第八話
月明かりが照らす露天風呂。手伝い妖精たちが毎日手入れをし、いつでも入れるようにしている憩いの場に彼女は一人で顎まで浸かっていた。
口からゆっくり息を吐き出しながら疲れがとれるように脱力しきったスウは、今日あったことを思い出していた。
「あぁ~……。お風呂っていいわぁ、人間の作り出した文化の神髄ね……」
双子を拾い、諸々の手続きを済ませたアキラ達は家に戻った後部屋割りを決めた後すぐに夕食を食べて眠ってしまった双子をそのベッドの上に置いて来た。アキラ達がカプセルから出すまでずっと眠っていたままのはずだったが、初めての食事でテンションが上がったことと両親の話が長かったことで夕食が住んだ後ほどなく眠ってしまった。
アキラ達もまた戦闘での疲れはそこまでではなかったがそれ以外の、子供を引き取る際に必要になる書類に目を通しサインをすることに疲れていた為戻った後は手伝い妖精に諸々の事を頼んだ。
アキラの方はカタナの手入れと明日の朝食の仕込みをし始めていたが、スウの方はアキラの方に確認もとらずにすぐに風呂に入った。これがその後に響くことなど怠惰な彼女は想像すらしない。
理由は先程まで考え覚えることがあり疲れたから。生粋の怠惰者である彼女らしい理由だろう。
「ふぅー……。あれだけの書類書かないといけないなんて人間社会での生活って本当面倒ね」
肩まで湯船につかったまま呟くスウだったが、一つ一つの書類に意味があることは理解していた。またその説明をしていたサーラはこの手の事に非常に厳しく内容を理解するまで笑顔を浮かべたまま、その上で理解しないことを許さないという雰囲気を出しながら根気強く教えた。
アキラもスウも頭は悪くないがそれでも束ねれば5cm程の厚さになる書類全てを理解するのには堪えたらしく、家に帰ってきた時には疲労困憊だった。
それでも次の日の準備や今日の片付けをしなければ気が済まないアキラの事をスウは変なところで真面目だと思っている。
「つっかれたー……、とりあえずあとは明日やればいいか」
「ッ!?」
聞こえて来た肉体的に言えば異性の声に咄嗟に近場にあった景観を整える為に備えられた岩の裏に隠れたスウは、声の主にばれないように視線をそちらに向ける。そこには予想通り片手に体を洗うために用意したタオルを持ったアキラがいた。
その鍛え上げられた肉体は普段服で隠されていた為分からなかったが武術とは縁のないスウにも分かるほど無駄一つない、機能美のみが追及されたものだった。
「やっぱ汗を流しておかねぇと気持ち悪くて眠れねぇなぁ」
(それには同感だけどなんで中にいること確認しないで入ってくるのよアイツはぁ!!)
身体の至る所に傷のついたアキラの身体から目を離せず、かと言ってジッと見ていられる程彼女の羞恥心は壊れていなかった。結局いつも見ている場所、彼の整っていると言える顔を見るしかできなくなった。
スウは自身のこの変化に驚いていた。確かに精神は肉体に引っ張られるものだとは分かっていた。『龍』であった時に比べ怠惰に過ごす事に加え食欲や本を読むなどの欲求も出てきていた。今この露天風呂に使っていることもまた以前なら考えられないこと。
「あぁ~、いい湯だねぇ~……」
(こっちの気も知らないでぇ……!!)
こうして異性差を気にして隠れることも、またその一つだった。
『龍』であった時も一応性別はあったが、それを気にさせる相手など存在しなかった。他の龍と会うことなど決してなく、会ったとしても恐らくは殺し合いに発展していた。
(殺しあいもしたけど、それでも普通に接してくれたのは、アキラが初めて……?)
