持っている側
凛央に連れていかれたのは、校舎の真ん中にある中庭だった。
中庭は一面が芝生だ。それを縦横に区切るように、コンクリートの通路が作られている。
中央の花壇には大木が植えられており、四方を取り囲むように等間隔にベンチが置いてある。
他にもちらほらと生徒の姿があるが、寒さのせいもあってかそこまで数は多くない。
空いていたベンチを見つけて凛央が腰掛ける。悠己もそれにならう。
いざ座ってみると、陽が当たって思ったよりも暖かい。
ただここで食事をすると、校舎の窓や渡り廊下からも丸見えだ。
周りを見る限り男女ペアで食べているような姿はなく、教室の隅よりもよほど目立つ。
失敗したと思った。まさか凛央がこんな場所を選ぶとは思わなかった。
「どれか食べる?」
凛央が手にした弁当箱を差し出してくる。
悠己は首を振ると、途中で購入した紙パックジュースのストローを口にくわえた。
お互い無言のまま食事をする。ときおり笑い声のする近くのベンチとは対照的だった。
先に食べ終えた悠己はスマホを取り出した。特に見るべきものはなかったが、手持ち無沙汰だった。
凛央が顔を近づけてくる。
「それ、なにか面白いことある?」
「いや、特には⋯⋯」
「私、最近SNSとかあんまり見ないようにしてるの。見たあと気分が沈んでるなって思って」
「ふぅん? それは意識が高いねぇ⋯⋯」
ぽつりぽつり漫然とした会話をするが、話は弾まない。
やがて凛央は空になった弁当箱をしまった。ランチバッグを脇に置くと、面を上げて髪をかきあげる。その姿がやけに大人びて見えた。
「そういえば、喧嘩でもしたの? 速見くんと」
凛央は脈絡なく切り出してきた。
予想とは別の名前が出てきて、思わず聞き返す。
「⋯⋯速見くん?」
「小夜から聞いたの。あいつのことはもう知らんとかって、家で愚痴ってたって。何かあったの?」
「いや、別に⋯⋯」
向こうが勝手に一人相撲しているだけだ。
喧嘩などと構えるほどのことではない。ましてや凛央が気にすることでもない。
「席替え、あるんでしょ?」
またも脈絡のない質問だった。
これも最初からわかってて聞いているのだろう。回りくどいことをする。
「もしかして、そんな話するために誘った?」
「そんな話ってことないでしょ」
強い口調で返される。
しかし図星だったのか、凛央は初めて気まずそうな顔になって、目を伏せた。
「私は、もう口出ししないでおこうって思ってたけど⋯⋯ちょっと様子が変だと思ったから。お正月も、クリスマスも。マラソンのときも」
ゆっくりと顔を上げて、悠己を見た。
誰が、とははっきり言わなかったが、その目が物語っていた。
「それで、今じゃない? だから余計心配になっちゃって」
「いや、ていうか席替え席替えって、たかが席替えで何をそんな騒いでるの?」
「⋯⋯それ、本気で言ってる?」
長いまつ毛が瞬いた。瞳はまっすぐ向かいの校舎の壁を見た。
「私が、見誤ってたのかしらね」
それはどういう意図があっての発言なのか。
見誤るもなにも、認められるとか讃えられるとか、そんなごたいそうな人間ではないことは確かだ。
「俺って、もともとこんなだよ。凛央と違って、なんでもできちゃう超人じゃないから」
「べつに私は⋯⋯成戸くんがみんなにはできないような、なにかすごいことをしてくれるとか、そういう期待はしてないけど?」
「そうだよね。俺、何もしてないからね。最初から」
「ちがう、そうじゃなくて」
いつも何かをしてきたのは彼女――唯李であって、自分ではない。
彼女には人を変えてしまうような力がある。魅力がある。それに疑いの余地はない。
そして凛央も今、その友人に何かあったことを察して、こうして動いている。
いい関係なのだ。面倒をかけて申し訳がないと思う反面、彼女たちのことを羨ましいとすら思った。
「ごめん、俺⋯⋯嫌なやつだよね、やっぱ。でも、唯李と凛央はこれからも、仲良くしててほしいと思うし⋯⋯」
「だから、そういう話じゃなくて」
「わ、RIOさんだ~。男子と一緒にいる~珍し~」
そのときベンチの前を女子の三人組が通りすがった。
何事か言いかけた凛央が目線を向けると、そのうちの一人が足を止めた。
「RIOさんあのぉ、この子が手相見てほしいって言ってて⋯⋯」
「ねえちょっと、邪魔するのやめなよぉ」
一人が笑いながら腕を引く。
対する凛央は困ったような呆れたような、微妙な表情をした。
「ごめんなさい私、もうそういうのやらないことにしたから」
「えー! もったいないよ! めっちゃ当たるってみんな言ってるのに!」
「ちょっとちょっとマユ! あ、すいません失礼しました~」
何事か騒ぎながら、引き下がっていく。
凛央は大きくため息を付くと、悠己に視線を戻してくる。
「で、なんだっけ」
「……あれって彼氏? マジ?」
「……いや違うでしょ~?」
