出会い
知り合いと友達のあいだ
今日の出来事。
少し早い朝日を窓から見た。
母親がいつもより10分寝坊していた。
昼休みの前が体育で、弁当がいつも以上に美味しかった。
友達が唐揚げを喉に詰まらせていた。
今日は少しいい気分だ。
帰りのHRが少しだけ早く終わって、少しだけ早く帰れることになって、少しだけクラスが浮足立っていた。
今、この教室にはほかに誰もいない。
一人。
やっと一人。窓際の、ひとつはみ出た自分の席に腰を下ろしたまま。
みんなでいるのも騒ぐのも、楽しい。
「でも」というか「だからこそ」というべきか、大切な一人の時間。
集団の中にある「独り」。
誰にも、気を遣うことのない「一人」。
無意識に詰まっていた息をふうっと零した。
ふう。風と、二度目のため息が重なった。
あれ、窓が開いてる。日直が閉め忘れたのか。
あ、待って、風が湿っぽい。・・・まさか。
・・・ああ、降ってきてしまった。
6月。夏の本番という月でもないが、予行演習にしたって暑すぎるこの頃。雨なんて招かれざるお客には早々にご退場願いたい。
むわっと土の匂い。
あーもう鬱陶しい。
一人きりの教室で、遠慮なんぞ知ったことかと舌打ちが飛び出てきた。
一向に降りやまない迷惑な客は、レジの行列の先頭で、店員に理不尽な文句を垂れ流すおばさんみたいに勢いを加速する。
雨が好きだという人がいる。その事実に半信半疑になる。
どうしても好きになれない。無理だと本能が訴えかける。
ザアッと雨も存在を訴えてくる。
窓、閉めよう。締め切った部屋は幾分か息苦しい気もするが仕方ない。
ザアッ。
世界一嫌いなBGMを遮断すべく、重い腰を引っこ抜いて、窓の縁に手を掛ける。
丁度玄関から、色とりどりとわけでもないが様々な見た目の傘たちが、楽しそうな声とともに散っていくところだった。
ぱっと見みんな同じようで、こうしてじっくり眺めてみると案外違うもんだなと、くもった窓くらいにぼんやりと思った。
「わ、降ってる」
しばらく眺めた景色。人の出入りがなくなった玄関から、ひとつだけ、脳天を空に丸見えにした影が飛び出してきた。
「レインコート・・・」
ひとつ、つぶやきを残して、
くるっと振り向いて、
びしゃっ。
「・・・あ」親と思って声を掛けたら違う人だった時の迷子の子どもみたいな声。スーパーとかテーマパークとかでちょくちょく見かける子どもみたいな。そういうのなんだか助けたくなるよね。
さっき勢いのあまり飛び越していて気づかなかった水溜まり。
ああ分かる。思わぬところに罠があるのが雨の日。
替えの靴下とかあんのかなとか、この後帰る自分のことを棚に上げて他人事みたいに思っていると。
ひょいっと影が引っ込んだ。
「・・・雨ん中自転車で家まで・・・帰る勇気は・・・へへ」
今さっきの子の声か。
「どうしようかなあ」
眉尻と目尻を下げて笑っている顔がぼやっと浮かんだ。顔見えなくて分かんないけど。
「まずそんな体力ないし・・・チャリ置いてバスで帰るか」
言っている間に無遠慮に勢いを増す雨。
ほら早く帰んなよ。
「・・・あ!」
・・・今度はなんなの。
「・・・ない」
なにが。
すいかすいかと連呼している。Su○ca探してんのか。
ない、ない、ない。
玄関の屋根に隠れた大きなひとりごと。
雨の音はいつの間にか背景音楽を務めている。
声がしなくなる。
少し弱まったと思った雨の音。
サァァァ――――――。
バケツの水、神様がまたひっくり返したんだろうか。
・・・タッタッタッタ――――――。
それは段々と大きく、
・・・タッタッタッタッタタッ。
そしてはっきりと――――――
ガラガラッバンッ!
「!」
驚く声は、喉元でヒュッと音を立てたまま出てこなかった。肩が跳ね上がる。
ばっと振り返る。
「いぎゃあッ」
・・・代わりに変な声が聞こえた。弾む呼吸の音がする。
「・・・」
「・・・」
どちらからとも判らないとっぷりとした沈黙。夜の帳みたいな。
雨の おと。
土の におい。
開け放たれたままの 窓。
湿り気の多い風がひとつ、息をつく。
「・・・ここ」
「へっ!?は、はい!」
「1-3だけど」
「・・・?」
「きみ、2組か3組じゃない?」
だってこの教室であんなにひとりごという人いないもん。
「わあすごい!超能力!」
2組だよ!って笑う生徒、一名。
1・2組って、この階の1つ上じゃなかったっけと思案する生徒、一名。
「・・・上じゃ?」
「・・・うえ?」
声色のせいで、間の抜けたうめき声みたいだ。
はっと息をのむ音がした。
「ここ3組!?2階!?」
「うん、さっきからそう言っ「ありがとう!」
「・・・」
ガラガラッバンッ!
引き戸がもの凄い勢いで閉まった。肩がびくぅっとはねた。
ガラッ!
「うぎゃあッ」
また開いた。さっき引っ込んだ声が飛び出した。
「あのっ!・・・あの、初めまして!だよね?あの、その、」
「・・・呼吸整えてからでいi「日向!葵!です!よろしく!じゃっ!」
「・・・」
足音が遠ざかる・・・聞こえなくなる。
教室にひとり、残された生徒は、嵐が教室にまで入ってきたのかと思った。
雨の おと。
土の におい。
開け放たれたままの
窓。
・
・
・
やはりというべきか、止まない雨。
今度こそ窓を閉めようと、体の向きを変える。
「エスパーくーん!」
嵐の音。
「ありがとねぇー!」
メトロノームみたいに振られる手、定期入れに入ったカードが一枚。
雨がびゅうっと吹き乱れる。
BGMはクライマックスに入ったようだ。
嵐のようで、初めてのようでいて、どこか見覚えのあるような笑顔。
小さく手を振り返す。
大事なカードぬらすなよーと、走り出した手遅れな背中にひとつ、かすめた思考。
ひとつの花。
うだるような炎天下、空に向かって真っすぐに、背を伸ばし咲く黄色の大輪。
土砂降りには似つかわしくない、眩しい黄色。
今日、6月の中旬。
咲くにはまだ少し早い、せっかちなその花は、雨の中に消えていく。
今日の出来事。
昼と夕方の間の、少し夕方寄りのこの時間
嵐のような、黄色い花を見つけた。
大きなその一輪が
雨の向こうに小さくなったとき、
少しつまづく気配がした。
雨は、ぼんやりとした思考を飲み込んだ。
雨は、小さくなっていく影をひとつ
視界から隠した。
~おまけ~
「・・・傘・・・ない・・・」
走って帰った。
びしょびしょになった。
母親に笑われた。
笑うなよ・・・。