妖怪おいなり投げ
それから二日をまたいで、とうとうテストの日がやってきた。
初日は主要三科目のテストで最も大事な日だ。前日悠己は余裕をもって就寝し、万全の状態でのぞむ。
問題の瑞奈は、凛央に何か言い含められたのか、テスト勉強だと言って珍しく自分の部屋にこもり出した。
おかげで家でも邪魔されることなく、渡された凛央のノートのコピーもあわせて、とても効果的に勉強ができた。
いつもどおり登校して、悠己は自分の席にやって来る。
テスト直前ということもあり、教室内はこころなしか普段より静かだ。
隣の唯李もたいていは挨拶なりなんなり何かしら声をかけてくるが、今日は何やら死にものぐるいでノートをめくってはもどしてを繰り返し、じっと机にかじりついている。
それにしてもやけに夢中になっているので、悠己はなんとなしに横から覗き込んで、
「それ凛央にもらったノート?」
「邪魔しないで、今ちょっと集中してるから!」
と唯李は何やら必死の形相だが、もうものの数十分後にはテストが始まる。
最後の最後まで追い込みをしようというのか。ここ数日ずいぶん余裕をかましていたようだが、ここにきて意外に本気だ。
ホームルームが終わり、テストのために出席番号順に席を座り直す。
悠己は一番前、かたや唯李は一番後ろの席という並びなので、それ以降の唯李の様子は全くうかがい知れない。
最後に自分の席を立つ際、隣で「やべえよやべえよ……」とブツブツ言っているのが聞こえたような気がしたが、とりあえず今は配られたテスト用紙に意識を集中させることにした。
三教科分のテストが終わって、緊張の糸が途切れたように教室はいつものやかましさに戻った。
周りがあれこれとテストの感想を言い合う中、悠己は一人そそくさと元の窓際の席に帰ってきた。
今回、準備期間が短かった割に手応えはとてもよかった。
何より凛央からもらったノートの功績が大きい。これがよく要点を捉えていてさすがというべきか。
今日はこれで学校は終わりだが、これから土日を挟んで来週からまたテストなので、まだ気は抜けない。
カバンの中にノートや筆記用具を詰めていると、唯李がふらっと席に戻ってきたので早速尋ねてみる。
「どうだった?」
「ま、まあね~……」
唯李はうんうんとしきりに頷いてみせる。
だが顔は明後日の方を向いたままで、かたくなに目を合わせようとしない。というか明らかに挙動不審。
かと思えば唯李にしては珍しく早々と帰り支度をして、
「じ、じゃあ勉強があるから……」
「ふぅん? 凛央にはもう教えてもらわないの?」
「り、凛央ちゃんは今関係ないでしょ!」
凛央というワードによほど拒否反応でもあるのか、ムキになって言い返してくる。
唯李はもろもろ詰めたカバンをひっつかむと、
「ふんっ、せいぜいリオリオしてればいいよ」
謎の捨てゼリフを吐いて、そそくさと一人で教室を出ていった。
それから休みを挟んで、無事すべてのテストが終わり、学校は通常授業に戻る。
テスト期間中は席が離れることもあり、ここに来て唯李が闘志? を燃やしていることもあって、唯李とはろくに口も聞かない状態が続いた。
ふと思うと、ここ最近は休日でも土日のどちらかは唯李と会うか、携帯で何らかのやり取りをするかしていたので少し珍しいことではある。
だがまあ、唯李に言わせるなら今まさにバトル中、で余計な馴れ合いはしないということなのだろう。
それとどうやら唯李は裏で悠己が凛央と徒党を組んでいるとでも思っているのか、しかしあながち誤解でもないのでなんとも言えないところである。
凛央は凛央で相変わらず唯李を助ける助ける張り切っていたが、悠己としてはとりあえず無難にテストを乗り越えれば御の字だ。
どうにも最近ギクシャクしているこの二人に関しては、一度テストが落ち着いたらなんとかしてあげたいとは思っているのだが。
その日は初日に行った主要三科目のテストが一気に返却となった。
最初の授業で戻ってきたのは国語。八十二点。悠己にしてはまあまあできたほうだ。
「唯李はどうだった?」
そう隣の席に水を向けるが、答案を受け取って戻ってきた唯李は、うんともすんとも言わず難しい顔で机の上をにらんでいる。
ちなみに唯李は答案用紙の三分の一を上に折り曲げて、さらに点数を隠すように角を内側にガッツリ折り込んでいた。
折込チラシでも作っているのかな? と再度尋ねる。
「ねえ、唯李は?」
「カツカレー」
「点数」
一人食堂にでもいるのかと思ったが、それきり唯李はなぜか机の角を見つめたまま固まっている。
いつ動き出すかと横顔をじっと見つめていると、唯李は時おりぴくぴくと頬をひくつかせるだけで答えようとしない。
結局ガン無視を決め込んだのか、そのまま授業が終わるまで一言も喋らなかった。
それから昼休みまでに英語、数学と、計三つのテストが返却になった。
テストが返されるたびに唯李は毎回そんな調子で、テスト勝負などすっかり忘れたかのような顔だ。
