お弁当再び
その日、すっかり帰宅が遅れた唯李は、自分の部屋にカバンを放ると、着替えもせず足音を殺して姉の部屋の前に立った。
たまにはお返ししてやろうとゆっくりドアノブに手を伸ばすと、触れる寸前でぐるっとノブが回り、ガチャッと勢いよくドアが開いた。
「ひっ」
「何よ人の顔見て」
ぬっと顔を見せた真希に唯李は及び腰になる。
「今日遅いじゃない、どしたの?」
「まぁちょっとね。そういうお姉ちゃんはいつも早いよね」
「そんな授業ばっかりじゃないのよ、大学も三年になると」
ほんとかよと思いながら、唯李は手に持った伊達メガネを突き出す。
「これ、もういらない」
「飽きるの早。まあうまくいくわけないってわかってたけど」
じゃあ早く止めんかいぼけぇ。
と出そうになったがそうすると失敗を認めてしまうことになるのでこらえる。
しかし今冷静になってみれば昨日今日とどうかしていた。
メガネかけて頭いい! なんて小学生でも五分で飽きるやつだ。
「なんていうかね、強化系が具現化系に手を出すようなものでね。つまりメモリの無駄遣い……かな」
「なんかカッコつけてるけど要するに負けたのね」
「相手の土俵で勝負するなんて愚の骨頂よ。そんなのより強みを押していこうと思ってね」
帰宅途中考えに考え、改めて強みを洗い出した。
これまでの戦績を鑑みて、効果があったもの。まず一つ目は……。
唯李はおもむろにその場で膝を曲げると、腰を落として、また膝を伸ばす。
「何その動き」
「最強の膝を手に入れる」
「ダメよそんな、押されてるからって暴力に訴えたら」
スクワットで膝を鍛える……そうつまり膝枕であるが、この姉はなにか勘違いをしている。
まさか直接飛び膝蹴りでもすると思っているのか。
「ボス戦には正拳突きでしょ普通に考えて」
「だからやめなさいって」
「ねえ、あたしって……いい匂いする?」
「急に何? 別に普通じゃない?」
「香水でごまかしてる人にはわからないか」
「なんか汗臭いときあるよ。必死こいてゲームやってる時とか」
ちょっと言うと全力で返してくる。
思春期のJKに向かって汗臭いとか禁止ワードだろうにどう考えても。
ならばと唯李はぐっと腕を曲げて二の腕を叩いてみせて、
「まあ女子って言ったらこっちよこっち」
「アームレスリング?」
「ちゃうわ」
女子の腕といえばもちろん料理。
料理といったらお弁当。
「初心に戻るっていうかね、結局そこに帰ってくるわけ。原点にして頂点というか」
「意外にそれぐらいしかなかったことに気づいたのね」
「んもうまたそうやって! もうお姉ちゃんにお弁当作ってあげないから!」
唯李は踵を返すとぷりぷりと大股に自分の部屋に戻ろうとする。
だが真希がすぐに後にひっついてベタベタと腕を触ってきて、
「待って待って~。お姉ちゃんはねぇ、唯李ちゃんのいいところい~っぱい知ってるよ」
「……例えば?」
返答の代わりにすっと下の方から伸びてきた手首をがっと掴んだ。
「どうせこのケツがって言うんでしょ」
「ケツとは言わないけどね。言い方よくないよね」
もうすっかり手口は読めているのだ。
しかしそう言われて、唯李はふと首を傾げる。
(ケツ……尻……尻弁当……? 臀部? 桜でんぶ? 桜尻……? そういうこと……?)
ひらめいた。
ようで何もなかった。
翌日の朝は、珍しく唯李が悠己より遅れて登校してきた。
椅子を引く音でちらっと隣の唯李へ視線を送ると、昨日一日引っ張っていたはずのメガネが今日は見る影もない。
悠己が「メガネは?」という意味を込めてじっと唯李の顔を見てやるが、当人は「何か?」と言わんばかりの何食わぬ顔で席に座っているので、
「……今日メガネは?」
「一晩寝たら視力回復した」
凄まじい自己再生能力。転生したスライムか何かか。
あまりにきっぱりと言い切ったので、これ以上詮索するのもどうかと思い触れないでおく。
そんなことよりも今はテスト勉強だ。
やはり家に帰ってしまうとどうにもはかどらない。主に瑞奈のおかげで。
ちょっとでも取り返さねばと机に向かっていると、おもむろに横から唯李の手が伸びてきて、机の上にことりと花柄の布に包まれた正方形の箱状の物体を乗せてきた。
「何? これは……爆発物?」
「お弁当。あげる」
「え? なんで?」
「なんかその、お騒がせしたかなっていうお詫びの意味を込めて」
「何を?」
「いやだから、あれよほら……そう、石のお礼!」
なんだか無理やりこじつけた感がする。
相変わらずよくわからなかったが、もらえるならラッキーなので余計なことは言わずにもらっておく。
お弁当をカバンの中に押し込むと、少し身を乗り出してきた唯李が小声で、
「でんぶはいってるよでんぶ」
「はあ?」
「またまたぁ。好きなんでしょ?」
などとブツブツ言っているが意味不明なのでスルー。
それにしてもずいぶん余裕のようだが、よほどテスト勉強が進んでいるのか。
そしてお昼休み。
さっそく唯李からもらったお弁当を取り出していただこうとすると、またも唯李の席に女子が集まってきてしまった。
こうなるとここでおもむろに弁当箱を広げて食べるのはなんとなくやりづらい。
さらにこの女子集団の……特に約一名から強い視線を感じるのだ。こちらのリアクションが気になるのかなんなのかわからないが。
やがて隣がぺちゃくちゃとうるさくなってきてしまったので、耐えきれず悠己はお弁当を持って席を立つ。
せっかくのお弁当なのだから、ゆっくり静かなところで食べたい。
そう思った悠己は、ふとこの間の例の場所に行こうと思いつく。
(凛央は……いないだろうなきっと)
まさか毎日あそこで食べているというわけでもないだろうし。
そんなことを思いながら昇降口から外に出て、校舎の裏手へ。
悠己も二度目なので勝手知ったるだ。
突き出たコンクリート部分をいくつかまたいで、さらに奥まったところの角を折れて、難なく到着。
「あ」
……いた。
まるで定位置のようにコンクリートのくぼみに行儀よく座り込んだ凛央は、漫画本を片手におにぎりを頬張っていた。