第二話
自分で書き始めて気付いた事ですが、全然話が進みません。
夏休み明けの、まだ休み疲れがとれないある日。
テストも終わり、その解放感から放課後の予定を大声で話すクラスメイト達を横目に、地井斗真は一人、窓の外を見ながら物思いに耽っていた。
(ジジイが死んで一年か)
高校一年生の彼は、幼い頃に両親を亡くし、引き取られた父方の祖父のもとで暮らしていた。
母方の祖父母はその頃既に亡く、父方の祖父も親戚付き合いをしていなかったため、幼くして斗真には家族と呼べるものが祖父一人しかいなかった。
ただその祖父は、世間から見ると相当な変わり者であったらしく、斗真が引き取られた8歳の頃より、祖父独自の武術を叩き込み始めた。
初めは木刀での素振りや、柔軟やランニングといった一般的な内容であったため、斗真は両親を亡くした悲しさを忘れるように、懸命に取り組んでいた。
そして斗真が10歳になり、その体格が大きくなると、打ち込み稽古や立ち会い稽古が始まった。
しかしこの頃から、祖父の変わり者ぶりと言うべきか、親戚が祖父との付き合いを無くしたがる原因とも言うべきものが、ハッキリと現れ始めた。
「立てぇッ!立つんじゃ斗真ッ!」
それは、木刀で体を打ち据えられた痛みに耐えかねて、その場に蹲る孫に、祖父から掛けられた怒鳴り声であった。
「むっ無理だよじぃちゃん……身体中が滅茶苦茶痛いんだ。骨が折れてるかも……うぅ」
「骨が折れたら敵は情けを掛けてくれるのかッ!その様では殺されて奪われるだけじゃぞ!斗真ッ!気を強く持つのじゃ!痛みに負けずに立ち向かい強くなるのじゃッ!」
(敵って何だよ、殺されて奪われるって何なんだよ!一体何と戦わされるんだよ!)
10歳の斗真が、出来る限りの哀れさで体の痛みを訴えても、祖父から返ってくるのは、謎の敵との戦闘を想定したような精神論のみであった。
斗真と祖父の、木刀を通じたやり取りは、一事が万事この調子であった。
斗真の心が折れなかったのは、家族と呼べるものが祖父しか居なかったのも大きいが、武術の鍛練の時以外の祖父が、まるで別人かのように優しかったからでもあった。というよりも、普段は優しい祖父が、鍛練の時になると、人が変わったかの様に厳しくなるというのが、斗真の祖父に対する印象であった。
(まぁでも、鍛練の時のジジイは見紛うこと無く、鬼そのものだったけどな)
それ故に斗真は、鍛練による痛みや恐怖、祖父への不満などがあっても、自分自身が強くなりさえすれば、一日中優しい祖父になるのではないかと思って、厳しい鍛練にも打ち込み続けていた。
(まぁそれも、儚すぎる願いだった訳だけどな)
しかし斗真は、人生とは想像も出来ない事の連続であると思い知らされる事となった。
もともと地井家は、一般的な一軒家であって、道場を併設できる程の広い敷地は無かったのだ。
では二人が普段、どこで鍛練をしていたかと言うと、家の隣にあった車庫を改装して、20畳にも満たない極小道場をでっち上げていて、そこで日々鍛練をしていたのだった。
(ギリッギリ、手作りじゃない感じなんだよなぁ)
その道場の作りや外観は古く、道場が建ってからそれなりの時が経っているのが敷地の外からでも伺えた。
(よくもまぁ何度も台風を乗り越えたよなぁ、あのボロ道場)
また道場自体が狭いため、換気のために常に小窓を開けており、そのせいで道場内の音は、祖父の怒鳴り声から何かを打ち合う音、そして斗真の泣き声までが余すところ無く、ご近所さんへと伝わっていた。
(そういや虫は入ってきても、鳥や猫の類いは一度も入ってこなかったなぁ)
当然のように、ご近所さんの警察や児童相談所への通報は鳴り止まず、連日のように警察官や児童相談所の職員などが、地井家を訪れていた。
(あの頃は訳も分からなかったから、毎日のように警察官やスーツ姿の大人達が会いに来るじぃちゃんスゲェ、としか思わなかったんだよなぁ)
