弱メンタル
それからも唯李は終始落ち着かない様子だった。よほど券をいつ使われるか気になるのか、時おりチラチラと隣から視線を感じる。
こちらもちらっと見返してやると、唯李はさっとあさっての方を向いて知らんふり。
そんなことを授業中、休み時間またぎで何度かやっていると、しまいに唯李はちらちらするだけでは飽き足らず、せわしなく机を指でとんとんとやりだした。
まるで何かのヤバイ禁断症状が出ている人のようだ。
悠己は試しに券を一度ポケットから取り出してじっと眺めて、またもとに戻すを繰り返していると、
「おい」
「はい?」
「遊ぶな」
怒られた。
使うならひと思いにさっさとやれ、とでも言わんばかりだったが、悠己としてはまだそのつもりはない。
昼休みになると、あらかじめ携帯で凛央と連絡をとっていた悠己は、昼食がてら例の場所で凛央と落ち合うことにした。
言いなり券をポケットに忍ばせ、奥まった校舎の裏に入っていくと、凛央は何も口にせずに緊張の面持ちで待ち構えていた。
「こ、これが唯李の言いなり券……」
悠己が券を手渡すと、凛央は食らいつくようにして「いいなり」と雑に書かれた文字をじっと見つめた。
持った手が若干震えている。見た目は落書きしたただの紙切れだが、まるで当選した宝くじでも手にしたかのようだ。
「それを唯李の目の前で破り捨てるっていう話だったよね」
「で、でも……よくよく考えると、せっかく唯李が作ったのにそんな事……」
「五秒ぐらいで作ってたよ」
せっかく作った感は微塵もない。
ついに言いなり券を手に入れたというのに、凛央はどうにも浮かない顔だ。
「どうかしたの?」
「私、唯李に嫌われたかもしれない……」
「どうして」
「この前、唯李からのラインの返信が……」
凛央はそこで一度言葉を飲み込む。
もしや悠己の思った以上に二人の仲がこじれていて、返信がないというのだろうか。
「……いつもより十分ぐらい遅かったの。普段は既読がついたらすぐにくるんだけど、変な間があって……」
「ちょっとぐらい待ってあげようよ」
ただの被害妄想らしい。
既読がつく瞬間を待ち構えて時間を数えているというのもすでにちょっとアレだが、この人はこの人で機械のごとく即レスしてきそうで怖い。
「ちなみになんて送ったの?」
「別に、『テストどうだった?』って……。『まあ楽勝……かな』って来たから『楽勝だったわよね』って返しただけよ」
「ああ、それはダメだね」
「そ、そんな。私はすごく自然な感じだったのに……。それでちょっと変な感じで終わって、顔を合わせづらくて……で、でもこれを使えば……」
凛央は言いなり券をじっと注視しながら、ごくり、と息を飲む。
そしてしばらく何事か考えているふうだったが、急に腕を伸ばして悠己の鼻先に券を突き出してきた。
「……や、やっぱりこれ、成戸くんに返すわ。これを使って仲良くなるなんて、そんなのは邪道よ」
「いや、だからそれ目の前で破り捨てるって話じゃなかったっけ?」
ちらりと本心が出たようだ。
隣の席キラーを退治するだの回りくどいことをするよりも、そっちのほうがてっとり早そうだと気づいたか。
「だって、私考えたんだけど……唯李がゲームの一環で私と仲良くなっただけだったら、それがもとに戻ったら、私のことなんて相手にしなくなるんじゃ……。そんなことになるんだったら、いっそ今のままで……」
どの道今もそこまで相手にされてないような気もする。
……という感想が一瞬悠己の頭をかすめたが、あくまでそんな気がしただけなので口には出さない。
「と、とにかくこれは返すから!」
そう言って凛央は言いなり券を悠己の手に無理やり押し付けてくる。
私が唯李を助ける! と意気込んでいたあのときの勢いは一体どこへやら。
いざ土壇場になってすっかり弱気になってしまい、これではお話にならない。
悠己は受け取った券をひらつかせて、
「じゃあこれはどうするの?」
「ど、どうするって……どうするの?」
と質問を質問で返され、お互い一緒になって謎のお見合いとなった。
昼休み終わりのチャイムとほとんど同時に、悠己は教室の自分の席まで戻ってきた。
今日はどこぞの席に出張していたらしい唯李も、ちょうど帰ってきて隣に着席したので、悠己はすかさず声をかける。
「今日の帰り、ちょっと話があるんだけど」
ボソリとそう言うと、唯李は警戒心たっぷりに首を向けた。
「……な、何?」
「例の券を使おうと思って」
ピクっとかすかに唯李の体がこわばる。
券というワードに相当敏感になっているようだ。
「放課後になったら裏庭に来てほしいんだけど」
「う、裏庭? ど、どうしてまた……」
「なるべくその……人がいない所がいいかなって」
「ふ、ふぅん……? ずいぶんもったいぶるじゃない」
表面上余裕そうな笑みを浮かべる唯李だが、これから授業だと言うのになぜかまた弁当箱を机の上に出してきてやっぱりすぐにしまったりと謎行動を取っている。
一体何を想像しているのかわからないが、悠己としては別に人気のない場所ならどこでも構わないだけだ。
放課後になると、悠己は「先に行ってるから」とだけ唯李に告げて先に一人で教室を出た。
廊下を歩いて裏庭に向かう途中、凛央に確認を取ろうと携帯を取り出すと、ちょうど凛央からラインが来た。
『やっぱりお腹痛くなったから帰る』
(逃げたな……)
まさかの小学生レベルの言い訳。ただお腹が痛くなったのは本当っぽいので責めるに責められない。
実は裏庭で凛央も交えて唯李と話をするつもりだったのだが、これで完全に予定が狂った。
昇降口を出ていつもとは別の方角へ曲がり、校舎を回り込む。
教員の駐車場を抜けて、花壇と幹の細い木が立ち並ぶ裏庭へ。
裏庭は建物の形に沿うように広がっていて芝生になっており、横幅はそうでもないが縦にやたら長い。
遠目に二、三人生徒の影が見えるぐらいで、周りに人の気配はなかった。
悠己は校舎の壁に背を向けて軽く寄りかかるように立つと、手前の花壇の花を眺めながらぼうっと待つ。
何をしているのか唯李は意外に来るのが遅い。
一体こんなところで俺は何をやってるんだろう……と悠己が素に戻りかけた矢先、足音がして近くに影が落ちた。
「お、おぅっす……」
顔を向けた悠己に、唯李が何事か言って小さく手を上げた。
一見普段どおり……に見えるが少し様子がおかしい。妙に表情がこわばっていて声もやけにくぐもっている。
「遅かったね」
「そ、それで、何を……?」
早くも先を促してくる唯李。
前で組んだ指先をいじくり回しながら、不安そうな、それでいてどこか期待するようなまなざしで、軽く上目に見つめてくる。
悠己はポケットをさぐってかの言いなり券を取り出すと、唯李に向かって差し出して言った。
言いなり券ちらちらボタンは下にあります。