プリースト成戸
そう告げると、凛央はいよいよ眉をひそめる。
「隣の席キラー……?」
「だから多分、このお弁当もその一環だと思うんだけど」
気を抜くと忘れそうになるが、唯李はあの極悪非道の隣の席キラーなのだ。
目的を達成するためならどんな演技も奇行もいとわない名女優であり、余裕で大嘘もぶっこく。
そして落とした後は用済みといわんばかりの対応。
凛央とも一見仲良しかと見せかけて、ここ数日すっかり化けの皮が剥がれてきた感がある。
「俺も遊ばれてるんだよね要するに」
「な、なによそれ、何をそんなバカな……」
口ではそう言うが、凛央の目には明らかに動揺の色が見られる。
凛央は軽く頭を押さえて手で制するような身振りをしながら、
「ちょっと待って、待って。今整理するから。頭の中を整理する」
凛央のことだから相当なスピードで頭を回転させているのだろう。
徐々に徐々に、表情が険悪になっていく。どうやら本人、思い当たるフシがあるらしい。
「……それで私のときもあんなにもしつこく……!? 隣の席になった途端に急に……!?」
そしていよいよ頭を抱えだした。
酷なことかも知れないが、受け止めてもらわなければならないだろう。
二人が真の親友となるためには。
「そして今現在もこんな訳のわからない男にやたらつきまとっているし……! わざわざお弁当まで作って……!」
「さりげに俺をディスるのやめてくれる? だから言ってるでしょ、隣の席キラーなんだって。惚れさせるゲームなんだって」
「と、隣の席キラ―……惚れさせゲーム……。ゆ……唯李ぃいいいいっっ!!!!」
カっと目を見開いて天を仰いだ凛央が、腹の底から振り絞るような雄叫びをあげた。
さらに勢いよく立ち上がると、
「全部、全部演技だったというのね! あの笑顔も、なにもかも……私を騙したのね! 弄んでいたのね! おのれ隣の席キラー……!! ずっと遊ばれていたなんて……! なんかうすうす裏があんじゃねーかって思ってた!」
拳を握りしめながらワナワナと体を震わせる。
もっと疑ってくるかと思ったが意外に凛央はすんなりと受け入れた。
どうやら凛央自身、唯李の言動に引っかかるところがあったのだろう。
あれこれ喚き散らした凛央が今にも殴り込みに行きそうだったので、あわててなだめる。
「ちょっと、待った待った」
「何? 邪魔だてするなら容赦しないわよ」
凛央が隣の席ブレイカー(物理)しそうな勢いで身構えてくる。
このまま変な誤解を生まないためにも、しっかり順を追って説明しなければ。
「違うんだ、正確に言うと……唯李は隣の席キラーという悪魔に取り憑かれてるんだ」
「へ?」
「そんなことをしてしまうのも、過去に何らかのトラウマを抱えているに違いなくて。それでねじれてしまっていて……本当の唯李は割といい子だと思うんだよ。たぶん」
「……本来の唯李の意思ではないと?」
「そう。彼女の中に眠る悪魔にそそのかされているんだ」
「ということはその悪魔を祓えば、私の唯李は戻ってくるのね?」
かどうかは実際のところ不明だ。悠己自身、素の唯李を知らないわけで。
どの道私の唯李ではないと思うが野暮なことは言わない。
「まあ、たぶんそんな感じかな」
「それを知りながら成戸くんは……」
「生暖かく見守ってあげてるだけ。ゆっくり焦らずね」
「つまり悪魔退治を一人で成し遂げようと……? おお……あなたがプリーストか」
プリースト? と悠己は首をかしげるが、凛央ははっしと悠己の手を取ってきて、
「私も協力するわプリースト成戸。いえ、協力させて。デビル唯李退治に」
何やらキラキラと目を輝かせている。さらに変な名前をつけられてしまった。
悠己がうんともすんとも言わないうちに、凛央は俄然乗り気になって話を進める。
「それで、具体的に何をすれば?」
「いや、これと言って何ってことはないんだけど……あくまでこう、優しく見守るだけっていうか」