そのような地井家の評判は、地の底よりもまだ低く、祖父共々ご近所では、空よりも高く浮いた存在になっていた。
(多分ご近所さんとまともに挨拶したのって、ジジイが入院してからだったもんな)
これより更に事態が悪化したのは、斗真が12歳の小学6年生の時であった。
斗真の体が益々大きく成長し、それにつれて鍛練がより苛烈になっていく中で、祖父の木刀が斗真の顔に当たり、そこに大きな痣を作ってしまったのだ。
(もともと顔以外には、数えるのもバカらしくなるくらいには、痣があったんだけどな)
今までの祖父は、斗真の目や鼻、耳といった重要な器官がある顔を木刀で狙うことは殆ど無く、あったとしても常に寸止めにしており、それまでの斗真が持っていた、自身の顔面への攻撃に対する恐怖心を克服させる為のもののみであったのだ。
(そもそも10歳のガキ相手に、顔面以外セーフの時点で十分イカレてるんだよなぁ)
しかしその日は、日々の鍛練と体の成長により調子の良かった斗真が、いつもより速く踏み込むことに成功し、それに対応しようとした祖父は、斗真が苦手とする顔面に対して、振り下ろしの一刀を放ったのだが、斗真の踏み込みの速度が想定以上だったのか、寄る年波に流石の祖父も抗えなかったのか、寸止めとなるはずだった一刀は、見事に斗真の顔面を捉えてしまったのだった。
(まぁ俺は即気絶したせいか、痛みを全く感じなかったからラッキーだったけどな)
斗真が幸運だったのは、気絶こそしたものの祖父の木刀は、顔の側面を捉えたのみで、目や鼻、そしてギリギリではあったものの、耳にも当たることは無く、そのお陰か後遺症と呼ばれるものは何一つ無かったのだ。
(まぁでも、顎を砕かれて口がカパカパになる可能性もあったから、痣だけで済んだのはやっぱり幸運だったよなぁ)
更に斗真としては、いつもより速く踏み込めた事や、祖父からの顔面に対する一刀を避けきる事こそ出来なかったものの、木刀が
当たる寸前で僅かに顔をずらして、その直撃を避けることに成功した、自分自身の成長を実感した喜ばしい出来事であったのだ。
(ハッキリとは覚えてないけど、気絶してる間にいい夢を見てた気がするんだよなぁ)
しかし世間が斗真と同じ感想を抱くことは無かった。
(まぁ俺が世間側でも、間違いなくジジイを批判しただろうからなぁ)
もともと地井家は、やたらと警察官や児童相談所の職員の立ち入りが多かったのだ。そしてその家の子供が、顔に大きな痣を作っていたのだ。
ご近所の人達は、『いよいよ顔に手を挙げ出したか』や『これは躾の域を越えている』や『ようやく逮捕されるのか』などと噂しあっていた。
更に斗真自身も、学校で教師から何度も痣が出来た経緯を聞かれた上に、何故か同級生の間では、『斗真が両親を殺したから、祖父から恨まれて虐待を受けている』などという、根も葉もない噂が流されてしまっていた。
(そういやあの噂流した奴って、結局誰か分からないままなんだよなぁ。今でもその手の陰口叩かれてるし)
挙げ句の果てには、警察官や児童相談所の職員、学校の教師のみならず、マスコミ迄が地井家に押し掛けて来たのだ。
(流石にあの時はヤベェんじゃないかと焦ったなぁ。ジジイは平然としてたけど)
その様な事態に陥っても、祖父は変わらず斗真をしごき続けていたし、警察官やマスコミに対しても、『武術の鍛練であり、虐待等では無い』と言い放ち胸を張り続けた。
(ジジイのメンタルぶっ壊れてるよな)
しかしこの時、祖父の発した『武術』という言葉が、更なる火種を巻き起こした。
(まぁこれに関しては、しゃあなしだな。うん)
これというのも、祖父が言い張り続ける地井家の武術には、それを表する名前が無く、その流派すら定かでは無いという、民間療法すら裸足で逃げ出すほどに曖昧なものであったからだ。
(いやもぅこれ、ジジイはメンタルごとイカレてたんだな)
