二十一
その日が最初だった。
最初さえ乗り切ってしまえば、あとはお互い遠慮も恥じらいもなかった。サクは二日に一度は私の家に来た。何かをすることもあったし、何もせずにごろごろしているだけのこともあった。五時間なんて序の口で、二十四時間以上一緒に過ごしたこともあった。
とはいえ大抵は間に五人でいる時間を挟むから、ずっと二人きりというわけではないのだけれど。
サクは私が部屋で何をしていようとほとんど文句をつけない。私が彼氏をほったらかして漫画に読みふけっているときも、サクはサクで別の漫画とか本とかを見つけてバランスをとっているようだった。私の自由を尊重してくれるところが有難い。
それでもときどき『りある』に載せるエッセイの進み具合だけはチェックされた。
「一読者として、いずみのエッセイは楽しみなんだよ。俺のせいで休載なんてなったら、つまんねえじゃん」
「なんでサクのせいになるのさ」
「俺がいると書けないとか、そんなことねえ? 大丈夫?」
どうやらサクは、サクが私の部屋に入り浸っていることで、エッセイの進捗に支障をきたすのではないかと心配しているらしかった。
心配性だ。そんな心配など、無用だというのに。
「邪魔してないよ。むしろはかどるくらい」
そう答えると、ベッドに寝転がりながら漫画を読んでいたサクはちょっと顔を上げた。その顔は、どことなく訝しげだ。
なんか、疑われている。
「俺のこと書いてるわけじゃねえよな?」
「まさか。書くわけないじゃん」
「じゃあ何書いてんの?」
思った以上にサクは興味津々だった。勝手に私のノートパソコンをいじろうとする。残念でした、パソコンにはパスワードが……あ。
「だめ、だめ。見ちゃだめ」
しまった。つけっ放しだから、パスワードなしでも開いちゃう。
私は慌ててサクを押しのけて、パソコンをシャットダウンする。
……ちょっと詰めが甘かった。焦った。
「……そんな必死に隠されると、余計気になるんだけど」
「いやいやいや。内容はどうあれ、未完成作品を見られるのは恥ずかしいでしょ」
私の答えに、サクは納得しただろうか?
見ればサクは「ちょっと不審は残るけれどまあ筋は通っているしこれ以上詮索するのもやめておいた方がいいかな」って顔をしている。そうそう、やめておこうよ。詮索しても良いことはないよ。
ところが私の心の声を無視して、サクは問いを重ねた。
「じゃあ、何について書いてるかだけ教えろよ」
「なんでさ。一読者なら完成するの待とうよ」
「実はまだ書いてない、とか」
ぎくり、と心臓が音を立てた。いやそんな変な音を立てるのは心臓ではなくて腰かな? ひとまず腰は無事だけれど、心臓はちょっと、跳びはねるくらいの衝撃を受けた。
それで私は、図星ですって感じの顔をしちゃったんだと思う。
サクはしばらく私の顔を観察して、それからちょっとため息をついた。
「……ならそんな、慌てることないだろ」
「い、いやほら、だって。何も書いてないことがばれるのも、あれだし?」
「俺の口出すことじゃねえけどさ。ちゃんと書けよー?」
「大丈夫だってば」
とりあえず何の根拠もない、説得力さえ皆無の返答をしておく。それでもサクは優しいから、それ以上突っ込んで聞いてはこなかった。
サクが視線を漫画に戻したのを合図に、この件についての話はお終い。
今閉じたばかりのPCを再び立ち上げて、画面に向かった。ばれちゃった以上、頑張って書いているふうを装うくらいはしておく必要があるだろう。でも本当は何を書くのかさえ決まっていないから、キーボードを叩く指は一向に動かない。
毎日が充実していると、文章化したりほかの人と気持ちを分け合おうってしたりする気力が薄れてしまうのかもしれない。今の状態だとエッセイなんて、とてもじゃないけど書ける気がしない。
サクに邪魔をされているわけではない。けれど、筆が進まないのはサクのせいかもしれない。
そんなこと、怒られそうだし恥ずかしいし、サクには絶対言わないけれど。
