ここどこやねん(2)
日音は葉っぱの上で体育座りをし、重苦しいオーラでみんなに背を向けている。近くのニンフが不思議そうに、
「どうしたの?」
隣に座るピスが気まずそうにして、
「ちょっとそういうモード入っちゃったみたいな……」
「あぁ、繊細なのね」
「悪い子じゃあないんだけど」
苦笑いをするピス。
「(さっき生まれたってことは、あたしは死んだん?確かに笑えんレベルの痛さやったけど……)」
どんどん暗くなる日音をよそに、ニンフたちはきゃいきゃいと話している。
「ねぇ、私この前エルフがすてきな歌を歌ってるのを聴いたのよ。エルフの古代語でちょっと難しかったんだけどね」
「素敵じゃない」
「聴かせて」
話の中心のニンフは咳払いをし、歌い始める。
「ニチネもこっちおいでよ」
ピスは日音の腕を引っ張る。振り向くと、ニンフたちが思い思いに踊っていた。
「(フリーダンス……!無理やろ。ダンス必修も逃れられたのに……!)」
テレビのニュースで中学生がダンス必修になったことを知ったが、すでに義務教育が終わっていた日音はほっと胸を撫で下ろしていたことを思い出す。
「楽しいよー」
「あ、あたし、盆踊りも上手く出来へんし」
「え、何?いいからいいから」
ピスに引っ張られて、踊っているニンフたちに混ざる。周りに促されると、日音はあたふたとしながらギクシャクとした動きで踊り始めた。ニンフたちの笑いが混じり、
「下手ねぇ」
日音は恥ずかしそうだが、
「(笑われとる、けど何や世間知らずのお嬢さんたちみたいで純粋な感じやし、イヤな気せぇへんな。本当に仲間みたいな……)」
「何の歌?」
茂みの中から、うるんとした目のニンフが長い黒髪を後ろにながして現れた。
「良い歌ね」
自然と周りに混ざり、ウェーブの髪を揺らしながら踊り出す。踊っていたニンフたちは彼女を囲う様に座り始めた。
「メリは踊りが上手なのよ」
日音もそれに従う。うっとりとするような滑らかな動きで、しなやかに踊る姿にしばらく魅入ってしまった。
歌い終わり、歓声が上がる。メリはにこりと笑い、
「その歌、今度教えてね」
「いいわよ」
メリは日音に気が付いて、近寄ってくる。ゆったりとした口調で、
「あら?新しい子?」
日音の目をじっと見て、小首を傾げる。
「かわいいわね」
沸騰したポットみたいに一瞬で顔が熱くなるのを感じる。
「(うわー!何や恥ずかし……あ、この感じ、明楽先輩や)」
オフィスのデスクで、グイっと近寄り上目遣いで、
『分からないの?それはね……』と、一つ一つ丁寧に教えてくれた先輩を思い出す。日音はポッポとした頬で、
「ドウモ……、ニチネデス」
メリは目を細め、
「仲良くしてね」
「……ハイ」
ピスは口元に手を当て、
「くふふ、ニチネしおらしー」
「(え、これが普通の反応やろ?!)」
信じられないというような目でピスを見てしまう。ピスは日音の後ろに回り込み、肩に手を置いて、
「今からイプシストスの森案内ツアー開催しようと思うんだけど、メリも来るー?」
「私あんまり詳しくないから、遠慮しておくわ」
「そう?じゃあ、しゅっぱーつ」
「えっ」
ピスは日音の手を引っ張り、飛び始めた。
*
日差しが真上から降り注ぎ始め、木々の隙間から地面にまで届く光の中はぽかぽかと暖かいが、木陰はちょっと涼し過ぎるくらいだ。二人はそんな森をのんびりと飛んでいる。
「なぁ、ニンフって何なん?」
「えぇー、さぁ?変なこと気にしてるよ、もう」
「妖精ではないん?」
「あぁ!ダグリがそんなこと言ってた気がするけど」
「ふーん」
体の見える範囲を眺めても、羽以外は人間としか思えない構造だ。
