デビル唯李
その日の夜、悠己の元に唯李からラインが来た。
正確にはリビングのテレビで配信動画の映画をダラダラ見ていて、さて寝るかというところで何気なく携帯を手に取り、ラインが来ていることに気づいた。
『凛央ちゃんになんかやったでしょ?』
『なんかやったって何を?』
唯李のメッセージを見てそう返すと、いきなり着信の画面に切り替わった。
急なことに驚いてボタンを押したら間違えて切った。すぐにまたかかってきたので今度はしっかり通話のボタンを押す。
「洗脳したでしょ?」
第一声がこれ。声にとても勢いがある。
「なに洗脳って、そんなのしてないけど。そういえば今日は大丈夫だった? 仲良くなった?」
「もともと仲良しって言ってるでしょ? ねえとりあえず明日ヒマ? テストも終わったしヒマだよね。駅まで来て」
この有無を言わさない感じ、唯李にしてはかなり強引だ。口調からしてなんだか怒っているっぽい。
言う通り明日は特にこれと言って予定はなかったが、
「明日かぁ……眠いかもなぁ」
「じゃあ寝ろ。今すぐ寝ろ」
「午後からでいい?」
「ん~~~……? じゃあ午後イチね」
要件はなんなのかと尋ねるが、明日会ったときに話すと言って聞かない。
「じゃあいいやおやすみ」と言ってぶつっと電話を切ると、「なんでいきなり切るかな!?」とメッセージで追撃が来たが、きりがないのでさっさと寝ることにする。
「あれ? さっきの電話ゆいちゃん? もう切っちゃったの?」
悠己がソファから立ち上がろうとすると、隣で携帯ゲームをやっていた瑞奈が不思議そうに尋ねてくる。
「瑞奈がいるからってそんな恥ずかしがらなくていいのに」
「明日ちょっと午後から出かけるから」
「あぁデートね。お盛んですなぁひゅーひゅー」
「いや別にデートってわけじゃないけど」
「じゃあ何よ」
瑞奈が疑いのまなざしを向けてくる。
面倒なのでやっぱりデートということにすると、瑞奈は満足そうに頷いたあと、何か思いついたように膝を打って立ち上がった。
「そうだ! 明日みんなでテストお疲れさまパーティーしよう! ゆいちゃんも一緒に!」
「瑞奈はまだテスト終わってないでしょ」
「それは言わないお約束」
自分がパーティしたいだけらしい。
いやお疲れ様パーティ言いたいだけかもしれない。
悠己たちのテストは終わったが、瑞奈はただいま絶賛テスト期間中だ。
残すところあと三教科、というが現時点の手応えはバッチリで、なんでも今回は過去最高のデキらしい。
「つまりテストは終わったもどーぜんです。残り教科はザコばかり」
「ふぅん、凛央のおかげかな?」
「りお長老により瑞奈の秘められし力が開放されたのだ」
凛央はあれからちょろっと何度か瑞奈の様子を見に来たりしていた。
瑞奈とも連絡先を交換し、ちょくちょくやりとりもしているようだ。
「安心して、おデートの邪魔はしませんよ。その後でいいから」
そう言いながら瑞奈はゲームを中断して、スマホをいじりだす。
おそらく唯李にもラインを始めたか。
「ん~せっかくだからそれとサプライズを……」
「何が?」
悠己が瑞奈のスマホを覗き込むと、瑞奈はすっとスマホを抱え込むようにして隠した。
何やら企んでいるようだが、厄介なことにならなければいいが……。
そして翌日。
遅めにゆっくり起きた悠己は、朝食兼昼飯を済ませて出かける準備をする。
出がけに「今日用意して待ってるからね」と再度瑞奈に釘をさされ、午後イチに家を出た。
悠己はあくびを噛み殺しながら、歩いて駅へ。
やってきた場所は駅前のロータリー広場。
天気がよいこともあり、辺りにはそれなりに人の影がある。
待ち合わせは午後一時、という話だったが、時間になっても唯李が現れる気配はなかった。
五分、十分、十五分……と過ぎたところで、催促の電話をしようかと携帯を取り出して操作しだすと、
「ヘイお待ち!」
横合いからにゅっと唯李の顔が割り込んできた。
携帯をポケットに戻した悠己は、一切リアクションせずに唯李を見おろしながら、
「で、何?」
さっさと用件を言え、と促す。
すると唯李は無言で懐から一枚の紙きれらしきものをを取り出し、すっと目の前に差し出してきた。
「これ、使う」
「は?」
何かと思えば、どこかで見たような「いいなり」と雑に書かれた紙きれだ。
全体がしわしわで、ところどころテープで補修してある。
(これは……言いなり券?)
