嘘つき
目が覚めたのは夕方だった。
昨日も昼間に寝て、夜に眠れなくて、朝方変な時間に眠ってしまったせいだ。
結局、二日連続で学校を休んでしまった。
発熱したのは、雪混じりの雨に打たれて寒い中立ちつくしたせいかもしれない。
帰宅後もずっと考え事をしていた。明日、どんな顔をして学校に行けばいいかわからなかった。
そのうちになんか熱っぽいかも、なんて思っていたら、かすかに熱があること気付いて、それに飛びついた。
今日の朝には、すでに熱は下がっていた。体調も元通り。
というか、もともとが微熱だ。
けれど今日また休んだら、明日から土日に入って連休になる。
学校までしばらく猶予ができる。その間になにか状況が変わるかもしれない。
でも自分からは動けなかった。悠己からも特に連絡はない。
その一方で、もしかしたら休んでいる間に席替えになってしまうかもしれないという恐れもあった。みんなだってやるならもうすぐやるみたいな話をしていた。けど今となっては、いっそそうなってくれたほうが、気が楽かもしれない。
そんなことを考えながら二日目も休んだ。
だから半分ズル休みのようなものだ。実は似たようなことを、小学生の時にもしたことがある。
唯李は布団から這い出ると、枕元のスマホを手に取った。
昨日はみんなからちょくちょく連絡が来ていて、ただの風邪だから心配しないで、と返してそれきり。
そういえば今日は何も返信していなかった。
画面をタップすると、通知がいくつもポップアップする。
『まだ具合悪い?』
『電話しないほうがいいかな?』
『寝てる?』
萌絵からしつこく連投が来ていた。ちょっと怖い。
やばいと思いながら返事を考えていると、珍しく凛央からもメッセージが来ていることに気づく。
『今日みんなでお見舞いに行くわね。真希さんにも了承取ったから』
「え」
今度はつい声が出た。
メッセージが届いたのは昼休みの時間だ。今はもう夕方の四時を回っている。
お見舞いなんてそんな大げなもの必要ない。熱も下がってるし、心配しなくて大丈夫。
慌ててそう返信しようとすると、下で家のチャイムが鳴る音がした。
唯李はとっさに布団の中に滑り込んだ。
宅配か何か⋯⋯ではない。下の玄関から、何事か応対する姉の声と、聞き覚えのある声がする。ややあって、数人の足音が階段を上がってくる。
(げっ、もう来てる⋯⋯?)
丸まって耳をそばだてていると、部屋のドアの前で足音と気配が止まった。
控えめなノックの音とともに、真希の声がする。
「唯李? 起きてる?」
気遣ってか、姉の声は優しい。
だけどほとんど仮病みたいなこと、真希にはきっと見抜かれている。
いっそのこと、全部話して泣きつこうか迷った。
なんだかんだ言って、姉は優しく受け止めてくれるだろう。でもそれだけはしたくなかった。それをしたら最後、あの情けない子供の頃の自分に戻ってしまいそうだったから。
(ど、どうしよう……?)
まだ不調で寝ているふりをする、という選択肢もある。
けれど変にみんなを心配させてしまうのはよくない。
やはりここは明るく元気に、ちょっとズル休みしちゃったかも、ぐらいのテンションでいくべきだ。
そう思い直し、唯李は布団を跳ね上げた。
「はーい!」と元気よく返事をしながらドアに近づく。ドアを引いて開け放つなり、笑顔を作ってダブルピースをした。
「唯李ちゃんバリバリ元気でーす! ばりばりばるんばるんどぅるるるるる! おらおらどけどけいぃ!」
唖然とした顔がひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
重苦しい視線を当てられて、無理やり上げた口角がひきつる。
「みんな、お見舞いに来てくれたそうよ。よかったわね」
手前にいた真希が何事もなかったように微笑を作った。
そして笑みを張り付けたまま来客一同を振り返ると、そのまま引き上げていった。
「唯李ちゃんって、いつもここで勉強してるんだ~」
萌絵は勉強机に備え付けられた椅子に座って、感慨深げに部屋を見渡している。
顔を合わせるなり、真っ先に詰め寄ってきたのは彼女だ。「だいじょうぶ? だいじょうぶ?」と怒涛の攻めに対し、さんざん弁解⋯⋯というか説明を終えて、一段落ついたあとだ。
「立ってないで座れば?」
凛央がドア付近に立ちつくしたままの慶太郎を振り返った。そういう彼女は座布団の上に行儀よく正座をしている。
「い、いやぁ、オレはいいよここで⋯⋯」
「何を遠慮してるの?」
「いやいや遠慮するだろ、そりゃ」
唯李はベッドの縁に腰掛けながら、二人のやり取りを眺める。
凛央、萌絵、そして慶太郎。
学校帰りでそのまま来たのか、おのおの制服姿だ。
かたや自分は一人だけパジャマ姿。萌絵からは「え~唯李ちゃんのパジャマかわいいかわいい~~!」とやられたが、反応に困るしどうにも落ち着かない。
唯李はペットボトルの飲み物を口に傾けると、テーブルの脇に置いた。
テーブル上の買い物袋の中には、ペットボトルの他にゼリー飲料とフルーツゼリーが入っている。みんなが買ってきてくれたものだ。
学校を休んだ日に、友達がお見舞いに来てくれる。
そんなこと、生まれて初めての経験だ。
もちろんうれしいはうれしい⋯⋯のだけどその反面、申し訳なくなってくる。