そう考えれば目の前で呑気に湯に浸かり、鼻歌など奏で始めた青年こそが彼女にとって初めて接する異性だという事に今更気付いた。
始めて会った時は殺し合いをし、次に会った時は目的があるとはいえ唇を重ねた。そしてそこから一週間近く共に過ごし、今はこうして同じ湯に浸かっている。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!」
「んあ?そこに誰かいるのか?」
そのことに気付いた彼女は今まであったことを瞬時に思い出しおもわず顔を赤くさせ両手で火照った頬を抑えてしまった。その際に立ててしまった水音に、いくら気が抜けていたとしても百戦錬磨の戦士であるアキラが気付かないわけがなくスウの隠れていた岩の裏を覗き、そこにいたスウと目があう。
「あぅ……」
「……なんでお前は言ってること言わねぇんだ?」
「しょ、しょうがないでしょ!?というかいきなり入ってきて乙女の入浴覗いた分際でよく言えるわね!!私じゃなかったら殺されてるわよ!!」
この露天風呂の湯が透き通ったものではなく濁り湯だったことに感謝しながらアキラはスウが隠れていた岩に、彼女と背中合わせになるように座った。
互いにまだ出る気がないのでその折衷案としてなのだろう。それを理解したスウもまたそのことについては何も言わずに受け入れた。隠れたことについてはいいとしても、アキラの身体を盗み見してしまった事に対して少しの後ろめたさがあったのだろう。
それに、これは聞きたかったことを聞くいい機会だという考えもあったのだろう。
「……ねぇ、なんであの子達をひきとったの。いくら懐かれたって言っても別に引き取る必要はなかったんじゃない」
「んー……。なんていうかさ、ああいうの見たら放っておけなくてな。ついやっちまった」
「それって同情?」
言った後でその言い方の悪さに気付いてしまったが後の祭り。この程度で怒り狂うような狭い心の持ち主ではないことは今の自分が比較的自由に過ごせていることで分かっている。
だがそれと機嫌を損ねていいかはまた話が別になる。これからも同居生活を送らざるを得ないにも関わらず、この先ぎこちない生活を送るのは非常に疲れることが想像にがたくない。
人間としての生活を数週間とはいえ送ってきたスウだが、もし仮に行った善行をアキラから「同情でやったのか?」と問われたらイラつくだろうことは分かってきていた。
「あー……。まぁそれもないとは言えないが、一番は代償行為だろうなぁ」
「へ?代償行為?というか怒ってないの?」
「図星指されて怒る程俺は狭量じゃないんだ」
だがスウの予想とは反してアキラの反応は淡々としていた。言われても仕方ない、そういった諦観があると分かってしまう。
チャプ……、その水音がアキラが深く湯に浸かったことをスウに教えた。自らの背にいるであろう青年が何を考えているのか、この時彼女は今までで一番知りたくなったのかもしれない。だから、不躾であっても聞いてみた。そうしなければ理解することなど叶わないのだから。
「今日言っていた家族のこと?」
「そうそう。あの時のさ、俺とお前を見てあの二人が呟いた言葉でどうしても見捨てられなくてな。昔の自分を見てるみたいだったから」
だから代償行為なんだ。
自身の行動の動機を語ったアキラの言葉は自嘲の響きが混ざっていた。自分自身、その行為がどういう事なのかを理解していたからだろうそれは、スウにとっては潔癖症の言葉に聞こえた。
そのことに僅かに手を握りしめた彼女に気付かず、アキラは続きを話した。
「俺の家は昼にも言ったけど結構デカい家でな。護国組織なんてもののトップだった。俺はそこに生まれた次男。後継者は兄ちゃんになるって生まれた時には決まってた。だけど、俺が生まれた時、一つだけ問題が起きた」
「問題?」
問いかけるスウの言葉に深い溜息をつきながら、かつての事を思い出を語る。踏ん切りがつくまで長い間気にし続けて来た自分の傷。きっかけがなければいまだに抱え込んでいたであろう自身の過去を、告解するように重い息と共に吐き出す。
