一度見たら忘れる程度のお姉さん
帰宅後、その日の夕方過ぎ。
真希は着替えもそこそこに、妹の部屋のドアの前に立って、中の物音に聞き耳をたてる。
ドア越しにも漏れ聞こえてくるほどの音量で音楽が流れていて、それに合わせて歌っているのか、唯李の歌声らしきものも聞こえてくる。
真希が帰宅したとき両親は出払っていたので、家に誰もいないと思っているのかノリノリだ。
真希はゆっくりとドアノブに手をかける。
この前までは完全に気配を遮断して侵入していたが、最近はあえて勢いよく入っていくのがお気に入り。
真希はコンコンとノックをするとほぼ同時にドアノブをひねり、ガバっと勢いよくドアを開け放つ。
「ら~ら~~ひゅっ!?」
座布団に座って歌っていた唯李が、飛び跳ねんばかりにビクッと背筋を伸ばす。
振り返ろうとしてバランスを崩して倒れそうになり、わたわたと手足をばたつかせ変な踊りを始めた。
「へえ、こういうの聞くんだっけ? 珍し」
いつも唯李が好んで聴くのはよくわからないアニメソングとかマイナーなロックバンドだとかちょっとひねくれたものが多いのだが、今日はいかにもメジャーなアイドルグループの曲。
真希も一緒になって口ずさもうとすると、唯李は慌ててスピーカーに手を伸ばして音量を落とした。
そしてギロっと睨みつけてくるが、恥ずかしかったのか若干顔が赤い。
「どしたの? 歌ってていいのに」
「ねえそれやめてくれる? 本気で」
「だって唯李のリアクションがかわいいんだも~ん」
うふふふ、と笑ってしなを作ってみせると、チっとこれみよがしに舌打ちされる。
かわいい。荒んだ心が癒やされる。
真希は唯李のすぐそばに腰を落ち着けると、唯李の腕を取って「聞いて」と目を見つめながら弱々しい声で語りかける。
「あのね、お姉ちゃんちょっと嫌なことあってねぇ」
「それで人でストレス解消ですか」
「一度見たら忘れなさそうなきれいなお姉さんのことを、きれいさっぱり忘れてるってどう思う?」
「一度見たら忘れる程度のお姉さんなんじゃない?」
唯李はにべもなく言い捨てた。
ノリノリで歌ってたところを邪魔したからか、ご機嫌斜めらしい。
ならばと真希は眉根を寄せて口でへの字を作って、
「うわぁぁぁん唯李ちゃあああん!」
「寄るな暑苦しい」
抱きつこうとしたら張り手ぎみに顔を押しのけられた。首が軽くグキって言った。
これはこれはずいぶん反抗的である。向こうの出方によっては対応を変えようかと思っていたが、そう来るならこちらも容赦はない。
「今日会ったわよ彼。なんていうんだっけ、名前」
成戸悠己。
名前はもちろんガッツリ覚えているが、向こうにまったく知らん顔をされて腹が立つので、せめてここでやり返す。
唯李はかすかに首を傾げたあと、訝しげに見返してきて、
「……もしかして、悠己くんのこと?」
「そうそう。成戸悠己くん」
「しっかりフルネーム出てきてるけど」
唯李はさらっと何でもないようなふうを装いながら言うが、「……そ、それで?」と急にこちらの顔色をうかがうような姿勢で食いついてくる。
やはり気になるらしい。かわいい。
「ん~とねぇ……なんかねぇ~~……さっき駅前でナンパされちゃった」
「ぶふぉっ!!」
唯李がいきなり変な声で吹き出した。
さすがにこれはちょっとかわいくない。
唯李は目を見張りながら勢いよく顔を近づけてきて、
「そ、それってどういう……?」
「ん? だから『そこのお姉さん、一緒にお茶でもどうですか~~?』って言ってきて」
(こんなこと言ったらそりゃもうテンパりまくりでかわゆいだろうなぁ~)
と慌てふためく妹の姿を想像しにんまりと頬が緩みかけていると、なぜか唯李はさっと冷静な顔に戻った。
「ああそれ違うね、人違い。そんなこと言うわけないから」
