一緒に赤点
その日の帰宅後、悠己はいよいよ本格的にテストに向けての勉強を始めることにした。
普段の授業は割と適当なことが多いが、テストに関してはなんだかんだで毎回それなりの点数にはなるよう仕上げることにしている。
それは勉強はしっかりやっているから大丈夫、と父にアピールして無用な心配をかけないようにするためというのが大きい。
テストまで余すところあと約十日。最近は少しサボり気味だったため、今回はなかなか勉強が難航しそうだ。
そう考えながら、悠己がリビングのテーブルで教科書やノート類を広げ、改めてテスト範囲の確認を始めたその矢先。
「ねえねえゆきくふぅ~ん……」
背後からこっそりにじり寄ってきた瑞奈が、甘え声を出しながら首筋に息を吹きかけてくる。
生暖かい風を感じながらも、悠己は微動だにせず視線を落としたまま、
「邪魔しないで」
「邪魔じゃなくて応援してるの」
「応援しないで」
もろもろ相手をしてもらえないのが気に入らないらしい。
瑞奈は置物になっていたバランスボールを引っ張り出してきて、ばいんばいんやって転げ落ちて「ちゃんとして」とボールに文句をつけた挙げ句、マジックで目と口を書き込んでパンチして一人で爆笑していたが、悠己はガン無視していた。
「ゆきくんもコークスクリューパンチしてみる? 面白い顔になるよ」
「瑞奈もそろそろテストでしょ? ふざけてないで勉強しなよ」
「ごほっ、がはっ」
「なんでいきなり咳き込むわけ?」
正直言って瑞奈の勉強の成績はあまり……いやかなりよろしくない。
一時期授業から大きく遅れを取ったことで、ただでさえ頑張らなければいけないのに本人に危機感がまるでない。
「それより今日のご飯は?」
「近くのコンビニで買ってくればいいよ」
「えー、なら牛丼がいい!」
「駅まで行くの大変だからいいよ」
「牛丼牛丼!」
すっかりお気に入りになってしまい、次はネギ玉だのチーズだの全部制覇すると豪語している。
無視しようにも十秒に一回「牛丼」と囁いてくるので全くこちらは集中できない。
「じゃお金あげるから自分で買ってきなよ」
「むり」
はなからやる気なし。
とはいえこのままだとうるさくてしょうがないので、結局一緒に買いに出ることになる。
連れ立って徒歩で駅の牛丼屋までやってくると、なんやかやで七時近くなってしまい飯時にもいい時間だったので、
「もうここで食べていこうか」
「お家で食べる」
お家大好き人間。
周りに人がいるとゆっくり落ち着いて食べられないとかなんとか。
持ち帰りで二人分購入し、来た道を気持ち急いで戻ると、瑞奈が曲がり角にあるコンビニの前で立ち止まる。
「デザート買いたい」
「結局コンビニ行くんかい」
「だいじょうぶ金ならある」
この前父に「別にわざわざ帰ってこなくてもいいよ」って言ったら余分に小遣いをもらったらしい。これぞ瑞奈流錬金術。
背中を押されてコンビニに入店し、デザ―トが並ぶ棚にやってくると、瑞奈が得意げな顔で、
「ゆきくんも好きなの取りなさい」
と上から目線なので、とりあえずさっさと目についたシュークリームを手に取る。
「ん~そんな遠慮しなくていいのに~」
「いいから早く」
「お菓子も買っていい?」
「ちょっとだけね」
すると「やったぁ」と言って瑞奈はカゴにあれこれ入れてきて、結局デザートとお菓子だけで会計が千円を越えた。
ちょっと、という言葉に大きな認識のズレがあるらしい。
帰宅後、瑞奈とともに食卓を囲んで少し遅めの夕食となる。
瑞奈は「うましうまし」とネギ玉牛丼をかきこみ終わると、プリンに生クリームとフルーツの乗ったデザートを冷蔵庫から取り出してきて、
「一口食べたい? ねえねえ」
みたいなお約束をやって、十二分に時間をかけてゆっくりと平らげる。
悠己としては早いところ晩飯を済ませて勉強に取り掛かろうとしていたのだが、
「お風呂入ってくるね」
と言って出ていった瑞奈がどたどたと戻ってきて、
「ゆきくん瑞奈のパンツどこやったの?」
「瑞奈の部屋にひっかかってるよ」
「え~うそぉ、なかったよ~?」
といちいち手を煩わせてくる。
そして湯気をまとって風呂から出てきたかと思ったら、下着姿のままドライヤーを持ってきて、
「ゆきくん髪乾かして~」
こうしてガリガリ時間が削られていく。
これはもはやわざとやっているのではないかというレベル。
それから悠己自身も入浴を終えて、やっとこ勉強に手を付けようとすると、これみよがしにソファに寝転んだ瑞奈が大音量でテレビを流し始めた。
「……ちょっと音小さくしてくんない?」
「も~いいじゃん勉強は。一緒になかよく赤点取ろう? ね?」
「そういうことか貴様」
「おこっちゃいやん」
やはり思ったとおりだった。
こういう時に自分の部屋にこもれないのがきつい。
悠己の部屋というか寝室は、大きなベッドが面積の殆どを占めていて、机もないし勉強ができるようなスペースもない。
かたや瑞奈の部屋にはしっかり勉強机があるのにほとんど使われないという事実。
「瑞奈の部屋使わないなら貸してくれる? そして入ってこないでくれる?」
「やだもう、中で何するつもりなのゆきくん……」
「勉強だよ」
ぴしゃっとそう返すと瑞奈はむむっと口を結んだが、急に何事か思い出したかのように起き上がって顔を近づけてくる。
「それはそうとゆきくん、ゆいちゃんは?」
「は?」
口をぽかんと開けた悠己の顔を、瑞奈がぴっと指差してくる。
「だから、なんで毎日ゆきくん一人で家に直行で帰ってくるの?」
「いやそれはあれだよ。瑞奈と一緒だよ」
「一緒~~? 彼女がいるのになんで」
瑞奈は人差し指をそのまま悠己のほっぺたに突き立て、つんつんとやってくる。
瑞奈には建前上、唯李とは恋人同士という関係で通っている。
つまるところ瑞奈は、彼氏彼女というのは四六時中一緒にいるものだと思い込んでいるようだ。
「そんなんじゃすぐ愛想つかされちゃうよ? ただでさえ大明星なんだから」
チャ○メラかと思ったが金星の間違いらしい。
それでもなんだかおかしい気もするが。
「あっ、もしかしてゆきくん振られたんじゃ……。やっぱり変な子はダメなんだ……ゆっくりちんたらしてたら……つかの間の夢なんだ……」
「違う違う。テスト前だから忙しいんだよ色々お互い」
「そう言って二人はすれ違っていくのであった……」
「だから勉強しないとダメなんだって」
「一緒に勉強すればいいじゃん」
「どこで」
「ここで」
瑞奈が指で真下を指差す。
要するにまた唯李を家に連れてこい、ということらしいが……。
「どうせ瑞奈邪魔するでしょ」
「やだなぁ。そんな野暮なことはしませんよ」
「そんな余計なことばかり気にしてないで、いいから勉強しなさい」
「えー。じゃあゆいちゃん来たら勉強する」
「本当に?」
うんうんうんと瑞奈は激しく首を上下に揺する。
前回の時のように、案外第三者の言葉のほうが素直に聞き入れる……なんてこともあるかもしれない。
(だけどできる限りウチのことはウチで……唯李にあんまり迷惑かけるのもなぁ)
隣でテレビを見ながらケラケラ笑い出した瑞奈を尻目に、悠己はそんなことを考えていた。