「俺の爺ちゃんは、歴代最強って呼ばれてる剣士だ。生まれた時から特別だった。初めて握った木刀で指南役を打ち倒し、10歳の頃に実戦に初めて出撃して他のベテラン剣士以上の成果を上げ、そのまま国の守護者になった生き神と言えるような存在。間違いなく今の俺よりも強い剣士」
「そんな爺ちゃんと瓜二つの容姿で生まれたのが俺だった」
「―――――――――――」
人間社会の構造を理解しきれていないスウだが、今まで相手にして来た人間とその言葉。そしてその者達が持っていた本から人間という生物がどんなものかを彼女の優秀な頭は理解し、想像させることに成功させていた。
最強のかつてと同じ容姿と、血筋。それを見た周りがどんな行動を起こす事かも瞬時に理解してかつて彼の身にあったことを分からせた。
「家族や一族どころか、国全体が喜んだよ。今この時の平和があるのは間違いなく爺ちゃんの実力があったからだ。もしも爺ちゃんが死んだらどうすればいいか上の連中はずっと考えてたみたいだからな。俺が生まれた時、アイツらは両手を上げて万歳しながら喝采を上げたそうだ」
おかしそうに笑いながらそう言うアキラに反比例するようにスウの表情は険しくなる。
背中合わせとはいえ、その動きが手に取るように分かったアキラはそのことに嬉しさを感じ、余計に笑いながら続きを語った。
「だからまぁ子供の時には遊ぶなんてことはしなかったな。俺に子供の頃から爺ちゃん以上の努力と教育を施せばきっとこの国は安定だって母上殿は言ってたっけ。期待かけられてたってことだ」
「……父親に、居るって言ってた兄は止めなかったの?」
「父上殿はたまに気にかけてくれてたが、生憎と全国どこでも何かがあればすぐに動かなきゃいけない人だったからな。止めるのは無理だった。兄ちゃんも次期当主としての教育が待ってたから俺に構う暇はなかったぞ」
だから5歳の頃に始まったその教育をおかしいと思うことはなかった。人は比較対象があってはじめて自分の周りの以上に気付く。そもそも比較対象が無ければおかしいなど思えるはずもない。
笑いながら、そんなこともあったっけと思いだし話すアキラだったがその一方で手を握りしめてる少女の様子には気付かない。アキラが話せば話す程スウの胸には言いようのない怒りが湧いていた。それがなぜ生まれるのかもわからないままただ彼の話を聞くしかない自身にも苛立ちながら。
「でもまぁ爺ちゃんみたいな規格外と俺は違った。確かに俺は天才って言える存在なんだろうけど、本物の、神様と評される男とはものが違った。剣士として、成長した今でさえ俺は勝てない」
「……『龍』である私に勝ったにも関わらず、今も勝てないって断言するの?」
「ああ勝てないね。あの時俺は俺一人じゃ勝ててなかったけど爺ちゃんなら勝ててた。間違いないね」
「……強さにそこまでこだわりはないけどそんな風に断言されるのは結構屈辱ね」
自身の祖父に対する絶大な信頼。苛烈を極めた修練の元凶に対する言葉にしては優しく、尊敬の音が大多数を占めていた。
それはきっと、青年を今の青年にした何かのきっかけなのだろう。想像するしかできないスウには、しかしそれでも感謝の念が浮かぶ。その何かが無ければ出会う事もなければ、こうして一緒の湯に浸かるという事もなかったのだろうから。
「だからまぁ、俺はまともな家族なんてものを知らねぇんだ。それを寂しいと思うことはあっても仕方ねぇとも諦めてる。俺はそれでいい。生まれなんて決めれるもんじゃねぇし、しっかり食わせてもらったんだから文句はねぇ。飢えて生きてきたやつらに比べたらずっと恵まれてる」
故郷を離れ、海を渡し、各地を旅して見てきた光景。それを思い出せば飢えて犯罪を犯す者がいたことがあると分かる。それほどまでに追い詰められた彼らに比べれば自身の不幸など不幸など言えないだろう。アキラは本心からそう言っていた。
「……だけど、あの双子が俺の事を……「父さん」って呼んだ時に、咄嗟になんか出来ないかって思った。きちんとした家族なんて俺は知らねぇけど。どういうものか想像でしか思い浮かべれないけど。俺をそう呼んだアイツらにはちゃんとしたのをやりたいって思った」
