隣の席キラー殺し
それから瑞奈を家に置いて、唯李を送るべく一緒に駅へ向かう。
瑞奈は「ゆいちゃんまた来てね!」と別れるのをぐずったが、唯李はまんざらでもない様子だった。
まばらな街灯の下をたどって、悠己は唯李と二人路地を行く。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「大丈夫大丈夫。むしろ早く帰るとお姉ちゃんに『小学生?』って文句言われそうだから」
唯李はふふふ、と笑ってみせる。
瑞奈がいるうちは黙っていたが、やはりこのまま何も触れずに帰すわけにはいかない。
悠己は明るい街灯の下で一度立ち止まると、唯李に向かって頭を垂れた。
「ありがとう。瑞奈のこと……」
「ううん、もとはと言えば、彼女のふりだとかってバカなこと言い出したのあたしだから」
「いや、そんなことは……」
気取ることもなく素直な物言いに、悠己は返す言葉に詰まって、そのまま飲み込む。
すると胸のあたりが締め付けられるような、これまでに感じたことのないような、なんとも言い表し難い感情が押し寄せてきた。
自身なんと言えばいいかわからない。こんな気持ちになったのは、生まれてこの方初めてのことだった。
言葉が出ずにうつむきがちに押し黙ってしまうと、唯李がすっと体を近づけてきて下から覗き込むような上目遣いをして、にんまりと笑ってみせた。
「どしたの悠己くん? 黙っちゃって。あ、もしかして~……ふふ、惚れた? これは唯李ちゃんに惚れちゃったかなぁ?」
その途端、雷に打たれたような衝撃が走る。
そして悠己ははっと顔を上げて、戦慄した。
今の今まで、すっかり忘れていた。
彼女は……彼女こそが。
これまで数多の隣の男子を虜にしてきた、百戦錬磨の隣の席キラーだということを。
悠己は脳内で時間を巻き戻し、素早く独自の推理を展開する。
今までのこの流れ。
これはもしや、全て彼女の遠望な計画のもとに仕組まれた……いや、本人すら想定外のイレギュラーさえも利用する……。
これが隣の席キラーの本気。
悠己はそこに深い闇の片鱗を垣間見た。
なんて恐ろしい。過去に一体どんな業を背負ったらここまで……。
それでも自分が今ここで、匙を投げるわけにはいかない。
彼女のことも、温かく見守ってやると決めたのだ。
焦らず、ゆっくりと……そう、焦らずゆっくりだ。
「唯李……」
顔を上げた悠己は、できうる限りの優しい目で、まっすぐに唯李を見つめる。
するとにやにやと緩んでいた唯李の表情が、急に引き締まった。
「あのさ、俺、唯李のこと……」
「は、はい!」
ぴっと背筋を伸ばして直立不動になる唯李。
自分の狙いを見透かされて動揺しているのか、不自然に目をそらされた。
しかし唯李はそれを悟られまいと、くっと目に力を入れて見つめ返してくる。
向こうもやる気だ。
彼女の心に巣食う悪魔。
表面に現れたそれが悪さをして、いつしか『隣の席キラ―』の異名をつけられた。
(ならばここでその幻想をぶち……いや待てちがう)
やりたかったが自重した。
あくまで真っ向から打ち倒すのではなく、それを包み込んで癒やすのだ。
「大丈夫、俺は唯李のこと見捨てたりしないよ」
「…………は? ナニソレ?」
「え?」
お互い見つめ合ったまま謎の硬直が起きる。
目を点にした唯李は、まるで他になにか言うことあるだろ、と言わんばかりの口調。
ならばと悠己は両腕を唯李の体に回して、瑞奈の時と同じように抱きしめて背中をさすってやる。
「ぴぎゃっ!?」
悪魔の断末魔が聞こえた。
ついに今、彼女は浄化されたのだ……。
悠己が感無量の心持ちでいると、突然ぐっと手で頭部を破壊されそうな勢いで掴まれ、体ごと引き剥がされる。
一歩飛び退いた唯李は、顔を真っ赤にしながら、両腕を胸の前でクロスさせて、
「いっ、いきなり何すんの!? せ、セクハラセクハラ!!」
「あれ? ダメだったかな?」
「だ、ダメっていうか、そういうの、じ、順序があるっていうか……一体何考えてるわけ!? ていうかこれ、瑞奈ちゃんにさっきやったやつじゃない!? 使いまわしすんな!」
「まあ焦らずゆっくり頑張ろっと」
「何を!? 瑞奈ちゃんにはそう言ったけどね、悠己くんはちょっとぐらい焦ったほうがいいよ!? 勝手に人のことハグしてすました顔してるけど!」
ぎゃあぎゃあとうるさいのなんの。どうやら浄化に失敗したらしい。
もう遅いし静かに。と唯李に向かって人差し指を立ててみせると、おとなしくなった代わりにギロっとすごい剣幕で睨まれた。
やはりこちらは一筋縄ではいかないようだ。
触らぬ神に祟りなし、と悠己がくるりと踵を返して再び歩きだすと、唯李は黙ってその後をついてくる。
やがて大通りに出て駅が見えてくると、唯李はやっと落ち着いたのか、追いついてきて隣を歩きながら、
「はぁ……。まあとりあえずニセ彼女は継続だね。そう言っちゃったから、しょうがないよね。そっ、それかまぁ、面倒ならいっそのこと本当につ……」
「でもよくよく考えたら大嘘ぶっこいただけだよね。しかも自分でこーんなかわいい彼女、とか言ってるし」
「なんでそういうぶち壊すこと言うかな? かわいいでしょ? こんなんいたら超絶かわいい彼女でしょ?」
「うんうん、唯李は世界一かわいいよ」
「バカにしてるのかな?」
などと話しているうちに、駅に到着した。
入口付近にはいくつか若い男女のグループがたむろしていたりで、それなりにまだ人は多い。
改札前までやってくると、悠己は唯李を振り返って、
「一人で帰れる? やっぱり家まで送ってこっか?」
「いい、いいです! 帰れる!」
じゃここで。
と言おうとすると、不意に悠己の顔を見つめてきた唯李が、急に真面目なトーンに戻って口を開いた。
「……でもあたしも、ちょっとびっくりしたっていうか。悠己くんいっつもぼーっとして、力抜けてる感じだけど、意外にシリアスな面もあるっていうか……」
「いやぁ、今回は俺としたことが不覚にも……参った参った」
「ん? どういうこと?」
「これだけリアクションしちゃうとなあ、嫌な予感するんだよなぁ……ちょっと」
「え?」
それから数日後。
「友だちいないから学校行きたくない~」とゲーム機を抱えて朝からベッドの中から出てこない瑞奈を、悠己は力任せに引きずり出す。
「ひどい、ゆきくんひどいよ! もう知らない! 家出する! おそくまで帰ってこない!」
「行ってらっしゃい」
「ゆきくんもっと熱くなろうぜ! あの日を思い出そうよ! 止めようよ、優しく抱きしめようよ!」
こうしてまた瑞奈の特技が一つ増えてしまった。
ここで一区切りになります。
書籍版第一巻は瑞奈視点の追加、締めとなるラストシーンを加筆などなど、ここまでをパワーアップした内容になっております!
さらにその後の瑞奈の学校での様子を描いた後日譚「眠り姫」も収録しておりますのでぜひ。