22.イチャイチャした日
フーミュルはエントランスで黄昏ていた。
「……どうして結婚したのにいつまでたっても縁談がこうもワサワサ来るんだよ……」
今日も今日とて使いにやったドッペルが抱えてきた大量の手紙の束の前でぼやいている。
フーミュルはミリセントとのラブラブ大作戦には成功したはずだった。
それなのに、なぜだろうと考える。
初回の悪辣な評判とは違い、普通に断られたことなんてプライドの高い貴族がそう言いまわるものでもなかったのかもしれない。
それから、フーミュルの婚姻相手の身元がぼんやりし過ぎていて、広めようもなかったのかもしれない。
とはいえミリセントは家と決別した。もはや家名を名乗ることもないから、身元がはっきりすることは永遠にない。
近くで箒を持っていたミリセントがくすくす笑いながら言う。
「城の中でこっそり魔族の婚姻契約したからってみんなが知る余地はないわけですし……大々的に結婚式でもすれば……周知されるんじゃないでしょうか」
「だ……大々的に……? 人を、たくさん集めてけっこんしきを……?」
フーミュルは想像して静かに吐きそうになった。
なるべく人と関わらずに生きたいのに、なぜわざわざ自分から人を集めて……そんな苦行を行うはずがない。
「魔王様、また想像だけでゲンナリしないでください」
「はぁ……俺はただ、君とふたりでいられれば、それでいいんだけどなあ……」
「わたしもです」
「なんでそれだけのことに邪魔が入るんだろうなあ……」
「確かに全てはままならないですけど……でも、それでもわたしは家を出る前よりずっと幸せです」
二人は契約解除が可能になるあと十年後、それまで一緒にいることにした。
その後に離縁するのか、ミリセントがフーミュルと共に長い年月を過ごすのかは一時の感情でそう簡単に決めていいことではない。その時にまた話し合えばいい。
ほどほどに冷静で、そこそこ悲観的なフーミュルの考え方に、ミリセントも合意してくれた。
それでもふたりにとって、幸せで平和な日々がひとまず与えられた。
最近では、夕食以外の時間にもお茶を飲んだりして、のんびり一緒に過ごすことが増えていた。
とはいっても、お互いこれまで恋愛なんてしてこなかったので何を変えるべきか双方よくわかっておらず、大きく関係は変わっていなかった。
それでもお互いの気持ちを確認しているだけで、限りなく安定している。
幸い時間だけはまだたくさんあった。
***
フーミュルは中庭のベンチに足を投げ出して座り、池のほうを眺めていた。傍にはミリセントが人一人分空けて座っている。
秋の終わり。夕方のどこか鈍い光が射し込む中庭は不思議と世俗と切り離された雰囲気があり、時間は止まっているかのようだった。
フーミュルのこれまで生きた時間、その半分以上は独りでいた。
だからか、いまだに魔族が周りにいたころの記憶は鮮やかで、色濃く残っている。
もう、あの光景はどこにもない。
何度となく繰り返した思考だ。それがようやく実感を持てるようになってきた。
「魔王様のお父様は……」
「え? 何急に」
「いえ、不思議だったんです。討伐の時、魔王様を呼ばなかったんですね」
「……縁を切ったから、俺に期待することはなかったんだろうね」
少しだけ苦い気持ちで答える。
呼ばれていたとしても絶対に参加はしていないが、完全に見放されたような疎外感は持っていた。
けれど、ミリセントはふんわり笑ってなんの気なしに言う。
「放っておいてもらえて、よかったですね」
そうだ。
結果的にはよかった。もし最後に揉めていたら、フーミュルは今もっと苦い気持ちだったろう。
「……そうかもしれない」
父は強引に呼び戻すことをしなかった。無関心で、見捨てられていたのかもしれないが、支配的で執着心のある歪んだ愛を向けられるよりはまだマシだ。
「……最近思うんだけど、結局魔族には魔族の常識や序列や価値観があって、俺もずっとそれに振りまわされて、自分を卑下してきた気がする」
集団と違う価値観を持ち、馴染めない者はその価値観が正しい正しくないに関わらず非常識となる。
ミリセントの周りの貴族の常識をくだらないと一蹴していたフーミュルだったが、自分自身も、もういもしない周りの魔族の価値観によって、自分を貶め続けていた。