「さっきの広場みたいな所がよくみんなが集まる場所なんだけど、西のほうにはね、クネリがたくさん住んでるんだよ」
「クネリ?」
日音は気を抜いた顔で、存在するのか疑わしいクネクネとしたモンスターを思い浮かべている。日音の顔を見たピスは口元に手を当て、
「くふふ、絶対違うの想像してる」
しばらく飛んで茂みから顔を出すと、少し開けた場所に出た。そこには、地面がいくつか盛り上がっている箇所があり、穴ができている。ピスは声をひそめて、
「お手製の巣に住んでるの」
緊張しながら日音もひそひそ声になる。
「見つかったらやばい生き物なん?」
「クネリは臆病だから静かにしないと隠れちゃう」
巣から目を離さずじっと待っていると、真っ白で耳の長い、目のくりくりとした生き物が顔を出した。
「あ、あれ?!」
思わず指を差す。
「(ウサギやん!)」
フォルムはウサギによく似ているが、ウサギより一回り小さくて目が大きく、毛が長めでふわふわしていた。
「かわいいー」
「でしょ?あの体に埋まってみたいでしょ?」
「どんな感じやろなー。この森ってほかにはどんな生き物おんの?」
「ダグリが、スキリオンは見たことあるって言ってたけど、ほかの小動物は見るのも難しいよ。大型なのはこの森にはいないみたいだし」
すると、がさがさと草むらをかき分ける音がした。明らかに大型動物を想像する大きな音で、とっさに日音に緊張が走る。
「(絶対、今の体より大きい音やん!怖すぎるやろ。てか、いないって話じゃなかったっけ?!)」
音のするほうへ素早顔を向けると、日音より何十倍も大きい青年が真剣な顔で巣に近付き、付近で草を食べていたクネリを虫捕り網で狙っていた。網を被せるぎりぎりのところで、クネリはもの凄いスピードで巣へと引っ込んだ。
「あぁ、くそ!」
青年がきょろきょろと辺りを見回すが、クネリはもういない。
「(でっっっか!巨人や……!)」
ふと周りの木と比較すると、
「(……サイズ的に人間やん。てか、あたしらが小さいんやったわ、これ)」
青年をよく見ると、十代から二十代前半のような顔立ちで、素朴な色合いの服装をしている。ピスは茂みを飛び出した。
「ラプティスー!」
それに気づいた青年は笑顔になり、
「カルポス?久しぶり」
和気あいあいと話し始める。
「(……え?人間に近付いたらあかんって言われてたやん)」
「おしかったねー」
「この間やーっと一匹捕まえられただけだよ。相当厳しいね」
「あれ?ニチネ?何してんの。こっち来なよ」
ピスの視線からラプティスに見つかり、日音は窺うように出てくる。
「(なんかあの網怖いやん……。ニンフもすっぽりおさまるサイズやし……)」
「新しい子」
「へー、春だからかな」
「そうかも」
日音は恐る恐る、
「今、何してたん?」
「あぁ、クネリの毛を採りにね。捕まえて刈るんだよ」
日音はつるんとしたクネリを思い浮かべる。何だか寒そうだ。
「ラプティスは服作る人なんだよ」
「一人前になってまだ日も浅いけどね」
「毛って採っても大丈夫なん?」
「またすぐ生えるんだよ。春だと気温も安定してて体調も心配ないからね。本物を見れば分かると思うけど、クネリの毛はかなり触り心地がいいんだよ。布屋じゃ滅多に売られないから自分で採りに来てるんだけど」
「くふふ、あの子たちすばしっこいから」と、ピスは楽しそうに笑う。
「僕は最高の服を作りたいんだよ」
ラプティスの目はきらきらと輝いていた。
「それいつも言ってるー」
ピスはつまらなそうだが、日音はその様子に胸打たれていた。ラプティスと同じ目をした新入社員たちを思い出す。
『先輩、ここ、こうしたらどうでしょうか?』
