古い隠れ家
ブライテッド・ベアとの遭遇という予期せぬ戦闘の後、ウィルとエリスは緊張感を保ったまま、さらに森の奥へと進んでいた。ウィルが言った通り、彼の古い隠れ家はもう間近なはずだった。周囲の空気は、依然として淀みを含んではいるものの、先ほどまでの禍々しい気配はいくらか和らいでいるように感じられる。木々の緑も心なしか色を取り戻し、時折、小鳥のさえずりも聞こえるようになった。ウィルが施したという古い結界が、この一帯だけを冥王の石の汚染から守っているかのようだ。
「…この辺りのはずだが」ウィルは立ち止まり、周囲を見回した。彼の記憶にある目印――特徴的な形をした岩や、雷に打たれた古木など――を探しているようだ。五百年という歳月は、森の姿を微妙に変えている。木々は成長し、あるいは朽ち、地形もわずかに変化しているだろう。
「何か目印があるの?」エリスが、額の汗を拭いながら尋ねた。
「ああ。確か、三つ又に分かれた巨大な樫の木の近くに…あったはずだ。あれだ」ウィルはある方向を指さした。少し離れた場所に、ひときわ巨大な樫の木が天に向かって枝を広げているのが見えた。その威容は五百年前と変わらない。その太い根元は、他の木々やシダの茂みに隠れるようにして、小さな窪地になっている。
二人はその樫の木を目指して歩みを進めた。近づくにつれて、空気がさらに澄んでいくのを感じる。淀んだ空気が浄化され、清浄な森本来の気が満ちている。ウィルが言っていた結界の効果だろう。それは物理的な障壁ではなく、森の精霊たちの力を借りて編まれた、より高度な守りだった。やがて、二人の目の前に、少し開けた円形の空間が現れた。そこは、周囲の鬱蒼とした森とは対照的に、柔らかな陽光が木々の隙間から降り注ぎ、穏やかで暖かい空気に満ちていた。まるで、ここだけが時が止まったかのように、あるいは祝福された場所のように感じられた。
中央には、その巨大な樫の木が、まるで森の王のように聳え立ち、その太い根元に寄り添うようにして、古びた石と木で造られた質素な小屋が建っていた。
五百年の歳月を経ても、それはウィルが去った時の姿とほとんど変わらず、静かに森の中に佇んでいた。ただ、屋根や壁にはさらに多くの苔や蔓がびっしりと絡みつき、建物自体がまるで森の一部となって呼吸しているかのようにも見えた。煙突からはもちろん煙は出ておらず、人の気配はない。しかし、ウィルがかつて施したであろう古い結界が今もなお機能しているのか、建物自体は奇跡的に朽ちることなく形を保っていた。周囲には、ウィルが手入れをしていたであろう小さな畑の跡があり、そこには今も薬草らしきものが細々と自生している。そして、今はもう水が涸れてしまった古井戸の跡も見えた。
「ここが…?」エリスは、そのあまりにも簡素で、自然に溶け込んだ小屋を見て、少し意外そうな顔をした。彼女が想像していた「隠れ家」とは少し違ったが、同時に、この場所に漂う不思議な安らぎと、長い年月を感じさせる静謐な雰囲気に、心を惹かれていた。ここには、王宮にはない、本当の意味での静けさと安らぎがあるように感じられた。
「ああ。僕の古い隠れ家だよ」ウィルは、どこか懐かしそうな、そして少しだけ寂しそうな、複雑な表情で、その小屋を見つめていた。
五百年ぶりの帰還。それは、彼にとって新たな旅の始まりであると同時に、忘れていたはずの過去との再会でもあった。この小屋で過ごした鍛冶師としての日々、ここで作り上げたもの、そして、ここから最終戦争へと旅立っていった時の記憶が、彼の胸に静かに蘇ってきていた。彼はゆっくりと小屋の古びた木製の扉に手をかけ、軋む音と共にそれを内側へと開いた。
中は、予想通り埃っぽく、ひんやりとした空気が漂っていた。長い間閉め切られていたためだろう、黴と古木の匂いが混じり合った独特の匂いがする。窓から差し込む光の筋の中に、無数の塵がキラキラと舞っているのが見える。壁際には、作り付けの簡素な棚や頑丈な作業台があり、そこには錆びついた古い工具や、用途不明の金属片、インクの染みがついた書きかけの羊皮紙などが乱雑に置かれたままになっていた。五百年前、彼が急いでここを去った時の様子がそのまま残っているかのようだ。
