1線〜海に光る〜
空からやってくる白いやつに瞼を押されて俯き気味に海を眺めた。
少し濁った深い青に、黒ずむような細波の群れ。
ググッと瞼を押し上げると、水平線からはキラキラと光の粒が瞬きをしていた。
そこが海に浮かぶ天の川のように……
(この店サングラスとか売ってないかな?)
ガラス窓に貼り付けてあるスモークフィルムがあるからいいけれど、外へ出たらかなり眩しいぞ?
ポーチに入ってたりして?
もし入ってたら——それは去年の俺のおかげさっ!
(ラッキー、あったし)
あ!?フルーツパイも残りあと少しかぁ?アイスコーヒーは……
「コーヒーのおかわりはいかがですか?」
「あ、ありがとうございます。大丈夫です。」
(可愛い!?あのユニフォームにあの顔は反則だよ)
「さーて最後の一切れっと、ングっ」
……
うわぁ、綺麗な人——
冷気が詰まりすぎていたこの店の空気を、開放させながら入店して来たその女性は、年頃なら50代といったところか?
その優雅とも言えるしなやかな身のこなしも相まって、美しさが助長され瞳を釘付けにしていった。
あの人となら——
◆◆◆
「今日は新しく入会して頂いた方がいらしているのでみなさんよろしくお願いします」
「あら、若い男よ?お・と・こ」
「あはは……初めまして、今日からお世話になります山崎真樹夫です」
「マッキー!よろしくね〜」
(あははは、みんなお袋よりオバさんじゃ……)
「じゃ、山崎君は前山瑠美コーチに基本指導をしてもらって下さい」
「分かりました」
「後の方は2コート使用してダブルスのラリーをやりますよ」
「じゃ私は謙太君と組むぅ」
「あ、ずるい北島さんまたコーチと!?」
「へへへ、年長者ハンデよ」
「こんにちは山崎さん、前山です。それでは早速フォームから……」
「あ、はいお願いしますっ」
(うわぁ可愛い子だなぁ?彼氏はいるんだろなあ……性格も良さげで……)
「山崎さん?山崎さん」
「は、はいっ。すみません」
「もぉ、何か変な事考えていたんですか?」
「え、いや……その」
(顔に似合わずストレートにくるタイプかぁ?)
「次はこう、両手で持って下さい」
「あの……」
「はい?」
「瑠美さんは彼氏とかはいるんですか?」
「はは?やはりナンパ目的ですか?今どき珍しい」
「いえ、そうじゃなくて」
「ならなんですか?」
「えっとぉ、あ!?瑠美ちゃん探しの冒険に出ようかな?と」
「ふーん、私の名前を呼ぶのは2回目で、すでにちゃん呼びと?」
「え、ああ、なんかそっちの方がしっくりくる感じかな?って」
「ほほぅ?つまり前山はガキっぽいと?なるほどなるほどっ」
「あ、いやそうではなくて、だから」
「くくく、焦ってる?」
「もお、揶揄わないでよ?一生懸命なんだから」
「分かりました、そんな真面目なあなたにはここからはスパルタでテニスを教えていきます!」
「ええ〜」
「ありがとうございましたっ」
(疲れた〜、なんか食って帰ろ?)
「山崎君、ちょっと」
「は、なんですかオバ……え〜と?」
「井山よ井山!」
「はぁでなんでしょうか?井山さん」
「あんたの歓迎会代わりにどお?帰りにみんなでお茶していかない?」
「そうよぉ、いつもみんなでお疲れさんて海岸沿いのカフェに行くのよ」
「はぁ、え〜とぉ?」
「田中よ、アンタさっき3回も私を読んでたのに?」
「はぁ、今からオバ……田中さんたちとカフェへ」
「アンタさっきからワザとやってるわね?なんか気分悪くなってきた」
「いや、ごめんなさい。条件反射というか、お袋より上の人に免疫がな……」
「ちっ、今の若いもんは……」
「ま、いいわ行くわよね?瑠美ちゃんのことを聞きたいだろうしね?」
「よろしくお願いしますっ。お姉様方!」
ビシッ!
