ハート型時限爆弾
凛央はちら、と悠己に向かって一度目を上げたきり、すぐに漫画に視線を戻す。
「あ、会心撃の巨人だ」
悠己はそんな凛央の態度も気にとめず、傍らに腰掛ける。
凛央が読んでいるのは、この前出かけた時に唯李が新刊を買っていた漫画だ。
しかしよくよく見れば、凛央が手にしているのはレンタルの漫画のようだった。
「お店で借りてくるぐらいだったら唯李から借りればいいのに……」
そうこぼす悠己を無視して、凛央はひたすらもくもくと目でコマを追っている。
ページをめくるのもやたら早い。まるで一人で速読選手権でもしているかのようだ。
「……それ面白い?」
「面白いわよ」
「いやその読み方」
「台詞はちゃんと全部読んでるわよ。内容もばっちり理解してるし」
「いや、そういうんじゃなくてさ……」
「唯李が好きだからって言うから、話があうように勉強してるの」
「テスト勉強しなよ」
「勉強はもういやっていうほどやってるの。その……一人で暇だから」
最後に付け加えた一言が哀愁を誘う。
凛央は食べかけだったおにぎりを口に放り込んで、それから一度悠己の顔を見て、
「本読みながら食べるなんて行儀悪いわよね。まあ一人だったら気にしないんだけど」
本をしまいながら言う。まるでお邪魔が現れたとでも言わんばかりだ。
凛央の座る傍らには、広げられた布の上にやや小ぶりなお弁当箱が置いてあった。
「それは?」
「私が自分で作ったお弁当だけど」
「自分で作ったの? お弁当作れるんだ」
「バカにしてるの? お弁当ぐらい別に難しいことないでしょ。作る時間があるか、やるかやらないかの話であって」
凛央はこともなげに言う。やはりハイスペック。
味のほどはわからないが、きっちり同じ大きさに切りそろえられた卵焼きと、同じサイズにぴっちり握られた俵おにぎりが整然と詰まっている。
他にもほうれん草のおひたしとひじきの煮物、こちらも見た目がよくしっかり仕切りの中に盛られていて、さながら何かの見本のようだ。
「な、何ジロジロ見て」
「なんか、お弁当にも性格が出るのかなって」
「どういう意味それは」
凛央がちょっと怖い顔になったのでそれ以上は何も言わず、いよいよ持参した唯李の弁当のふたを開ける。
どかーんと眼前に桃一色が飛び込んできた。
(これは……ハート型時限爆弾……?)
ご飯の上の桜でんぶが弁当全体にあちこち飛び散って引火している。
先ほど悠己が爆発物と言ったのも当たらずとも遠からずだったようだ。
持ち運んでお弁当を揺らしてしまったのも悪いが、そもそもでんぶ入れすぎ問題。
爆発の直撃をくらって「新手の嫌がらせか?」と悠己が固まっていると、凛央が何事かと覗き込んできたのでぱたっと一度ふたを閉じた。
「何で閉じるの」
「いやちょっと」
凛央のお弁当の横で果たしてこれを見せていいのものか判断に悩む。
だが当の凛央は、なにか勘違いしたのか急に優しい口調になって、
「……そうよね、こんなところで寂しくお弁当だなんて、作ってくれたお母さんに申し訳ないわよね」
「お母さんは今はいないけど」
「……ご、ごめんなさい」
「いや別にいいけど」
というかよくぞそんなブーメラン発言を……と思ったが、凛央は自分で作っているからお母さんは関係ないと言えば関係ない。
まあ仮に母が作ったものだとしても、別に申し訳ないとは微塵も思わないが。
「ということはそれは……成戸くんが自分で作ったの?」
「いやこれは唯李からもらった……」
と正直に言いかけて、ちょっとまずったかなと思う。
案の定凛央は目の色を変えて身を乗り出してきて、
「ゆ、唯李のお弁当……? ち、ちょっと分けてもらえない……」
「イヤ」
「なら交換しましょ交換!」
「無理」
「一口、一口!」
「しつこいなあ」
本当にしつこいので仕方なくふたを開けて惨状を見せつけてやる。
ちらしでんぶ弁当を目の当たりにした凛央は、
「なにこれは」
「これはまあ、ちょっと揺らしちゃったからね」
「おいしそうじゃない。その肉巻きちょうだい」
しかしさして気にしていないようだった。強い。
凛央は素早い箸さばきで肉巻きを一つかっさらって口に運ぶと、目を閉じてゆっくりと咀嚼を繰り返し、じっくりと味わい始めた。
うっとりヘブン状態の凛央を尻目に、悠己も散らばったでんぶを一箇所にのけつつ箸をつける。
「ちょっと! もっと味わって食べなさいよ!」
「そんな一口ごとにちんたらやってたら食べ終わらないよ」
「じゃあ私に分けなさい。食べてあげるから」
「なぜそうなる」
もうこれ以上はやらん、と体で弁当をガードすると、凛央は恨めしげに睨めつけてきた。
「ていうかそれ、よくよく考えたら嘘でしょ? 私をからかうための。だいたい彼氏でも何でもない相手に、唯李がお弁当なんて作るはずがないわ」
全くもっておっしゃるとおりだ。
しかし本当に唯李が渡してきたのだからどうしようもない。
「……でも妙なのは、確かに唯李の味なのよね……。前に分けてもらったことがあるからわかるわ」
「このでんぶが?」
「いやでんぶは抜きで」
「味覚えてるのか……」
「そうやって引き気味に言うのはやめなさい。意外に覚えてるものよ」
味覚もハイスペックだということか。
しかしこうなると別の意味でちょっと怖い気もする。
凛央はいよいよ不審そうな目つきで悠己に詰め寄ってきた。
「白状しなさい。お金で買ったんでしょ」
「違う」
「土下座」
「違う違う」
「はっ、さては盗んで……」
「だから違うって」
全く信用がない。まあ前回お弁当をもらった時にお金を出そうとしたので、あながち的外れでもなかったりするのだが。
うーん……と眉間にシワを寄せていた凛央は、突然何か思いついたように顔を上げると、膝を打って声を荒げた。
「わかった! やっぱり何か唯李の弱みを握っているのね! それでお弁当を作らせて……そういうことか! 観念しなさい、私が唯李を助ける!」
などと勝手なことを叫びながら、凛央がいきなりぐわっと組み付いてくる。
危ない、と悠己はお弁当を安全地帯に避難させるも、凛央は容赦なく腕で押し倒そうとしてくる。
凛央は体のバランスを崩した悠己をさらに追撃し、今に首でも絞め上げてきそうな勢いなので、
「だ、だから違うって。唯李はただ、隣の席の相手を惚れさせるゲームをしてるだけだから」
ついに白状した。
というか、やはり凛央には話しておくべきと思い直したのだ。
親友、と言うからには、相手の長所も短所も知っておいてしかるべきだ。
悠己の口から飛び出した言葉が思いもよらなかったのか、凛央の腕の力は急に弱まった。
「……それは何? どういうこと?」
「実は唯李はその……。隣の席キラー……なんだ」
唯李さん料理でも負けてる疑惑ボタンは下にあります。
……もはやなんのこっちゃ。