「(ええやん!その志。やっぱり若い子はこうあらな!)」
日音は興奮して、
「あたしも何か手伝おか?」
「え、いいの?」
「ムリだって。クネリは草食だから心配ないけど、あたしたちあんなに速くないもん」
「巣から出ればええんやろ?」
*
日音はクネリの巣から抜け出すと、
「ここもいないわ」
「こっちも」
「この巣って道が長い割に一番奥しか使てへんよな。そういうもんなん?」
「安全だと思える所まで掘ってあるんだよ。だから過ごすのは一番奥」
「そうなんや。でもこんなに巣はあるのに……」
がっくりと肩を落とす日音。
「クネリは複数の巣を作るからかもね」
「やっぱりさっき巣に戻った一匹だけみたい」
ピスの指差す方向にある、巣穴の前に小枝を構えた日音が立つ。
「じゃ、行ってくるわ」
「がんばれー」
「気を付けてね」
ふわりと浮き、全速力で巣穴へと飛び込んだ。
「(潰されんようにだけはせんと……!)」
巣の上で網を隠し持ち、待機している二人に、巣穴からクネリの走る音が聞こえた。
「……来た!」
焦ってまっすぐに飛び出してきたクネリの進行方向に、上から網をセットし、手前に網を動かすと、そのままの勢いで、クネリは網に突っ込んだ。
「よしっ」
網をすばやく返し、逃げないようにするラプティス。
「やったあ!……あ、ニチネは?」
穴から、土にまみれた日音がやり遂げた顔で帰還した。
「な?上手くいったやろ」
「本当にまっすぐ来た」
「枝に突かれるなんて経験したことなかったんちゃう?」
「ありがとう、ニチネ!」
「いやあ、ええんやって」
喜ぶラプティスを見て、誇らしげに、
「(若者の力になれただけで、嬉しいわ)」
クネリを網越しに抱っこしたラプティスは、
「早速切らないと。ニチネ、服が汚れちゃったね」
「あ、本当や」
「泉に行ってきれいにしてこよっか」
「どうせなら、うちの風呂入る?」
「えっ」
「いいのー?」
なぜかピスが嬉しそうだ。
「カルポスも入る?」
「あたし、ピスってあだ名ついたから、ピスって呼んでー」
「そうなの?」
ピスが日音をちらりと見ると、険しい顔をしている。
「どしたの?」
「え、だって人間について行くん……危険じゃないの?」
ピスはにやーっと口の端を上げ、口元に手を当てる。
「くふふ、大丈夫だって、ラプティスは紳士だから、覗いたりしないって」
「そうだよー」
「そんな心配しとるわけないやろ!ニンフって捕まって売られたりとか……」
日音は目を見開き、青ざめる。
「顔こわ」
呑気にドン引きするピス。
「確かにその羽は魅力的だけどね。かわいい子多いし」
自分の羽を見ると、動かすたびにピンクや黄緑色にも見える特殊なものだ。
「ニンフはいざとなったらねぇ、姿を消せるの。ほら」
すると、ピスの姿が見えなくなり、笑い声だけが聞こえる。日音は目が飛び出すほど驚く。
「えぇっ!」
「完全に人間より上位種だからね。敵わないよ。だからそんな心配しなくて良いんだよ」
「そうなんや……」と、ほっと胸を撫で下ろす。
「それに、ニンフって元々人間に興味ないから、人間に見つかるとすぐどっか行っちゃうんだよね」
「ピスが変わり者なんやな」
「そんなことないよー。ラプティスはよく森に来るから仲良くなりたいなーって」
「ピスだけだよ」
ピスは伸びをし、
「もう飛ぶの疲れちゃったからラプティスの肩に乗っていい?」
「いいよ。ニチネも」
「汚れてるから……」
「いいって。僕の家、結構遠いし」
ラプティスに促され、二人でちょこんとラプティスの両肩に乗る。ピスは気の抜けた声で、
「よし、走れー」
「走ったら落ちちゃうよ」
ラプティスはゆっくりと森の奥へ歩き出した。