「4人です」
「いらっしゃいませ、こちらへ」
「はぁ〜、あたしはいつもの。お腹も空いたわね?」
「ね、帰ったら夕飯の支度しなきゃだし、みんなでこの大きなタルトにしない?」
「いいわねぇ?4で割ると……」
「はいはい、あなたたちは家族が待っているものね?」
「まあまあ、北島さん。まだ出会いはあるわよ?」
「慰めにもなりゃしない。美容どころか酒漬けで過ごしたこの樽型人間を誰が好き好んで?」
「ふふふ、自分で言うのがほんと好き」
「開き直りが得意な人だからね?」
(みんな仲良いんだ?オバさん同士でこんなに言い合えるなんて?)
運ばれて来た大きめなタルトがテーブルの中央を与えられた。
それは美しく甘美な煌めきを醸していた。
「ささ、いただきましょ?」
「で、井山さん、山崎君に何か?」
「ああ、アンタ、瑠美ちゃんに早くも振られていたね?」
「え、あ!?見られていましたか?」
「見てたわよ?そりゃ、若い子の青春をね」
「あはは、恥ずかしい……な」
「何いってんのガンガン行かなきゃ!すぐに廃棄処分されるよ?」
と、タルトを頬張る北島を指差す田中だった。
「なんだい?私だってちゃんと×くらいは付いてんだからね?」
「はは、そうなんすね?」
「て言っても、2ヶ月間だけよ?」
「2ヶ月?なんで結婚する前に……」
「うっさいわねぇ?大人の事情てもんよ!大人のっ」
その声の大きさに、カフェとは場違いなのでは?と周りを見回す真樹夫だった。
「でも、私から見たらいい線いってると思ったんだがねぇ?」
「ほんとっすか?田中さんっ」
「うん、あの子もねぇ……」
「私も田中さんよりだね!頑張んなよ山崎君!」
「ありがとうございます。なんかいい人っすね北島さんて。そんな人だとは思わなかった」
「アンタちょいちょいトゲがあるわよね?」
「そうかねぇ?アタシにはまだ引きずってるようにしか見えないけどね?」
「まあぁね、4年もだったからねぇ」
「え、何があったんすか?同棲してたとか?」
「アンタ意外とキレるわねぇ?」
「いや、4年とか言われれば……」
「まあそうなのよ。あの子前の彼と付き合って2年で同棲してから4年。それが他に女作って」
「ねえ、可哀想に。4年経っても毎晩ですなんて自慢していたのにねぇ?」
「いや、毎晩とかはいいから……」
「何?大事よそれ。ウチなんて1年も持たなかったもんね?」
「ウチも!だんだん減って、翌年にはこっちから声かけても、んん?でお終い」
「はははアンタらは惨めね?」
「2ヶ月で追い出された北島さんには言われたか無いわよ!」
「でもそれほど仲良かったのにショックだったんだろうね?まだ先月の話だし」
「どこかにいい男でもいればねぇ?なんとか紛れるんだろうけどさ」
みんなの顔を見回す真樹夫。
「何?アンタ」
「まさか立候補?」
「はいっ、俺しか居ませんっ」
「でも、謙太君も今年の初めに離婚したばかりだったね?テニスコーチ同士どうだろね?」
「ブロックして下さい。そんな人」
「そんな人て……今日いたコーチだよ?」
(ああ、あのイケメンの……勝てねー)
「あらこんな時間、娘に怒られるわ?」
「そうね、帰りましょ?」
そして翌週になり、2度目のレッスンの日が来た。
「じゃあ、山崎さんは今日はステップからの……」
「あの……瑠美ちゃん。この間の続きなんだけど?」
「山崎さん、テニスを教わりに来たのでしょ?私のことなん……」
「俺にはあなたのことを聞く方がずっと大切なんだ!」
真樹夫の目を見続ける瑠美。
それを受け返す真樹夫の頭上に、天高い鳥の影が流れた。
「この間、彼氏さんとのことを聞いた。少しグサっと来たけど……それでもこんなに明るい瑠美ちゃんが俺は」
「6年間も他の男と毎晩やってたこんな女なんて価値がないでしょ?どう、諦めついたでしょ?」
「いや、それってずっと1人の人をって事だよね?」
