決戦への道2
「じゃーん! ニセ隣の席キラー参上!」
足を伸ばして滑り込みのポーズ。ロングスカートの裾が突っ張るのもお構いなし。
次に立ちふさがったのは萌絵だった。不敵な笑みを浮かべてくる。
「ここは通さん。クックック⋯⋯このあたしを倒せるかな?」
どうやらまたモノマネをしているようだ。口調をそっちに寄せている。
しかし萌絵まで出張ってきたとなると、思った以上に大事になったらしい。
「いや⋯⋯まいったね、ほんと」
「ん~? どうした~? びびってんのかあ~?」
「はっきり言わせてもらうとものすごい絡みづらい」
似てるようで似てない。
寄せようとするとチンピラまがいの口調になるのはどうなのか。
「じゃあゆっきーはい、予行練習。『唯李⋯⋯アイシテルヨ』って言ったら通してあげるよ」
「うーんやっぱこの人苦手」
「ふっ、偽物を倒せないようじゃ、本物は倒せないよ?」
「正直偽物のほうが手強い」
心からそう思う。
何か思いついたように手を叩くと、萌絵はスマホを取り出した。縦に構えたまま、レンズを悠己の顔に向けてくる。
「ほら、撮っててあげるからカメラに向かって」
「まじで強すぎる」
このままだとボスまでたどり着けない。
手下がボスより強いのはゲームバランスがおかしい。
けれどここで引くわけにはいかない。受けではなく攻めに転じる。悠己は真顔を作って言った。
「愛しています」
「わ、わたしじゃなくて、カメラに向かって!」
「愛しています」
「だ、だから違う違う、こっち!」
べちっとスマホを頬に押し付けてきた。痛い。冷たい。
しかしうろたえたところを見るに効いている。逆転の糸口を見つけた。攻めの方向性が決まる。
「いや~しかし、萌絵もずいぶん印象が変わったなって」
「ん? なになに?」
「なんというか初めて会ったときは、ちょっとばかし自分本位の考えをしてしまう子なのかなって思ったけど⋯⋯」
「はっきり自己中っていいなよ」
「根は優しくていい子なんだなって」
「へ? そ、そお?」
「そうそう。明るくてユーモアもあって、しかもかわいい」
「えへへ、まぁ、それほどでも~⋯⋯」
萌絵は頭をかきながら照れだした。やはり予想どおりだ。攻めに強く守りが手薄なのは偽物も一緒らしい。
「よっしゃあ、こっちも守りがちょろいぞ。今のうちに逃げろ!」
「あ、ちょっと! こら!」
強敵には逃げるが勝ち。
脇を走り抜けていこうとすると、がしっと肩を掴まれた。かなり強めに。
低めの声が耳元で囁いてくる。
「⋯⋯あのね、これだけはちゃんと言わせて? 唯李ちゃんを泣かせたら、許さないからね」
「ああ、わかってるさ。そんなやつは俺が許さねえ」
「冗談抜きで。本気で」
「アッ、ハイ⋯⋯」
ずっと上がっていた萌絵の口角は下がっていた。
目が怖い。圧がすごい。何やら新しい一面を見た気がする。
背筋を伸ばして頷くと、萌絵はにっこり笑顔になった。よしよしと悠己の肩をぽんぽん叩いてくる。
悠己はおそるおそる伺いを立てた。
「あの、もう行ってもいいですかね?」
「いいよ⋯⋯あ、それとね。わたし、ゆっきーのこと結構好きだよ」
「⋯⋯はあ?」
「だってそっちから話しかけてくれないんだもん全然。同じクラスなのに。だからもっと仲良くしようね」
「きみ素質あるよ。なにをとは言わないけど」
「なに?」
目をパチクリさせる萌絵に向かって手を上げると、悠己はそそくさとその場をあとにした。
バスは数人の乗客がいるだけでガラガラだった。
この時期、この時間から運動公園に向かうという人も少ないだろう。
悠己はバスの後方、二人がけの席の窓際に腰掛けた。
ドアが閉まる寸前で、慌てて乗り込んでくる人影があった。
長い黒髪を揺らしながら、肩をいからせるようにして近づいてくる。
いくつも空席があるにもかかわらず、当然のように悠己の隣に腰を下ろした。羽織ったコートからは花のような香りが漂ってくる。
「あの、そっち空いてますけど」
「ここでいいわ」
凛央は腕組みをしながら背をもたれた。どうあっても隣に居座るつもりだ。
バスが走り出すなり、前を向いたまま独り言のように言う。
「⋯⋯私は、本当は反対だから。ここでふざけた態度を取るようなら、もう二度と唯李には近づかせない」