当然マスコミは、その曖昧な部分を祖父に追及したものの、結局意見が平行線を辿ると、最終的に『武術の名を借りた悪質な虐待である』とワイドショー等で報じたのだ。
その結果祖父は、一躍時の人となったのだ。勿論これ以上無い程悪い意味であったのだが。
(まぁ良くも悪くも世界に名を残したんだよなぁ……うんまぁ良くはないか)
連日地井家の前には、テレビカメラを抱えた報道陣が居座り、祖父のみならず斗真も、顔を撮られる事こそ無かったが、家から出る度にフラッシュが炊かれ、見ず知らずの大人達に囲まれては質問を浴びせかけられる日々が続いた。
(俺にとっては、マスコミのやり口の方がよっぽど虐待だったけどな)
その様な日々に業を煮やした祖父が、報道陣を怒鳴り付けると、その映像が翌日のワイドショーを賑わして、更にそれを観た同級生達が、学校で斗真の陰口で盛り上がる。そんな益体もない日々が凡そ3ヶ月程続く事となった。
(何で俺に対する陰口が、俺の耳に入るのだろうか)
斗真もいい加減、報道陣の存在に慣れ始めた頃、地井家に一人の警察官が祖父を訪ねてやって来た。
(くっそデカイ警察官だったんだよなぁ)
その警察官は、祖父に会うなり『お孫さんの腕前を見せてほしい』と言ったのだ。
そして続けて『日々この家で行われている事が、真実武術の鍛練であるならば、その成果を見極めさせてほしい』と言ったのだ。
(あの警察官、見た目通りの戦闘狂だったのかなぁ)
祖父は警察官の申し出に二つ返事で応えると、斗真と警察官を連れて道場へと入った。
(ジジイ、俺には何の説明もしないで、木刀渡してきただけだったもんな)
突然の展開に驚く斗真を尻目にその警察官は、興味深そうに道場内を見回していた。
「ホレ二人とも、いつまでもそうしておらんと、さっさと立ち会いなさい」
祖父の言葉でようやく我に返った斗真は、今から立ち会う事になった警察官の姿を見つめて、その実力を計ろうとした。
(まぁ12歳の俺じゃあ、ただデカイって事しか分からなかったけどな)
斗真の静かな眼差しを受け止めた警察官は、ほんの少し頬を緩めると、体ごと斗真に向き合った。
おそらく190センチメートルを越える身長と、間違いなく100キログラムを越える体重の持ち主に、斗真はまるで熊を相手にしているかのような錯覚を受けていた。
(まぁあの頃に、熊なんて生で見たこと無かったけどな)
「では二人ともよいな…………始めッ!」
祖父からの呼び掛けに、少なくとも斗真は応えたつもりは無かったのだが、知ったことかとばかりに、祖父により強制的に立ち会い稽古を始めさせられてしまった。
(まぁジジイの無茶振りは、あの時始まった事でも無いもんなぁ)
斗真は、自らの戸惑いを振り切るために、木刀を上段に構えて熊警官に視線を向けると、いつの間にかその手に、見慣れた木刀が握られている事に気付いた。
(あの熊警官、いつの間に木刀を受け取っていたんだろうか)
「…………木刀ちっさ」
斗真が思わず呟いた言葉が聞こえたのか、突然熊警官から凄まじいプレッシャーが放たれた。
(アレは俺も武術をやってなかったら、間違いなく漏らしてたね。ってか12歳のガキにぶつけていいプレッシャーじゃなかったからねアレ。虐待の現行犯だからね、アレ)
斗真は、熊警官を正面から見据えることすら出来なくなる程のプレッシャーに、思わず俯いてしまいそうになるが、祖父とのこれまでの鍛練の成果か、一つ深呼吸をすると、今度こそ正面から熊警官を見据えた。
(今だから分かるけどあの熊警官、多分130キロ近くあっただろうな。縦にも横にもデカかったしな)
斗真は、もう一度深呼吸をすると、足下から順に力を入れていき、その動きに淀みが無い事を確認すると、こちらを見据えたまま動かない熊警官に向かって、12歳の少年とは思えない程の速度で踏み込むと、その勢いのまま木刀を上段から振り下ろした。
「やぁッ!」
地井家の道場から、その日一番大きな音が鳴り響いた。
読んで頂きありがとうございます。