「え? なんでよ? 言うかもしれないでしょ」
「いや言わないから」
どうやっても言わないらしい。謎の信頼感。
確かに脚色をしすぎたかとは思うが、ここまでそっけない反応をされると面白くない。
(何なのよ、ラブコメなら失格よこんなの)
真希は負けじとスマホを取り出すと、通話アプリの連絡先画面を開いて「ほらこれ」と強気に見せつけていく。
これでどうだと顔色を伺っていると、唯李はパチパチと目を瞬かせて不思議そうな顔をした。
「あれ、名前マキになってる。マキマキやめたの?」
「なにがマキマキよ」
見るのはそこじゃないそれは触れるな、と画面を指をさしながら、
「なんか疑ってるみたいだけどほら。流れで連絡先も交換しちゃった」
すると唯李は成戸悠己、という名前を食い入るように見つめ出した。
動かぬ証拠があるとなると、さすがに動揺を隠せないようだ。
「こっ、こ、これ……」
「そうそうなんか友達と一緒だったかな~? それにくっついてくる感じで。それにしてもナンパとか、あんまり素行がよろしくないようねぇ?」
「マ、マジ……? な、なんで交換したの?」
「そりゃ向こうが交換したい、って言うから? 私来る者拒まずだから、年下も視野に入れていこうかな~なんて。ほら、選択肢は多いに越したことはないじゃない?」
「えっ、ちょっ……て、てめーふざけんなよ!」
「なんていう口の聞き方するのこの子は」
ふぅふぅ、と肩で息を始めた唯李の頭を撫でてなだめる。
顔を真赤にしているところがかわいい。しかしこれはちょっといじめすぎたかと少し反省する。
「やだなぁ冗談よ、取ったりしないわよもう~~。あのね、なんか勝手に唯李は惚れ込んじゃってるみたいだけど、私はまだオッケーだしてないの。わかる?」
「なんでお姉ちゃんのオッケーがいるわけ?」
「いるに決まってるでしょ?」
こういうときは逆にそうなのかと思わせるぐらいに、さも当然のように言うのがミソ。
すると唯李はたじろぎかけたが、負けじと偉そうに腕を組んで「ふん」と鼻を鳴らした。
「そもそも誤解してるよね。惚れ込んじゃってるっていうかね、見てるとどうにも危なっかしいんで気になっちゃってるだけっていうか」
「この期に及んでまだそんなこと言ってるわけ? はっきり言ってお姉ちゃんはね、あれはちょっとどうかと思うのよね~。だいたいね、この私をコケにするなんて百万年早いわけよ」
「なにそれ? どうかしたの?」
「こっちの話よ」
少し唯李の気持ちがわかったかも、などということはここでは言えない。
もし仮に唯李とそういった仲に……となった場合、自分までいじられ側になってしまうのはよくない。非常によろしくない。
いったい全体どういう人間なのか、いよいよ見極める必要がある。
「だからちょっとテストさせてもらうわ」
「どこぞの中学生の女の子と同レベルなこと言ってるね? だいいち、料理も掃除もろくにできない人がテストとかちゃんちゃらおかしいんですけど?」
「違うわよお姉ちゃんはね、できないんじゃなくてやらないの。その代わりお願いして誰かにやってもらうスキルが高いから」
「クソみたいなスキル構成だよね」
「女子がクソ言うな」
何かもうどんどん口が悪くなっていく。
家でならある程度許容はできようものの、学校でもこんな感じなのだろうかと心配になってくる。
「お姉ちゃんも夏休みで暇……じゃなくてちょっと時間があるから。ふっふっふ……楽しみね」
「何その笑い。いっつも暇なくせに」
「ふぉっふぉっふぉ……」
「出たな宇宙忍者……」
唯李は警戒心たっぷりに立ち上がりながら距離を離して、ファイティングポーズを取る。
ならば久しぶりに発育チェックでもするかと、真希も同じく身構えながらジリジリと間合いを詰めていった。
下の★エネルギーがたまると必殺技が出ます。