どうやら、残念な子だったようです
はつを連れて、御簾の外に出てみたものの、薄暗い中に同じような御簾がぶら下がっているだけだった。てか、広いな、この家。平安時代の家は、基本的に壁がない。部屋といっても柱のみ。巨大なワンルームを、御簾というすだれや几帳というついたてで区切って部屋にしてあるのだ。壁がある部屋もないことはない。それは塗籠、と呼ばれていて、貴重なものをしまったり、寝室として使うこともあったそうだが、私の寝室には残念ながら壁はない。ちなみに、壁がないのは部屋同士の仕切りだけではなく家の一番外側にあたる部分も同様で、ドアである妻戸の場所以外は、蔀という格子戸でできている。格子戸を外してしまえば、柱だけになる。公園の中にある屋根と柱だけの休憩スペースを思いだして欲しい。あれに床をつけて巨大化したのが今の我が家だ。当然、隙間風どころか、何も遮るもののない風がそのまま吹き込んでくるので、めちゃくちゃ寒い。夜はさすがに閉める。格子戸とはいっても、格子状の木に板が貼り付けられているものなので、隙間はない。現代でいう雨戸だ。ただ、雨戸は外の光を全く通さないため、冬でも朝になったら格子戸を上げてしまう。風、素通り。ガラス窓のあった現代の生活が懐かしい。
ふと、何かの楽器の音がした気がして、耳を澄ませる。琴だろうか。この時代の女子の教養の一つに箏の琴、琴の琴、があったはずだから、誰かが練習しているのかも知れない。音の方向を目指して走り出す。急に走り出した私の後を、慌ててはつが追いかける。
「あら、阿久?」
御簾の中に突然現れた私を見て、母である北の方様が困惑した顔をしている。母の目の前には琴。そして、同じ室内には、母とおつきの女房らしき人のほかに、私より少し年上の女の子と、少し年下の女の子がいた。
「北の方様!二の姫様、四の姫様、申し訳ありません!」
追いついてきたはつが、必死に頭を下げる。母親と姉と妹ってことだよね。妹、いたんだね。というか、子どもが家族のいる部屋に勝手に入ってきたことに、そんなに恐縮する?公式な場ならともかく、どう見てもプライベートな時間だよね?母は、はつを見てにっこり微笑んだ。
「いいのよ、いつもご苦労様ね。阿久も元気になったようだし、あなたも大変でしょう。」
私が病気で大変ならともかく、元気になって大変とはどういう意味だ。
「ありがとうございます。阿久様、二の姫様の琴の練習の邪魔になりますから、あちらに行きましょう。」
はつが私の袖を引っ張る。
「箏、私は練習しなくていいの?」
ふと湧いた疑問を、誰ともなしに言うと、その場にいた大人全員が驚いた顔をした。
「阿久、箏を弾いてみたいの?」
北の方様が驚いたように言う。
「琴の音が嫌だって、暴れて逃げていたのに?」
これは二の姫。なんだか、すごく嫌そうな顔をしている。周りにいる数名の女房たちも驚いたような困ったような顔をしている。私は一体、どういう姫様だったのだろう。7歳といえば、手習いも始める頃だし、音楽だって習い始めるはずではないのか。音が嫌で逃げていた、というのはどういうことだ。
「私、琴を弾いてみたい。教えていただけますか、母上。」
はつのまねをして頭を下げてみたら、周りの人々は更に驚いて顔を見合わせている。
「では、一緒にやってみましょうか。阿久、ここに座って。」
北の方様が二の姫の横を示す。まだ幼い四の姫は見学なのか、一人の女房のひざに座っている。
「もう、いいけど、邪魔しないでよ?前みたいに琴を叩き壊したら、私、許さないからね。」
二の姫が、私をきっとにらみながら言った。琴を叩き壊す?私、何をやらかしていたんだ。どうやら、私はとんでもない姫様だったらしい。
「じゃあ、初めからもう一度、弾いてみましょう。」
北の方様が指示を出し、二の姫が琴を弾き始めた。北の方様は、二の姫が弾くメロディーに合わせるように伴奏を弾く。たどたどしい二の姫の演奏が、北の方様の伴奏のおかげで素敵な音楽に聞こえる。
演奏が終わると、北の方様は二の姫の演奏にいくつかアドバイスし、練習するように言った後、こちらに向き合った。
「まずは、音を出してみましょうか。私の琴でやってみましょう。ここに座って、そう、手はここ。」
北の方様の指示で、音を出してみる。びいーん。レだな。レの音だ。前世で琴はやったことがないが、ピアノは割と長く習っていた。何も押さえずにこの弦の音がレになるようにチューニングするわけだな。ついでに隣の弦もはじいてみる。びいーん。これはソだ。
「はじきかたはこれでいいですか?」
北の方様に聞いてみる。
「ええ・・・。」
北の方様はかなり戸惑った様子だ。すべての弦をはじいてみて、現代のドレミ音階のどれにあたるのかを確認する。西洋音階に足りない音、かなりあるんだな。足りない音はどうやって出すんだろ。とりあえず、足りない音を全部適当な音に置きかえたら、今知ってる曲を弾けるのかな。やってみよう。
思いつく「ちゅーりっぷ」だの「かえるの歌」だのの童謡を、足りない音を置きかえて弾いてみる。全然きれいじゃないけど、なんだか曲っぽいものに聞こえる?和風のメロディーといった感じの。面白くて色々いじってみる。
気づくと、周りの人々があっけにとられて、私を見ていた。
「阿久のための箏を、用意しましょう。」
北の方様が言った。