隣の席キラーからの刺客
その翌朝。
いつもより少し早めに登校してきた悠己が校門を抜けると、行く手に女子生徒と男子生徒が何やら言い争っているような姿が目に入った。
「凛央さんおはようございます! カバンお持ちします!」
「や、やめてって言ってるでしょ」
角刈りの男子がしきりに頭を下げながら、やたら元気のいい声で迫っていく。
周りの生徒たちが見て見ぬフリで通り過ぎていく中、番長かな? と思って悠己が物珍しく見ていると、運悪く女子生徒と目があってしまった。
女子はよくよく見ればかの隣の席ブレイカー……凛央だった。カツアゲされてはたまらんと、そそくさと逃げ出す。
「ちょっと、待ちなさい!」
凛央がなぜか全力で追いかけてくる。やたら足が速い。
悠己は必死に逃げるが、とうとう校舎外周の壁際のよくわからない場所に追い詰められた。
ゆっくり近づいてきた凛央が大股に腕組みをして、ざっと前に立ちふさがる。
「たしか成戸くん、だったわよね?」
「今月は厳しいので勘弁してください」
「……何が?」
金をせびりに追ってきたわけではなさそうだ。
朝から走ったりジャンプさせられるのは勘弁してもらいたいところ。
「ちょうどいいわ。君に話があるの」
ちょうどいいついでに、みたいな口調だったが全然ついでではない。
凛央はカバンから携帯を取り出すと、軽く操作しておもむろに画面を見せつけてくる。
「これはどういうことかしら? ずいぶん仲が良さそうだけども」
「これは……残像拳中に撮ったやつ?」
「……何よそれは。しらばっくれるつもり? これは君と、唯李よ」
「ん~……?」
画面に映っているのは、制服姿の男女がコンビニ前の路上で向かい合っている写真……っぽい。
腕ガタガタで撮ったのか、写真がブレていて自分だと言われても正直判別が難しい。
「これが俺と唯李……? なんでそんな写真持ってるの?」
「こ、これは……タレコミがあったのよ。その筋から」
「どの筋?」
「なんでもいいでしょ。それよりもこれ……も、もしかして、成戸くんと、唯李って……つ、付き合ってる……のかしら?」
「そんなわけないじゃん」
ここで「今は妹の前でだけニセ彼女」だとか余計なことを言う必要は一切ない。
にべもなく返すと、凛央はおそるおそる……といった表情からわずかに頬を緩めて、ほっと胸をなでおろした。
「なるほど付き合っているわけではない、と。じゃあこれはどういう状況?」
「たまたま一緒に帰っただけだと思うけども、いつだかはわからないなぁ」
「たまたま? おおかた隣の席になったのをいいことに、君が無理やり唯李のことを誘ったんでしょ?」
どうやら色々と誤解を受けているらしい。
その口ぶりから察するに、凛央は隣の席キラーのことは知らないように見えるが……ここは一つ確かめてみるべきか。
「そっちこそ唯李に告白したの?」
「は、はあ? こ、告白って何が!?」
さすがの隣の席キラーも、同性に告白させる、というところまでは徹底していないようだ。
しかし今後百パーセントないとも限らないので、念のため釘を差しておかなければ。
「告白しても絶対振られるからやめたほうがいいよ」
「あ、当たり前でしょ!? 女同士で何をそんなバカな……」
凛央はうろたえかけたが、ふと何かに気づいたような顔を作って、
「なるほど……ということは、成戸くんは告白したいけど振られるのが怖くてできない……という状況かしら? ボロを出したわね。あーあ~、唯李のこと好きなのバレちゃったわね、あー恥ずかし、恥ずかしいわね~」
人の顔を指差して小学生みたいな煽り方をしてくる。勝手に決めつけてきた上に必死だ。
「いや別にそういうわけでは……」
「ふん、しらばっくれて。さてどうしたものか、唯李にバラしちゃおうかしら?」
「まあバラされたところでどうせ振られるのは確定してるから、恥ずかしいとかそういうのはないね」
ただそれをされてしまうと、隣の席キラーに敗北を喫することになるのは困る。
それで唯李をさらに増長させてしまうのはよろしくない。
(やはり隣の席キラーからの刺客か……?)