唯李が破いて丸めて投げてそれきり……だと思っていたが、どうやらそれを後で拾って広げてテープで張り直したらしい。
なんとかそこまではわかるとしても、それを悠己に突き出してきて「これ使う」とは一体どういう了見か。
「……どういうこと?」
「これ使うの。言いなり券」
「いや使うのじゃなくて、それは唯李の言いなり券でしょ?」
「そんなことはどこにも書いてませんけど?」
「いやいやいや」
この女ふざける時はたいてい意味不明だが今日は輪をかけて意味不明である。
悠己があくまで冷静に取り合わずにいると、唯李は言いなり券をくるくると細長に丸めて、それをおもむろに鼻の穴に押し込もうとしてくるので腕ごと手でのける。
そのくせ「なんだぁ? やんのかぁ?」となぜか逆ギレ気味に口を尖らせてきて、やたらと機嫌が悪そうな感がある。
「昨日、凛央となんかあったの?」
「なんかあったも何も、悠己くんが変なこと言ったせいで、凛央ちゃん発狂しちゃってなだめるの大変だったんだからね?」
「発狂……?」
ずいぶんと物騒なワードを使う。
まあ唯李のことだし、おおかただいぶ話を盛っているのだろうが。
「その後も延々接待プレイしたんだから。あたしが後で食べようと思ってたプリンあげたりして」
「それで怒ってるの?」
「まあそれは別にいいんだけど! ていうか、あたしのことデビルとかなんとかって陰でバカにしてたんでしょ? 凛央ちゃんと二人して。あたしねぇ、そうやって裏でコソコソやられるの嫌いだから。あんまり舐めてるとねぇ、目からビーム出すよ? ガード不能のやつ」
唯李はクワッと両目を見開いてぐっと顔を近づけてくる。
デビルだなんだと言い出したのはたしか凛央だったはずだが、なぜか悠己のせいにされているらしい。
それで二人がどんな話をしたのかなんとなく察しがついた悠己は、
「ごめんごめん、別に唯李をバカにしてたとかそういうわけじゃないんだけど。ただかわいそうだよねって」
「バカにしてるじゃねーかよ。どういうことよかわいそうって」
がるるると至近距離で威嚇してくる唯李。いつにもましてやたら好戦的だ。
よくよく見ると、普段より目元がくっきりしていて、目の周りを縁取るようにかすかに薄く黒いラインが入っている。
頭には黒いリボンをくっつけて、黒いブラウスにところどころ赤の模様の入った黒いスカート。
唯李の私服はたいてい割と明るい系の色だが、今日は珍しく暗い色でまとめている。
「今日は雰囲気ちょっと違うね。黒い服珍しい」
「これは今日の気分を表してるわけ。ククク……悪意の波動に目覚めたユイ……つまり悪意ユイ」
「それただの嫌な人じゃなくて? でもそういう格好もけっこう似合うね」
「んふっ」
唯李は口元をほころばせかけたが、すぐに手で覆って鼻をいじる仕草をする。
すかさずキリっと真顔を作って、
「そういうの効かないから。今日は小悪魔通り越してもう悪魔なの。わかる?」
「いま素で笑わなかった?」
「笑ってませんが? ちょっと鼻から息が抜けただけ」
「それを笑うと言うのでは?」
そう言うと、唯李はべえっと舌を一瞬出してすぐに引っ込めた。
そして今度は握りこぶしを悠己の肩にべちっべちっと打ち付けてくる。
「これは凛央ちゃんのぶん!」
「痛いな、何すんの」
「言いなり拳。ふっ、言いなり券を甘く見た罰よ」
などと言ったあと、唯李は言いなり券でぺちぺちと悠己の頬をはたいてきた。
「言いなり券はもういいって言ったよね? めんどくさいって言ったよね~?」
「意外と根に持つね」
「反省してる?」
「してるしてる」
「ほんと? じゃあはい」
そして言いなり券を悠己の顔の前に突き出してきて、最初の流れに戻る。
悠己は盛大にため息をつくと、
「まったくしょうがないなぁ……」
「はいしょうがないいただきました~!」
悪魔の割にやたらテンションが高い。
しかしまあ、こちらはあくまで優しく見守ってやる立場にいるわけだから、ある程度のわがままには目をつぶるべきだろう。
こうやって相手をしてやることで、多少なりとも唯李のメンタルがよい方向へ向かうのであれば、それもまあいいかと悠己は思い返した。