お姉ちゃん
玄関先まで三人を見送ると、唯李は二階の自分の部屋に戻った。
その途中、ふと思い立って隣の姉の部屋に足を向けていた。
ノックと同時に、返事も待たずにドアを開ける。
部屋はやけに静かだった。一瞬誰もいないかと思ったが、真希は部屋の角にある勉強机に向かい合っていた。
いきなり開けないでよ、などと恒例のやり取りはなかった。真希は椅子に座ったまま微動だにせず佇んでいる。もしかして学校の課題か何かでお取り込み中だったのかもしれない。
「お姉ちゃん、なんで勝手にOK出したの? もう」
けどそれだけ言っておきたかった。
一言も相談なくみんなを家に呼び込むなんてあんまりだ。
まあ結果としてはよかった。むしろ大正解ではあったけども⋯⋯でもいきなりは心臓に悪い。
「それは悪かったわよ。でも⋯⋯」
真希はそう言ってうつむいたまま、そっぽを向いた。
声はかすかに震えていた。何やら様子がおかしいことに気づく。
唯李は真希のいる勉強机に近づきながら尋ねた。
「お姉ちゃん、どしたの?」
「ううん」
真希は首を振って、指で目元を拭った。
いよいよ不審に思った唯李は、近くで姉の顔を覗き込む。
顔を伏せた目元は涙で濡れていた。目が赤くなっている。
「お、お姉ちゃん? なんで泣いてるの?」
「な、泣いてないわよ、ちょっと涙があふれて……」
「それを泣いてるというんだけど」
背中をさすってやると、姉はずるずると鼻を鳴らして、本格的に泣き出してしまった。
こんなこと初めてだった。わけがわからずあたふたとする。
「ど、どしたのお姉ちゃん、推しが炎上でもした? 誰だっけほら、いつも言ってるあの⋯⋯」
「ちがうわよぉっ⋯⋯」
ひたすら背中を撫でて、落ち着くのを待つ。
手に丸めたティッシュが少し黒ずんでいた。メイクが剥がれたようだ。ガチ泣きらしかった。
姉がこんなふうに泣くなんて、はたして今まであっただろうかと過去を振り返る。
もちろん泣くことはあるだろうけど、その場面をこうやって目撃したのは記憶にない。だから反応に困る。
せめて原因がわかれば、対処のしようがあるかもしれないのに。
「ねえだからどうしたの真希ちゃん~? ほら、唯李お姉様に言ってごらんなさい?」
「⋯⋯もう唯李には、困ったときに助けてくれる友達がいるのね」
はっとして、姉の顔を見た。
真希はずっと自分の部屋にいた。もしかしたら隣の部屋でのいざこざを、一部始終聞かれていたのかもしれない。
「よかったね」
姉の指先が、頬を伝うようにして撫でてきた。
――なんで泣いてるの。言わないとわかんないでしょ。
柔らかい手のひらの感触。急に思い出していた。
誰にも相談できずに、泣きながら家に帰ったときのこと。
――じゃあ、面白い子になればいいんじゃないの?
涙を拭いてくれたこと。話を聞いてくれたこと。
あれはダメこれはダメって、口では言いながらも、いつも気にかけてくれていたこと。
姉が泣いている理由がわかって、過去のいろんなことを思い出してきて、また泣きそうになった。
でも今は、泣かない。今だけは、強がってみせる。
「⋯⋯うん。お姉ちゃんの、おかげだから」
めいっぱいに笑みを作って、頷いた。
昔とは違うって、見せてあげた。もうお姉ちゃんがいなくても大丈夫。泣きついたりなんかしない。少し寂しい気もするけど⋯⋯。
「強がっちゃって。泣き虫のくせに⋯⋯」
真希の指が涙を受け止めて、唯李の目尻を拭った。
ダメだった。耐えたと思ったのに。やっぱりなんでもお見通しだ。
けれどそういう自分だってぼろぼろ泣いている。だからここはプラスマイナスゼロだ。いや、この分だと全然こっちがプラスだ。
「ほらお姉ちゃん、泣かないで⋯⋯」
姉なりにいろいろ思うことがあるのかもしれない。それこそ、唯李には見えていなかったようなことも。
さっきは冗談半分だったけど、たまには立場が逆転したっていい。お姉ちゃんはいつだって妹より強くないといけない、なんてことはないのだ。
髪を撫でてやると、真希は泣き顔を隠すように唯李の胸元に頭を押し付けてきた。
「⋯⋯ぐすっ⋯⋯でも、隣の席キラーって、なんなのそれぇっ⋯⋯痛いやつじゃないのぉっ⋯⋯!」
「そ、それも聞いてたの!? てか泣きながら痛いって言わないで!」
「まさか私の妹が、あの『隣の席キラー』だったなんて⋯⋯」
「お姉ちゃんはなんだかよく知らないでしょ! もう!」
こんなときぐらいはしんみりと。
なんて思ったけども、結局いつもどおり。ドラマみたいに綺麗には締まらない。
それに変に背伸びしてみせたところで、お別れになるわけでもなんでもないのだ。
だってお姉ちゃんは、これからもずっと、お姉ちゃんなんだから。




