫の心を探る課長は、すぐに目を伏せてコーヒーを口に運んだ。
落胆する真樹夫。
椅子に落ちるように座り、デスクに顎をつけた。
◆◆◆
「ああ、ぜんっぜん勉強できなかったよぉ〜私。どうしよう、今日の試験平気かなぁ?」
「瑠美はいつもそう言うけどちゃっかりやってんもんな?」
「ああ、酷いっ!真樹夫、もしも落ちて私立高になったら、一生お母さんに嫌味言われるぅ。そう言う自分は?」
「俺かぁ……俺はバッチリ寝たさ」
「何それ?」
「え、いやお袋がさあ……」
◆
コンコンコン、ガチャ、
「何やってんの?アンタ」
部屋に入って来たのは母親の依子だった。
「え!?ゲーム」
「何で?」
「何でて、さすがに今日は誰も遊びに来てくんないから仕方なく」
「だったらせっかくなんだし明日のために勉強したら?」
「ん?もう遅いよ今更」
「何言ってんの?落ちても私立なんか行かせないわよ?」
「いいよ、落ちたら働くから」
「だ〜めっ、高校は行って」
「何で?」
「世間の目があるじゃない?」
「は……なんだそれ?」
「近所の人がまた何か噂するから嫌なの。早くやめなさいゲームなんて」
「ちょ、待ってもう少し」
「だ〜め、今すぐ」
「今最高記録!だからもうちょっと」
「消すわよ?」
「消したらえ〜とアレだババァ、かて……」
「なぁに!?家庭内暴力?しかし親に向かってババァか?このガキ」
言いつつ手にした菓子をボリボリと食べ出す依子だった。
「ああ、ここで終わりかぁ?」
「はいはい、お勉強、お勉強っ!」
「ちっ、ババァのせいで死んじまったぁ」
「人のせいにしないで早くホラ」
そして肘枕に寝そべりタバコに火をつける依子。
「て、何やってんだよ母ちゃんは?」
「お前が遊ばないか監視」
ズズズと持参したお茶を啜る。
「は?親父がテレビ独占してっからココに見に来ただけだろ?」
「何言ってんのアンタは、それだけじゃないわよ?あっちに居たらツマミを出せとか、挙げ句の果てにはラーメンて始まるから」
「いいじゃん別に作ってやれば」
「いやよ面倒くさい。自分は会社終わればそれでいいけど、私はエンドレスで家政婦モードよ?アンタ行って来なさいよ、私の代わりに」
「勉強はいいの?」
「は?ジジィが寝てからでもできるでしょ?」
「は?じゃあゲーム辞めなくて良かったよね?」
「そしたら私はテレビ見れないでしょ?何言ってんだかこの子は?」
「おい、ババァ?とうとう吐いたな?」
「まったくお前は親に向かって何度もババァ、ババァていい加減にしろよっ!」
「どっちがだ?」
しれっと、再びタバコに火をつける依子。
「あらドラマ終わっちゃった……真樹夫このゲームどうやってやるの?」
「は?ふざけんな」
「早く教えなさいよ。壊すわよ?」
「仕方ねえババァだなぁ……」
「またババァだと?ホントこのガキゃあ」
ゲームを立ち上げコントローラを渡す真樹夫。
「ねえどうやんの?」
「じゃあ最初俺やるから見てて」
「うん」
「コレでこうやって、こっちのボタンはこう」
「はは、上手いもんねぇ?そうやんだ?」
食い気味に画面を見入る依子に、ゲームをやめない真樹夫。
「早く代わりなさいよ?」
「あ?ホラ」
「いや、最初からにして」
「ここを押すとリセットされるから」
「じゃあ……ふん、ふん、ほら」
と、顎で教科書の方を指す依子。
渋々勉強机に戻る真樹夫。
「ああ、難しい。今度こそこのやろっ、このやろ」
「煩いババァだな?」
「はは、3000点いったよ真樹夫……て、アンタ何やってんの?漫画なんか読んじゃって」
「え、だって煩くて勉強なんてできないから」
「何甘えたことを言ってんの?」
ガチャ、
「何やってんだお前?」
「あ、アンタ……」
「息子の部屋で咥えタバコでゲームて……すげえなお前は?」
「アンタがテレビ独占するからでしょ?」
「いやもう終わったからラーメン……」
「いやよ、今忙しいもの……あ、真樹夫に頼んで、今は無理っ」
「真樹夫は明日公立の試験じゃないのか?」
「いいんだって〜勉強しなくても、担任が行けっつったから受かるはずだってさ?棚に味噌ラーメンあるから、真樹夫……やって来いっ」
「おいふざけんなよ、俺だって忙しいんだからな!」
「真樹夫……それは、そのお巡りさん面白いよな?」
「あ、あぁ、知ってんだ?コレ」
「はぁ、父ちゃんなぁお前が居ない時それ読んでゲラゲラ笑ってんだぞ。お前のベッドで」
「はあ?」
「依子、お前だってベッドで読んでそのまま寝てるじゃないか?」
「ああ〜?それホントっ面白れぇからね?」
「そうじゃないだろ?そんで今もそうじゃないだろ?両親揃ってさあ」
親ガチャに明らかしくじった真樹夫だった。
諦めて寝室へ向かう父の邦夫。
諦めず高得点を目指す依子。
真樹夫の未来はどうなるのか?
