原始人より前やん(2)
日が傾くにつれて曇りがちになり、泉からあがったニチネたちは広場に戻っておしゃべりをしていた。夕暮れ時になると涼しい風が吹いて肌寒くなってきた。身震いしたニチネは服や髪を限界まで絞るが、もう水は滴ってこない。
「乾かへんやん」
ピスはニチネの服を触り、
「えー、もう乾いたよー?気のせい気のせい」
「まだ湿ってるって。このまま寝たら風邪ひくやろ」
「カゼ?ラプティスが去年の冬なってたやつ?」
「知らへんて。ニンフはならへんの?」
ピスは能天気に笑って、
「まさかーならないよー。聞いたことないって」
「(フラグちゃうやろな。こんな薬もなさそうな環境で風邪なんてひいたら長引くやろ)」
ニチネは服をぱたぱたとさせながら、
「でも濡れてるのいややなー」
「そんな細かいこと気にしてどうすんの。明日になればもっと乾くってー」
「そうやけど、毎回こうなるのはなぁ……」
「じゃあラプティスに頼んでみる?服作ってくれない?って」
「忙しいって!そんなこと言えへんて。替えがあるのはええけど……」
「明日会いに行ってみよーよ」
「邪魔やって」
「そんなことないよー」
*
村の近くの茂みから顔を出すと、森の外に生えている黄緑色の下草が日差しで眩しく、ニチネは思わず目を細めた。
「なぁ、今更なんやけど、なんで姿消したらニンフ同士分からへんの?」
「えぇー。どうでもいいよ」
「そうやけどー、ほら、気になるやん?」
ニチネとピスは手を繋ぎ、姿を消して、
「声は聞こえないくらいにねー、行くよー」
「分かっとるわ」
*
ラプティスの家の裏庭から表へ回ると、家の前でラプティスが背の高い青年と話していた。ピスは急いでニチネの手を引っ張り、柱のかげへと誘導する。ニチネは小声で、
「あれ誰?村の子か?なんか仲良さそうやなー。てか、別に隠れることないんちゃう?どうせ見えへんし」
首を傾げながら横を向くと、ピスは姿を現し、キラキラした瞳でラプティスたちのほうを見ていた。。ニチネは小声だが、焦った声で、
「な、何してんねん!見えてるわ、アホ!」
そのままピスを引っ張り、「あぁ~」と、手を伸ばすのを無視して家の裏手に回った。ニチネは姿を現し、小声で怒鳴る。
「一応隠れとったんやし、見つからんほうがええんちゃうの?!」
ピスはにまにました頬に両手を添えて、
「だってかっこいいんだもーん」
「え?誰が」
「ゲオルだよー。めっちゃかっこいい男の子一緒にいたでしょ?」
「人間やろ?あたしらニンフやで?」
「そうだけど、そんなの関係ないよー。何話してるか聞きに行こー!」
テンションが上がるピスに不安を抱きつつも、
「聞こえるぎりぎりのところまでやで。ピス、絶対しゃべるやろ」
「分かってるって。でも顔は見よーよ。近くで見たい!」
「分かったから」
二人は姿を消し、距離を取りつつラプティスたちの正面へと回った。
「……で、は……」
会話が聞き取れず、ピスを先頭にどんどん近付き、結局話の輪に入れるくらいの距離まで近付いた。ニチネはハラハラしながら姿が消えているか逐一確認し、興味津々にゲオルを見上げる。日によく焼けたゲオルはキリッとした眉に、鋭い眼光で自分の着ている緑色の作業服をしげしげと眺めながら、
「今度の服すげーじゃん。機能性も高くてかっけーし。見つけてすぐ買った」
ゲオルの渋い声に、ピスは声にならない声を上げながら繋いだ手をぶんぶんと振り回す。ニチネは耳打ちして、
「なあ、ゲオル?っていくつなん?」
「ラプティスと同い年ー」
「ちょい大物感出し過ぎちゃう?」
「そこが良いんじゃん!」
ラプティスは身振り手振りを交えて、楽しそうに説明している。
「…で、仕事着でかっこいいのってあんまりなかったから目指してたんだよ。丈夫に作ってるから多少の動きでも耐えられるようになってるんだ」
「鍬振るときも突っ張らねえし、動きやすい」
「あちこちに余裕を持たせてるんだよ。虫も寄り付きにくい草で染められた布が仕入れられてたから、ゲオルみたいな仕事にぴったりだと思って」
「俺、似合ってんな」
ピスは繋いだ手をさっきより大きく振り回し、今度はニチネを引っ張って二人の声が聞こえないくらいの上空に飛んで、空に向かって叫ぶ。
「似合うー!」
「ちょお、そろそろ手ぇ痛いわ。さっきからなんかゲオルっていちいちカッコつけてしゃべってへん?」
「何言ってんの。あれはかっこつけてるんじゃなくてかっこいいんだよ?」
「あれはナルシストやって」
「ナル……何?」
「つまり、自分大好きってことやな」