凛央は前回会ったときとはうってかわって厳しい顔をしていた。何かがふっきれたようだ。にこりともしない。
「それ、さっきも同じようなこと言われた」
「え? 誰に?」
「ニセ陽キャの人」
それだけで伝わったらしい。
凛央の表情が少しだけ緩んだ。
「⋯⋯ふぅん、意外にちゃんと考えてたのね。まぁ慶太郎も『オレらがあいつのお膳立てみたいな真似はしたくねえ』とは言ってたけども」
「うん、珍しく真面目だった。ていうか慶太郎って呼んでるんだ」
「え?」
「凛央ってなんだかんだ慶太のこと気にしてるよね」
「な、なによ別に⋯⋯いろいろ小夜に相談されてるうちに、見てられないっていうか⋯⋯気になるだけよ」
「ここラブコメ禁止なんで、そういうのはよそでやってもらって」
「ら、ラブコメって⋯⋯そういうんじゃないわよ全然!」
とは言ったものの、おそらく慶太郎も畏怖の対象としか見ていない。
凛央は一度咳払いをすると、不敵に笑ってみせた。
「けどまあ⋯⋯ここまで来たってことは、それなりに覚悟を決めてきたんでしょうけど。それじゃあ、どうやって倒してくれるのかしら? この隣の席キラーの筆頭配下⋯⋯隣の席ブレイカーを」
「それ全然はやらなかったね。黒歴史?」
一騒動あったのちは、今の今まで一回も使われなかった。
あれは一体なんだったのだろうか。
「そもそも隣の席ブレイカーってなんなんですかねえ? 具体的になにをどうしてくる?」
「な、なにをって、それは⋯⋯」
「あれ? なんか勢いだけでネタ固まってない感じ?」
「殴るわよ」
「すいませんやめてください」
試しに煽ってみたら危険だった。物理攻撃でブレイクしてくるらしい。
凛央は握りしめた拳を下ろした。雰囲気は先程よりいくぶん緩んでいる。
「へえ、それで⋯⋯ちょっとは何か、思うところあったわけ?」
「いや心配かけたね。うちのゆうこが」
「⋯⋯何? 誰?」
「俺の中にいる七人の人格のうちのひとりで、ゆうこっていうんだけど。ちょっとヤンデレぎみなんだよね」
「なによそれ急に変な設定出してきて⋯⋯ふぅん? そういうことにしてほしいって? でも本当の自分がどうとかって、そんなの私だって、わからなくなるときあるし⋯⋯」
「そして今の俺は悠己を超えた悠己⋯⋯スーパー悠己2ってとこかな」
「真面目な話しようと思ったのに潰さないでくれる?」
「最高の力で早く終わらせてもらうぞ」
「なによ? やるの?」
隣の席ブレイカーがまた拳を握って振りかぶってみせた。
悠己は素早くその手首を掴んで攻撃を封じる。
「ふっ、この程度か。隣の席ブレイカーもしょせん『小娘』ってとこかな」
「は? なめるんじゃないわよ、このっ!」
もう片方の拳を繰り出してきた。こちらは手のひらで受け止める。
「まさかこれで『本気』というんじゃないだろうね」
「くっ!」
両手を組んでつかみ合いになる。
単純な腕力だけならさすがに悠己が勝つ。それでも凛央はなぜか引き下がろうとしない。
「このっ、とぼけた顔してるくせに⋯⋯!」
「口で攻撃してくるのやめてもらって」
「心配してたら急にコロっとしてるし!」
「だからそれはごめんって」
「バカモノバカモノ!」
とうとう手を払いのけられ、べしべしと連続脳天チョップをもらう。
ここは甘んじて受け入れることにする。しかし抵抗をやめたらやめたで、凛央の勢いもすぐに止まった。
「はいはい凛央ちゃんごめんね、泣かない泣かない」
「泣いてないわよ、ばか!」
さっきからとてもバカにされている。
いつもは冷静なはずの凛央が今日は壊れ気味だった。泣いてないと言いつつ荒々しく手で目元を拭った。おすまし顔を作ってみせるが目が少し赤い。
「⋯⋯まぁ、わかったわよ。今回はとりあえずそういうことにしておいてあげる」
「強がり凛央ちゃん激萌えってこと?」
「ち・が・うわよ! けどもし今後また、唯李を悲しませるようなことをしたら⋯⋯」
「さっきからバックに怖い人達ついてるね」
背後に見え隠れする影たち。
腕組みで見下ろしてくる絵が浮かぶ。
「そのときは容赦なくボッコボコにしてもらっていいよ。ゆうこだかなんだか知らないけど誰だよって」
「なによそれ自分で言いだしたんでしょ」
「それより見てこれ、瑞奈にもらっちゃった。戦闘力60、61⋯⋯なにっ、こいつ気のコントロールを⋯⋯!」