「……だから代償行為、ってことね。自分がおくれなかった生活を与えたいって意味でここまでやったから」
「笑いたければ笑えばいいし、軽蔑したければ軽蔑してくれていいぞ?」
「笑わないし軽蔑もしないわ。私も似たような感じだし」
馬鹿にされるのも軽蔑されるのもまた当然。そう考えての言葉だったが真っ向から否定され、それどころか共感までされたことに先程まで浮かべていた笑みが消え少し驚くアキラ。
岩の向こうからその感情が伝わってきて、少し気分が晴れて笑うスウ。腕を伸ばしながら彼女は一緒に夕食をとった時の双子の笑顔を思い出した。
「私は『龍』、創造主はいたけどそれとももう何千年と会ってない。覚えることすら怠けてたからどんな存在だったかも覚えてないわ。それを私は悲しいとは思わないけど」
それと同じ経験を一緒に笑い、一緒のテーブルを囲んだあの双子の少年少女には味わわせたくないと思う。それは間違いなくこの数週間共に過ごした男の影響だと思うと、人間の体と心は変わりやすいことに少しおかしくなる。『龍』として生きていた頃には決して抱かない感情をこうして抱けるのは悪い事ではないとそう思えることにも、また笑みが浮かんだ。
「私はこうしてお風呂に入ることも、ご飯を食べることも、買い物に行って知らない物を見るのも好き。『龍』であった頃にはなかった感情も新鮮で嬉しい。こういう事が幸せなんだって考えることも増えて来た。『怠惰』であることが決められていたのが私のはずなのに、それから外れることも楽しんでいる」
生まれた時からそうあれと周りから望まれ、その通りに生きて来た二人はいわば似た者同士なのだろう。方向性は違っていても自分という者を持たずに生活させられてきた彼らが出会ったことは果たして偶然なのか、運命なのか。
きっとそれさえも二人、いや四人にとってはどうでもいいことだ。
「家族、言葉や意味は知っていても実態は知らないその存在。憧れなんて私にはないわ。それでもあの子供達が私を「お母さん」って呼ぶなら、私はあの子たちの母親になりたい。……ちゃんとできるかは分からないけど」
「……俺とも家族になるってことだぞ、それ」
「書類上ではもうそうなんでしょ。書類に実態が追い付いただけのこと。そう気にすることでもないわ」
それに見てて飽きない男の傍にいるのは退屈しないだろう。これから忙しくなって、怠惰に過ごせる時間は少なくなるだろうけど、それでもいいと少女は自然と思えた。
青年もまた白金の少女の言葉に静かに笑った。強くなることだけを考えていた自分が、強くなる為に挑んだ先で出会った二人の子供の為に他の事を目指すなど今日の朝には思いもしなかっただろう。そして、それを悪い事だと思わないことも。
アキラは背もたれにしていた岩から離れ、それに気付いたスウは岩の陰から顔を出す。スウがこちらを見ていることに気付いたアキラは、顔を少女の方に向けて、笑みを浮かべてこれからの事を宣言した。
「俺は家族を知らないけど、それでも家族として全員守る。だから、お前もアイツらの事、任せる」
「頼まれたわ。「母親」なんて分からないけど私なりに努力してみるわ。私なりに、ね」
「そうか、それなら安心だ」
そう言って湯から立ち上がり振り返ったことでアキラの局部が、スウの目の前に出された。人間の身体になり、異性差を気にするようになった彼女にそれは大きすぎる衝撃となって襲った。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!!」
遠目では湯気に隠れ見えず、至近距離で、その上初めて見るそれにスウは圧倒され、一瞬で頭が沸騰するように熱くなりお湯の中に目を回しながら頭から突っ込んだ。
突然気を失った少女に驚きながら必死に彼女の裸身を見ないように慎重に動く。初めて露天風呂に入ってのぼせ、手伝い妖精に助け出された時のようにアキラに担ぎ出された彼女は一晩中うなされていた。