何れにせよ、真樹夫の現在はベッドの中だった。
「あ!?真樹夫なんで寝てんだ?おいっ」
「ぐ〜、ぐ〜」
背を向け寝息を立てるだけの真樹夫。
「お、やったぁ、真樹夫、真樹夫2万点行った。ねぇすごい?ねえ」
その点数を画面に残したまま、タバコを吸う依子。
その顔はご満悦に浸っていた。
「さ〜て、もっと上めざすかぁ?」
そして繰り返し、繰り返しチャレンジする依子は、
「あぁ、何だコレ……見たことないぞ?私はどこ行った?真樹夫?」
当然返事は返ってこない。時間もすでに2時を回っていた。
「もうこんな時間かぁ……」
とっくの昔に冷たくなったお茶を啜り、そしておもむろに立ち上がる依子。
真樹夫の寝姿に目をやり、ゆっくりと歩み寄る。
明日もある、風邪をひかないように布団をかけ直しに……
「おい、起きろ真樹夫!寝てんなアレは何だ?」
と、布団を剥ぎ取り真樹夫を叩き起こすのだった。
「何だよババァ、またかよ?」
「早くコレなに?」
「ショップだよ、何か買えんの」
「何それ?じゃあコレとか買うんだ?」
「うん、拾ったコインあるでしょ?アレでこうしてレーザーとか、エンジンとかつけて早く動けたり……」
「は?そんなのあんのか?」
「は、逆にショップも入んないでよくも6面までこられたな?風船とか飛んで来てただろ?アレが入り口だよ」
「はぁ、だってお前は自分以外は全部敵て言うから避けてたよ」
「そう?じゃ次からは入ってね。はいコレでまた再開すればいいよ。じゃあね」
「たく、ちゃんと説明しろよなガキが」
しかし、その格別な性能にテンション爆上がりの依子は、白々明けの頃までゲームを続けることとなったのだった。
◆
「そんなことがあったんだ?真樹夫は大変だったんだね?」
「まぁ、それでも寝られたからまだ良かったよ」
そして試験は終わり共に帰路へとつく2人だった。
めでたく合格を果たした2人、それに加え同じクラスとなった。
一緒に通い、時には共に勉強を教え合い試験に臨むのだった。
「あら、真樹夫くんいらっしゃい。いつもありがとうね、瑠美の勉強見てくれてあの子も喜んでいるわ」
「いえ、そんなぁ。僕も教わっているんで助かってます。それで瑠美ちゃんは?」
「あれ、聞いてない?今日はもう1人お友達が来るとかで……」
「ただいま〜。あ、真樹夫はもう来てるのお母さん?」
「おかえり……ああ、初めまして瑠美の母です」
「お邪魔します。僕は北島 公彦です」
「キミこっちこっち、真樹夫はもう来てるよ」
「分かったよ瑠美」
そう言って家の中でも手を取り合う2人だった。
ガチャ、
「真樹夫、キミも来たよ」
(え!?キミ?北島が……なんで?)