そのまま立ち去るかと思った女子三人組は、少し距離を取った位置からこちらを観察している。
声をひそめているつもりかもしれないが丸聞こえだ。
凛央はしばらく口をつぐんで黙っていたが、急に立ち上がった。我慢の限界に達したようだ。
「ちょっと! あなたたち、うるさい!」
「きゃーごめんなさい!」
「花城さん! 彼とのご関係は!」
「だからうるさいって言ってるでしょ!」
凛央のこと、話には聞いていた。
彼女を取り巻く環境が変わっていると。
改めてこうして目の当たりにすると、奇妙な感覚がする。
かつてじめじめと陰った場所で、一人お弁当を食べていた凛央の顔がちらつく。
けれど悠己と違って彼女はもともと「持っている」側の人間だ。なにもそこまで不思議なことではない。
ただ足りなかっただけだ。なにか一つの、きっかけが。
悠己は飲みきったジュースのパックを手の中で潰すと、ベンチを立ち上がった。
「俺、食べ終わったから。それじゃ」
「あ、ちょっと!」
凛央の背中にそれだけ告げて、返事を待たずに歩き出した。
背後で呼び止める声がしたが、振り返ることはしなかった。
授業が終わるなりまっすぐ帰路についた。
今日は一日晴天だったが、日陰のあちこちでは溶けかけの雪がわずかに残っていた。
夕暮れ時ともなると、ぐっと気温は落ちる。
自宅マンションのある路地には、ほとんど人通りはなかった。
「ゆうき~~~!」
ひっそりとした通りに聞き慣れた声が響く。
振り返ると、小柄な制服姿が手を振りながらぱたぱたと走ってくる。
「帰りに行き合うの珍しいね!」
横に並んだ瑞奈が笑いかけてきた。
確かに珍しいは珍しいが、この時間に行き合うのはそもそもおかしい。不審に思って聞いた。
「あれ、今日部活は?」
「ん、なんか気が乗らないからサボった」
そんなノリでいいのか。
と悠己は思ったが、もはや自分が口を挟むことでもないだろう。きっと瑞奈は要領よくやっていく。
「俺、スーパー寄ってくから」
「あ、瑞奈もいくいく!」
小さく飛び跳ねるような足取りで、すぐ隣をひっついてくる。いやにご機嫌そうだ。
「⋯⋯着替える時めっちゃ寒くてさ。手でびたってやって『熱を⋯⋯奪う!』ってやってたら、さよがいきなりブチ切れてさ⋯⋯」
歩きながら、今日あったことをとりとめもなく話し出す。
話半分に相槌を打っていると、瑞奈は何か思い出したようにスマホを取り出した。
「あのさ、唯李ちゃんが風邪で寝込んでるんだってね。明日も休みだったら、放課後みんなでお見舞いに行こうって。見た?」
ななめ下からの視線を感じる。悠己は一瞥だけ返した。
少し間をおいて、建物の陰に沈んでいく太陽の光を見つめながら言った。
「俺はいいよ。俺が行ったとこでって感じだし」
「ふぅん。じゃあ瑞奈も行かない」
反発を受けると思ったが、瑞奈はそっけなく言ってスマホをしまった。
「どうやったらお店の牛丼っぽくなるのかなぁ~?」
それきりその話題は終わりらしかった。話の中心は今日の夕食をどうするかに移る。
しかし悠己にしてみれば違和感しかなかった。
牛丼屋での食事の後、瑞奈が唯李と何を話したのかは知らない。
瑞奈はその件について何も言わない。だから悠己も聞かなかった。
そして今のこの態度。
唯李が休んでいる。みんなでお見舞いに行く。
となればもちろん瑞奈だって行く、と言い出すはずだ。
もしかするとあの時、二人の間で何かあったのだろうか。
たとえば瑞奈が唯李を突き放すようなことを、言ったのだろうか。
ニセ彼女の件、以前に悠己が話をしたときは気にしていない素振りをしていたが、嘘をつかれていたこと、実は納得がいってないのかもしれない。
この件について、これ以上自分から触れたくはなかった。
けれど言わずにはいられなかった。
「⋯⋯あのさ、悪いのは唯李じゃないからね? 全部俺が悪いんだよ」
「ん、何が?」
瑞奈はきょとんとした顔をした。
単純に聞こえなかったから聞き直したようだったが、すべてわかった上で責められているような気もした。
「お父さんがさ、隙あらばカレー作ろうとするから⋯⋯」
悠己が黙ると、それ以上は聞いてこなかった。
瑞奈は本当に何も考えていないようにも、わざと話題をそらしているようにも見えた。
前者であれば、それはそれで問題ない。
もし違うなら、変に濁さずはっきり言えばいい。
けれどそれは、お互い様か。
心の内で強く思っていても、口にしないほうがいいことだってある。
黙って胸に秘めて耐えておけば、いずれはきっと時間とともに流れていく。自然と時が流してくれる。無駄にぶつかる必要なんてない。
そもそもが、単なる思い違いの可能性だってある。
一方ではとても深い場所に楔のように打ち込まれて、流れてくれないものだったとしても。
もう一方では、いとも簡単に流されて消えてしまうような、取るに足らない些末なものなのかもしれない。