唯李七変化
遠ざかっていくバスを見送りながら、悠己と唯李は無言のまま停留所に立ちつくす。
やがて完全にバスの姿が見えなくなると、お互い顔を見合わせ、どちらからともなく握った手を離した。
「行こうか」
頷く唯李とともに、その足で今度は彼女を送るべく駅へ向かって歩き出す。
「……はあ、なんかどっと疲れた」
歩き始めてすぐ、唯李はため息交じりにそんなことを口にした。
言うとおり疲れたのだろう。妙にケンカ腰だった先ほどまでとは別人のようにおとなしくなった。
それきり唯李はただの一言もなく黙々と悠己と肩を並べて歩き続ける。だけでなく、どこか元気がなさそうにすら見えたので、少し気になって声をかける。
「疲れた?」
「さすがにね」
「さっきまでうるさいぐらいにはしゃいでたのにね」
すぐに言い返してくると思ったが、返ってきたのは沈黙だった。
少し間があったあと、唯李は前を向いたままぽつりとこぼすように言った。
「……まあさっきまでのもほら、周りに合わせるっていうか。唯李七変化よ七変化、あたしそういうのもできるから。でももう疲れて七変化も解けちゃったかな。MP足りない」
「へえ、さすが名女優唯李」
「それやっぱりバカにしてるように聞こえるんだよね」
今度はすぐそう突き返してきたが、やはり語気が弱い。
表情もいたって真面目で、ふざけているようには聞こえなかった。
つまり今の自分こそが素の状態だと、そう言いたいのだろうか。
「だから気遣ってさっきも、わざとゲーム負けてあげたりしてるわけ」
「ええ? 嘘でしょそれは」
「いやあのね、いくらなんでもそこまでチンパンじゃないからね言っとくけど。そもそもあたし、もとからたけのこ派だし」
またしても唯李はいやに真剣なトーンで言う。
そんなバカな、と思わず顔を見てしまうが、唯李はにこりともせず視線を宙にさまよわせた。
「こういうときは立ち位置決めたほうが楽だから。って言ってもおバカないじられ役だけど、瑞奈ちゃんも喜んでくれたし。やっぱりこの前のを見ちゃうとね……でもすごく元気になったみたいでよかった。それどころか、瑞奈ちゃんに助けられた感もあるしね。まぁ凛央ちゃんにあそこまでボロクソ言われるとは思わなかったけど……それで気が済んで笑ってくれるなら、あたしはぜんっぜんオッケー」
そう言って唯李はわずかに口元を緩ませた。
しかしすぐに目線を歩道の上に落とし、表情を固くする。
「……友達から嫌われるなんて、あたしだって嫌だよ。あたしの場合はそうならないように、無意識にバカやってご機嫌取ろうとしちゃうっていうか……正直言うと、あたしだって怖かったんだよ? 凛央ちゃんなんで怒ってるかわからなかったし……なんて言って引き止めらたらいいかわかんなくて頭真っ白で……もしかしてあれのことかな? いやあれかな? って。で結局これたぶん全部だなって、いろいろ積もり積もって」
唯李はそこで一度言葉をつまらせた。
そして「あたしなんか一人でずっとしゃべってるね」と苦笑して言うので、悠己は相槌を挟む。
「唯李は友達いっぱいだから、一人一人は結構いい加減なのかと思ったけど、いろいろ難しいこと考えてるんだなぁって。俺ほとんど友達いないからさ、そういう気遣いとかできないしわからないし、すごく尊敬する」
「別に、そんないっぱいってわけでもないよ。ふつーよふつー。それに全然うまくやれてないし、今回だって。はぁ、やっぱダメだなぁ~~あたし」
唯李は空を見上げて、大きくため息をつく。珍しくへこんでいるようだった。
ついさっきまでマンションの部屋で遊んで、やかましく怒ったり笑ったりしていた姿は見る影もなかった。
「……今だから言うけど、あたしこの前のときもすごく怖かったんだよ? 瑞奈ちゃんが帰ってこなくて、あたし一人で部屋で待ってて、どうしようどうしようって。瑞奈ちゃんが泣いちゃったときも、あそこであたしなんかが下手に口だして、わかったふうな口聞くなよってなったらどうしようって……あたしだって泣いちゃいそうだった。でも、なんとかしなきゃって思って……」
唯李が口を閉ざして、沈黙が流れた。
横顔を盗み見ると、いつしか唯李は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
自分は知らずに、唯李に負担を強いてしまっていたのではないだろうか。
唯李は……唯李なら大丈夫。なぜ、そう思い込んでしまっていたのか。
気づけば悠己は歩くのをやめて、立ち止まっていた。
「ごめん、唯李、俺……」
そのあとが、何も思いつかなかった。
落ち込んだ彼女を励まして、元気づけるような、格好いいセリフ。
考えてもいなかったことが、とっさにすらすらと出てくるほど器用な頭をしていない。
ただごめん、と謝罪の言葉を口にすることしかできず、立ちつくす。
一歩、二歩、三歩……と歩みを続ける唯李との距離が開いていく。
情けない自分を置いて、彼女はそのまま一人立ち去ってしまうのではないか。
そんな予感が一瞬頭をかすめた矢先、唯李はぴたりと立ち止まった。
くるりと振り返ると、とん、とん、と軽く飛び跳ねるように近づいてきて、悠己の目の前に立った。
唯李は何も言わずに腕を高く持ち上げると、手のひらを悠己の頭に触れさせる。
そして悠己の髪を優しく撫で付けながら、顔の前でくすっと笑った。
「なんだかいつもこのへんから悪口が聞こえてたなぁ……悔い改めよ」
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