このままスルーでうやむやにされるのもなんだかシャクだったので、四時限目が終わるなり悠己は改めて唯李に声をかける。
「ねえ勝負はどうしたの? 全教科返されてから一気に見せ合うってこと?」
唯李がなおも無視してこそこそとテストをしまおうとするので、ちょっと待ったと手をのばす。
するとビクっとした唯李が焦って腕を引いたはずみに、握りしめていた点数の部分がビリっとちぎれた。
その切れ端の点数の左のケタに、一瞬五の文字が見えて悠己は「あっ……」となった。
なんとも言えない空気の中唯李の顔を見ていると、急にぐっと口をへの字にした唯李は、いきなりがばっと机の上に突っ伏した。
「うぅ~~うぅぅっ、うぅっ……!」
何やらくぐもったうめき声を発しながら、足をバタバタとさせる唯李。
しばらくして発作は治まったが、いつになっても顔を上げようとしないので、とんとん、と悠己は優しく背中を叩いてやる。
するとゆっくり体を起こした唯李は、まるで救いを得たかのような顔で微笑んだ。
「悠己くん……」
「俺数学九十点だから。次国語見せて」
「鬼か貴様」
悠己が容赦なくそう告げると、さっと唯李の表情が真顔に戻る。
それでも悠己はお構いなしに唯李の手元を覗き込んで、
「それ五十いくつ? ちゃんと計算しないとね」
「いい! もうあたしの負けでいいから! だからやめて、もうやめて!」
唯李が両手を合わせてしきりに頭を下げだした。突然の全面降伏。
正直拍子抜けだったが、唯李の潔い降参により勝負はほとんど悠己の不戦勝となった。
まあ最後までやったところでどの道結果は変わらないだろうが。
しかし他もよほどひどいデキだったのか、一体何をやっていたんだか。
「本当に俺の勝ちでいいんだね? そしたらほら、券」
「……ケ、ケンですか? 昇龍拳?」
「違うでしょ」
そう突っ返すと、何を思ったか唯李は突然かたわらのカバンを開けて、中からタッパーを取り出して差し出してきた。
とはいえ意味がわからないのでこれもそのまま手で押し返す。
「あれ? いらないこれ? おいしいクッキー入ってるんだけど」
「なんで脈絡もなくクッキー? ごまかそうとしてるよね」
前もって用意してきている時点でどうやらこの展開を予想していたに違いない。
それでもめげじと唯李は再度カバンをゴソゴソやると、
「しょうがないなぁ……じゃあほらこれ」
さらにもう一つタッパーを取り出してきて、蓋を開けて中を見せつけてきた。
こちらはやはりというか案の定、おいなりが四つほどぎっちり詰められていた。
「絶対やると思った」
「中にゴマ入りだよ?」
「だから何?」
ノリで押し通そうとする唯李を、悠己はあくまで冷静に突っ返す。
いい加減諦めたかと思ったが、今度は急にお得意のからかい顔を作って、
「や~でも、悠己くんそんな必死に頑張っちゃったってことは、唯李ちゃん言いなり券そんなに欲しかったんだ?」
「そこまで頑張った感はないけどね」
相手が勝手に自爆したというか。それにやはり凛央のノートの効果は大きい。
正直あれをもらっておいてろくに点を取れないとなると、ほとんど勉強していなかったのではと疑うレベル。
「それで券は?」
「はいはいわかったよ、わかりましたよ!」
そもそも自分で言いだしたくせに半ギレだからたちが悪い。
唯李は色付きのメモ帳を取り出してビリっと一枚ちぎると、そこにペンでサラサラっと「いいなりけん」と走り書きした。
「い、いや~でも、JKいいなり券とか響きがもうかなりヤバイね。なんか犯罪の匂いがするよね」
「自分で言い出したんでしょ?」
いいからさっさとよこせと手を差し出す。
唯李はこの期におよんでまだためらっているようだったが、何か意味ありげに一度ちらっと悠己を上目に見つめたかと思うと、意を決したようにエイっと券を手に押し付けてきた。
呪いでも込めたのかと警戒しながら受け取ると、悠己は透かすよう持って券を眺める。
(これがいいなり券……)
あまりに雑すぎて簡単に偽造できそうだ。床に落ちてたら普通にゴミ箱に捨てると思う。
これを唯李の目の前で破り捨てる……という話もあったが、やはり改めて一度凛央に相談するべきだろう。
というか今ここで唐突にそんなことをしたら普通にブチ切れられる予感しかしない。奇声上げておいなりさん投げてきそう。
(妖怪おいなり投げ……)
想像してしまってつい口元が緩む。
するとそれを見咎めたらしい唯李が、
「なっ、何を想像してるのそんなにやにやして……」
「秘密」
「ひ、秘密って……い、言っとくけど、だっ、ダメなものはダメだからね? いくら言いなりって言っても……」
「ダメなものって何が?」
悠己が振り向いて真顔で聞き返すと、言葉に詰まった唯李はみるみるうちに顔を赤らめだした。
それでも何事か言い出すのを悠己がじっと見つめながら待っていると、
「な、なんでもない!」
唯李は荒々しく席を立って教室を出ていってしまった。
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