見方をいい方に変える真樹夫を睨むような瑠美。
「俺にもチャンスをくれっ。そして確かめてくれよ。このまま諦めたくは無い」
そうしてその日の空もまた赤く色を変えていくのだった。
◆
「紅茶のおかわりをもらうかい?」
「そうねぇ、今度はアールグレイがいいかな?」
「OKっ」
カフェから見える海のザラザラとした輝きに瞳を奪われ、スマホを弄ることを忘れた瑠美。
「はいよっ」
「ありがとう。後で海岸に出てみない?」
「いいね、まだ少し寒いかもしれないけど?」
「そしたらマッキーに温めてもらう」
「いいよぉ、湯たんぽ50個分の熱を送るよ」
「ねえ、湯たんぽて何?」
「え!?はは、使ったことはないよ、俺も」
クーっクーっ、
キジバトがどこからか鳴いている。
ザーっザー、
少しの声を掻き消す波と風。
「ねぇ!聞こえてるっ?」
「え!?」
と後ろを振り返る真樹夫。
「寒いよお?」
と、いいながら少しニヤけた悪女の顔を出す瑠美。
「ほら、おいで」
広げるハーフコート。
小走りに飛び込むその中、1つの悲しみから生まれた新しい喜び……
今や瑠美の心には真樹夫で埋め尽くされているのだった。
「もお風が強すぎて、髪が」
「平気だよ、どんな髪型だって瑠美はね!」
「もぉ、マッキーのバーカバーカ」
「ああ、もう出てもらいます!」
「うわぁごめんなさい」
そして、2人は一緒に暮らし、来年の春に籍を入れることにした。
「桜の舞い散る頃、君を山崎にしたいんだ」
うん、待ってた……ずっと——
涙を浮かべながらそう答えてくれた瑠美が、あの泣きながらの笑顔が今でも真樹夫の瞼に焼きついている。
プロポーズから2週間ほどのある日だった。
「今日は早いの?」
「うん、そうねぇ。問題児の生徒さんも辞めてしまったから夕暮れ前には?」
「うっせー!上達しませんですみませんでしたね?」
「ははは」
「じゃあその頃迎えに行くね?」
「あ、あの岬に居て?落ち行く夕陽に射抜かれるマッキーをパシャっと」
「はは、俺の撮影料は高いぞー」
「じゃ、行ってくるね」
「また流しやがった……」
そして、休みの真樹夫は掃除に洗濯、そして大昼寝と忙しい休日となった。
てぃろ〜ん、ぷりり〜ん、
「はっ、もうこんな時間か寝過ぎたな?てゆーか、昨日あまり寝させてくれなかったから……アイツは今日は寝不足じゃないのかな?」
トボトボと歩き、夕陽を背に岬にたどり着く真樹夫。
(あの辺りに立っていようか?こんな感じかな?うーん)
頼まれてもいないポーズを1人思案するのだった。
オレンジの空が頭の上にまで広がって来た頃、通りの向こうから現れる瑠美の影。
岬に向かって大きく手を振った。
(まだ、俺の姿も見つけていないはずなのに……面白い子だよ瑠美は)
道路の反対側を小走りに近寄る瑠美は、横断歩道にさしかかった辺りでバッグからスマホを取り出した。
バンっ!!
全ての音を掻き消すような騒音が真樹夫を包んだ。
「る、瑠美っ」
夢中に駆け出す真樹夫。
見物でノロノロと車を走らすところを縫って反対車線へと出た。
白いストライプに夕陽とは違う赤が流れていった——
抱きしめる瑠美はこの寒空に冷たく冷たく凍っていくように……
◆◆◆
「はぁ、なんだろなぁ」
「あの〜、こちら相席してもよろしいかしら?」
「はい、俺はもう済みましたし、どうぞ綺麗なお姉さん」
「お姉さん?私を?ふふ」
「ご馳走様でした」
ウィーーン、
「ありがとうございました」
「さーて、サングラスをかけてと」
「あのお姉さんが同世代だったら——そうなっていたのかね?」
振り返り、店の外からさっきの席を見つめる真樹夫。
「でも、違ったからまだ生きているんだね?あの瑠美さんはさ?」
そう言うと、肺に生暖かい風を取り込み海岸沿いの道を駆ける真樹夫だった。
——あれは1つ隣の世界線
完