単純な肉体の強さはもちろん、奔放さは美徳、残虐さは精神の強さの表れとされ、露悪的であればあるほど魅力的とされる。
種族のそんな価値観がどんなにくだらないものなのか、ミリセントがその存在によって教えてくれた。
きっと、ミリセントと出会わなかったら、ひとりで暮らしていたら、この呪縛から解き放たれることはなかっただろう。
「ミリセント、ありがとう」
そう言うと、ミリセントはきょとんとした顔で見つめてくる。
「御礼を言うのは絶対わたしのほうです」
「いやいやありがとう」
ミリセントをはきっと、城だけじゃなく、フーミュルに長くかかってた呪いも解いてくれた。
「それなら、御礼をもらってもいいですか?」
「もちろん。なんでも言って」
ミリセントは豪遊するタイプではないが、フーミュルはもし望まれたら金品を貢ぎまくってしまうかもしれない。どんなことでも、ミリセントが望むならば叶えたい。
「その……魔王様」
「え?」
「わたし、もう少し、イチャイチャしたいんですよね!」
「ほあ」
変な声が出た。思わぬ角度からの奇襲にうまく頭が働かなかった。
「いいですか?」
「ぐ、具体的には……?」
「え……そ、それは……その、ぎ、ぎゅうしたり…………ちゅうしたりとか……」
ミリセントは口に出したあと口元を押さえて俯いた。
ぎゅうにちゅう。
なんて危険なことを言うのだ。
フーミュルも頭を抱えた。
「あの、何か問題が?」
まっすぐに聞き返されてフーミュルは眉を下げてハァ、とため息を吐く。
「うん……あるといえばある」
「なんですか?」
実に無垢な顔で聞き返され、フーミュルはとても気まずい思いで返答する。
「その……我慢できなくなるかもしれないし」
「え? 我慢する必要ありますか?」
「ミリセント……意味わかってる?」
「意味……いみですか?」
ミリセントは怪訝な顔でつぶやいたあと、数秒動きを止めて考え込む。
「……あっ!」
正しく理解したらしいミリセントが、ぶわっと赤くなった。
フーミュルは元々肉体的な欲求は持て余すほど強くない。加えて魔族としては異端なほど理性的で人嫌いだったがため、そういった行為というものに排出以上の意味を見出したことはなかった。大したものではない。重要度も高くないし、したい奴がしたい奴とすればいい。
フーミュルはミリセントに会って初めて『この女の子が好きだなあ』という感情を抱いたし、それが肉体の欲求と繋がることにも戸惑っていた。
そしてできれば、そんな欲求を抱いていることはミリセントには知られたくなかった。
フーミュルにとってミリセントは汚してはいけない相手だった。ミリセントにはそんなつもりもないだろうから、そこには触れずに過ごそうとまで思っていた。
はっと我に返ると、ミリセントがこちらをじっと睨んでいた。
ミリセントは真っ赤なままの顔で、フーミュルに一歩近づいた。
獲物を追い詰めるような気迫のある顔をしている。
フーミュルは立ち上がった。
「ミ、ミリセント……?」
「魔王様……なぜ逃げようとするんです」
ミリセントも追うように立ち上がる。
「い、いやなんとなく……」
フーミュルはそろそろと後退りしてミリセントから距離を取ろうとした。
「えいっ」
ミリセントが勢いよく抱きついて捕まえた。
「ぐあっ」
フーミュルの胸に顔を埋めたミリセントの震えた声が聞こえてくる。
「魔王様……わたし、もう一度言います」
「え?」
ミリセントは赤いままの顔を上げて言った。
「な、何か問題でも?」
フーミュルは数秒固まった。この間、頭はフル回転しているような感覚なのに、何も思考は纏まらない。
フーミュルは思考を諦めてミリセントの顔を覗き込む。そうしてそこにあった答えを吐き出した。
「ない」
問題ない。なんにもない。
フーミュルはそう判断して、ミリセントの頬を捕まえ、自分の顔を寄せた。ほんの軽く触れ合わせる。
「部屋に……連れていってもいい?」
「……っ、はい」
そっと手を握る。
「わたし……大丈夫でしょうか?」
「大丈夫」
ふたりはあまり会話になっていないやりとりをかわしながら、部屋へと向かったのであった。




