名女優唯李
翌朝いつもより少し早めに登校した悠己は、自分の席で一人携帯とにらめっこしていた。
昨日のやり取りの後、急に瑞奈がこのアニメがこの漫画が……とやたら勧めてくるようになった。
そしてそのどれもが瑞奈イチオシ妹キャラが幅を利かせている、という代物。
よくよく思い返せば昨日見たアニメ映画も義妹がどうたらこうたらというラブコメだった。
ネットでも原作漫画見れるから見て、と瑞奈がラインでURLを送りつけてきた。
これまでの主張から一転、お兄ちゃんはおとなしく二次元でブヒブヒ言ってればいいとでも言わんばかりの勢いだ。必死に自分の側に引きずり込もうとしている。
悠己が「妹離れ」「兄離れ」と言ったワードでネットで検索をかけて携帯を眺めていると、ダン、と隣で強めにカバンを机に下ろす音がした。
何事かと見やると、今登校してきたらしい唯李が気持ちつんとした表情で立っている。いきなり不機嫌っぽい。
続けてがーっと勢いよく椅子を手で引くが、力が有り余ったのかそのまま椅子を倒しそうになってしまい、あたふたと持ち直す。
(何やってんだ……?)
若干顔を赤らめてこほん、と咳払いをした唯李は、何事もなかったかのように椅子を元に戻して座った。
謎の奇行を眺めていると、唯李はまるで悠己のせいだと言わんばかりにきっと睨んできた。
「……なに?」
「昨日はお楽しみでしたね」
そういえば唯李とは昨日駅で別れたきりだったのを忘れていた。
瑞奈から話を聞いてこっちはこっちで解決していたつもりでいたが、あちらは誤解したまま今に持ち越しているようだ。
「かわいい彼女いるんだ~……知らなかったなぁ~……」
「いや、あれは彼女じゃないよ」
「じゃあ何?」
「妹だよ」
そう言うと、唯李はあからさまに一瞬「ん?」みたいな顔をしたが、あっさり引くに引けなくなったのか、
「向こうはそうは思ってないみたいだけど?」
「そう思ってないも何も妹だからね」
「いいですねーかわいい妹さんとデートだなんて」
やけにつっかかってくるが、デートだなんだとまったくもってバカバカしい。
デートを日本語にすると介護という意味にはならないだろうに。
「いやでもほんと、冗談じゃ済まなくなってきてるんだよ。あいつお兄ちゃんが彼氏でもいいとかなんとか、バカなこと言ってるからさ」
「うぇっ! それって……」
唯李が一体どこから出してるんだという変な声を発した。
まあそんなこと言ったらもちろんドン引きだろう。
「俺に彼女がいないからって、瑞奈が彼女のつもりでいいよ、なんて言って調子乗ってるんだよ。そういう本人はろくに友だちもいないくせに」
そんな調子だから困っている、というようなことをつい愚痴ってしまう。
唯李はしばらく物珍しそうに悠己の話に耳を傾けていたが、一段落すると「ふ~ん……」と感心したような顔でしきりにうなづき出した。
「なんだか新鮮だね」
「何が?」
「悠己くんがそうやって怒ってるの。でもなんかいいなー。妹さん大切にされてる感じがして」
「いや怒ってるっていうか困ってるというか……。俺が彼女作ったら自分も友だち作るって言ってるんだけど、どうしたものかなって」
「へ、へえ~……か、彼女ね~そうなんだ……」
「そう。って言われてもこっちは友だちを作るのとは訳が違うし、別に無理して作るものでもないと思うし」
「ふ、ふぅん。彼女……ほしいな~とか思わないの?」
「現状いなくても別に困らないというか。まあ妹を黙らせてやれるっていうのはあるけど」
悠己自身は慣れているので割と一人でもどうとでもなる。
むしろ誰かと一緒のほうがいろいろと面倒かも、すらある。
悠己が難しい顔で「ん~……」と腕組みをすると、ちらちらと様子をうかがっていた唯李が、
「い、いやぁ実はあたしも彼氏作れ作れって、お姉ちゃんがうるさくてねぇ~……」
「へえ、大変だね。お互い」
「お、おう」
それきりその話題は終わった。唯李は無言でカバンの中だの机の中だの整理を始める。
がそれが終わってしばらくして、何を思ったか唯李は突然さっと体の向きをこちらに向けてきて、
「ねえあのさ、あたし名案思いついちゃったかなって」
「何?」
「ちょっと耳貸して」
そう言って唯李は少し周りの様子を気にした後、ぐっと椅子から身を乗り出してきて、手を添えながら悠己の耳元にこそりとささやく。
「……あたしが彼女のふり、してあげよっか」
それだけ言うと、唯李はぱっと顔を離して元のポジションに戻る。
そしてにやっと笑いかけてくるので、思わず聞き返してしまう。
「……はあ?」
「はあ? ってことはないでしょ。だからその、妹さんの前でだけニセの彼女みたいな感じで」