***
講義が終わって昼休み。サクと一緒にラウンジへ向かうと、既にほかの三人はそろっていた。
「あれ? めずらしーじゃん、いずみが午前の講義に出てるなんて」
「失礼な。私だって二回に一回はちゃんと休まず行ってるんだよ?」
「いずみちゃん、それ、ちゃんとって言わないよ……」
午前中に国語国文学科の講義がある曜日は素晴らしい。ラウンジにサクと二人で現れたからといって、誰も気にしない。
本当は昨日の夕方からずっと一緒だっただなんて、誰も思っていないに違いない。
「そういえばさ、昨日サクといずみ見たよ」
えええ。案外タロなんかに疑われていたりするんだろうか。
「なに、どこで誰を見たって?」
私は心底ドッキリしたのに、サクはわりと普通な感じだ。普通な感じでタロと世間話でもするように話を続けてしまう。
「夜。二人でラーメン屋入ってったよな?」
「いずみ、あんた人と食事に行くときでも学生ラーメンなわけ?」
なぜか私が行ったというだけで、祐子の頭の中ではいつもの学生ラーメンになってしまうらしい。学生ラーメンでないラーメン屋さんだって一応あり得るだろうに、確認もしない。
まあ、実際学生ラーメンだったのだから反論のしようもないんだけれど。
そして私とサクという組み合わせに、何かを疑う人もこのメンバーではいないらしい。若干物足りないけれど、好都合ではある。
「いいじゃん、学生ラーメンでも。サクなんだし」
「いずみお前、俺をなんだと思ってんの」
彼氏だと思ってる、なんてこんなところでは口が裂けても言わない。それでも心の中では言ってしまう。言ってしまえる。くすぐったい。にやけないようにほっぺたを押さえた。
「でもいずみちゃん、珍しいよね。サク君と二人でご飯なんて。私もいずみちゃんとご飯食べたいなあ」
「えっほんと? じゃあ、今度は真理子も一緒に行こ」
「それいいな、久々に五人でどっか食べ行くか?」
私と真理子のデートを五人の食事会に置き換えるあたり、タロは狡猾だ。まあ、いいんだけれど。そのくらい協力してあげよう。
「行こう、行こう。私も皆でご飯食べたい」
「いいけどいずみ、真理子はお嬢様だから学生ラーメンなんて付き合ってくれないよ。大丈夫?」
面白がる祐子。そんなことない、なんて笑いながら首を振る真理子。いい具合に話が進んで満足げなタロ。へらへら笑いながら一応会話に混ざっている感じのサク。
こんなふうに一緒にいられる仲間がいて、彼氏がいて、その彼氏とは今絶好調で。なんて幸せなんだろう。
夢から覚めて、現実を見ている。そのつもりなのに、やっぱり私は現実っていう名前の夢の中にいるのかもしれない。
「んじゃ、テスト明けな。日にち決めて、予約しとこう」
気付いたら話はサク主導でいつの間にかまとまっていた。予約先は、たまに使うチェーンの居酒屋。ラーメンは駄目だけれど居酒屋なら良いっていう基準が私にはよくわかんない。結局は、私とサクの説得力の違いなのかもしれない。
ま、みんなが納得しているならなんでもいいんだけどさ。
「もう行かなきゃ」
話がまとまると、そろそろ午後の講義が始まる時間だった。次の三限は、サクと一緒に受ける講義だ。その後、サクには四限があるけれど、私はフリーになる。
サクがいないうちに家に帰って、エッセイをがっつり書き進めちゃおうか。書けない書かない書いてない、なんて調子のよいこと言っていないで、なんとか書く努力をしないといけない。
「いずみ、なにぼーっとしてんの。行こーぜ」
「あ、うん。待って」
急いで鞄を肩にかけてサクのあとを追う。たいして詰めてもいない教科書とノートの重さを感じて、そろそろテスト勉強もしないとなあと思った。テストの点数なんてどうでもいいけれど、せめて落第しないくらいの点は取らないと、真理子が悲しむ。
一緒に学年を上がれないと、サクも悲しむかもしれない。
家に帰ったらエッセイを書き進めつつ、ちょっとは勉強もしようかな。
恋人が勉強の原動力にまでなるなんて。恋人のいる日常って、なんて薔薇色なんだろう。




