眠り姫
そしてその場には、悠己と小夜の二人が残される。
ずっと黙り込んでいた小夜へふと視線を向けると、やや伏せがちに目をそらされた。
「ごめんね、今瑞奈呼んでくるから」
「あ、いえあの……無理には……。やっぱりわたしも、か、帰ります……」
「そんなこと言わないで、瑞奈と遊んであげてよ」
せっかく来てくれたのにこのまま帰すのは申し訳ない。
向こうでくつろいで待ってて、と小夜に言い残し、再度瑞奈の部屋のドアノブをひねると、今度は意外にも素直にドアが開いた。
おおかたガッツリドアの前で踏ん張っているかと思ったが、部屋に入ってみるとなぜか瑞奈は行儀よく勉強机に向かっていた。
「出てきなよ、もう魔物は帰ったからさ」
そう声をかけるが、瑞奈はじっと机にかじりついたまま見向きもしない。
どういうわけか机の上には教科書や問題集が広げられている。
「何? 急にどしたの?」
「瑞奈は勉強中です。邪魔しないで」
「別に今やらなくてもいいよ」
「なんで? あれだけ勉強勉強うるさかったくせに」
勉強していると言えば見逃してもらえるとでも思っているのだろうが、よくよく見たらノートに絵を落書きしているだけだった。
無理やり連れて行こうにも机にしがみついて離れようとしないので、ダメだこりゃ、と悠己は一度部屋を出る。
リビングに戻ると、小夜が恐縮した様子で立ちつくしているので、ソファに座るよう勧めて自分もすぐその隣に腰掛ける。
「いつもはこんなことないんだけどね。小夜ちゃんがいて緊張してるんじゃないかな」
そうは言ってみたが、いつもこんな感じだったかと思い返す。
にしても拒否反応がいつにもまして強い。
「アイス食べる? ちょっと溶けちゃってるけど」
袋からアイスを取り出して「どれがいい?」とテーブルに並べる。
小夜はまたも遠慮がちだったが、半ば無理やり押し付けて、一緒にアイスを食べ始める。
結構、というかかなりおとなしい子らしい。小夜はただ黙々とソフトクリーム型のアイスに口をつけている。
普段うるさい輩ばかり相手しているだけに、いつもと勝手が違って少し調子が狂う。
「うちの妹、学校でいつもどんな感じなの? ちゃんとやってる?」
なので悠己から話題を提供してみる。
前々から気になっていたが瑞奈本人に聞いても大嘘しか返ってこないし、ちょうどいい機会だ。
小夜は急に尋ねられてはっとしたように身をすくめたが、一度アイスを口元から離すと、
「が、学校でですか? な、成戸さんは、その、なんていうか……お、お姫様で」
「お姫様?」
「あ、えっと、その……。み、みんなから眠り姫って言われてるんです」
突然の謎ワードに悠己は首をかしげる。
別にそんな普段から眠たいキャラなんてことはないし、なんならむしろ夜ふかししまくっている。
だから学校で寝ているのだろうか? とも思うがそれも何か違うような気がする。
「成戸さんよく眠ってるし、体調が悪そうなときも多いみたいなんで、なんか話しかけづらいというか……みんな起こさないであげようって」
「それで眠り姫……?」
話を聞いてもいまいち釈然としない。
たしかに瑞奈は体調を崩しやすく風邪なんかはよくやるのだが、ムダに薄着でいてそのまま寝るだとか、いつまでも髪を乾かさないでいるとか、ほとんどが自業自得。
それが病弱だとかそういうイメージ形成に一役買ってしまっているのかもしれない。
「それに絵が上手で、授業のときもいろいろ描いてるみたいなんですけど」
「いや授業聞かないとダメでしょ」
「でもこの前数学のテスト返されたとき、成戸さん答案用紙落としちゃって拾ってあげたんですけど、そのときつい点数見ちゃって。授業全然聞いてないみたいなのに、それがなんと92点」
「それわざとじゃなくて?」
「へ?」
わざと落として点数を見せびらかした疑惑。
前回のテストで瑞奈は数学だけ92点を取るという奇跡の偉業を成し遂げた。
帰ってくるなり悠己にも見せびらかしてきたが、これも勉強をつきっきりで見ていた凛央の力だと思われる。
ただし数学以外は軒並み平均点以下、なんとか赤点は免れるという普段どおりの残念具合。
「見せてあげようか? 証拠隠滅しようとした他のテスト」
「なんですかそれ?」
そのとき、かすかにリビング入口付近に気配を感じてそちらを振り向くと、さっと人影が物陰に隠れた。
すかさず立ち上がって大股に近づいていくと、瑞奈が背中を向けて自分の部屋のほうへ逃げたので、追いかけていってドアを閉められる前に腕を差し込んだ。
「なぜそうやってすぐ逃げる」
「……ゆきくん、ずいぶん楽しそうにお話してましたね」
「瑞奈も出てきて一緒にしゃべればいいじゃん」
「なにしゃべってたの」
「んー別に何ってことは……」
瑞奈はじっと悠己の反応をうかがってくる。
隠れているくせにずいぶん気になっているようなので、先ほどの話の真偽はいかにと尋ねてみる。
「瑞奈は学校で眠り姫なんだってね」
「半笑いで言わないで」
「なんでそんな眠たいわけ? いつも夜ふかししてるからじゃないの?」
「ちがわい!」
じゃあなんだというのか。
自分でそう言われている自覚があるというのもよくわからない。
瑞奈は「ぬぅ~余計なことを~……」と握りこぶしを作ってプルプルさせだすと、
「やはり魔物の妹は魔物や。敵」
「全然そんなことないって、普通におとなしい子だから」
「それはゆきくん、すでに魔物に魔法かけられてますね。やつらのじゅっちうですよ」
「言えてないし、アホなことばっかり言ってないで来なよ。仲良くなれるチャンスじゃん」
眠り姫だなんだとご大層な呼び名ではあるが、要するに孤立しているのは間違いない。
おおかた一人で寝たふりをかましていたら、勝手に周りが勘違いしてもてはやしだしたとかそんなところだろう。
偶然にも小夜は瑞奈には好意的なようだし、今まさに同じクラスの友達を作れるまたとない機会だ。
「だいたい何がそんな嫌なの? 別にいつもどおりにすればいいじゃん。ほら、相手を唯李だと思って」
「そんなことできるわけないでしょ」
ひどい扱いだ。
唯李には嫌われるような言動をしているというのか。
「じゃほら、おんぶしてあげるから」
「じ、自分で歩きますぅ! 何がおんぶよ、子供じゃないんだから!」
さっきは自分で言いだしたくせになぜか今度は逆ギレ。
瑞奈はいい加減に腹を決めたのか、プリプリしながらもくるりと身を翻す。
そしてモデル歩きの出来損ないのような怪しい挙動でトイレへ向かおうとするので、そっちじゃねえだろと腕を引いてリビングへ連行する。
ソファに座っていた小夜は瑞奈の姿を見つけるなり、立ち上がってぺこぺこと頭を下げてきた。
眠り姫の雄姿は書籍版第一巻に書き下ろし収録されております。
買ってもいいのよ。