ピスは人差し指を唇に当てて、
「それはーそうかもだけど、家族思いだし、眠れるまで弟くんを見ててあげたりしていつも優しいし」
ゲオルのことは分かっていると言いたげなピスに、ニチネは目をひん剥いて、
「どこまで見てんねん!それ、つきまとい過ぎやろ」
「くふふ、つきまとってないよ。会いたいときに、たまーに見に行くだけ」
「絶対たまにちゃうやろ……」
「あ、ゲオル帰っちゃう」
ピスの視線につられて下を向くと、ゲオルはラプティスに手をあげて、踵を返すところだった。
「ちょうどええやん。聞きにきたんやし」
「あ、そうだった」
二人はふわふわと下に降り、家に戻ろうとするラプティスにこっそりと近付いて、姿を消したままピスが肩を叩いた。
「ラプティスー、元気?」
ラプティスは肩から飛び跳ね、
「わっ!びっくりしたー。なんだ、ピスかー。家入るから顔見せてよ」
ラプティスは扉を開けて手で導き、裏手に面したリビングのカーテンを開ける。二人はテーブルの上に乗って姿を見せた。
「調子どうや?」
ラプティスは嬉しそうに、いそいそと椅子に座って、
「そう、この前新作ができたんだよ」
ピスはテーブルの上に積まれた本の上に座り、
「さっきのゲオルのやつでしょ?かっこよかった」
「なんだ、見てたのかぁ」
「ピス、ゲオルがかっこよかった、やろ?」
「ゲオルもだよ。ラプティスの服ももちろん……くふふ」
「なんかおまけ感あるなー」
「ラプティス知っとるん?今更やけど」
「当たり前じゃん。好きになったその日に話してるよー」
「ピスが珍しくテンション高かったときだよね」
「そうー」
「ゲオルが居ればいつでもそんな感じなんやろうけどな」
「そうかも」
頬に手を添えるピス。
「なんでそこで照れんねん」
「恥ずかしー」
ピスはくるくると家中を飛び回る。壁に張ってある手書きの地図が目に入り、ニチネはなるべく通常通りを装って、
「この地図って大体どの辺が書いてあるかって分かる?」
「これはー、この辺一帯のだけど」
『一帯』という言葉に、ニチネは嫌な予感がする。
「そう、なんや。ちなみに東京って……聞いたことある?」
「トーキョー?新種の動物の名前?」
「いや、知らんならええねん。(こんな中世な村が地球にあること自体おかしい気はしてたけど、これは世界そのものがちゃうってことやんな……。まあ、もう考えたってしゃないか)」
遠い目をしているニチネを気にも留めずに、ピスは、
「そういや、クネリはどうなってるの?」
「いやー、道具屋で捕獲器を作ってもらったんだけど」
ラプティスは天井より高い細長い棒を親指で指差す。
「あれ、巣の中に入れると、それを怖がっちゃって出てこないんだよね」
「え、そうなんや」
「ニチネは巣の中で避けれたでしょ?」
つついた後のクネリの猛ダッシュにビビッて、壁に張り付くので精一杯だったなんて情けないことは言えない。
「ま、まあな」
「あの棒、長過ぎて上手く扱えないんだよね」
「煙で追い出したらええんちゃう?匂いにびっくりして出てきそうやけど」
「奥まで届くか分からないし、巣にいつまでも匂いが残ってたら寄り付かなくなっちゃうかもしれないし」
ピスは本棚の上に寝そべり、
「そんなとこもう住まないよー」
「あとは入口に餌入りの箱を設置するとかやな」
「見覚えないものだと近寄らないんだよな」
「そうかー」
いつかテレビでやっていた、畑を荒らす野生動物の捕獲映像を思い出す。
「(狸とか猪とかよく捕まってた印象やけどな……)そんな臆病なんやな」
「そうだね。今後も住めるように巣を残しつつ、出てきてもらうのはなかなか骨が折れるよ」
「新しい巣を探すのも大変だもんねー」
ラプティスは腕を組み、
「うーん、ほかの方法が思い付かないんだよね」
「もう大変だよー」
完全に他人事の冷めたピスとは正反対に、ラプティスの目の炎はまだ燃えていた。
「でもクネリの服は諦めたくないんだ」
ニチネの脳裏に若い頃の記憶が蘇る。『面白いものを作ってやるんやあ!』と意気込んでいた自分。ニチネは拳を握りしめて力強く、
「そうやな!あたしも一肌脱いだるわ。イプシストスの森中のクネリ捕まえたろ」
「ニチネ、手伝ってくれるの?」
「当たり前やろ。頑張ろな!」
「助かるよ」
ラプティスはリビングの隅に置いてある箱からでかい地図を取り出し、
「今のところ見つかってるクネリの巣っていうのが……」と、早速作戦会議を始めたようだ。ピスは上から見下ろしながら、ぼそっと、
「熱うー。もう何しに来たか忘れてるー」