「そんな悠長にしている場合? 私は一刻も早く唯李を救ってあげたいのに」
「そうは言ってもなぁ……」
「じゃあ例えば……今隣の席キラーに具体的にどんな攻撃を受けているの?」
いきなりそんな質問をされて思わず首を傾げる。
細かい事を言い出したらキリがないが、さしあたって今一番大きい案件と言えば、
「今度のテストで負けたほうが、相手を言いなりにできる券を渡すっていう……」
「言いなりにできる券……。なるほど、それで相手を揺さぶろうというわけね。いかにも隣の席キラーがやりそうな……」
まるでよく知っているかのような口ぶりの凛央は、一瞬難しそうな顔を見せた後、
「なら向こうが仕掛けてきたのを逆手に取ってやればいい。テストに勝利して、その言いなり券を使ってデビル唯李を改心させる……」
「それはどうかな。『あいよ! おいなり一丁!』ってやってくるかもしれない」
「なにそれ」
何食わぬ顔で人のボケを取ったりするからやりかねない。
その正攻法はおそらく難しい、と言うと、
「それじゃあこんなのはどう? テストで完膚なきまでに勝利して……さらに渡された言いなり券を目の前で破り捨ててやるのよ。こんなものしょうもないと。これだけやられればさしもの隣の席キラーも、かなりの精神的ダメージを受けるのではないかしら」
確かにそれだけやられたらかなりショックだろう。
それで悪魔が成仏するかどうかは謎だが、さすが頭脳明晰なだけあって人の嫌がることを考えつくのもうまい。
とはいえ、ここのところ唯李も意味不明に言動が不安定であるからして、あまり過激なことはできれば避けたい。
「う~ん、それもちょっとなぁ……。どの道、テストで勝たないことにはお話にならないし」
「それはわかってるわ。これだけ覚えておけばらくらく高得点を取れるテストに出るとこノートを私が作ればいいのよね」
実際言いなり券をどうするかはひとまず置いておいて、これは思いがけぬラッキーだ。
勝負云々を抜きにしても今回はやばいと思っていただけに。
大体唯李も勝負と言っておきながらいきなり仲間を呼ぶのはずるい。そもそもフェアじゃないのだ。
渡りに船とばかりに、悠己は凛央の提案に乗っかることにする。
「じゃあノートは任せた。一刻も早く」
「代わりに唯李には試験にそんなとこ出るかバーカ的なノートを渡しておけばいいかしら」
「鬼畜だね」
「これも唯李を正気に戻すため。仕方のないこと」
「でもそこは勝負は勝負だから、ノートは同じ条件にしよう。後でそのことで文句がついたらショック与えられないでしょ」
「なるほど……さすがはプリースト」
「それやめてくれない?」
聞いているのかいないのか、凛央はしきりに感心するように頷いている。
悠己がいい加減握られたままの手を引っ込めると、凛央は少し顔を赤らめ、我に返ったように同じく腕を引っ込める。
「……そ、それで、今現在勉強はどんな調子? いけそうなの?」
「う~ん、ヤバイかも」
「どうして」
「ちょっと環境が悪いというか」
なんだかんだで邪魔してくる瑞奈のせいで勉強できない。
この前の休みは帰ってきた父に無理やり神社に連れて行かれた。
「言うに事欠いて環境のせいにするつもり? それなら家じゃなくて他の場所で勉強すればいいじゃないの」
「それもそうなんだけど、妹のことも見張ってないとなぁ。しっかり勉強させないと」
瑞奈を一人でずっと家に放置するのも少し心配ではある。
例えば家に帰らずどこかで勉強した場合、「ゆきくんいつ帰ってくるのなんで帰ってこないの。瑞奈と一緒にいたくないんだ」とかうるさそう。
「わかったわ。じゃあその妹を黙らせて、ちゃんと勉強させればいいわけよね」
「え?」
瑞奈のことを知らないだけに凛央は簡単に言うが、並大抵のことではない。
息巻く凛央の横顔を見て、悠己の頭にはなんとなく不安が……いや不安しかよぎらなかった。