「ふぅん? 意外にわきまえてるじゃない。はたから見ると少しいい感じに見えてしまったから」
「へえ、そう?」
「嘘。今のは嘘。一応忠告しておくけど、唯李はモテるのよ? 君のことなんて眼中にないぐらいにね」
「それは知ってる」
「けど唯李は優しいから……つまり君は唯李の優しさを勘違いして、調子に乗っている、ということなの」
「優しさ……?」
「だから変に恥をかきたくなければ、『俺は他に友達たくさんいるから。今は女より野郎たちとバカしてるほうが楽しい』とでも唯李に言いなさい」
「どうして」
「唯李の負担になっているのよ。君のような勘違いの輩をいちいち相手にするのも」
「勘違いの輩……」
「……なぜ私の顔を見て言うの? とにかく私の言うとおりにしなさい。クオカードあげるから」
「やった」
凛央はカバンをゴソゴソやってスチャっとカードを取り出すと、一枚差し出してきた。
五百円分のカードをゲットした。思わぬところでラッキーだ。
カードを受け取ると悠己はその場で凛央と別れて校舎に戻り、教室に入っていく。
そして自分の席につくなり、すでに着席していた唯李がさっそく話しかけてきた。
「おはよー。お勉強の調子はどう?」
ちら、と隣を見ると、唯李は今日もいつもどおりの笑顔。
しかしカードを受け取った手前、五百円分は無視しないといけないだろう。
悠己は問いかけには答えず、ふいと露骨に窓の外を眺める。
「あれー無視ですかー?」
さらに無視。
「虫ですか~?」
窓枠に羽虫が止まっている。
悠己が携帯を取り出していじりだすと、
「無視すんな」
とうとう唯李が消しゴムをちぎって投げてきた。
しかしもったいない事に気づいたのかすぐにやめて、代わりに携帯をいじりだす。
すぐさま手元でブルブルと携帯が震える。唯李からメッセージだ。
『むしすんな』
とてもしつこい。
話しかけられても無視しろ、とは言われたが、文字でやり取りは禁止されていないので、
『唯李はかまってちゃんだね』
『あ?』
続けて「しばくぞ。」と書かれた変なスタンプが送られてくる。
『あたしが、かまってあげてるの』
『おかまいなく』
『あーわかった。押してダメなら引いてみろみたいな?』
『そもそも押してないし』
『せやな』
唯李がジロっとやってくるがこちらは無視。
『でもこういうのってアレだねー。こっそりやりとりするカップルみたいねー(ニヤリ』
『指がムダに疲れる』
『そうやってすぐ破局させる』
『いいからテスト勉強すればって思う』
『ほんとブーメランだよ。頑張れば唯李ちゃんを言いなりにできるかもチャンスなのに』
『お手』
『先走らないでくれる?』
『やはりストッキングか』
『それ昨日一晩考えてわかった。頭にかぶせる気でしょ』
唯李は携帯片手にじっと睨んでくると、ついに我慢の限界に達したのか、
「ていうかなんでしゃべらないわけ?」
「俺は他に友達たくさんいるから。今は女より野郎たちとバカしてるほうが楽しい」
「ウソつけ」
食い気味に否定された。
しかしこれで五百円分働いた。
「何その言わされてる感満点なやつ。どうせあれでしょ、速見くんとかに……罰ゲームかなんかで」
「いや違う、あの人……名前忘れたけどあの髪の長い……」
名前なんだっけ……と一度天を仰いで、ふと窓の外に目を留めると、
「あ」
突然外からガララ、と窓が開いて、いつからいたのかその当人が顔を出した。
「ちょっと」
来い、とベランダ側で手招きをしてくる。
どうする? と目で伺いを立てるが、低リアクションの悠己とは裏腹に、突然の出来事に唯李は唖然として固まっている。
仕方なく一人でベランダに出ていくと、凛央が怒涛の勢いで迫ってくる。
「今カンタンに人の名前出そうとしたわよね? しかも名前忘れてるとか」
「いや名前出すなとは言われてない……」
「何なの? 普通に考えたらわかるでしょ? いちいち命令しないと動かないロボットか何か?」
「ロボットをうまく使えない者もまた無能……」
「ああ? 言ったわね!? 大体命令どおりに動いてないくせに!」
「エネルギー切れです。クオカードを入れてください」
「燃費悪すぎよこのポンコツロボ!」
ぐいぐいと壁に追いやられ、近距離で顔を指差されまくしたてられる。
その折に風で長い髪がなびいて、おっいい匂い……とそっちに気を取られそうになると、変な音が聞こえてきた。
「じーーっ」
何事かと思ったら、唯李が窓からベランダを覗き込んで、訝しそうにこちらを見ていた。
同じく唯李に気づいた凛央が、ぱっと体を離す。
「爺?」
「違う。……おふたり、仲良さそうね」
「どっ、どこが!! そ、そもそもこの男が……!」
「凛央ちゃんって、意外に結構……へー。へー」
「だ、だから違っ……!」
顔を赤くした凛央は、何やら言い返そうとして言葉に詰まると、
「あっ、逃げた」
いきなり身を翻して猛然とベランダを走り去っていった。
本当に元風紀委員なのか、あれは先生に見つかったら絶対に怒られるやつだ。
「……はあ。凛央ちゃんも、ちょっと変わってるとこあるからねぇ」
「ちょっとどころじゃないよね」
「悠己くんに言われると相当だね」
やはり唯李のせいでおかしくなってしまったと考えるのが妥当だ。
品行方正な優等生を狂人に変えてしまうとは……隣の席キラー恐るべし。
「あれって唯李のせいなんじゃないの?」
「……それはどういうこと?」
そして元凶である本人はしらばっくれる気だ。
隣の席キラーの軍門に降った隣の席ブレイカー。
何かと厄介な存在だ。被害者の救済……いや浄化。
大事の前にまずは小事を済まさなければ……。
「にしてもあの凛央ちゃんがね~……ふーん、ふ~ん……」
「何?」
「あたしがどれだけ苦労したか知らないでしょ」
「何を?」
「悠己くんて、意外にコミュ強……」
「褒めても何も出ないよ」
「わかってる」
「あ、やっぱり帰りにハミチキおごってあげるよ。臨時収入あったから」
「やった」
でもまあそう焦ることもないか。
そう思い返す悠己だった。