ここはどこ、わたしはだれ?
「阿久さま〜!」
尼削ぎ(いわゆるオカッパだ)の女の子が御簾の下からひょこっと顔を出す。この子は、はつ。私の乳母子だ。めのとご、は乳兄弟とも言う。同じ乳で育った兄弟、つまりは私の乳母の娘、ということだ。同じ時期に母乳を飲んで育ったわけなので、当然、年の頃は同じ。
乳母であるはつの母は、女房(平安時代の侍女や女官の呼び名)として私の世話係をしており、初めに私が見た、白い顔の女の人たちのうちの1人だったようだ。はつ自身は女童として、小間使いや私の遊び相手として、ここで働いているそうだ。こんな小さいのに、偉いよなあ。前世の娘を思い出して、しんみりする。
あまり考えたくはないが、30代ワーキングマザーの中学校国語教師だった私は死んだのだろう。そして、何故か、この子どもの体に魂だけがとばされてきた。現在の私は数えで7歳の女の子、平安時代っぽい世界の貴族の、3番目のお姫様らしい。最初はこちらの現実が夢なのだと思ったものだけれど。
「阿久さま、今日、いいものをもらいました!これ、阿久さまの分です。」
嬉しそうに袂から取り出したのは、ツヤツヤとしたどんぐり。庭の見えるところにはどんぐりがなりそうな木はないから、外で採ってきたものを誰かからもらったのだろう。平安時代のどんぐりは食用でもあったはずだから、料理を担当する誰かから分けてもらったのかもしれない。この時代の貴族の女性は、家の外はおろか、部屋の外へもめったに出ず、部屋に引きこもっているものだけれど、子どもで女童という役割(ちょっと物をとってきたりとか、手紙を受け渡ししたりとか、そういうお手伝いをするのが女童の仕事だ)をもっているはつは、屋敷内の色々な場所に出入りし、馬丁のような身分の低い人間にも可愛がってもらっているらしい。はつの元気で明るい性格や、いつもニコニコとした愛嬌のある顔を見れば、それも納得だ。
「きれいね!またお顔、描いてもらう?」
前にどんぐりをもらったとき、前世を思い出して、どんぐりに墨で目や鼻を描いた。正確に言うと、7歳の私の手では小さなどんぐりに上手く描けなくて、はつの母である近江に描いてもらった。その後しばらく、はつと二人でどんぐり家族のごっこ遊びをして遊んだ。
「母上、今日は縫い物で忙しそうだからなあ。」
はつは残念そうにつぶやく。近江は新年に姫様(私)が着る着物を準備するのに忙しいのだ。この世界は現在、師走の下旬、つまり年末に当たる。旧暦なので、現代日本の暦で考えると2月上旬だろうか。もとの世界で私が倒れたのは1月の下旬だった。この世界に来てから二週間ほど経つことを考えると、案外季節は一致しているのかもしれない?
ちなみに、現在の私である子どもは、長いこと熱病にかかり、死線を彷徨っていたらしい。私が最初に聞いたお経のようなものは、私の回復を祈る加持祈祷だったようだ。そのため、ここでの記憶が全くないことについても「高熱のため」「物の怪のせい」と都合よく解釈してくれた。何でも不思議現象は妖怪のせい…ではなくて物の怪のせいにしてくれる平安文化のおかげで助かっている。
「ね、私って部屋から出てもいいのかな?」
どんぐりをいじっているはつに聞いてみる。体力が回復しなかったのもあり、この2週間は部屋でゴロゴロしていた。その間に会った人といえば、近江を初めとする女房たちと、はつ、そして私の母親らしい北の方様だけである。ちなみに、北の方、というのは貴族の正室を表す言葉だ。平安時代の寝殿造の北の対という建物に正室が住んでいたのでそう呼ばれる。母、正妻だったんだな。仕えている女房たちの服装からして、相当上位の貴族だということがわかる。そこの正妻。三女でも、そこそこ楽な暮らしが出来るんだろうか。
ともかく、部屋にこもってばかりはそろそろ退屈になってきたし、情報収集もできない。今、わかっているのは季節と自分の歳と、幼名くらいだ。正確な時代もわからない。親が歴史上の誰なのかもわからない。いや、もちろん、私の知る平安時代と同じとは限らないけど、もし、同じだったとしたら、自分がどこの誰なのかは知りたい。藤原なのか、源なのか。とにかく、屋敷の中を歩き回って、おつきの女房以外の人に会ってみたい。
「部屋の外、ですか?」
私の問いかけに、はつが変な顔をする。やっぱり、子どもとはいえ、姫君が部屋の外なんかに出るものじゃないのかな。
「阿久さま、いつも出てましたけど…」
出てたのかい。まあ子どもだしね。そういえば、源氏物語のヒロイン紫の上も、子どもの頃、庭で遊んでたんだっけ。それを光源氏が垣根の隙間から覗き見たんだったな。
「じゃあ、早速行こう!」
私は立ち上がると、御簾を払って部屋の外に出た。
「行くって、どこにですか?」
困った様子のはつが慌てて後からついてくる。目的地はない。とにかく、できる限りこの屋敷内をウロウロして、この屋敷がどうなっているのか知りたい。