「……何を言ってるの? それは無理でしょ」
「どうして? 名案でしょ? そうすれば妹さんも変なこと言わなくなるだろうし。それに悠己くんに彼女できたら友だち作るって言ってるんでしょ?」
「そりゃそうだけど、いやそれはさすがに……。そもそも唯李がそこまでする理由は?」
まったく何を言い出すかと思えば。
そんなことをして唯李に何かメリットがあるようには思えない。おおかた、またなにか企んでいるのだろうが……。
聞き返すと、案の定唯李は虚をつかれたように取り乱し始める。
「り、理由って……あ、あたしはただその……瑞奈ちゃん? が心配なの。大体兄からしてこんな調子であるからして」
「いや俺は友だち二件あるけど? 瑞奈は冗談抜きでゼロだから」
「何その低レベルな戦い。なんでそれで自分は大丈夫みたいな言い方?」
ものすごい冷静に突っ込まれた。それ一件あたしのこと入れてないよね? とも。
瑞奈の時のように、「二件あるとはやるな……」では済まないらしい。
「それとも……あれれ? さては悠己くん……ビビってるのかなぁ~? それかもしかしてぇ~……フリ、じゃなくて本当に彼女になってほしいとか思ってたり~……?」
そして必殺のにやにや笑い。
やはりそういうことらしい。瑞奈のこともそうだが、こっちもこっちで問題だ。
だいたいニセ彼女だなんだと、どこかのアニメか漫画の話のようなふざけたことを本気で言い出すのも、到底まともな神経とは思えない。
彼女も精神的にかなり不安定な状態であるからして……しかしだからこそ頭ごなしには否定せず、優しく受け止めてやらなければと悠己は考える。
「まったくしょうがないなぁ唯李は……」
「何その果てしない上から目線」
「わかったわかったよ。言うとおりにすればいいんでしょ」
「なんであたしがすごいわがまま言ってるみたいな感じになってるの?」
「そんなことないよありがとう~。唯李は優しいねぇ~」
「あ? 金運パンチすんぞ」
唯李がこの前のパワーストーン(金運)を取り出して荒ぶりそうだったので、すかさず全許容スマイルを見せてなだめる。
疲労の激しいこの技、しかし効果はてきめんで、唯李は一度怒っているのか嬉しいのか複雑な顔をした後「じゃあ決まりね」と最後は上機嫌に切り上げた。
(二人同時相手は疲れるなあ……)
こっちの妹の方は突然何が飛び出すかわからないだけに余計だ。
でもまあ、あくまで瑞奈の前でだけこちら彼女ができました、とやる程度ならさしたる問題はないだろう。
それで唯李の気が済めば、というところだが。
非常に行動的なことに、放課後になると唯李は早速瑞奈に報告してあげよう、ということで、悠己の家にやってくることになった。
彼女として振る舞うのは瑞奈の前でだけ、ということなので、一度別々に教室を出て、学校から少し離れたコンビニの前で落ち合う。
「お、お待たせ……」
少し遅れてやってきた唯李の様子がちょっとおかしいことに気づく。
しきりに胸元を手で抑えながら、息を吐いたり吸ったりを繰り返しているので、
「……どうかした?」
「な、なんか緊張してきた……」
自分からノリノリで提案してきたくせに、いざとなって尻込みを始めるという。よっぽどビビっているのは自分の方だった。
本当に何が何だか。こうなってくると二重人格の疑いすらある。やはりかわいそうな子なのだ。
悠己はとりあえず唯李を落ち着かせようと、彼女の腕を取って、
「ほら。手握っててあげるから」
「あっ、うん……ってなにしれっと手握ってんの!」
「ああ……いやでもさ、これから一応付き合ってるフリをしないとダメなわけだし」
「あ、ああ、そ、そっか……」
悠己は振りほどかれそうになった手を握り直す。
唯李の手は力が入ってこわばっているようだったが、やがて観念したようにゆっくり握り返してきた。
しっとりと柔らかい。
「唯李の手きれいだね」
「そ、そうね……。ゆ、悠己くんも、指長くて、き、きれいね……」
「そう?」
悠己は一度握りあった手を見た後、唯李の顔へそう聞き返す。
すると、みるみるうちに唯李の顔が赤く染まっていくことに気づいた。
「あ、なんかほんとに付き合いたての彼女っぽい。さすがの演技力」
「で、でしょ? す、すげーっしょ?」
「その変ににやついてる感じもいいね」
「そ、そらもう女優よ女優」
彼女のフリなんてやってもどうせすぐバレるだろう。
そう思っていたが、これなら案外行けるかも知れないと思い直す悠己だった。
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いっぱい入ると脱ぎます。
うそです。