「よお山崎。いつも瑠美と勉強してんだって?」
「あ、あぁ、俺と瑠美は、、、北島、お前は何で……」
「ふふふ、教えちゃおっか?キミ」
「そうだね?山崎なら応援してくれるよ。俺の親友だから」
(高校入ってまだ知り合ったばかりだろ?北島)
「私の親友よ。しかも幼馴染だし!」
(親……ゆ、、う、、、俺は——親友?ならば北島は——)
思考が鈍り、虚な表情になる真樹夫。
それとは裏腹に笑顔の2人は今かと、カミングアウトの機を狙っていた。
顔を見合わせ大きく息を吸う2人……
「せーのっ……」
「開けるわよ?」
ガチャ、
ケーキと紅茶を運んで来た瑠美の妹がドアを開けた。
その時、堰切られたダムの水のように、勢いよく部屋から飛び出す真樹夫。
そこには筆記用具のシャーペンと真新しい消しゴムが取り残されていた。
瑠美への未練のように——或は無惨にも掻き消された文字のように無造作に置き去りに……
それから2度、桜が咲き……
そして2度、散った……
大学はみんな別の学校へと進んだ。
またそれから3度、桜が咲き……
そして2度、散った……
「ねぇ、真樹夫もっと飲んで」
「いや、紗代子さん俺もうこのくらいで……」
「まだダメよ、今日は付き合うって約束したんだからね!」
「ははは、紗代子珍しっ」
「ねぇ、紗代子が真樹夫を喰いにかかってるぅ〜。イエー」
そんな学生の花見の中、海に向かって歩く1人の女性。
「誰、あの子可愛いわね?うちの子じゃないわよね?」
「う〜ん、確かに見たことないわね?」
(アレは……)
「こんにちは、真樹夫久しぶりね?」
「やっぱ……瑠美」
「ええ、真樹夫の知り合い?」
「はぁ、幼馴染みで……」
「少し話せるかな?久しぶりに」
紗代子の顔色を窺う真樹夫の不安そうな目。
それを見て彼女の存在を知る瑠美。
「いいわよ、幼馴染みなんでしょ?」
渋々だが許可をもらい海へと歩く真樹夫。
先にベンチに腰掛けて待つ瑠美の隣へと腰を下ろす真樹夫。
互いに顔は見ない——フリをした。
桜の頃の海風は当然ながら冷たい。
冷たい酒に身体を冷やした2人には追い討ちにしかならなかった。
「そう……真樹夫には彼女さんがいるのね?」
「ああ、断りきれなくて……つい」
「ふーん、そんなんじゃ女の人に悪いから別れちゃえば?」
……黙って瑠美の顔を覗く真樹夫。
その顔は海風に晒されたからばかりとは言えないほど蒼ざめていた。
「私ね、私たちね、アレからすぐに別れちゃって……高校生活はほとんど1人だったの私。それからも……」
「それで?」
「え!?」
風よりも冷たさを感じる真樹夫の言葉に振り返る瑠美の目には、唸る風のせいとも言えない涙が滲んでいた。
「そうよね?勝手って言いたいのでしょ?」
「それは分かってるんだ?」
……
——沈黙
瑠美が選んだ沈黙が、真樹夫が誘った沈黙が、トンビの鳴き声を拾った。
ピーヨロロロロー、
「真樹夫は私のこと好きだった?」
バカにするなっ!とキッと口を結ぶ真樹夫。
小学の頃から想いは持っていたさと言ってやりたかったがまだ沈黙を守った。
「そう……何で言ってくれなかったの?言ってくれてれば私は……」
「北島を振ってたってか?そんならそん時に俺に聞けば良かっただろ?」
「そんな……だってそんなのズルいじゃないの?」
潮騒の色めきに、淡い青を探す瑠美の眼差し。
「そうか、そうだな?そん時は瑠美も苦しかったのか……俺も——」
「ごめん真樹夫。あの時は……でもやっぱり私は……」
張り裂けそうな胸の想い。
甘酸っぱいなんて物語の中の話。
現実には、こんな想いなら俺なんて消えてしまえ!そしたらみんな楽になれるのに……
そんな想いが胸を締め付け、今にでもあの色濃い海に飛び込みそうになった。
「しかしさ、今はもうさ?」
それでも期待を込めて真樹夫を見つめ、その手に触れる瑠美。
高一の、あの時の無垢な彼女はそこには、
もう——いない。
「真樹夫?いつまで待たせんの?今の彼女様は私だよ?」
「ああ、紗代子さんゴメン。今行く」
「瑠美、俺行かないと……」
「うん……」
「ほ〜ら、早く真樹夫っ」
「はい、今行きますよ?」
立ち上がり紗代子の手を取る真樹夫は振り返り、
「じゃあなっ、瑠美っ!」
と、その湿った言葉は瑠美を通り過ぎ、海に浮かぶあの戦艦の舷側に当たり砕け散っていった。
◆◆◆
「こーら、いつまで寝てんの山崎!」
「はっ、瑠美先輩?あれ……」
「アレじゃないわよ、まだお昼前よ?まったくホント課長は山崎に甘いですよね?」
(お前が知らず知らずに山崎を振るからだ?)
「はは、瑠美は真樹夫に厳しいなぁ?まさか真樹夫のことが……」
「こら、北島!会社では先輩をつけろと言ったでしょ?」
「やばっ?ついさっきまで2人きりだったから……」
はぁ、どっちの線もやっぱ俺たちは——
完