部屋の中央には石造りの大きな炉があり、その横には年季の入った金床や様々な種類の鎚、鑪といった鍛冶道具が一通り揃っている。彼が今使っている辺境の小屋の設備よりも、ずっと本格的で、高度な細工にも対応できそうだ。奥には、藁が詰められただけの小さな寝台と、書物や研究資料らしきものがぎっしりと詰め込まれた古い木箱がいくつか見えた。
「…すごい。本当に鍛冶場なのね」エリスは感心したように部屋の中を見回した。質素ではあるが、機能的で、使い込まれた道具の一つ一つに、作り手の魂が宿っているような気がした。「ここで、あなたは…色々なものを作っていたの?」
「ああ。若い頃は、ここで色々なものを試していたんだ」ウィルは壁にかかったままの古い革のエプロンにそっと触れた。その表面には、無数の傷や焼け焦げた跡が残っている。「剣や鎧だけじゃない。もっと…別のものもね」彼の視線が、棚に置かれた奇妙な形状の金属部品や、半分だけ完成したような魔法の道具らしきものに向けられる。
「別のもの?」エリスは興味深そうに聞き返した。
「…まあ、昔の話だよ」ウィルは話題を変えるように言った。「まずは掃除だな。埃がひどい。このままでは寝ることもできない。それから、水と食料の確保、寝床の準備もしないと」
「手伝うわ!」エリスはすぐに申し出た。王女である彼女にとって、掃除や雑用は慣れないことだが、今はそんなことを言っている場合ではない。それに、この隠れ家を自分たちの手で快適な場所にしていくことに、一種の冒険心のようなものを感じていた。
「ありがとう。助かるよ」ウィルは微笑んだ。「じゃあ、僕はまず炉の様子を見てみる。火が使えるかどうかで、できることも変わってくるからね。君は、この辺りを少し拭いてくれるかい? それから、外の井戸がまだ使えるかどうかも見てきてくれると嬉しい。無理なら、小川から水を汲んでこないと」
「わかったわ!」
エリスは早速、近くにあった古い布を見つけ、近くの小川で濡らしてきて、棚や作業台の埃を拭き始めた。五百年の埃は頑固で、なかなか綺麗にはならなかったが、彼女は黙々と作業を続けた。ウィルは炉を入念に調べ始める。煙突は詰まっていないか、火床の状態はどうか。ふいごはまだ使えるか。金床や鎚の状態も一つ一つ丁寧に確かめる。驚くべきことに、五百年の放置にもかかわらず、彼が作った道具の多くは、手入れをすればまだ十分に使える状態を保っていた。彼の鍛冶師としての技量の高さを物語っている。
エリスは、部屋の隅にある木箱に再び目が留まった。先ほどウィルが「昔の研究資料」と言っていたものだ。好奇心を抑えきれず、彼女はそっと一つの木箱の蓋を開けてみた。中には、羊皮紙の巻物や、革綴じの分厚い本がぎっしりと詰まっている。その背表紙には、彼女にも読めないような古い文字――おそらくは古代エルフ語か、あるいはそれよりも古い、力の言葉の一部――や、奇妙な幾何学模様、錬金術の記号のようなものが記されていた。
(これが、ウィルの研究資料…? いったい何を研究していたのかしら…錬金術? 古代魔法?)
彼女はそっと一冊の本を手に取ってみた。革の表紙は硬く、ページは黄ばんで脆くなっている。慎重にページをめくると、そこには複雑な魔法陣のような図形や、見たこともない鉱石の精密なスケッチ、そしてびっしりと書き込まれたウィルの手による流麗なメモがあった。その内容は、歴史や魔法にある程度通じている彼女の知識をもってしてもほとんど理解できなかったが、それが極めて高度で、物質の変成や、力の源、あるいは世界の成り立ちそのものに関わるような、深遠なテーマを扱っていることだけは察せられた。
(やっぱり、彼はただの鍛冶師じゃない…。これほどの知識を持つ人が、どうして森の奥でひっそりと…?)