「心拍数でしょ」
「そしてここを押すと麻酔針が⋯⋯」
「楽しそうでよかったわねお兄ちゃん」
しばらくしてバスは公園の入口に到着した。
一緒に降りるは降りたが、凛央はそのままバス乗り場付近のベンチに腰を下ろした。
「あれ? もうやらないの? 隣の席ブレイカー降参?」
「なによそのポーズは」
「天地魔闘の構えですが?」
凛央はいいから早く行きなさい、と無言で目配せをしてくる。戦わずして勝利した。
これ以上ついてくる気はなさそうだ。どうやら彼女はここまでらしい。
浮かんでいた薄い雲はだんだんと空の青色に飲まれはじめていた。やわらかな朝日がそびえ立つポール型の時計を照らす。約束の時間はもう間近に迫っていた。悠己はがらがらの駐車場を横切るようにして、足早に先を急いだ。
「そこのお兄さん? ちょっといいかしら~?」
行く手を阻むように横合いから声をかけられた。
寒がりなのか、ニット帽にマフラーに防寒対策バッチリだ。
「あれ、逆ナンですか?」
「違うわ」
鋭くつっ返してきたのは唯李の姉の真希だった。
いよいよ登場人物が悠己の想像の範疇を越えてきた。
「どうしたんですか?」
「⋯⋯んーとね、朝っぱらからちょっと運動したいって言う人がいたから、車で連れてきてあげたの」
真希が指さすほうを振り返ると、いつぞや見覚えのある車が止まっていた。運動というのはちょっとしたシャレだろうが、その一方で真希は寒そうに両腕を抱える。
「真希さんも運動したほうがいいんじゃないですか」
「アドバイスありがとう」
目の笑わない笑顔をにっこり。
「私、今回は噛まないでおこうと思ったんだけど、やっぱり気になっちゃってね。ほら、この前一緒に牛丼食べたときも様子おかしかったし」
「はぁ⋯⋯」
「なにそのくっそでかいため息」
情けなさに自然とため息も出る。
すかさず指摘してくるのは、真希なりに気を遣ってくれてのことだろう。それももういらない心配だと伝えなければいけない。
「あれは⋯⋯なんてことないです。ただ子供がすねていじけてただけなんで」
「へえ? そうなんだ?」
「変なこと言って、すいませんでした」
悠己が頭を下げると、真希は物珍しそうな顔をした。
「まあ、でもいいんじゃない? 私から見たら君たちなんてまだまだ子供っていうか、クソガキよクソガキ。バイト先とかだと私だって子供扱いされるんだから」
「やだ真希ちゃんか~わ~い~い~」
「なんでギャルに囲まれてるの? どういうの想像してる?」
「キャラメル真希アートふたつおねが~い」
「くそつまんねえわそれ」
「なんにせよかわいがられててよかったですね」
「でしょお~?」
褒めたはずなのになぜか表情が硬い。
ここはいったん仕切り直す。
「俺、真希さんのこと好きです」
「は、はい?」
「唯李のこと、本当に気にかけてて⋯⋯俺も真希さんみたいなお姉さんが欲しかったです」
ぽかんと口を開けていた真希は、ほっとしたように胸元に手を当てて息をついた。
「あぁ、びっくりした。ここでまさかの⋯⋯かと思ったけど、それはないわよねぇ。でも、もしかしたら本当に『お義姉さん』になっちゃうかもしれないわよ~?」
「姉御、ホットドッグ買ってきましょうか」
「いらんわ」
低い声で突っぱねられる。
真希は一度頬をこわばらせてみせて、すぐに緩めた。
「なんだか、大丈夫みたいね」
「これで大丈夫⋯⋯?」
「大丈夫じゃないけど大丈夫みたいね」
やや複雑だ。
真希は静かに笑うと、小さく首を傾げた。
「でも私、細かいことは本当によくわかってないんだけど⋯⋯。何か、あったのかしら?」
なんと答えるか迷った。
いつものようにお茶を濁すこともできたが、ここは正直に答えることにした。
「それは⋯⋯誕生日だったので」
思いもよらない返答だったらしい。真希は驚いたように目を見張らせた。
が、すぐに笑った。
「そうなんだ、おめでとう」
「あ、違う誕生日明日か」
「ややこしいわね」
最後に軽いお辞儀をして別れる。
すれ違いざま、背中に張り手をもらった。前のめりになって振り返ると、どこかで見たような笑顔がエールを送るように拳を突き出していた。
やはり姉妹だけあってよく似ている。
まるで数年後の、彼女の妹の姿を見ているようだった。