どう応対したらいいかわからず、ごめん、ありがとう、ひたすらそればかり繰り返していた。
「彼も心配してるみたいだったから、ついでに」
凛央が断りをいれると、慶太郎は気まずそうに頭をかいた。それからごまかすように腕を組んだ。
「まぁその⋯⋯なんだ。席替え実行委員としてはな。ここで休まれると困るわけだ」
「席替え実行委員?」
「くるみちゃんがね、席替え引き伸ばしてくれてるの。唯李ちゃんが休んでるからって」
唯李が聞き返すと、代わりに萌絵が答えた。
くるみからは「どしたん風邪ひいたん?」とだけ連絡があった。話せば親身になってくれるけど、向こうから必要以上に接触はしてこない。そういうタイプだ。他に抱えてる案件も多いだろうし。
「休んでるときに席替えになってると、嫌でしょ。わたしも経験あるから」
萌絵にしては珍しく静かな口調だった。
椅子ごと体をこちらに向けて、じっと唯李を見つめてくる。
なんだかまるで、逃げているのを見透かされているかのようだった。
「それに席替えのときに隣の席キラーがいなかったら、カッコがつかないものね」
凛央が口をはさんだ。
突然出てきた隣の席キラーというワード。彼女の口から発されるのはいつぶりだろうか。
けれど今、その単語は聞きたくなかった。
胸がちくりとして、きゅっと心臓を鷲掴みにされたかのような感覚がする。
どうしても、思い出してしまう。
彼とのやり取りのこと。彼が発した言葉のこと。
「⋯⋯唯李?」
凛央に名前を呼ばれて、自分が膝の上を見つめていることに気づいた。顔から笑みが消えていることに気づいた。
強くなったつもりでいた。
でもそれは、少しのことで簡単に崩れるような脆いものだった。それを思い知らされた。
その証拠に、今だって笑えなくなっている。
元気な姿を見せるはずが、そんな余裕はなくなっていた。
それどころか、みんなの顔を見返すことすらできない。うつむいて返事すらできなくなっている。
結局、何も変わってない。
隣の席キラーだなんだと、みんなの前で強がっていた自分が滑稽に思えてきた。
「⋯⋯隣の席キラーなんて、そんなの⋯⋯嘘だから。そんなのもとから⋯⋯いないから」
本来ならみんなの前でそんなこと、口にしてはならないはずだった。けれど、言わずにはいられなかった。
部屋の空気が急に重たくなるのがわかった。みんなの視線が突き刺さるのを感じた。
少しの間、沈黙が走る。それを破って一番に反応したのは凛央だった。
「それって、どういうこと?」
「⋯⋯あたしの知らないとこで、隣の席キラーだとかって、勝手に言われてて⋯⋯あたしだって、よくわかんないの」
凛央の顔を見ずに言った。見れなかった。
いきなりこんなことを言い出して、凛央はきっと怒っている。問い詰めるような口調だった。
「唯李私にも言ってたわよね。あたしは隣の席キラーだから、隣の席になった相手は絶対に惚れさせるって。あれは嘘だったってこと?」
今となっては、なんであんなこと言ったんだろうと疑問でしかない。
答えは簡単だ。ただの思いつき。勢いとノリ。
でも見せかけだけの嘘だから、ボロが出る。
けどなんで、こんなふうに責められなければならないんだろう。
凛央だってたいがいだ。いつまでもそんなこと鵜呑みにしているのは、鈍感っていうか、勘違いにも程がある。
本当に自分のことを見ていてくれれば⋯⋯理解してくれていれば。
そんなの嘘だって、すぐわかるはずなのに。
彼女とは友達⋯⋯いや、親友みたいに言われるようにはなったけど。そう思いたいけど。
こんな関係で、親友なんて呼べるのだろうか。
やっぱり上っ面だけなのかもしれない。薄っぺらい自分と一緒だ。
だいたい自分みたいな小心者の嘘つきに、何を期待してるんだって思う。
思考があちこち駆け巡る。
なんとか言い逃れをしよう、ごまかそうから、頭の中はいつしか怒りと悲しみに変わっていた。失望と言ってもいいかもしれない。
気づけばそれをぶつけるように、顔を上げて声を荒げていた。
「そうだよ! あんなの全部嘘だから! もともと凛央ちゃんのことだって、ずっとヤバそうな人だって思ってて、あんまり関わらないようにしようって思ってたけど、隣の席になっちゃって⋯⋯! 本当は凛央ちゃんが怖くて、いい人ぶってただけなの! 嫌われないようにって、顔色伺って⋯⋯」
媚びを売るように、ご機嫌を取って⋯⋯それを隣の席キラーという嘘に乗っかって、さらに嘘で塗り固めただけ。
今さらだった。こんなことを言ったら、きっと凛央は怒るだろう。呆れて、愛想をつかされるに違いない。でもそれが真実なのだから、仕方がない。
とうとう全部ぶちまけてしまった。
もう全部、台無しだ。
悠己の言っていた通りだ。
隣の席キラーなんて、そんなもの最初からいないって。
ただの嘘で、言葉遊びみたいなもので。
だって今ここにいるのは、ただの弱気で嘘つきな小心者。
「だから、あたしはただの⋯⋯」
どうしてだろう。
彼に言われたときは、泣かなかったのに。
急に自分が情けなくなって、悲しくなって、涙が溢れた。
途中で口をつぐんで、うつむいた。ぽたりと大粒の涙が膝の上に落ちた。
何を言おうとしたのかもわからなくなった。もう嘘も限界だった。声すら出なくなった。