エリスが資料に見入っていると、ウィルが炉の点検を終えて戻ってきた。
「どうしたんだい、エリス? 何か面白いものでもあった?」
「あ、いえ…ごめんなさい。勝手に見てしまって…」エリスは慌てて本を箱に戻した。彼の秘密に触れてしまったような、後ろめたい気持ちになった。
「構わないよ」ウィルは穏やかに言った。彼の表情からは、怒りや不快感は読み取れない。「ただ、あまり深入りしない方がいいかもしれない。古い、危険な知識も含まれているからね。下手に触れると、思わぬ影響を受けることもある」
彼の言葉には、軽い警告の響きがあった。エリスは素直に頷いた。彼の言う通りだろう。今の自分にはまだ、その知識を受け止める準備ができていないのかもしれない。
「外の井戸は、どうだった?」ウィルが尋ねる。
「それが…完全に涸れてしまっているみたい。長い間使われていなかったせいかしら。水は、近くの小川から汲むしかないわね」
「そうか。まあ、仕方ないか」ウィルは頷いた。「小川の水質は問題なさそうだったから、大丈夫だろう。なら、僕は少し水を汲んでくるよ。君はもう少し部屋の掃除を頼めるかい? それが終わったら、寝床の準備をしよう。暗くなる前に火を起こして、夕食の準備もしないと」
「ええ、わかったわ」
ウィルが水汲み用の桶を持って外に出て行くと、エリスは再び部屋の掃除に取り掛かった。埃を払い、蜘蛛の巣を取り、床を掃く。王女である彼女がこのような作業をするのは初めてだったが、不思議と嫌ではなかった。むしろ、この古びた隠れ家で、ウィルと共に生活の基盤を整えていくことに、ささやかな喜びと、冒険の始まりのような高揚感さえ感じていた。
掃除を終え、ウィルが汲んできた水で濡らした布で床や壁を拭いていると、ふと、壁に掛けられた一枚の古いタペストリーが目に留まった。それは王城にあるような歴史的なものではなく、もっと個人的な、温かみのある絵柄だった。描かれているのは、若き日のウィルらしきエルフと、数人の仲間たち――屈強なドワーフの戦士、快活そうな人間の剣士、そして物静かな雰囲気の精霊のような女性――が、焚き火を囲んで談笑している場面。その表情は皆、明るく、希望に満ちているように見えた。タペストリーの隅には、小さな文字で「友へ」とだけ刺繍されている。
(これは…五百年前の仲間たち…? 最終戦争を共に戦った…)
エリスはそのタペストリーを、胸が締め付けられるような思いで見つめた。この絵に描かれた笑顔は、どれほど尊いものだったのだろうか。この中の何人が、最終戦争を生き延びたのだろうか。そして、ウィルは、どんな思いでこのタペストリーをここに飾り、そして五百年間、一人でこれを見つめてきたのだろうか。彼の孤独と哀しみの理由が、少しだけ分かったような気がした。彼が背負ってきたものの重さを思い、エリスはそっとタペストリーに触れた。
やがてウィルが水汲みから戻り、二人は寝床の準備を始めた。外から大量の枯れ葉を運び込み、それぞれの寝床に厚く敷き詰める。ウィルは手際よく、エリスの寝床をより快適になるように、柔らかい苔やシダの葉も加えて整えてくれた。
「ありがとう、ウィル。なんだか、秘密基地みたいで少しわくわくするわ」エリスは、子供のようにはしゃいだ。
「はは、そうかい? まあ、確かにそんな感じかもしれないね」ウィルもつられて笑った。「いいんだ。今夜はここでゆっくり休めるだろう。結界があるから、昨夜よりは安全なはずだ」
日が完全に暮れ、小屋の中はウィルが灯したランプの灯りだけが頼りとなった。二人は再び簡単な食事――炙った肉と木の実、そしてウィルが持っていた硬いパン――をとり、ウィルは今後の計画について話し始めた。
「まずは、ここで数日過ごそうと思う。少し腰を落ち着けて、装備を点検し、必要なら修理や改良をする。君の矢も補充しないとね。幸い、ここには十分な道具と材料があるはずだ」彼は炉の方を見ながら言った。「それから、ここにある資料を調べて、世界の腕輪に関する手がかりを探す。何か見つかればいいんだが…」
「何か、心当たりがあるの?」エリスは身を乗り出して尋ねた。
「いや、確証はない。だが、ヴァレリオン王国が滅びる前、腕輪に関する何らかの情報が、僕のところに送られてきていた可能性もゼロではないと思っているんだ。あるいは、僕自身が何か重要なことを書き残しているかもしれない。五百年も経つと、自分自身の記憶すら曖昧になるからね」ウィルは自嘲気味に笑った。
「わかったわ。私も何か手伝えることがあれば言ってね。古い文字なら、少しは読めるかもしれないし」エリスは意気込んだ。
「ああ、頼むよ。君の知識は本当に助かる」ウィルは頷いた。「それから、食料の確保も必要だ。明日からは、交代で狩りや採集に出ることになるだろう。森の歩き方や、食べられる植物の見分け方も教えるよ」
「はい!」エリスは力強く答えた。彼女にとって、それは初めて学ぶことばかりで、少し不安もあったが、それ以上にウィルから直接教われることが嬉しかった。
その夜、エリスはウィルが用意してくれた寝床で、久しぶりに屋根のある場所で眠りについた。焚き火ではなく、ランプの柔らかな光と、壁と屋根に守られているという安心感。隣の部屋からは、ウィルが古い資料を調べているのか、羊皮紙をめくる音や、時折小さく呟く声が聞こえてくる。彼の正体はまだ謎に包まれたままだが、エリスは彼と共にいることに、確かな安心感と、そして未来への希望を感じていた。この古びた隠れ家が、彼らの旅の最初の拠点となるのだろう。そして、ここから、本当の冒険が始まるのだ。彼女は、胸の高鳴りを感じながら、深い眠りへと落ちていった。